『魔女の世紀』

主なキャラクター: ロックヤマキジェシカコーネリアレディ・カーン、ラムセス、ルウ

 

 惑星トアで平穏に暮らすロックは、銀河連邦の新長官ヤマキから、カーン財団総帥レディ・カーンの「千年王国(ミレニアム)計画」調査への協力を依頼される。最初は連邦への反感から断ったロックだが、ヤマキ個人の人間性に惹かれて協力することに。

 一方レディ・カーン経営の学校に通うジェシカ・オーリンは、導師(グルー)コーネリア・プリムの指導によって、銀河系唯一の「ESP分解能力」に覚醒。ロックを両親の仇と思いこまされ、彼への復讐を誓う。

 コーネリア率いるレディ・カーンのエスパー部隊は、「エスパーも人間として生きられる理想郷」ミレニアム建設のため各地で暴動を起こし、ヤマキは事態収拾のため地球へ向かう途中、軍のシャトルの事故に巻き込まれて記憶を失った少女アメリア(ジェシカ)を助ける。

 親身に面倒を見るうち、ヤマキはアメリアと愛し合うようになるが、別行動していたロックがヤマキを訪ねてきたのに出会ったアメリアは記憶を取り戻しロックを襲う。しかしロックをかばうヤマキを〈アメリア〉は殺せず、〈ジェシカ〉を止めるために自身の精神を分解、廃人となってしまう。

 ジェシカの両親の死からヤマキとの恋愛まで、すべてロックを狙うレディ・カーンの計略だったと知ったヤマキは激怒。ロックとともにレディ・カーンの本拠地である人工惑星アステロイド・カーンにのりこむ・・・。


  数あるエピソードの中でもエンターテインメント度はピカイチ。『コズミック・ゲーム』もエンターテインメント度は高いが、ヒーローもヒロインも2タイプあるので、誰かしら好みに引っかかりそう(笑)なうえ、二つのラブストーリーが展開する、と言う意味で『魔女の世紀』の方がより一般受けしやすいかなと。まっさきにアニメ化されたのもうなづける。

 思えば前作(『炎の虎』)よりさらに事態は深刻なのに、初恋に右往左往するヤマキ長官のおかげなのか、全体的には明るい雰囲気。ロックも相棒に引きずられたのかかなり明るく、「すみませんね グラマーでなくて・・・」なんて冗談をいってみたり。こういう明るいロックはとても好きだったりする。

 その一方で、彼はレディ・カーンに対しては別人のように険しい顔になる。エスパーを道具のごとく使うレディ・カーンのやり方が許せないからなのだろうが、たとえばコーネリアが命令に反したウドを殺したときも、怒りがコーネリアでなく背後のレディ・カーンに向くあたりが・・・。ロックはエスパーに甘いからなあ(笑)。

 「(ミレニアムができるまでは)だれかが道具にならなくちゃいけないんだ!」というコーネリアの言葉は個人的にはよくわかる気がする。何かを成し遂げるには、道具となって汚い仕事をする人間もその結果の被害者も存在せざるを得ない。ロック自身もロンウォール独立革命のさいに戦闘の指揮を取ったこともある。革命軍も当初はテロリストと呼ばれていたし、独立に失敗していればロックもコーネリアのように軍事法廷で裁かれていたかもしれない。

 ただロンウォールの独立というのは、「愛と平和が支配する世界・ミレニアム」などという、到底実現可能とも思えないお題目にくらべて、はるかに具体的であり、革命闘士たちも自分を道具とは思ってなかったろう。ジュリアスは「われわれの家族のために 故郷のために そしてなにより自分自身が生き残るために! 戦うんだ!」と言っていたし、エレーヌも「私自身のために・・・よ」と言っていた。

 彼らはミレニアムのエスパーよりずっと生き生きとしていた(もっとも「リヴィングストン将軍」時代のロックはずいぶん人間らしさを殺していた気がする)。自ら道具となる覚悟をした人間は、結局周囲にも道具たることを求めてしまっていることが多いのではないか。コーネリアは最後に「人間らしく生きるってことはだれのためでもない 自分のために自分に正直に生きるってことなのね」と語る。「人間は自分のために生きるべきだ」というテーマは、のちの『書を守る者』シリーズなどにも登場する。『超人ロック』の大テーマのひとつであると言えよう。

 

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