麻薬中毒者は理想郷の夢を見るか?

 

 『聖者の涙』の第一部にリサがホークを連れてプラタリアのスラムを訪ねるエピソードがある。このときリサはこの場所を「理想郷」だと評する。「この都市の温度や湿度は昼夜を通して管理されているの それに・・・ 食料の配給システムよ 豚のエサのようなしろものだけど 栄養は十分」「ほとんど病気らしい病気もない 昔の人が考えていた理想郷よね」。「こんなゴミまみれで?」というホークの疑問にも「彼らにはこれと薬があるわ」「どんな生活だろうとお好みのままよ それこそ王侯貴族の気分でだって暮らせる (それが)彼らにとっては現実よ 薬が切れたときだけ 働くのよ 薬を買うためにね どんな汚い仕事でもやるわ でも それは 彼らにとって ただの悪い夢なのよ」。

 リサが「これと薬」と言うところの「これ」とは「インフォ・ビジョン」と呼ばれる超薄型・シール状の受像機のことだ。リサいわく「情報を送る会社はとてもこんなとこまで社員を送れないでしょ だからパパ・ラスに頼むの」。物語冒頭のリサ初登場シーンの「インテリアのことならこの パパ・ラスにおまかせ」やホークが「超人ロック」に襲撃されたさいにバックに映っている「人生は悩み多きもの・・・」から最初は一枚あたり一種類の動画広告を流すチラシのようなものかと考えたのだが、宗教団体はまだしもインテリア(の修理?)の広告をスラムで流したところで需要はほぼゼロだろう。わざわざパパ・ラスに広告配布を頼むメリットがあるとは思えない(むしろインフォ・ビジョンにカメラや3Dプロジェクターを仕込むことでスラムを監視したり敵への目くらましに使ったりしているパパ・ラスの方がメリットを得ている)。スラムの住人にとって薬と並んで「どんな生活だろうとお好みのまま」になる助けとなっているらしいことからして、これは単なる宣伝広告を流す機械ではなくて街頭テレビなのかもしれない。インフォ・ビジョンごとに映像が違うので、CSのように視聴者の好みに合わせてチャンネルが細分化されていて、冒頭の美人の奥さん+優秀な息子がいる裕福な家庭を夢見ている男はホームドラマ専門のチャンネルを眺めながら薬の効力で自身が主人公になった気でいる(薬が切れたために現実に引き戻された)ということなのかも。スラム専用に番組を作っているのではなく一般地区と同じ内容を放映しているだけなので、一般人向けのCMもそのまま流れてしまうというのなら、スラムでインテリアの広告が流れるのも納得できる。インフォ・ビジョンは常人にとっては我々がテレビ番組や動画サイトを見るのと同じようなものだが、薬でトリップした状態で見ると現実同様の臨場感をもってその世界を体感できるのだろう。だからこそ現実がどんなに悲惨であろうと「どんな生活だろうとお好みのまま」「王侯貴族の気分でだって暮らせる」わけだ。しかも人体に最適な温度・湿度が保たれ、味や見た目はともかく栄養価は十分な食料が無料で供給されるという。飢えも病もなく暑さ寒さで苦しむこともない。肉体的には生存に必要な条件を完全に満たしている。QOL(生活の質)は最悪だが、薬とインフォ・ビジョンによって幸せな夢を見ている限り精神的にも満足していられる。傍目にはゴミ溜めでも当人たちにとってはたしかに「理想郷」と言っていいだろう。

 それにしてもプラタリアなり惑星プラタなりの政府は何をやっているのか。パパ・ラスが警察上層部を抱き込んでるくらいだから麻薬の元締めを摘発するのは難しいだろうが、スラムの人間を更正させるために何らかの手を打っている気配がおよそない。それどころか無料で食料まで供給して彼らの労働意欲を見事に削いでいる。さすがに麻薬までは供給してないようだが、麻薬の流通を止める努力をしてないのだからある意味似たようものか。まあスラムの住人たちは税金を収めてるとは到底思えないものの政策に異を唱えたり現政権の腐敗を正そうとしたりはしないだろうから、役には立たないがさして有害でもない(麻薬買う金欲しさに「どんな汚い仕事でもやる」連中なのだから実質犯罪者集団じゃないかと思うのだが)、一応市民である以上社会福祉の保護対象になるということで体の良い飼い殺しにしてるのだろう。おそらくは最低限の生活を保証することで彼らの暴徒化を防いでいるという側面もある。

 ところが第二部にこの〈スラム=理想郷〉を覆すような場面が登場する。「豚のエサのようなしろもの」な食事を「ちょっとまぜると極上の料理に早変わり」させる調味料(?)を販売・輸送している業者とその部下が穏やかならぬ会話をしているのだ。「都市がどんどんスラムになって行ってるのは知ってるな で・・・・・・とにかく政府はスラムの連中を食わしてやらなくちゃいかん 「フィーダー」の食い物は とても普通の人間に食える代物じゃない 粘土のほうがましだ だが・・・ こいつをちょっとまぜると・・・ 極上の料理に早変わりってわけだ しかも 病気や怪我も心配ない」「えっ 病気しなくなるんで? 「あれ」をやってると?」「そうじゃない 病気や怪我に気がつかなくなるのさ 最後まで 何の苦痛も感じない」「でも もし薬が切れたら 暴動が起きませんか?」「起きるかもしれんな そうなったらさっさと他の星へ行けばいいのさ 金ならたっぷりある」「滅びちまいませんか? その 人類が・・・・・・・・」「・・・かも知れんな だが おれには関係ない」。

 ここで語られるスラムの実状はリサの話とは大分違っている。まあこのスラムはプラタリアとは別の星別の街のようだから(プラタリアのスラムはインフォ・ビジョンを通じてパパ・ラスの完全監視下にある。パパ・ラスの不在中とはいえリサやホークが後述のような非道を見逃すとは思えない)違いがあって当然なのだが、スラム特有の要素というか大部分は似通っている。スラムの住人に対して政府が無料で食料を支給している、味は最悪だが栄養バランスは良く、そのおかげで?病人や怪我人もいない──という点は両者共通だ。しかしこの業者の男によれば、彼らは病気にならないのではなく、なっても気がつかない─痛覚というか不快感に繋がるあらゆる感覚が麻痺している(させられている)のだそうだ。そしてその〈不快感の麻痺〉の源は「あれ」すなわちスラムの配給食料を極上の料理に変える薬だという。おそらくは人間の脳に働きかけて快感を増幅させ不快感をシャットアウトさせる効能を持っているのだろう。食事に「ちょっとまぜ」ただけでその効力、死に至るほどの苦痛さえ消してしまう薬とはもはや麻薬同然ではないか。だからこそ業者の男も「世の中変わったなぁ」「おおっぴらに運べるだけじゃなくて 政府から 補助金まで出るんだからよ」と感慨深げに口にしているのだろう。そして政府が彼らのようないかにも怪しげな業者から怪しげな薬を買いつけている理由は「医療機関が買いつける量じゃとても まかないきれん」から。効能は麻薬同然だが正規の医療機関も同じものを買っている、そしてその薬が味覚から痛覚まであらゆる不快感を取り除く効果を発揮するというと、医療用阿片のようなものだと思えばよいか。

 そして彼らの苦痛を消し去ったところで恐ろしいことが行われている。業者の男が部下に「あれ」の効能について説明している背後で戦闘機?がスラムの住民を形も残さず殺害する様が描かれているのだ。麻薬によって精神を、「あれ」によって肉体的不快感を麻痺させられている住民たちは全く抵抗することなく殺されてゆく。彼らは自分が死んだことにすら気づいていないだろう。

 このエピソードを読んだときふと思い出したのが『冬の惑星』のアルフレッド・クラウスだった。ジュリアスの死によってロンウォールの議長代理となった彼は、地球から押しつけられる移民を(ロンウォールには移民を受け入れるキャパシティがないにもかかわらず)にこやかに受け入れたうえで、事故に見せかけて次々と大量殺害していた。このスラムでも住民に無償で食料と快適な外気を与えて飼い殺しにもせよ彼らの生存をサポートしておきながら、一方で暗殺者を送り込んで彼らを抹殺している。形は違えど〈受け入れると見せて密かに殺す〉というやり口においてこの両者は共通しているのだ。

 リサが言う通り、スラム住人の暮らしは彼らの主観においては王侯貴族もかくやという理想的なものだろう。しかし自身の力で生きようとする意欲を手放し虚構の幸せに浸っていれば、知らないうちに暗殺者が背後に忍びよっているかもしれないのだ。こんなものが理想郷と呼べるのか。もっとも死の苦しみや恐怖からすら解放されていると考えれば、これぞ理想郷と言うべきなのだろうか・・・。 (この項つづく)

 

 

 

 

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