山田 サチ子

 

ご存じ山田の8歳下の(『プロ野球編』以降の設定だと9歳下っぽい)妹。兄に全く似ていない可愛らしい顔(連載初期は眉があったのですが、やがて眉が描かれなくなり『あぶさん』のサチ子同様の水島先生の描く定型的(眉なしの)美人顔で固定しました)。
5歳〜小学校低学年という幼さながら女っ気の少ない『ドカベン』における作品の華、マスコット的存在です。高校編に入って野球描写が作品の中核になっていくと、自然と初期に比べて出番が少なくなった(特に山田が合宿所入りしてからは畳屋がほとんど出なくなってしまうので)ものの、合宿所に出入り自由だったり試合中には明訓の応援団長といってよいほどの応援ぶりを見せたりで存在感を示しています。

そんな“永遠の幼女キャラ”なイメージだったサチ子ですが、『プロ野球編』中盤からは次第に少女、大人の女へと成長していくことになります。『プロ野球編』『スーパースターズ編』が現実のペナントレースに歩調をあわせている―無印『ドカベン』のように中学二年の半ばから高三の春までの約三年半で全48巻、『大甲子園』にいたっては高三夏の地区予選準決勝から甲子園大会決勝までで全26巻というのと違い、作中の時間の進みも相応に速い―以上、山田たちもどんどん年を取る、当然妹のサチ子も年を取るのはやむを得ないところ。
『プロ編』開始時点ですでに高三、ある程度大人になっている山田たちはさほど外見に変化がなくてもかまいませんが、さすがにサチ子は中学生になっても高校生になっても子供の外見のままというわけにはいかない。“幼女”サチ子が『ドカベン』シリーズのマスコット的存在になっていただけに彼女の加齢は悩ましい問題だったと思います。プロ入り後二回目の合同自主トレあたりまでサチ子の外見を幼女のまま引っ張ってるのは、水島先生に“子供じゃないサチ子”を描くことへのためらいがあったからじゃないか。山田の8歳下設定なら同年春には中学生になるはず、9歳下設定でも小学五年の三学期なので、多少は胸も膨らんできて当然のはずなのに。前年の自主トレ一回目の時など相変わらず山田たちと一緒に入浴してますが見事に真っ平のままです。
しかしさすがにいつまでも幼女の姿のままでは不自然だと腹を決めたのか、二回目の自主トレでは体型は変わらないながらトレードマーク?のロングヘアを短くした(元の髪型のまま成長させると、完全に『あぶさん』のサチ子と外見がかぶるから?)のを最初の徴候に、気付けば一気に等身が伸び体つきもすっかり女らしくなってました。

サチ子の成長とともに持ち上がってきた問題が、彼女が誰とくっつくのかということ(別段成長したからといって恋愛話を描かなきゃいけないというものじゃないですが(現に山田と岩鬼を除いて明訓五人衆には20歳をすぎても女の影がまるでなかった)、まあさすがに一緒にお風呂に入ってた頃とは彼らとの関係性は変わってくるはずで、特に幼女時代にあれだけなつき熱心に応援していた里中に対する感情には何がしかの変化――無邪気な憧れから恋愛感情へというのが一番可能性が高い――があって当然なんでしょうが。

しかし実際には里中に対する態度の変化はプロ一年目、明訓五人衆初の合同自主トレのさいに里中に風呂に誘われて断った(里中を男として意識しだした事の表れ?)くらいしか描かれず、成長後のサチ子はこれまでケンカばかりだった岩鬼にあからさまに好意を見せはじめる。
まあこの二人、何気に無印初期からフラグ立ってはいました。岩鬼のためにサンマ弁当を作ってやったり(ド貧乏な山田家的には大奮発)、花園中学との試合の時も大遅刻した岩鬼のために弁当を確保して他のメンバーには食べさせなかったりする姿には、幼いながらにこの子は岩鬼のことが何とか言っても大好きなんだろうと感じましたし、それ以外でも言葉ではケンカ腰でも心の奥底には岩鬼への好意があるのを感じさせる台詞・言動が随所に見られました(BT戦の少し後、テレビでピンクレディーを見たときの反応とか)。
だから大人になってきたサチ子が里中への気持ちはあくまで遠い(テレビの中のアイドルに対するような)憧れであり、本当に恋愛感情を抱いてるのは岩鬼に対してだと自覚するというのは自然な流れとして納得できたんですが、三太郎の「山田の妹と里中は実はいい仲なんですよ 間違いなく将来結婚します」発言(2001年開幕戦第二戦の時)を皮切りに、里中とサチ子がくっつく布石も同時進行でポツポツと打たれていく。ネット情報によれば水島先生は“サチ子は岩鬼とくっつけるつもりでいる”旨の発言をしてたそうなのに、一方で予防線のように里中−サチ子路線も確保されているのは何なのか。最終的にはサチ子は里中と結婚することになりますが、この三太郎発言のころは里中はサチ子に気のありそうな素振りはかけらも見せていないのに。
『プロ野球編』39巻表紙見返しの作者コメントに、「子どもの頃は『里中ちゃん、里中ちゃん』と里中一辺倒だったさっちゃんも、大きくなるとともに男性観が変わってきました。最近ではあれだけ嫌っていた岩鬼を好きと口にするようになってきました。女の心と秋の空、とはよく言ったものです。まだまだ変わるかもしれません。殿馬になったり三太郎になったり。実は私も迷っているのです。最後に結ばれるのはいったい誰なんでしょうか?」とあるように、どの展開に転んでもいいように岩鬼ルートと里中ルート両方を用意しといたということでしょうね。殿馬ルートも細々ながら描かれていますし(2001年オールスター時に謎の男が“結婚相手としては殿馬もあり”と発言したり、殿馬自身も「岩鬼に見る目がねえづらならよォ おれと結婚すんづらよ」と言ってたり。その後に「三太郎もいるづらよ 嫁さんにすんならサッちゃんが一番と言うとったづんづらよ」なんて続けてるので三太郎フラグも微妙に立ってるっちゃ立ってる)。水島先生の言う通り、「女の心と秋の空」、思春期の女の子の心情として複数の男の間を行きつ戻りつするのはある意味リアルなんですが、そんなリアリズムを『ドカベン』で見たいかというと・・・。サチ子に対する岩鬼の態度も、一時期妙に岩鬼の方がサチ子に傾倒してる(29巻ごろ、サチ子は当時中2)描写があったり、かと思うとドブス呼ばわりに戻ったりとどうも一定しない。こちらは元来一本気な男だけに“揺れ動く心”という感じでもなくストーリーの都合であっちこっちさせられてる不自然さがあきらかでした。

岩鬼、里中との三角関係?を抜きにしても概して成長後のサチ子は評判悪いようです。サチ子の口の悪さや傍若無人な振る舞い(本来選手しか立ち入れないような場所に堂々入ってきちゃったり)は幼児だからこそ許された部分で、大人になってもそうした部分が変わってないというのはやはり痛い。同じように幼女時代は大人を大人とも思わない生意気で勝気な言動が目立った『あぶさん』のカコ(和子)が中学の途中あたりからはめっきり落ち着いて、あぶさんのこともそれまでの「ヤスタケ」呼びから「あぶさん」と丁寧に呼ぶようになったのと対照的です。
加えて無印時代のサチ子はごく幼いにもかかわらず山田家の主婦的役割を果たしていた。岩鬼にサンマ弁当を作ってやるのみならず、普段から七輪で魚を焼いたり雲竜のユニフォームを(大ざっぱながらも)洗濯してやったり甲斐甲斐しく家事をこなしているのには、「小さいのにえらいねえ」と近所のおばちゃん目線で褒めたくなります。そして服を買ってやろうという祖父の言葉に対して、そのお金を溜めておいて両親のお墓を立てるのに使おうと提案する健気さ。家の貧しさをちゃんと自覚しながらもそのことで祖父を責めるでもなく回り(たとえば金持ちの息子である岩鬼)と比較してうらやんだり卑屈になったりすることもなく明るくまっすぐに生きている姿は、金の苦労を知らない小林稔子を恥じ入らせたほど。

ただこの健気さは「小さいのに」家事をこなしている、家の状況をわきまえているところに由来するのであって、ある程度年齢がいっていればそれは当たり前、少なくとも読者の感心度合いが薄れるのは必定。そうなると幼いゆえに許されていた、そして健気さによって相殺されていた傍若無人さが浮かび上がってきてしまうわけで・・・。サチ子をどんなふうに成長させるか、年齢に応じてキャラを(カコのように)変えてゆくのか『ドカベン』のマスコット的存在のサチ子だけにそのキャラクターを損なわずにゆくのか水島先生としても悩んだところかと思いますが、結局言葉遣いや言動が多少は大人っぽくなっただけで(さすがに「やい○○」みたいな話し方はしなくなったし、当然ながら男性陣と一緒に入浴することもなくなった)、人前で岩鬼に抱きついたり一方的に結婚宣言したりの傍若無人ぶりはさらに磨きがかかってしまった。子供時代より行動範囲が広がっただけになおさらタチが悪い。
それに山田の妹という立場上、どうしても「兄の威光をかさにきて好き勝手してる」印象を受けてしまう。むしろそう見られがちな自分の立場、自分の行動いかんで兄に迷惑がかかることへの自覚のなさには呆れます。岩鬼との結婚宣言を受けて取材にやってきたマスコミに「まだ子供ですよ妹は」と山田が答えたように、まだまだ中学生なんて子供なんだから仕方ない、と自分に言い聞かせながら読んでるような状態でした。

さらにサチ子の一連の言動に対して『ドカベン』世界の人間から全く非難の声が上がらないのも腹立たしい部分です。山田やじっちゃんが諌めないのもアレですが(まあ昔から山田もじっちゃんもサチ子の傍若無人な振る舞いに対しててんで甘かったですが。というよりずっと年上の岩鬼たちに対等以上の口を聞いたりするのを叱らない一方で弁当(食べ物)を粗末に扱ったといってお尻叩いてたりと、怒るポイントが普通とずれてる感じです)、身内である彼らばかりでなく世間―岩鬼との結婚宣言を報じたマスコミや、山田・岩鬼のチームメイトたち、サチ子の女友達などがサチ子の態度に対する反感を全く表さないのは何とも不自然。特に“球界きってのイケメン”、女性ファンに圧倒的人気を誇るはずの里中と(かつて岩鬼との結婚宣言をしたにもかかわらず)結婚するに至っては大バッシングが起こって当然の流れなのに。作中で(不思議と)嫌われない分、読者(とくに里中ファンの女性)のサチ子に対する反感がいや増してる感があります。

ただサチ子にもいい部分はある。悪い部分、幼いからこそ許されてた部分が成長後も変わらなかったように、自己犠牲的―当人的には犠牲になってるつもりさえなくごく当たり前の行為として他人の幸せのために損を引き受けることができる―部分も変わらず持ち続けている。里中がFAしてメジャーに行けるように病気がちの里中母の世話は自分がすると申し出たり、体調を崩した母を看病するため恒例の正月自主トレを休もうとした里中に自分が代わりに看病するから自主トレに行くよう促しつつ実はこっそり友人たちとのスキー旅行をキャンセルしてたり。それらを多少強引ではあれ恩着せがましくなく相手が気軽に受け入れられるように明るく提案する――こういう部分はサチ子のかけがえのない長所だろうと思います。

また徒党を組まないというか、正しいと思うことは孤立無援であろうと迷わず実行する勇敢さと行動力。高一夏の白新戦で里中が(土井垣の変化球ばかりのリードのために)打たれまくり、土井垣ファンの女の子たちに野次られていたとき(里中が女の子に野次られるなどこの試合が最初で最後の貴重な光景)、サチ子は「里中くんが悪いんやないわい も 文句いうまえに応援したれ」と里中をかばって周囲にバカにされながらも一人応援の声をはりあげている。のちのちこの場面を読み返したとき、一番最初っから孤立無援の中里中を応援し続けたこの一点だけでも、彼女には里中を射止める資格があると感じたものです。(ただこの時のサチ子はぶかぶかの学ラン学帽にハッパを加えた岩鬼コスプレをしていて、どもる喋り方まで岩鬼を真似ている。何だか岩鬼と里中の間で揺れ動く彼女の未来の姿を暗示してるかのようでもあります)

しかしこの勇気と行動力が傍若無人さに繋がってしまう部分でもある。勇敢であるがゆえに孤立を恐れたり周囲の目を気にしたりしない―少なくともそういう描写がない―ので、良くも悪くも自分の中に抑止力がない。形は違えど兄である山田にもその要素はあって、周囲の視線も気にせず電車の中で蹲踞座りして足腰鍛えるとかしてます。他人の思惑など関係なく自分の意志を悠然と貫く精神力――サチ子は兄からそれを受け継いだのかもしれません。・・・もっとも岩鬼も里中も殿馬も、サチ子の身近な男たちはみんな傍若無人という気もするんですが(笑)。

 


(2011年12月24日up)

 

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