『聖者の涙 Part2』

主なキャラクター:パパ・ラス(ロック)、イセキアフララインハルトエルナマイダス将軍リサホークルイーズ、バロン・シナツエ、サスーン・ハイデッカー、カルノ博士

 

 ガンダルフのデータに基づき、「工場の星」の所在を知るべく惑星ラベッツのバロン・シロツエに接触を図ったイセキは、シロツエの用心棒、ついで謎のエスパー・ラインハルトと戦うことに。ラインハルトは「工場の星」の主=麻薬の大元締めであるアフラの部下で、証拠隠滅のためシロツエの記憶消去を命じられていた。ラインハルトはシナツエを連れて逃走、記憶を消そうとしたところへ現れたロックを「工場の星」へと誘う。一方ラインハルトを追ってきたイセキはかつて煮え湯を呑まされたロックとの再会に色めき立つが、ラインハルトの仲間・コップに邪魔をされて二人を取り逃がしてしまう。

 一方ラインハルトの案内で「工場の星」へやってきたロックはアフラに謁見。麻薬を全人類に広め生きる必需品とすることで宇宙から争いを失くせると語るアフラの思想に反発し、「工場の星」を破壊しようとしてアフラ配下のエスパー・エルナと激突する・・・

 


 「プラタリア」のスラムにおける麻薬販売ルートを巡る争いを描いた第一部に対し、麻薬組織の大元締め、いわば諸悪の根源であるアフラとその一味を新たな主要人物に加えた第二部は物語が大幅にスケールアップ。第一部だけでも傑作だったものが、第二部が描かれたことによって大傑作となった。というのも第一部では犯罪者の汚名をあえて被り麻薬中毒者の救済に力を尽くす「聖者」として描写されたロックが、アフラの存在によって相対化されているからだ。

 アフラはかつて麻薬の治療薬を生み出すことに燃える科学者だった。ようやく完成させた特効薬を一日でも早く実用化したくて自分の身体で人体実験を行うほどに、麻薬患者を救う意欲と正義感に溢れていた。ところがこの特効薬「神酒(ソーマ)」は他のあらゆる麻薬や毒を一切無効にする代わりにそれなしでは生きられなくなるという「究極の麻薬」だった──。この「ソーマ」の説明を読んだときに思い出したのが第一部終盤で明かされた「聖者の涙」のメカニズムだった。リサいわく「「聖者の涙」のセルには いくつか種類があってね これは一番高いタイプF 習慣性のまったくないもの」「タイプF以外のセルには 神経細胞を修復する作用があるの ひどい禁断症状がでるけどね」。つまりタイプF以外(おそらくAからEまで5種類あるのだろう)の「聖者の涙」は麻薬の治療薬でありながら強い習慣性があり、薬が切れたときはもともと服用していた麻薬を上回るほどの禁断症状を呈するのである。となれば「聖者の涙」はその性質において「ソーマ」とほとんど変わらないではないか。

 「工場の星」に向かう途中でロックとラインハルトは「アフラ様は この宇宙から全ての争いごとをなくそうと本気で考えていらっしゃるんです」「そのために麻薬をばらまいて 廃人を大量に作りつづけているわけか?」「それは・・・ 麻薬中毒を治すために より強力な麻薬をばらまくようなものでしょ」という会話を交わしている。ラインハルトの言う「麻薬中毒」とは「争いごと」─何事につけ争いたがる人間の習性の比喩であるが、同時にこの台詞は結果的に(意識的に?)麻薬の治療薬として麻薬以上の習慣性と禁断症状を引き起こす「聖者の涙」を広めているロックに対する皮肉となっている。このラインハルトの台詞にロックは「・・・ ・・・」と沈黙で応えている。ロックも自分の善意の行動が「廃人を大量に作りつづけ」ることと紙一重なのを十二分にわかっているのだ。いわばアフラとはロックが一歩間違えば陥っていたかもしれない状況を体現した存在なのである。

 「聖者の涙」が「ソーマ」と同じ「究極の麻薬」にならずに済んだ最大のポイントは「習慣性のまったくない」タイプFのセルであろう。リサの説明から想像するに最初は習慣性のあるAからEのセルを症状に応じて使い分けながら治療を進め、神経細胞の修復が完了したらタイプFに移行して禁断症状を抑えながら「聖者の涙」を抜いていくという過程を経るのではないか。それなしでは生きられなくなる「ソーマ」や他の麻薬と違い、最終的には薬を止められるのが「聖者の涙」のキモなのである。

 とはいえこの薬の運用には非常な危険がともなう。治療が終盤に差しかかった時に、患者が「一番高い」タイプFを購入する資金が尽きてしまったらどうなるのか。あるいは生産中ないし輸送中の事故などでタイプFだけが不足してしまったら。そのときは「ひどい禁断症状」に苦しめられる患者が大量に発生することになってしまう。加えてタイプFの不足状況が人為的にもたらされる可能性さえある。というよりちょっと悪知恵の回る人間ならわざとタイプFだけ値を釣り上げてボロ儲けしようと考えるだろう。「聖者の涙」の開発と流通を仕切っているのがロックのような超善人だからこそまともに治療薬として使われているようなもので(ロックが運用してさえ後で述べるように大分グレーな使われ方がされている)、この先より広いルートに「聖者の涙」を広めるとなれば大勢の手を借りねばならず、ロックの目の行き届かぬことも出てくるだろう。作中ではまだリサ、ホーク、ルイーズといった直接ロックと面識があり彼を敬愛している人間だけが「聖者の涙」の製造・普及に関わっているが、この先「聖者の涙」により多くの人間が関わるようになっても悪用されずにいられるだろうか。リサは「聖者の涙」が治療薬として公式に認められない理由を〈病院では頭にターミナルを埋め込むことを禁止されているから〉と説明しているが、それを抜きにしても通常の麻薬以上に重度の中毒者を生み出しかねない治療薬など認可される可能性は低いだろう。

 もう一つ問題とされそうなのが「ソーマ」にも共通する〈洗脳力〉だ。自称「超人ロック」はロックに捕らわれたのち嘘のように従順な部下となるが、ガンダルフの反応からすると「超人ロック」の変心は「聖者の涙」を打たれたことにあるらしい。それも薬欲しさにいやいや従ってるという感じではなく、しばしば人形のように無表情になる様はまさに洗脳されたがごとくである。しかし麻薬や、まして麻薬治療薬にこんなに顕著な洗脳効果があるものなのか?やはり「聖者の涙」を打たれたはずのホークは、多少度胸がすわった気はするものの、人格が一変するようなことはなかったのに。

 この謎が解けたのがアフラが「ソーマ」を打たれた(飲まされた?)ロックの精神に呼びかけるシーンだった。「ーマが枢神経に着するときは(ソーマが中枢神経に定着するときは、だろうか) 「ソーマ」なしでは生きられなくなる それまでの間は きわめて不安定な状態がつづく たとえば 暗示にとてももろくなる」。遺伝子をまるごと組み換える「ソーマ」ほどではないが、薬でボロボロになった神経細胞を修復する「聖者の涙」も効果が高いだけに患者の精神に与える影響力は強いはずだ。それこそ「きわめて不安定な状態がつづ」き「暗示にとてももろくなる」のではないか。そうであれば「超人ロック」の変貌ぶりもうなづける。

 「聖者の涙」で別人のように変わったのは「超人ロック」だけではない。ガンダルフもあれだけ他人を警戒しパパ・ラスを敵視していたのが嘘のように、素直にパパ・ラスへの感謝を口にしている。猜疑心の強い強欲な老人が家族思いの好々爺に変わったのだから一般的に見て好ましい変化であり、ロックを祖父の仇と狙っていたルイーズも一転してロックに心酔してしまったほどだが、これはやはり洗脳ではないのか。治療後のガンダルフは自分のシマをパパ・ラスに体よく乗っ取られたことなど全く気にせず、バロン・シナツエについても自分からにこやかに情報を与えてくれている。実は麻薬のために「廃人寸前だった」とガンダルフ自身が語っているし、第二部でルイーズに「金をもうけて 家族を幸せにしたかった そのためにできることは何でもやった 金はもうかったが 幸せにはなれなかった」と話す場面もあるので、洗脳ではなく麻薬で変質した神経が治った結果本来の性格に立ち返っただけでロックは彼の命の恩人というエクスキューズが用意されてはいるのだが、結局ロックに都合よく事が運んでいる感じは否めない。「超人ロック」もガンダルフも中毒症状で苦しんでいる描写が成されていない、「ロック」など麻薬を利用していたことさえ描かれていない(意図的にそうしてあるのだろう)ので、彼らが麻薬使用経験があったのを幸い「聖者の涙」を利用して洗脳したかのように見えてしまうのである。ルイーズについてロックとリサが「彼女は「薬」を使っていない」「そう それじゃ 「聖者の涙」は使えないわね」と話す場面など、彼らが反対者を「聖者の涙」による洗脳で懐柔してきたことを示唆しているようですらある。悪用されれば麻薬以上の禁断症状を呈するうえ患者を洗脳することもできる──ますます治療薬として公然と認めることは困難と言わざるを得ない。

 もっとも第二部ラストでルイーズと対面した連邦軍の将軍は「聖者の涙」を「画期的な治療法」と称賛している。ルイーズの指揮のもと「聖者の涙」もより低価格で作れるようになったこともあり、どうやらターミナル埋め込み型でも裁可される方向に事態は進んでいきそうである。しかし「工場の星」が潰れて麻薬の供給量が激減した(第一部でロックがホークに語ったように、すぐまた新しい薬で出てくるだろうが)タイミングで最悪の麻薬にも変わりうる「聖者の涙」に連邦がお墨付きを与えそうというのが・・・。軍による「工場の星」捜索がイセキら一部の人員のみで非公式にしか行えなかったのは軍上層部がアフラと繋がっていたためであることは第一部の時点で匂わされているが、アフラがいなくなったからといって〈彼ら〉は麻薬がらみの利権をそう簡単に諦めるだろうか。〈彼ら〉が「聖者の涙」を新たな標的として狙っている可能性もあのラストからはうかがえるのだ。

 麻薬を供給する側を単純に悪として描かず(麻薬を普及させることで宇宙の平和を目指している)、「聖者の涙」の危険性を描写することで麻薬患者を救おうとする側も単純な善とはしなかった。そして連邦軍のダークな立ち位置──。この重層性が『聖者の涙』1部2部を大傑作たらしめているように思えるのである。

 

 

 back    home