ヘルガ・ファラトシュ

 

 『ソード・オブ・ネメシス』『オメガ』登場。海賊ニムバスの部下でエスパー。エスパーへの偏見が根強い辺境惑星に生まれ育ったために悲惨極まりない幼少期を送り、過酷な境遇から救い出し居場所を与えてくれたニムバスを盲信している。

 彼女については正直2つの点でどうにももやもやしたものを覚えてしまう。1つは惑星トルの消滅に関して。ヘルガの前身ともいうべき『この宇宙に愛を』のニーナはやはりニムバスを盲信し、自身が受けたエスパー差別が高じて人間全般を恨んでいた点でヘルガと共通している。ただニーナはおそらくプシ陰線(第三波動)による惑星ピナの消滅に直接には関わっていない。のみならずピナを消滅させた犯人がキャプテン・ニムバスだということ自体、連邦に捕らえられるまで知らなかったんじゃないか。ピナの消滅およびその巻き添えを食ったヘンリィ・ラン(ジェミナスの父親)の死に対してニーナの責任はほぼゼロと言えるだろう。

 対してヘルガはニムバスがお膳立てをしたとはいえ、「生きている岩」に直接に働きかけて「ネメシスの剣」を強化させトルとその周辺のISCの艦隊を消滅に導いたのは彼女である。しかもこの大虐殺の犠牲者に対して何ら罪悪感を覚えてはいないと明言している(「その 死んだ人達 かわいそうだとかは 思えない あの娘が 味わった苦痛に比べたら」)。それを考えると彼女が受けた罰はあまりに軽すぎるように感じられるのだ。

 もちろん彼女は「むこうの時空」からヤマトともども救出された後は軍に拘留(投獄?)されているし、「むこうの時空」にいる間は体感時間にして10年程度も〈時間も空間もない場所〉で自分の影だけが延々増殖し続けていくという生き地獄を体験している。全く罰を受けてないわけではないのだが、ヤマトと一緒に再び「むこうの時空」に突入したのはヘルガ自身の意志だった、にもかかわらず二人を追って「むこうの時空」に入ったものの撤退を余儀なくされたロックが「ヘルガとヤマトを助けないと」と口にしたのに顕著なように、いつのまにか「むこうの時空」に捕まってしまった被害者のような扱いになっている。さらに拘留中に再び膨張を始めた「むこうの時空」を止めるのに力を貸してほしいとアイザックに頼まれているので、当然見返りとして罪一等を減じられたものと推測できる(そのアイザックにしてもISCの艦隊とトルの全滅をあれだけ嘆きながらも、その怒りはもっぱらニムバス及び部下と無辜の民を守れなかった自分自身に向かっていてヘルガを恨んでいる様子は見えない)。

 たしかにヘルガが子供の頃に味わった苦しみからすれば、彼女が直接自分を迫害した相手だけでなく人間全般を憎むようになったのも無理もないと思える。しかしだからといってトルの人々はヘルガの不幸に何の責任も負っていない。彼女に何をしたわけでもないのにあれほど唐突かつ理不尽な死を迎えなければならなかった(トルが「むこうの世界」に吸い込まれる様子は惑星の外側からしか描かれていないが、地上ではどれほどの惨状が起きていたのだろうか・・・)。命がけで再度無間地獄に飛び込み世界の危機を救う一助を果たした英雄的行為からすれば無罪放免になる資格はあるのかもしれないが、何だかもやっとするのである。

 もう一つはヤマトとのことだ。彼とは出会った当初からいい雰囲気だったし、一方でニムバスのなれの果てである「オメガ」に対してはもっぱら嫌悪感しかないように見えた。閉鎖空間で10年を共に過ごし、彼に励まされながら難局を乗り越える中で自然とヘルガもヤマトを愛するようになっていったものと思っていたのだが、ヤマトいわく「一度としておれに心を開いたことはない」「あいつは おれの向こうにいる 「誰か」を見ていた」。それでもその後「むこうの時空」への再突入、オメガによる手ひどい裏切りと自身の手でオメガを倒したことを経て、今度こそヤマトと相思相愛になったものと思いきや、『久遠の瞳』の中盤でヤマトが「ヘルガについては  おれの中で整理がついてる」「ヘルガは最後まで キャプテンニムバスを想いつづけた おれは単なる保護者だった ニムバスとオメガが同じ人物だと 頭では理解していたが オメガを憎みながら・・・ ニムバスを愛していた」と告白する場面があり、その後数十年?共に暮らしながらヘルガの心は「むこうの時空」にいた頃のままだったことが判明した。私はヤマト贔屓なので、ヘルガが彼から長年にわたり純粋で一途な愛情を注がれながらついに彼を愛せなかった、そのことでヤマトを苦しめた(「整理がついてる」という言い回しは彼にとってヘルガとの生活が幸福なものではなかったことを匂わせる)ことが何とももやもやするのである。しかもヤマトが「保護者」だったというからには彼に養われていたわけで(自分では働いてなかった?)、愛していない男から庇護だけ受けるというのも調子よすぎないかと感じてしまうのだ。

 もっとも後者についてはもやもやと同時に感銘めいた感情も覚える。ヘルガがニムバスを忘れられないのを承知の上でそれでも彼女を愛し続けたヤマトにも劣らぬ一途さで、ヘルガもまたニムバスを想い続けた。殺されかけても利用されただけだとわかっていても、生涯ずっとニムバスへの愛情を断ち切れなかった。その純粋さはヤマトに対しては残酷ながら一種尊敬に値する。それもヤマトのような外見も中身もいい男がずっと傍らにいて愛情を傾けてくれるにもかかわらずブレなかったのだから大したものだ。

 ただヘルガの側にもヤマトに惹かれる気持ちは皆無ではなかったと思う。だからこそ彼の庇護を拒絶せずに(できずに)甘んじて受け入れた。彼に愛されていることへの嬉しさも感謝もあり、その愛情に応えたいと思いながらニムバスへの想いがそれを妨げる。ヤマトと共にいることでいつか彼を愛せるようになれればと願いながら果たせなかった。彼女のニムバスへの執着はヤマトを苦しめ、同時にヘルガ自身も苦しめていたのではないか。決してヤマトの愛情を体よく利用したわけではなかったのだと思う。

 まとめると、もやもやする要素は多々あれど嫌いにはなれない、私にとってヘルガはそんなキャラクターである。

 

 

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