幽鬼鉄山&牙編

 

柔道編の中で、群を抜いて好きなのがこの空手師弟の物語。基本的に明朗な『ドカベン』の中にあって非常な暗さに覆われた、異質のエピソードです。
『ドカベン』に限らず水島野球マンガは、大人向け雑誌に連載の『あぶさん』(初期)を例外として全体に明るい世界観を持っていて、中でも『ドカベン』は高一夏の大会以降、主人公たちが常に日の当たる場所にいる。しかしこのエピソードを読んでいて、水島先生の本質はむしろ初期の名作『銭っ子』系統の作品の方にあるんじゃないかという気がしてきました。『銭っ子』には原作者が別に付いてますが、孤独と復讐心を抱えて金の亡者となってゆく主人公の浮き沈み人生の迫力は、自身も実家が貧しかったために苦労を重ねたという(桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛人だった』、磯山勉『水島新司マンガの魅力』などに詳しい)水島先生の経験から生み出されたものなのでは。
少年マンガらしく陰鬱になりすぎないよう歯止めはされているものの、それでも拭いきれぬやりきれない暗さがこの空手師弟のエピソードの全編には横溢してます(牙の外見やコジキ描写はまんま『銭っ子』の主人公を彷彿とさせる)。

祖父を鉄山の万年げりに傷つけられた山田が、祖父の悲劇を繰り返さないため+アル中の師匠に苦労している牙のため、捨て身の締め技で鉄山の背骨に深刻なダメージを与えたのを皮切りに、背骨を痛めた=空手家として終わったことに自棄になった鉄山が道場を建てるため貯めていた金を持ち出して方々の酒場で大暴れする→何とかいっても師匠を敬愛していた牙が狂気に堕ちた鉄山の姿に絶望して山田を逆恨みする→その頃同時進行で祖父の苦痛を除くため医者を呼ぼうとする山田は、治療費ほしさに大雨の中祖父の作った畳を依頼主に届けて金にしようとするも、鉄山と戦ったダメージがもとで夜の川に転落して溺れかける――。
山田が良かれと思ってやったことがことごとく裏目に出て連鎖的に状況がどんどん悪い方に転がってゆく。アリ地獄にはまりこんだかのような不幸のスパイラルには読みながら胃が痛くなる心地がしました。
とくに山田が川に落ちたとき橋の上で「だれか助けて」とサチ子が泣き叫ぶ場面、留置場に入れられた鉄山を引き取りに行った牙が、自分の顔も思い出せず「酒くれ」と荒れ狂う師匠の無惨なありさまに、牢から出さずこのままにしておいてくれと看守に向かい涙を流す場面はともにやりきれなさの極み。山田一家がお金がないために苦しんでいる時、鉄山が大金を無駄にばらまいて回ってる姿が描かれてるのも皮肉な対比になっている。結局祖父が寝ないで作った畳は台無しになってしまったし。いつもの憎まれ口&しょうもない自画自賛をわめきながら山田を助けに川に飛び込みサチ子を背負って医者に走る岩鬼の姿がどれほど頼もしく希望を感じさせたことか。

最終的には少年誌らしくハッピーエンドに収斂するものの、この重苦しさこそが作者の書きたかったもの――というより『ドカベン』らしさを逸脱しても作者の内面からこみあげてきてしまったもののような気がします。このエピソードのあと『ドカベン』は反動のように明るいノリの、チビッ子番長・井ノ頭軍司がらみのエピソードを挟んで、いよいよ中学野球編へと進んでいくことに。幽鬼鉄山と牙については鷹丘対東郷の試合当日朝に賀間・影丸らと一緒に激励にくる場面があり、山田の柔道の素質を惜しむゆえにいきなり殴りかかったり無茶を言う鉄山を笑顔でいなす牙という幸せそうな二人の姿が見られます。

 

この鉄山・牙編≠ノ似た暗さを持つのが『野球狂の詩』中の「北の狼南の虎」前編。血の繋がらない父子が互いを思う気持ちの、ちょっとしたタイミングのすれ違いが悲劇を生み、そこからさらに復讐という悲劇が生まれるという、これもまた不幸のスパイラル。後編は生き別れの母・弟との“再会”を軸にした感動物語になっていますが、私にとっては純粋な野球少年だった火浦健が養父が命がけで守ろうとした光に背を向けて修羅の道を選ぶ前編、その激しさと暗い眼差しが何とも印象深かったです。

 

もう一つこれらとは趣が違いますが、やはり『ドカベン』らしからぬ暗さを湛えたエピソードが高二春の土佐丸戦。上二つと違って人の命に関わるような悲劇ではありませんが、ツキ指がもとで里中が心身ともボロボロになってゆく様子と、それがチーム全体に及ぼす悪影響とが丹念に描かれていて、袋小路に追いつめられてくような息苦しさがあります。「投手がきき腕の親指をツキ指したということは鳥が片羽をとられたに等しい・・・・・・ その片羽をかばうとかばった無理からまた新たな傷が・・・・・・・・・ この悪循環が今 里中に迫りくる」という詩的なナレーションが、「不幸のスパイラル」を端的に表現しています。
ここ以外でもこの試合のナレーション・モノローグには詩的表現が散見され(「その目に大甲子園マンモス球場が回転木馬のようにまわっていた」とか)、それもまた基本カラッとした『ドカベン』世界では異質なものを感じさせます。しかもこれが名文揃い。そんなところも水島先生の本質・本領はこうした陰鬱で感情の機微を繊細に描き出すストーリーテリングにあるのではと思う所以です。

この試合、今でこそ名勝負として人気が高いですが、この「らしくなさ」と暗さに対して連載当時の評価はどうだったんだろうかと今さらながら心配になったりします。雑誌のバックナンバーを見ると四天王の過去話4話分がカラーだったり各人のプロフィールを示した別紙が挟み込まれてたりしたので、まさに『ドカベン』の人気絶頂期だったんでしょうね。ということはその時期に2、3ヶ月にわたって描かれたこの試合は十分読者受けしてたということか。

この試合全体の詳しい感想は「高二春・土佐丸戦」の項で取り上げる予定です。

 


(2010年7月16日up)

 

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