『ニンバスと負の世界』

主なキャラクター:ロックアイザック司令、長官、キャプテン・ニムバス、JJ運輸社長、ジェミナス、ドク

 エスパー海賊「スカイシャーク」を追っていたISCのアイザック司令は、謎の振動に襲われた直後スカイシャークを見失い、さらに近くの惑星ピナが突然蒸発するという怪事件に遭遇する。

 彼はこの謎解きを伝説のエスパー「超人ロック」に依頼、現場を調べたロックはピナ消失の犯人が「オメガ」なる人物であることを突き止め、「オメガ」の正体を知るべくピナ消失当時近くにいた船の持ち主を捜査。うちの一つ・輸送船「オリビア」を所有するJJ運輸社長を訪ねたロックは、ピナを消滅させたのが亡き友人ハンザ博士が研究していたプシ陰線だと気づく・・・。


 記念すべき『超人ロック』第一作。聖先生が当時も今も所属している同人誌グループ「作画グループ」の肉筆回覧誌にて発表された。90年代半ば以降先生自身の手になるリメイク版が刊行された結果、いまや第二作の『この宇宙に愛を』、第三作の『ジュナンの子』ともども年表から外され参考作品扱いになってしまったのがいささか淋しい。

 作画グループの朋友・みなもと太郎氏が、〈『宇宙戦艦ヤマト』よりも早く太陽系外を舞台にしたSFマンガ〉といったことをどこかで書いてらした記憶があるが、そう言われると改めて聖先生の先駆性を感じます。私がリアルタイムで『ロック』を読むようになったのは『聖者の涙』からなので、こうした同時代の作品と比較しての先見性というのに自力で気付きにくいのが悔しいところ。そもそも『ロック』以外のSF作品にはむしろ疎いので、人様のブログなどで聖先生の描くメカのデザインセンスやどんな作品に影響を受けているかといった話を読むと、自分は『ロック』の魅力を半分も理解できてないんじゃないかと不安になってくる・・・。

 愚痴はさておき、そうした「SFファンとそうでない人へ」の後者寄りの私にとっても、「惑星ピナ消失」とか「プシ陰線」などのいかにもSF的な用語(固有名詞)と、エピソードの繋がりやキャラの背景・心情についてほとんど説明しない(今でもあまり説明してないがこの頃はもっと)スタイルが、なんともクールで格好よいものとして映ったものだった。冒頭部など、アイザック司令が探しているのがどんな人物か名前さえも明かされないうちに、「あのひとがそうだ 君の捜している超人ロックだよ」「ええっっ」とやられても、司令の驚きに共感のしようもない(笑)読者置き去り展開なのだが、それさえも格好よい。直後の三コマに区切られた扉絵もストーリーの一部のようであり話の流れから独立したイラストのようでもあり、ロック(リーザ)の全身図、正面からの顔アップ、さらにアップの横顔(目から下)という構図が、まるでカメラでいろんな角度からロックを写したというような映画的な表現になっているのが実にお洒落である。

 一方でロックとジミィの語らいの場面などは「淋しそうなひとみだな・・・・・・」のモノローグに始まって黄金期の少女マンガさながらのロマンティックさが全開(聖先生の絵柄はしばしば少女マンガ的だと言われているが、この頃の絵は特にアップの顔や女性キャラの肢体は水野英子氏を思わせる。男性キャラの全身像は石森章太郎氏的な感じだけど)。しかしロックとジミィがなぜ初対面からああも惹かれあったかについては〈前世からの繋がり〉みたいな台詞でさっくり済ませてしまうあたり(そしていい雰囲気だったにもかかわらずあっさり別れてしまうあたりも)はやはりクールである。

 クールさとロマンティックな甘さは一見相反するように思えるが、どちらも生々しさがないという点で一致している。だから「オメガ」候補者たちとのやりとりや戦闘シーンでは硬質、ジミィとのシーンでは柔らかい、と違いはあるものの、全体を通してどこか透明感が漂っている。それは初期三部作に共通する味わいのように思えるのである。

 

11/30追記−上で「みなもと太郎氏が、〈『宇宙戦艦ヤマト』よりも早く太陽系外を舞台にしたSFマンガ〉といったことをどこかで書いてらした」と書いたのだが、調べてみたら『超人ロックの真実』(SG企画、1989年)だった。「みなもと太郎が語る作家・聖悠紀と超人ロックの“真実”」中に、「太陽系の外に、物語を拡げていった最初のSFアニメが「宇宙戦艦ヤマト」でしょーが!?」「その「ヤマト」の七年前に、「超人ロック」が完成してたってことはね・・・、これはアンタ、大変なことでしょ ?」とあります。

 

 

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