ピエール・サンティニ

 

 『猫の散歩引き受けます』登場。スラムにサンティニ・ホールを設置した人物。本名はピエール・クシノ。クシノ議長の実の息子。ストーリーの時間軸ではすでに故人だが、サンティニ・ホールの存在とその死に方を通じて、登場人物たちに多大な影響を及ぼしている。

 彼について気になる点は一つ。ピエールはどういう立場でサンティニ・ホールを創ったのだろうか。サンティニ・ホールはスラムの人々に対し年に2回選抜テストを行い、合格者は市民権を得てシティに住むことができるようになるという。スラム住民にとっては劣悪な環境を脱して成り上がれるという点で、シティにとっては都市を支える優秀な人材を得られるという点で大きなメリットがある。キモは合格の基準が学問や知識ではなく本人の「素質」だというところで、つまり見るからに優秀な人間でなくとも自分でさえ気づいていない「素質」を見出されて合格する可能性があるということ。「高価な機械がいっぱいつまってる」サンティニ・ホールが貧しいスラム住民による強奪の対象にならないのは、誰もが自分が選ばれる希望を持てるような運用の仕組みになっていることで、「どうせ自分など選ばれるわけがない」と悲観しシステムを逆恨みするのを防いでいるからだ。このスラムの住民─実際にはそのほとんどが選抜されることはない─に希望を持たせるシステムがスラムの温存に繋がっている、スラムの犠牲のもとに成り立っているとしてジャニスが批判する所以である。

 さてピエールは議長の息子として、つまりシティ側の立場で人材発掘の手段としてサンティニ・ホールを創ったのか。それともスラム側の立場で、上記のような問題点は理解しつつも住人に希望を与え選抜された人間には豊かな暮らしとやり甲斐ある仕事を与えられるスラム救済策としての面に重点を置いたのか。ピエールの息子であるストウが「スラム希望の星」と呼ばれ議長や評議会が存在しない未来を目指していることからすれば後者ではないか。それに「サンティニ」という姓。奥さんの姓なのかもしれないが、「クシノ」でなく「サンティニ」を名乗ったのは議長に反発し、距離を置こうという意志の表れだったのではないか。クシノ議長がピエールを「正直なところは父親ゆずり」、その父親つまり議長の夫だったウィルヘルム・クシノを「曲がったことが大きらい」と評したところからも、父同様曲がった事が嫌いなピエールがシティの繁栄の陰でスラムが放置されている状況に怒り、実質シティの代表者である母と対立した可能性は高いと思えるのだ。もちろん合格者がシティで厚遇される、シティの合意なくしては機能しない仕組みなのだから完全対立ではなく、シティにとっても有益な仕組みを作ることで可能な範囲からスラムの環境を改善できるようスラム側に立って交渉を進めたといったところか。

 その一方で謎なのが彼の死に方である。クシノ議長はピエールの死は「事故」だとハントに話したが、ストウが母親から聞いた話ではクシノ議長によって〈暴徒の中に放り込まれた〉のだという。この「暴徒」とは何者で、何に対して暴動を起こしたのか。作中で描かれている範囲で暴動を起こしそうな人間たち・暴動の種になりそうな事柄といえば、スラムの住人であり、上で書いたサンティニ・ホールによる選抜システムがかえってスラム温存に繋がっている件くらいしかない。選抜システムはスラム住民を劣悪な環境に置くことで成り立っているとして、システムのトップに立つクシノ議長と評議会、のみならずサンティニ・ホールを創ったピエールにまで恨みが向かった可能性がある。「クシノ」でなく「サンティニ」と名乗っていることについても、議長との血縁関係を隠蔽しスラムの味方面してその実スラムの人間を犠牲にしたと曲解されたかもしれない(実際に彼が出自を隠して母のためシティの利益のため動いていた可能性もあるが)。

 そして暴動が起こったときにクシノ議長は息子を〈暴徒の中に放り込んだ〉。この件についてストウから糾弾された時議長は「助けてあげることができなかった」と表現しているが、つまりは自身と評議会を守るためにピエールを矢面に立たせ、結果見殺しにしたには違いないのだろう。議長の孫娘リンがハントに「もしも本当に 議長の椅子が危くなったら 眉ひとつ動かさずに 私のこと見捨てるだろうね」「今度みたいなこと・・・ 初めてだと思う?」と話したのはこの事件のことを指していたのかもしれない。

 ただ本当に「暴動」が上述のような内容だったのなら、暴動が起きたにもかかわらずスラムの状況も「システム」も何も変わらなかったことになる。ピエールを犠牲に、クシノ議長は事態を(あまりにも)綺麗に収束したということか。ストウがややためらいながらも議長を「怪物」と呼んだのが(彼女自身も「怪物」であることを内心悲しんでいたとしても)わかるような気がする。

 

home