〈ファーゴ生存者〉考

 

 『ファイナル・クエスト』を読み返して気になったことがある。「ジェノサイド」が帝都ファーゴにN弾を投下しファーゴが壊滅状態となったさいに生き延びた人たちのその後についてだ。N弾投下直後のファーゴに降りたったロックとクーガーはわずかな気配をたどって、北の大地の洞窟内でカル・ダームW世の催眠暗示下に置かれ諾々と冷凍睡眠に付いた人々を目撃している。カル・ダームW世の言葉を信じるならその人数は数千人に及ぶ。

 すぐにも彼らを救いに飛び込もうとするクーガーをロックは制し、「彼らはN弾の影響が消えるまで ここにいるのがいちばんいいんだ!」「ここの人たちを助けるのは 「書を守る者」と「銀河コンピューター」を破壊してからだ!」と諭す。クーガーも歯噛みしつつもそれに従うのだが、その後彼らを救う機会が来ないまま、自分は銀河コンピューターの手の内で踊らされてただけと知った「ドラム」が銀河コンピューターに――つまりは惑星ファーゴそのものに体当たりし、「ドラム」と「ファーゴ」両惑星の消滅によって長かった戦いは終結する。当然ながら北の洞窟内の人々は冷凍睡眠状態のままファーゴと運命をともにしたのであろう・・・。

 しかるに「ドラム」がファーゴに体当たり――宿敵銀河コンピューターを惑星ごと道連れにするつもりだと気づいていながら、ロックが生き残りの人々を救うために何らかの措置を講じた気配はない。彼は「ドラム」の急接近に驚くクーガーとミーシャに「両方のコンピューターを一度に破壊するチャンスなんだ!」とだけ説明し、惑星消滅後もガスとなって残るはずのバリアを切るために(両惑星の消滅を大前提として)行動するのだ。そして生き残りの人たちがどうなったのかはそのまま一切触れられることなく、物語は両コンピューターの消滅と、帝国に変わってSOEを母体とする新銀河連邦が銀河の統括者となったことを示して大団円となる。

 この〈ファーゴの生き残りが無視された〉問題については3通りの仮説が立てられる。すなわち、

1 作者が忘れていた

2 ロックが忘れていた

3 わかったうえで見殺しにした

の3つだ。このうち1はまずないだろう。「ジェノサイド」によるファーゴ攻撃=40億人超ものファーゴ住民が壊滅する展開は、二つのコンピューターによる「でたらめな戦い」に人間の命が翻弄されるやりきれなさを描くため以上に、真相を知った「ドラム」の自爆テロでファーゴもともに消滅する結末のための仕込みであったと考えられるからだ。もしファーゴ爆撃が行われず40億人の人口が普通に生活している状況だったなら、いかに「両方のコンピューターを一度に破壊するチャンス」であろうと、ロックは何とか両者の衝突を回避する手段を見つけようとしたに違いない。ファーゴがほぼ死の惑星と化していたからこそ両惑星の衝突→共倒れで大団円という結末が成り立った。あのラストに持っていくには〈ファーゴ壊滅〉の描写が必須だったのだ。それだけに爆撃時点で生存者0になっていれば何も問題がなかったものを、わざわざ〈数千人の生き残りがいる〉描写を入れたためにすっきりしないものが残ってしまった。「わざわざ」入れた以上〈生き残りがいた〉設定には相応の意味があったはずで、聖先生が『ファイナル・クエスト』最終回を書いた時にそれを忘れていたとはまず考えられない。

 となると、〈生き残りがいる〉伏線が何かで使えなくなった、予定のエピソードを削らざるを得なくなったのでそのまま生き残りの件には触れずに〈なかったこと〉にしてごまかしてしまったのだろうか。つまり聖先生は忘れてないが作中の関係者は忘れているという2の可能性はあるのか。確かにあの場の状況を考えれば、ロックから真相―自分は銀河コンピューターに利用されてたにすぎなかった―を知らされた「ドラム」は間を置かず体当たりに踏み切ったようであり、ロックとしてもとっさのことだけにファーゴの生き残りのことを失念してたとして何ら不思議はない。ロックだけでなく、生き残りの人々の現況にロック以上に心を痛めていたクーガーでさえ彼らのことを思い出した気配もない。クーガーの場合ロックよりさらに心の準備がなかったうえに、この時期の彼にとってはミーシャの身の安全が一番の懸案事項であり、加えてバリアを切りに行く途中からはクローンの宿命というべき老衰に襲われている。到底生き残りの人々のことを思い出す余裕はなかったろう。

 しかし用意の伏線が使えなくなったのだとすると、なぜ単行本でそこを直さなかったのかという疑問が発生する。とくにスコラから愛蔵版が出たさいにはかなりの加筆修正がなされていて、『ファイナル・クエスト』も前半の戦闘場面やロックたちがバリアを切るべく奮闘する場面、エピローグというべきクーガー復活後の会話など数ヶ所に手が加えられている。にもかかわらずロックとクーガーが生き残りの人々を見つけるくだりはそのまま残されているのだ。確かに愛蔵版での加筆修正はほとんどが説明不足だった部分を補強するもので、シーンをまるまる削除をしたケースは記憶にない。しかし削除ではないものの『プリンス・オブ・ファントム』のようにラストを書き替えてしまった(ロックの身の処し方が全く違っている)例もあり、長かった帝国編の最後に後味の悪さを残すくらいなら、不要になった伏線はすっぱり切ってしまってよかったのではないか。しかしそうはならなかった。それどころかロックとクーガーがN弾投下直後のファーゴに降りるシーンに先立って、まだ爆撃を受けていない地点の人々が街頭テレビ?のアナウンスによって北の大地へ誘導されるくだりが挿入されてさえいるのだ。〈ファーゴの生き残り〉は『ファイナル・クエスト』という物語に必要不可欠なファクターなのだ。この消化不良感のあるエピソードが?――まさにその消化不良感を残すためにこそ必要だったのだ。

 そこで3である。ロックはファーゴの生き残りの人たちの事を忘れたわけではない。覚えていて、そのうえで見殺しにした。それが「両方のコンピューターを一度に破壊する」またとない機会だったから。上でも書いたように「ドラム」の特攻決心から両者衝突まではさほど間がない。衝突を回避あるいは生存者を救出するための措置を講ずることはほとんど不可能だったろう。しかし両惑星が衝突した後でも残ってしまうバリアを切るために衝突寸前の二惑星間に割り込むだけの余裕はまだあった。バリアを切ったりしてる時間に数人なりとも生存者を救出することはできなかったものか――かつて汎銀河戦争の幕開けとなったジオイド弾の集中投下を、「ジェノサイド」との初遭遇となったルハラ星に対する「浄化」を、ぎりぎりまで体を張って止めにかかり、特に後者ではモール・ミオナをはじめとする多くの命を救ったロックだけにそう感じないではいられない。バリアを切ることの重要性が(個人的には)今ひとつ理解できないために(〈バリアを放置するとガスが残ってしまう〉というが、それは多くの人命に優先するほど重大な事態なのか?結局切断成功したのかはっきり描かれないままだし)、バリア切断に関する一連のシーン自体が“そんなことに労力を使う間に、生き残りを助ける努力をしろよ”と読者に思わせるための仕掛けなんじゃないかという気さえしてくる。

 まだ戦闘に不慣れなミーシャに、せきたてるように次々過酷な指示を与えるロックには確かに焦りが見られる。それは〈こうしている間にも、何分何秒の間に大勢の人が死んでゆく〉状況に由来するものだ。彼らの命を救うには一刻も早く「銀河コンピューター」と「ドラム」の双方を破壊する必要があり、それが「ドラム」の無理心中という形で今まさに叶おうとしている。そのとき冷凍睡眠で生き延びている人たちのことが頭をよぎったとしても――このチャンスを無にしてまた全銀河規模で多くの死者を出すくらいなら、ファーゴの数千人を犠牲にして済むことならば――そうとっさにロックが考えたとしても不思議はない。

 しかしそれはかつて彼がライガーを否定した所以である〈大の虫を生かすために小の虫を殺す〉やり方そのものではないか(「マインド・バスター」参照)。恒星間全面戦争を防ぐために(ガス抜きとして)中規模の戦争を自ら引き起こしたライガー教授。ロックが彼を否定し、教授がロックとナガトに託した「ライガー1」=銀河コンピューターの受け取りを拒絶した→銀河コンピューターを受け継いだナガトが銀河帝国を興したところから帝国編は始まる。そのロックが帝国の最期にあたって、ぎりぎりの局面でかつて否定したはずのライガーと同じ選択をしてしまう。このとんでもない皮肉を、はっきりとは描かず読み返すうちに気付く程度のささやかさで提示した、それが〈ファーゴの生き残り〉エピソードが描かれた意味だったんじゃないだろうか。

 「ドラム」がファーゴにぶつかった瞬間、銀河コンピューターに関わりの深かった人々―カル・ダームW世(目玉)、トレス、ナガト、ライガーの姿が印象的な台詞とともに次々と去来する。このときのライガーの台詞は、かつて彼の真意―自ら戦争を引き起こすことが目的―を知って激昂したロックに告げた「人類を助けるためには こうするしかなかった」。愛蔵版以降はこのコマの後に1ページ使った大ゴマが追加されていて、塵となった二惑星(たぶん)を背景に「「こうするしかなかった」?」というロックのものとおぼしき疑問が書き付けられている。私はここでのライガーら四人の姿を、長らくロックの記憶―銀河コンピューターの消滅にあたって関係者の思い出が甦ってきた―だと思っていたのだが、一瞬で登場人物が移り変わってゆくさまは走馬灯のごとくで、むしろ銀河コンピューターがその末期にあって自分の歴代マスター(創造主であるライガー、初代皇帝ナガト、実質的には二代皇帝といってよいトレス、自分自身)を〈思い出し〉、その記憶データが奔流のようにロックの内側に流れこんでいる状態と見るべきかもしれない。だとすれば生き残りの人々を見殺しにしたことについて内心「こうするしかなかったんだ」と自らに言い聞かせていたに違いないロックにとって、ライガーもまさに同じ台詞で多大な犠牲を正当化していたのを改めて外部から突きつけられたことは、相当なショックだっただろう。

 この後わずか12年にして早くも銀河コンピューターのネットワーク復活が図られ、なんとロックもそれに協力しているのだが(くわしくはこちら参照)、もしかしたらこの〈見殺し事件〉が影響しているのかもしれない。新銀河連邦主導でネットワーク再生が試みられた理由は、惑星間での情報が思うようにやりとりできていないために、ある星で発生した病の特効薬が近くの星にあることがわからず多くの死者が出た、といった事例があいついだことだった。銀河コンピューターを復活させる――あくまでネットワークの一部を安全な形で、とはいっても、帝国末期に銀河コンピューターと「ドラム」の戦いがどれだけの惨劇を引き起こしたかを考えたら危険な賭けにはちがいない。しかしそれがわかっていても、銀河コンピューターの「浄化」その他で葬られた星々と人間の数に比べれば疫病の死者など〈小の虫〉に過ぎないとしても、ロックはもう二度と〈小の虫〉を見殺しにはしたくなかった。その思い―ファーゴでの後悔が、銀河コンピューター再生への協力に表れたのではないだろうか。

 

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