スカイフォーク

 

『ドカベン』はリアル路線、アンチ『巨人の星』路線の野球マンガと評されることが多い。よく言われるのがいわゆる「魔球」が登場しないということ。実際には殿馬の「秘打」や岩鬼の「悪球打ち」は常人の域を越えているし、ライバル校の投手たちは不知火の「超遅球」、影丸の「背負い投法」など魔球系の決め球を持っていたりする。ほぼ同時期に連載されていたちばあきお氏の『キャプテン』にくらべれば十分現実ばなれしているのですが、試合上の駆け引きの緻密な描写や、上述のような必殺技の数々にちゃんと理論的説明が付されていて「才能ある選手が必死で特訓すれば本当にできるかもしれない」と思わせるあたりに、『ドカベン』は魔球なしのリアル路線、とみなされる原因があるのでしょう。

加えて「魔球」系の球を投げるのはあくまでライバルたちであって、主人公サイドのエース(通常野球マンガでは主人公=エースピッチャーなのでこの表現自体がすでに特異)である里中は「普通の」変化球しか投げないというのも、「リアル感」を高めているんじゃないだろうか。高二春のセンバツで「さとるボール」という決め球が登場はするものの、あれは要するに親指を使わずに投げられるシンカー(シュートと説明されてる箇所もありますが、シンカーの定義はシュートしながら落ちる球のようなので、通常よりシュート回転のやや強いシンカーという感じでしょうか)であって、普通にシンカー投げるのとそんなに変化に違いはなさそうです。親指のツキ指が治って以降は高二夏の県大会で雲竜(東海高校)に対して一度使っただけでその後プロ編まで登場しないのは、親指使えるならあんな捻りのきいた投げ方をしなくても普通に変化球を投げれば十分だったからかと思います。

その里中がプロ編以降「スカイフォーク」という「魔球」を投げるようになる。下手からのフォークという点で『野球狂の詩』の「ドリームボール」を思い出させる(『ドカベンVS野球狂の詩』の時にこの両者の対比に触れてほしかったな)。「魔球」を出したらかつて否定してたはずの『巨人の星』と同じになるじゃないかという批判もあるようですが、個人的には全然OKです。
アンダースローからフォークを投げるのは難しいそうですが、それは投球時に手首を立てることの困難によるもの。里中は手首が極端に柔らかいためにその「手首を立てること」が可能になったと説明されていますが、里中の体の柔らかさについては登場初期(雲竜・不知火との初対面時)に言及されてるので唐突さはないし、体格で劣る里中がプロで通用するには相応の決め球がなければムリだろうことも納得できる。何より小柄で骨の弱い体質のため故障が多く、ずっと野球選手としてハンデを背負ってきた里中に、初めてその(人一倍体が柔らかいという)体質が味方してくれたことがとても嬉しかったのです。

この「スカイフォーク」をからめての山田との数度の「対決」は実に見応えのあるものでした。高二の秋季大会後、岩鬼の荒療治?が功を奏して山田が大スランプを抜け出したとき、バッティングピッチャーを務めた里中が山田にポンポン打たれながら「山田がもとにもどったのさ もとにもどりゃしょせんおれのタマなどピンポン球のようにとんでいくのさ」と嬉し涙を流すシーンがありますが、これちょっとイヤだったんですよ。あれだけ負けん気の強い里中が山田にはめった打ちされても全く悔しがらない。山田にとことん惚れ込んで高校まで追っかけてきたくらいだから山田は例外なのかもしれない、そもそも山田復活のために投げてるんだから打ってくれなきゃ困るのも確かなんですが、山田になら負けて当然とは思ってほしくない、里中には誰に対しても闘志を失わないでほしかったのです。

そしてプロになって敵同士となった二人は、それでも最初はオールスターでバッテリー、味方として相まみえることになったものの、この久々のバッテリー復活は結果的に二人がもはやバッテリーではないことを周囲にも彼ら自身にも突きつける形になりました。山田にとって未知の球をそれもノーサインで投げながら、「山田なら止めてくれると思った」里中。そこには山田へのすでに信頼の域を越えた甘えと、明訓時代に醸成された「自分は山田あってのピッチャー」という思いゆえの自身への過小評価―あの山田でも後逸するようなすごい球を投げられることの自覚がない―の両方が窺えます。

一方の山田の方もどこかで里中を軽く見てる部分があったように思います。シーズン前半、一向に一軍に上がってこない里中を心配してるのは彼の優しさであり里中に対する友情の深さでもあるんですが、同時に彼自身がすでに西武の中で捕手・強打者としての地位をほぼ確立してるゆえの余裕をうかがわせます。山田が里中の秘球を報じた記事を「地元の新聞社が里中をファン投票一位にするためのデッチ上げ記事」だと思ってたのはちょっとショックでした。タイミング的にそう考えるのが自然ではあるんですが・・・。別に組織票(投票そのものの不正)を疑ってたわけじゃないし、記事を書いた源さんにも「この記事を通じて里中を一位にしてやろう(そうなったら面白い)」という意識はあっただろうから里中を一位にするため仕組まれた記事には違いないようなものですが――里中が本当に新球を完成させたんだと思ってくれなかったあたり、ちょっと里中を甘く見てないか、と。

だからその新球「スカイフォーク」を後逸した山田が一人、無人になったスタジアムに佇んでスカイフォークの残した跡を見つめながら「あんな凄い球見た事がない 本当のMVPはあの里中の一球だ」「そして手強い投手がまたひとり増えたという事だ」と内心で呟くシーンには胸のすく思いがしました。山田のこわばった表情も、親友の活躍を喜ぶよりまず脅威を覚えずにいられないという、里中の実力を評価すればこその態度。
それでもまだバッターとして対していないこの時点では「でもよかった・・・・・・おめでとう里中」と微笑む余裕があるものの、山田のホームラン王と里中のセーブ・タイ記録がかかった初対決でスカイフォークに敗れた後には「里中のスカイフォークを打たなければこれから先のおれはない」と相当に思いつめている。ようやく山田が里中を本当に認めてくれたような気がして嬉しかったものです。

このあたりの、「まず捕手としてスカイフォークに慄然とする」→「バッターとしての初対決は里中の勝利」→「それぞれ単独ホームランキングとセーブ記録更新がかかった次の勝負では山田が勝ったものの、スカイフォークが落ちる前に叩いたので山田としては負けた(ズル勝ちした)気分」という流れは実に秀逸。無印終盤やドカプロ中期以降の山田超人化、山田一人勝ち展開と対照的に、敗れて悩む山田、辛勝を素直に喜べない山田の内面を細やかに魅力的に描き出している。対戦相手の里中にもちゃんと花を持たせながら。近年は山田に打たれた投手が悔しがりもせず「やっぱり山田さんはすごい」と褒め称えるばっかりですからねえ。

この二度の対決の後、明訓五人衆初の合同自主トレで里中が右肩に異常を感じ、翌シーズンは故障で二軍落ちになるわけですが、山田に打たれた悔しさから無茶な練習を重ねた結果だったんじゃないかなー、と思ったりします。打たれた直後に「来シーズンは一本も打たせないスカイフォークにしてみせる」って言ってますしね。猛特訓のすえ手に入れた必殺球で一軍で活躍し始めたと思いきや再び二軍へ、復帰するもその直後の二度目のオールスターでスカイフォークの危険性が読者に対して示される――という展開は、無印〜大甲子園にかけて、ケガや故障をはじめとする苦難に健気に立ち向かう姿で作品のドラマティックな部分を多く担ってきた里中にふさわしく、物語を盛り上げてくれました。ドカプロが本当に面白かったのは個人的にはこのへんまでですね。やはり『ドカベン』は里中が苦闘してないとな〜。せっかくここでスカイフォークは肩やヒジに負担がかかるという設定を出したんだから、「一試合に何球までしか投げられない」とか「故障の危険を冒してそれでもスカイフォークを投げるか?」とかそんな展開をどんどん作っていけばよかったのに、といささか残念です。

 

 

 

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