不知火 守(2)

 

同人誌ワールドではいたって仲の良い(笑)里中と不知火ですが、中学・高校時代はおよそ仲の良さの片鱗もない。高校では5度も対戦してるくらいで接点はありまくりなんですが、この二人親しげな、いや親しげでない会話ですらほとんどしていない。中三の時それぞれに山田を追い回してた頃の方がまだしも喋ってた気がするほど。
これは同じピッチャーとしてのライバル意識がそうさせるのでしょう。不知火は実力では自分の方がずっと上のはずなのに優勝投手としての名誉が常に里中に行ってしまうことへの苛立ちがあり、逆に里中はチームとしては毎回白新を破っていてもエース単体で比較すれば自分は不知火に及ばないと感じている(具体的にそういう描写があるわけではないが不知火の力のほどは何度も対戦してる彼にはよくよくわかっているはず。実際、不知火の左目が見えないことをついた一年夏、「ルールブックの盲点の一点」でぎりぎり決勝点をもぎとった二年夏、失恋ショックがふっとんだ反動で岩鬼がど真ん中を打った二年秋と、不知火との勝負はたいがい正攻法で勝ったといえる内容ではない。不知火に投げ勝ったとみなしてよいのは三年夏くらいでは)。
そんな二人の珍しいツーショットが高二夏地区予選前に、右ヒジの怪我で再起不能と見られていた里中が白新を偵察にくる場面。ネット向こうの里中に気づいた不知火は「神奈川予選はフロックで勝てるほど甘くはないということだ ウフフフ」と不敵に笑う。
先にやはり里中の偵察に気付いた土門は里中にインタビューしようとする記者たちを「傷ついた男にそこまでする必要はないでしょ」「投げられないならせめて明訓のために相手チームを研究しようという里中の気持ちをさっしてやるべきです」と制し、やはり里中の偵察に気付いた雲竜も内心で「里中・・・・・・」と思うだけで何も声をかけない。土門は言うまでもなく、初対面から大事な賞状を踏みつけられた、いわば里中とは犬猿の仲といってよい雲竜も、心身に深い傷を負った里中をそっとしておいてやろうという優しさ(たぶん)を見せている。
これらに比べると不知火の態度は傷口に塩を塗りこむがごときキツいものですが、思えば土門さんや雲竜の優しさ・気遣いは、もはや里中はライバルにはなりえない、彼の投手生命は終わったものと見なしているがゆえなのでは。逆に酷な台詞を突きつけてくる不知火は予選に里中本人が出場することを前提として喋っているように思えます。今までと変わらず里中をライバルとして見ているからこそ決して優しくなどはしない。県内のライバル投手の中でも、実は里中を一番認めてたのは不知火だったんじゃないだろうか。

こうした二人の関係が大きく、友好的に変化するのはプロに入ってから。一年目のオールスター、二軍でさえ一度の登板もないまま人気と(密かに新球を開発してるという報道が出たことによる)話題性だけで一位選出されてしまった里中が居心地悪げにしているのへ不知火が「里中 あの三吉の度胸だ 遠慮しないで人気だけじゃないところを見せてやれ」と声をかけるシーンには驚きました。さらに「そこまで自信ないよ」と弱々しく微笑む里中に「何を言ってるか みんなえらそうな事を言っているが おまえはこの中のどの投手も出来なかった甲子園20勝投手なんだぜ」と笑顔で言い添える。不知火がこんな暖かな言葉を里中にかけるシーンなどこれまでついぞなかった。上でも書いたように里中がケガで再起不能と思われてた時期にさえ不敵な笑顔でキツい言葉を浴びせていたくらいなのに。
これは何といっても、プロに入って以降二人の立ち位置が完全に逆転したことによるのでしょう。高校時代はついに明訓に一度も勝てず甲子園出場もかなわなかった不知火ですが、ハズレ一位指名という里中(三位指名)より高評価でプロ入りを果たし、開幕から一軍入りどころかいきなり一年目で開幕投手を務めたうえ何とノーヒットノーランまで達成するというスーパーマン振りを発揮してのけた。高校時代は、いくら実力では自分が里中に勝ると思っていたとしてもそれを文句なく実証できるだけの経歴がともなっていなかった。しかし今や当時は得られなかったわかりやすい名誉を手にし、里中との実力の差は誰の目にも明らかとなった。要するに〈おれの方が上〉だと100%の自信を持てるようになったことで、里中への態度にも無意識に余裕―優しさが滲むようになったということです。
おそらく珍しく優しい言葉をかけられた里中の方もそんな不知火の心理には気づいていたと思います。だから内心は優しくされるほどに悔しくて、でもこんな形でオールスターに選ばれて今はそばに明訓時代の仲間もいなくて心細い折柄素直に嬉しい気持ちもあり、今の自分じゃ舐められても仕方ないという諦念もあり・・・という複雑な心境だったんじゃないでしょうか。

しかしその里中もこのオールスターで初お目見えした新球「スカイフォーク」を引っさげて後半戦はパ・リーグのセーブタイ記録を作り、先発に転じてからは毎年のように不知火と最多勝投手を競うまでになっていく。けれどそのために二人の関係がギスギスしたものに変わるということはなかった。里中がプロ三年目のオープン戦=対日本ハム戦で開幕投手を務めることになったとき、里中は日ハムの開幕投手・不知火について「開幕戦で不知火に勝ったら最多勝を狙います ぼくにとってそれほど大きな1勝という事です」とコメントし、対する不知火も「その言葉そっくりお返しだ 里中に勝ったらこちらは最多勝を獲る!!」と爽やかに宣言する。ここからこの二人は良き好敵手といった関係になっていきます。ツーショットはあまりないものの、97年ロッテ対日ハムの開幕試合のときに対戦投手の里中にノーヒットノーランをやられながら「里中おめでとう 次は負けないぜ」と内心呟く不知火、98年のオールスターで六回表から登板、9連続三振を狙う不知火に「不知火やってやれ!!」と笑顔でエールを送る里中など、彼らの“心の声”にそれを見ることができます。


(2011年10月1日up)

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO