殿馬転校の謎

 

必死のホームスチールが実らず東郷中学に敗れた後の殿馬が、音楽室でピアノを弾きながら山田に「おれよ てめえにかりができたづらな」「てめえだけづらぜ おれの野球センスをわかっていたのはよォ」と語りかける場面があります。表情には出しませんが、殿馬は山田が自分を認めてくれたことに感謝し感激している。
思えばこれはいささか意外ではある。高二春土佐丸戦での回想シーン導入部でのモノローグにあるように、殿馬は中学時代から天才の名をほしいままにしてきた。もちろんこれはピアノに関してですが、他人に評価され誉めそやされることに慣れている人間は、〈自分を認めてくれた〉相手にこうまで義理や感動を覚えたりしないんじゃないかと思うのです。お手伝いのおつる以外には家族からも疎まれ、学校では手のつけられない乱暴者として時に怪物扱いにまでされてきた岩鬼なんかだったらわかるんですが。

殿馬が学秀院中等科から鷹丘に転校したきっかけは偶然山田を見かけ、その存在感(人間としてのスケールの大きさ)に圧倒されたことだったらしいのが高二春の土佐丸戦中の回想で暗示されてますが、さすがにいきなりそれだけで転校を決意はしないでしょう。すでに学秀院を辞めることは心に決めていて、じゃあどこへ転入しようかと考えていたタイミングで山田に出会った→じゃああいつのいる学校へ、という流れだったものと思われます。
じゃあなぜ学秀院を辞めることにしたかといえば、すぐ前で語られてる「日本音楽アカデミー賞」(すごいネーミング)に出場できず、ライバルの北大路に敗れた形になったせいだと考えるのが順当なのでは。

ここからはかなり想像入るんですが、大きな賞の優勝を狙えるような少年が二人も在籍、教師も相当彼らの音楽教育に入れ込んでいるらしい学秀院の環境からして、殿馬はピアノの才能を買われての音楽特待生みたいな立場だったんじゃないでしょうか。『プロ野球編』15巻で殿馬に家族がないことが明かされますが、身寄りのない(中学の時点でもそうだったかは書かれてませんが、鷹丘に転校したり高校ではヨーロッパに留学しようとしたりそれを辞めたりの殿馬の身軽すぎる去就や殿馬が家族を失うエピソードがなかったことからすると、すでに家族はいなかったぽい)殿馬が名称からして学習院をもじっているエリート金持ち学校に入れたのも、そういう背景があったからじゃないかと。

だからコンクールで優勝どころか出場すらできなかったことで学秀院に居づらくなってしまったんでは。賞の選考と同時間に学校の音楽室で「円舞曲「別れ」」を弾く殿馬を男性教師?は「もはや北大路など問題外だ アカデミーなどなんの意味もない ここに 日本一の秘弾“別れ”がある」と内心絶賛してましたがなにせ聴衆は彼一人。女性教師はあからさまに北大路に肩入れしてた(殿馬を嫌ってた?)し、男性教師が殿馬の実力を訴え支持してくれたけれど結局殿馬の立場は悪くなったまま学校に残るのが難しくなった、そういうことだったんじゃないでしょうか。

孤児というハンデを負いながらピアノの才能によってエリートコースを歩むも、結果的にピアノで認められず学校を離れざるを得ない状況になったところで山田に出会って鷹丘へ、という経緯ならば、〈認められなかった傷〉を心に持つ殿馬が自分の(野球の)才能を認めてくれた山田に借りができたと感じるのも納得だなあ、と思うのでした。

(余談ながら、無印10巻で岩鬼が山田たちに「土方せえ土方 一日三千円にはなるで」と言ったのを受けて殿馬が「さてと三千円の土方でもしてくっかづら」と去っていくシーンがあります。単に岩鬼発言を受けての冗談かもしれませんが、学秀院を辞めて以降バイトで生活費のいくぶんかを捻出してるのかも、と思ったりしました。ちなみに「土方」は今じゃ差別表現に当たるものか文庫版では「土方」の部分が「バイト」に変更されてます。)

 


(2012年9月7日up)

 

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO