『新世界戦隊』(オリジナル版)

主なキャラクター:ロック、アゼリア、ニッキ、アル、名無しのエスパー、ハルツ、総裁

 

「エスパーハルツを殺せ!」という催眠暗示に導かれて集まった5人のエスパーたち。彼らは殺人に抵抗を覚えながらも暗示に抗することができないまま、ハルツがファネル系にいるらしいことを突き止めファネル系第三惑星に降り立つ。

情報を集めるべく5人は別々に行動するが、ロックの嫌な予感が当たって移民局を当たった紅一点のアゼリアは自動機械と暴走車に殺されかけ、ハルツ研究所を訪ねハルツと面会したロックは、彼ら5人にハルツを殺させようとしたのは連邦政府でその理由はハルツが人類のため連邦を滅ぼそうとしているからだと聞かされた直後黒こげにされる。

さらにロックを除くメンバーはそれぞれに催眠電波に操られた住民たちに襲撃されるが何とか逃れて仲間と合流、催眠電波の出所である「ハルツの城」を攻撃しようとするが、突然城が爆発して消失、全身黒こげになりながらも生きているロックが現れ、ハルツはここにいないと告げる・・・。


『超人ロック』シリーズで唯一出版社への持ち込み用に描かれたという作品。後に大幅にリメイクされて商業誌での『ロック』作品第一号となった。エスパー5人組(男4人女1人)が謎の多い強大な敵のもとへと乗り込む展開は2年前(1968年)に発表された第二作『この宇宙に愛を』を、エスパー消去計画を扱っている点では翌年発表の『ジュナンの子』を思わせる。

私はランのファンというのもあって、ランデヴー版の『新世界戦隊』への思い入れが強いため、どうしてもランデヴー版と比較してしまう。ランデヴー版も細かい説明抜きでどんどん話が進んでいくが、オリジナル版はそれ以上にわかりにくい、というかいたってクール。ロックたち5人がどんな経歴を持つどんな性格の人間なのかほとんど見えてこない(『この宇宙に愛を』では簡単ながらも彼らが何者で周囲とどんな人間関係を築いているのかがちゃんと描かれていた)まま、彼らが置かれた状況──暗示に導かれハルツを捜して旅をする彼らの危機の連続だけが描写される。ハルツに出会い暗示が解けたところで唐突に彼らの〈ハルツと戦いたくない、この楽園でともに暮らしたい〉という感情が表出したかと思えばロックがハルツを刺すことでそれを断ち切り、〈すべてはエスパー狩りの罠だった〉という結論が(ロックがどうやってその結論に辿り着いたかは示されないまま)提示され、黒幕である総裁を屠って終了、という取りつく島のなさ。実に最初期の『ロック』らしいというか、持ち込み用作品だと言うのに読者(編集者)にわかりやすくしようとかウケる要素を入れようとかいう媚びがおよそ感じられないのが清々しくもあるが、それだけに出版社からは受け入れられなかったようだ。

(〈誰が主人公だかわかりにくい〉というのも出版社受けしなかった理由の一つかもしれない。表紙は他のキャラクターに比べロックの顔だけ大きく描かれているし、他キャラに先がけ一人ハルツと対決したり、一切のからくりを見抜いてハルツを倒したりもロックがやってるので、素直に受け取ればロックが主人公と判断できるだろうが、物語の導入と締めが名前不明のおじさんエスパーなので彼が主人公ぽくもある。『ジュナンの子』中盤に始まる、ロックがまるで出てこなかったり出てきてもヒーローらしい活躍をしない〈誰が主役かわからない〉展開(『ロック』ではよくある)の萌芽が感じられる気もする)

その点、プロデビュー後に描かれた『コズミック・ゲーム』以降の作品は、だいぶ取っつきやすくなるよう、キャラクターにも思い入れしやすいように工夫されている(たとえば『少年キング』連載開始当初の三作品『炎の虎』『魔女の世紀』『ロード・レオン』はロックないし敵キャラの戦う動機を〈家族や仲間の仇討ち〉という読者が共感しやすい理由にしてある)。初めて『ロック』を商業誌で書くにあたって『新世界戦隊』のリメイクを選んだのは、『ロック』ものの中でもとりわけ不遇だった作品をよりメジャーに生まれ変わらせようという意図があったのかもしれない。

ランデヴー版ではエスパー5人組の方もそれぞれの能力と性格の違いがいくぶん見えやすくなった(ニッキ→ニアなど性別も変更になった。『新世界戦隊』のニアが男っぽいのはニッキの名残りもあるかも)が、大きく変更されたのは何といっても敵方。とりたてて個性のない中年親父の「総裁」と、自ら作りあげたコンピューター・エレナへの偏愛と上司である長官との愛憎劇とで二重に倒錯した雰囲気を醸しだす天才美少年ランでは存在感が段違いで、総裁が連邦のため人間のためという彼なりの社会正義に基づいてエスパー消去計画を行ったのに対し、ランは〈エスパーはエレナの障害になるから〉という一種異常な動機で行動を起こしている。善悪はさておいてどちらがよりキャラクターとして魅力的かは言うまでもない。ロックたちのキャラがそれほど深く掘り下げられない(記憶を取り戻すためツアーを捜すという共通の目的ゆえに一緒に行動してるというだけで、強い仲間意識もメンバー間での恋愛・憎悪といった感情のやりとりもない)分、連邦サイドは愛憎とも実に濃い。周囲との人間関係─他人に対する愛憎がその人間の個性を際立たせるものだということがよくわかる。

そんなこんなで、オリジナル版はランデヴー版と比べると習作といった感触だが、これはこれで初期『ロック』のクールな持ち味がコンパクトに楽しめる興味深い作品である。

 

 

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