シークレット・エージェント

 

仕事で横浜に行ったおり、昼飯を食べに商店街のそば屋へ立ち寄った。

 

冷し中華を注文し、料理を待つあいだの暇つぶしにテレビに目をやった。高校野球の中継らしい。この時期なら地区予選も最初の方か。ちょうど投手の交代が告げられ、リリーフのピッチャーがマウンドに駆けてくるところだった。お、と目を引かれる。えらく可愛らしい顔の坊やだ。体格もチビで細っこくて、まるで女みたいだ。

マウンドに上がった美少年ピッチャーが投球練習もしないうちにキャッチャーが立ち上がった。何と一球も投げないうちに敬遠か。これじゃピッチャーも気を腐らすだろうに。そう思ったそばから美少年が怒りの気色もあらわにグローブを地面に叩きつけた。うわ。顔に似合わずえらく気の強いヤツだな。こりゃ俄然面白くなってきた。おれは運ばれてきた冷し中華をそっちのけで画面に見入った。

結局もっとチビで出っ歯のセカンドに諭されたらしい美少年はいやいや敬遠に応じたものの、キャッチャーとまるで息が合ってないのが素人目にも明らかだった。結果メッタ打ちをくらい、5回までで5点を献上してしまった。

応援席からも里中(というのが美少年の名前だ)を交代させろと野次が飛ぶなか、なぜか交代が告げられたのはピッチャーではなくキャッチャーだった。ベンチにいた太った一年生がマスクをかぶり、キャッチャーの土井垣がファーストに入る。マスクを取ると土井垣は結構な男前だった。やたらに客席から女学生の土井垣コールが聞こえるのはそういうわけか。

キャッチャーが代わるなり里中のピッチングも全く変わった。交代前に5点も取られたのが嘘のように、以降をきっちり無失点に抑えてのけた。攻撃の方も、それまで完全試合を続けていた相手校のエースを、出っ歯のセカンドのセンター前ヒットを皮切りににわかに打ち崩していった。そしてついにキャッチャー山田の鈍足にめげぬランニングホームランで2点差に追いつき、最終回、一死満塁でピンチヒッターに出たハッパをくわえた大男がスクイズ阻止のウエストボールをかっ飛ばして逆転、勢いのままに勝ちを決めたのだった。

面白い。おれは思わず両拳を握りしめた。試合展開も面白かったが、それ以上にこのチームの連中の個性―最近の言葉でいうなら「キャラの立ちっぷり」がおれの商売っ気をガンガン刺激した。可愛い外見と強気な性格のギャップがすさまじいピッチャー里中。アクロバットのような打撃を見せた、チビ・出っ歯・デカっ鼻と三拍子揃ったセカンドの殿馬、極めつけはなぜか学帽をかぶりハッパを口にくわえた異様な風体(面相自体も異様だ)といいウエストボールを長打にする点といい、でたらめっぷりも甚だしい代打→レフトの岩鬼。よくこれだけ見た目も中身も濃い連中が一チームに揃ったものだ。

そして相対的に目立たないものの、バットのグリップに当てたボールを長打にしてランニングホームランを決めた山田。キャッチャーとしても、土井垣とはあれだけ相性の悪かった里中が山田のリードは素直に受け入れ、以降は一点も取られていないのだからその実力が知れようものだ。

このチームはきっと伸びる。こいつらにはそれだけの力があり、それ以上にスター性がある。しかも全員が一年生。予言してもいい。これから2年間、こいつらの、明訓高校の名前はきっと高校野球界を席巻することになるだろう。ダイヤモンドの原石を発見した、そんな気分におれの心はすっかり高揚していた。

 

おれの予想は大当たりした。いや予想以上だったと言っていい。何とこの連中―いつしか「明訓四天王」などと呼ばれるようになった4人は、その在学中に甲子園に5回出場4回優勝という大快挙を成し遂げたのだ。連中が二年の夏ごろには明訓の甲子園入りを見ようと集まったファンで新大阪駅がパンクするとか、スタンドに入りきれなかった観客の暴動を防ぐためにラッキーゾーンを開放するとか、明訓人気は高校野球の枠を超えてほとんど社会現象と言ってよいほどに盛り上がっていた。

ただ単にヤツらが強かったせいじゃない。初めてヤツらの試合を見たときに感じた「四天王」のキャラの濃さ―スター性がこの異常なまでの人気を呼び起こしたのだ。「悪球打ち」の岩鬼、「秘打」の殿馬、華麗なアンダースローの「小さな巨人」里中、そして7割とも8割とも言われる脅威の打率と連続ホームラン記録を打ち立てた「ドカベン」山田。互いにかぶるところのない彼らのキャラクターが絶妙のバランスで噛みあった結果が、明訓高校の圧倒的な強さと人気に繋がったのだった。

そんな連中の個性はむしろ高校野球よりプロ野球にふさわしい。おれは最初からそう睨んでいた。超高校級の実力を有しているからといった理由ではない。高校野球は純粋にスポーツだがプロ野球は人気商売だ。高校野球だって人気があるに越したことはないが、人気がそのまま金になるプロの方が人気者には似合いの舞台にちがいない。

四天王に同学年の微笑を加えた「明訓五人衆」はそろってドラフトで指名を受け卒業と同時にプロに入団した。山田は西武へ。岩鬼はダイエーへ。里中はロッテへ殿馬はオリックスへ微笑は巨人へ。5人はそれぞれ別のチームに分かれることになった。

正直意外だったのは里中を指名したのがロッテ一チームだったことだ。当たり外れが大きく倣岸不遜な言動で扱いづらいイメージがある岩鬼が二チームのみ、野球は高校で止めて音楽の道に進むのが確実と誰もが思っていた殿馬や高校時代は四天王より一歩下がると見なされていた微笑が一チームのみの指名だったのはわかる。しかしいかに大学進学を表明していたとはいえ、里中を指名したのがロッテだけだった―とりわけ山田を一位で獲得した西武が里中を取りにいかなかったのは驚きだった。里中が進学を企図したのは卒業後逆指名で山田と同じ球団に行きたいからだというのがもっぱらの下馬評で、西武の指名なら二つ返事で入団したに違いないのに。

それに当時の里中の人気というのは(今もだが)そのへんのアイドルを遥かに超えていた。故障が多く体も小さかった里中がプロとして通用するのか危惧する声は少なからずあった。しかし「小さくて可愛い里中くんが怪我にも負けずに投げている」姿が判官びいきの日本人の心性をくすぐったところに里中人気の根本があるのだから、実力はともかく人気を当てこむだけでも高い買い物ではない。とくに山田とのバッテリーを再び見たいという人間は山のようにいたはずで、だから二人の同時獲得を狙う球団がロッテの他に出てこなかったのは――おれに言わせればずいぶんと商売っ気のない話だった。まあ巨人とダイエー以外の球団は皆山田を一位指名していたから、もし山田を獲得できたら里中も指名するつもりだったのかもしれないが。

ともあれ三位で指名を受けた里中はあっさり大学進学を蹴ってロッテに入団し、早々にCMに起用されて高校野球に全く興味のない層にまで一気に顔が知れ渡った。春のキャンプには連日若い女性を中心にファンが大挙して押し寄せ、高校時代以上の大騒ぎになっていた。おれも覗きに行ってみたのだが正直うるささに辟易してさっさと引き上げてきたくらいだ。

そして里中人気を決定的に印象付けたのがプロ入り一年目のオールスターだった。この時点で里中は一軍どころか二軍の試合でさえ一度も投げていないにもかかわらず投手部門の一位で選出されてしまったのだ。この時は実力無視のアイドル人気だの組織票の疑いだのと大分叩かれもしたが、実際には某スポーツ紙がすっぱ抜いた「里中は密かに新球開発を行っているのだ」という真偽定かならぬ記事の影響や、何よりこちらは文句なく投票一位で選ばれていた山田とのバッテリー復活、岩鬼・殿馬も含めての明訓黄金メンバー(ちなみに微笑も選ばれていたが、惜しいことに奴はセ・リーグなので敵同士だ)の復活への期待が、前代未聞の「登板ゼロでのオールスター一位選出」となって表れたというのが真相だろう。何せおれ自身が「明訓復活・黄金バッテリー復活」見たさで里中に投票した口なのだから。

オールスターのマウンドで、久しぶりにファンの前に姿を見せた里中は大声援で迎えられた。しかし、その名どおりのスター選手の群れの中で一度の登板経験もない里中の実力不足は明らかで――それでも責任回数を待たずに里中が降板させられそうになった時「自分たちは里中を、里中と山田のバッテリーを見にきたのだ」との観客のブーイングは鳴り止まず、ついに東尾監督の英断で里中は続投することになった。この時おれは明訓のバッテリーが、明訓四天王がどれだけ野球ファンから愛されているのかを改めて実感した。

結局里中は「謎の一球」で巨人の松井を三振に打ち取り、例の記事がガセじゃなかったことを結果的に証明した。そしてシーズン後半から問題の新球「スカイフォーク」を引っさげて一軍に上がった里中は、一年目からストッパーとしてパ・リーグの連続セーブタイ記録を樹立し、今やまぎれもないロッテのエースへと成長している。もはや里中の実力を疑う奴などいない。

里中ばかりではなく一年目の前半からすでに一軍だった山田、岩鬼、殿馬も、一人セ・リーグに行った微笑もそれぞれにチームを背負う看板スターとなっていた。彼らの入団前と後でだいぶ球場の集客力が変わったという話も聞く。グッズの売れ行きや殿馬が毎年開いているチャリティーコンサートの客入りも絶好調だ。野球というスポーツがかつての国民的人気を失いつつある中で、連中の元気の良さが野球界を支えていると言ってもよい。――それだけに日本野球機構にとっては頭の痛い時期が次第に近づいてきていた。明訓OB―「山田世代」のFAの時期が。

 

2001年のオールスターはあいかわらずの大盛況だった。座る場所を探して歩いていたとき、ふと目に留まった人影があった。まだ若い女。サングラスと帽子で顔を隠すようにしているが、あれは・・・。

「こんにちは。山田サチ子くん」 声をかけると彼女はびくっと肩を震わせたが、すぐに「ちぇー、ばれちゃったか」とあっけらかんと笑った。飾り気のない、明るく男勝りの性格は昔とまるで変わらない。

山田の9歳違いの妹。明訓高校の黄金時代を知る者なら誰でも、明訓応援団の先頭に立って誰より元気に応援の声を張り上げていた幼女の姿を見かけた記憶があるはずだ。時には兄へのデッドボールに怒ってグラウンドに乱入したり相手チームを野次ったりすることも辞さなかった愛らしいおテンバ娘。

「で、おじさんは何者?なんで私の事知ってるの?」 

いきなり「おじさん」と来たもんだ。確かに30過ぎは女子高生から見ればおじさんだろうが、全くもって容赦がない。

「そりゃ知ってるさ。サッちゃんは有名人だもんな。おれは明訓時代からの山田兄妹のファンだよ。兄妹が支えあってる姿がいじらしくてさ」

「・・・ふーん。ありがと」

いかにも気のない返事をしながら、サチ子が帽子とサングラスを外す。本当に綺麗な少女だ。昔から思っていたことだがとてもあの山田と兄妹とは思えない。里中の妹と言われたら素直に納得できたろうが。

――そう、里中なら美男美女同士、お似合いなんだがなあ。

かつての紅顔の美少年も24歳、プロ野球選手らしく体つきも大分しっかりしたし、性格も昔に比べたら(比べたら、だが)ずいぶん丸くなった。しかし可愛らしい童顔は相変わらずで、9歳下のサチ子と並んでもさして年の差を感じないだろう。子供の頃サチ子は里中にえらく懐いていたし、里中もサチ子を妹のように可愛がっていた。このまま将来くっつくかもしれないと思っていたのだが、このところサチ子はなぜか岩鬼に夢中らしい。先日ダイエーの勝ち試合の後、公衆の面前で岩鬼に抱きつき「将来の夫」発言をしたのも記憶に新しい。かつてのサチ子といえば岩鬼とは口ゲンカばかりしていたのに。ケンカするほど仲が良いというやつかもしれないが――。

「最近サッちゃんが岩鬼岩鬼言ってるのが気になってさ。だって岩鬼の好みは夏子さんだろ」

高校時代、岩鬼がぞっこんだった美女―岩鬼の審美眼では―の名前をあげてみる。

「岩鬼の好みにはサッちゃんは美人すぎるんだ。サッちゃんが失恋するの見たくないんだよ。サッちゃんには絶対里中の方がお似合いだと思うぜ。まあ結婚相手としてなら殿馬も合う気がするけどな」

「なんでそこで殿馬ちゃんが出てくるのよ」

サチ子が軽く眉を吊り上げる。確かに殿馬の名前を出したのは思うところあっての付け足しみたいなもんだ。サチ子には里中。それが本音だった。

見た目の釣り合いだけじゃない。早くに両親を亡くして幼いうちから山田家の主婦の役割を果たしてきたサチ子は世話焼きの、誰かの役に立つ、必要とされることに生きがいを見出すタイプだ。遊びたいさかりの子供が兄の試合の応援に明け暮れていたことでもそれはわかる。年はずっと上だがどこか危なっかしい、母性本能をくすぐるところのある里中とは相性ぴったりだと思うのだ。短気でケンカっ早い岩鬼も危なっかしさではどっちこっちだが、あいつはあれで親分肌というか他人に頼られるのを好む傾向が強い。サチ子が面倒を見てやらなくても自分のことは自分でできる男だ。岩鬼にサチ子は必要ではない。

「最初はてっきり里中の気持ちを知りたいために岩鬼を好きと言ってるんだと思ってたよ」

「そんな回りくどい事私は嫌いよ。そりゃ里中ちゃんも好きよ。でもどこか違うのよね」

サチ子が軽い口調であっさりと言う。しかしその横顔にわずかな痛みがよぎるのにおれは気づいてしまった。

そういえば、数ヶ月前写真週刊誌が里中と某モデルとの密会≠報じたことがあった。先発に転向した頃から、里中は何度かこの手の雑誌に取り上げられている。ロッテのエースというポジション、加えてあの容姿のせいで里中に(一方的に)近づこうとする女は後をたたない。撮られたうちのほとんどは事実無根だろうが、大人びた口をきいても思春期真っ盛りのサチ子には憧れの王子様が汚れてしまったような、そんな風に思えるのかもしれない。

ちょうど山田の打席が回ってきたので、いったんお喋りはやめにしておれたちは試合に見入った。ピッチャー犬神の投げた危険球を山田が体をひねって危うくよける。隣りでサチ子が小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。

ベンチの岩鬼が立ち上がった。血の気が多く仲間思いの岩鬼のことだ、飛び出して行って乱闘沙汰になるかと期待したら、意外にも一歩早く里中が飛び出していた。

激昂して犬神に詰め寄る里中をぶつけられそうになった張本人の山田がなだめる光景におれは少なからず驚いていた。里中は高校時代から審判の判定に若干の不満を示すことはあっても、相手選手に本気で詰め寄るような真似はしたことがない。血の気の多さでは岩鬼に劣らないが、マウンドを守り抜くことに固執する里中は決して退場を食らう危険を冒したりはしなかった。その里中が。

「・・・なあサッちゃん、あの温厚な里中が岩鬼より早く飛び出したのはなぜだと思う。1にも2にもサッちゃんの兄貴だからさ。愛するサッちゃんの兄貴を傷つけられるのが許せないからだよ」

「愛する・・・?」

普通に考えたら「高校以来の親友を危険にさらしたから」が正解だろう。我ながら無理無理な誘導だと思ったがサチ子は真面目におれの言葉を噛み締めているようだった。「温厚な」に突っこまれるかと思ったがそれもない。

「里中ちゃん・・・」 やがてポツリと呟いたサチ子の顔には静かな感動の色があった。この会場でサチ子の顔を見つけた瞬間にひらめいた目論見が存外上手く行ってしまったようだ。何だかんだ言っても女子高生の頭なんて単純なもんだ。ほくそ笑みつつも、おれはサチ子の横顔に見惚れていた。

人前で堂々と岩鬼に抱きついていた時はまさに子供時代の延長という無邪気な様子だったのに。「将来の夫」なんて言葉もママゴト遊びの領域をまるで出ていない。男を男とも思わないような、身体は大人になりつつあっても頭の中身はまだ全然幼いままに見えたサチ子が、里中を想うときは憂いを帯びた女≠フ顔になる。

――やっぱりきみには、里中が似合いだと思うよ。

今はまだまだツボミだが、あと数年もしたらさぞいい女に成長するだろう。これまで里中と噂になった女たちの誰よりも。その時が見物だな、とおれは内心で呟いた。

 

オールスターから数日後、久々に日本野球機構の本部を訪ねたおれは、失礼しまぁす、と気軽く総裁の部屋へ通った。

「何だおまえか。身内でもノックくらいちゃんとするもんだ」と崖渕総裁―うちの伯父貴はおれをじろりと睨んだ。

「不機嫌だね伯父さん。おれのレポート読んでくれたんだろ」

「だから不機嫌なんだろうが。あんなもんがレポートと呼べるか。実現不可能な、絵空事だ」

「そーかねえ?需要は確実にあるはずだぜ。むしろ日本中が待ち望んでると言ってもいい。明訓時代の初期から連中をずっと見ているおれが言うんだから」

大学在学中から出版社の編集部にもぐりこんでライターの真似事をやっていたおれが、野球を自分の専門分野にしようと決めたのは、あのそば屋での「明訓四天王」との出会いがあったからだ。今は一応フリーのライターとして明訓OBを中心にした選手や名試合についてまとめたムック本を数冊出したりなんかしている。独自の切り口で一部読者からは結構好評を頂いているのだが、それも明訓マニアとしての知識と伯父貴の人脈があればこそだ。最近ではこうやって伯父貴のアドバイザー的な仕事も請け負っている。

「・・・確かに需要はあるだろう。しかし出来るわけがない。――FAした明訓五人衆の受け入れ先として新たに球団を創設するなんて」

そう、野茂の成功以来、日本のプロ野球選手の間ではFAして米大リーグに移籍というのがすっかり定番となってしまった。そしてメジャーを目指すような連中は総じて指折りの実力と人気の持ち主だったから――最初は彼らの活躍を日本の誇りと喜んでいた野球機構も、有力選手が次々抜けることで肝心の日本プロ野球の人気が凋落するのを見てにわかに焦りはじめた。なにせ再来年には明訓五人衆をはじめとするいわゆる「山田世代」が揃ってFAの資格を持つことになるのだ。

「山田世代」――それは明訓五人衆の要であり球界の宝ともいうべき大スラッガー山田太郎と同時期に高校からプロ入りした連中を指す言葉だ。チームメイトだった明訓OBを除けば全員が「打倒山田」を目標に力を磨いてきた経緯を持つ。現在中日の影丸など山田と戦うためにわざわざ柔道から転向したほどだ。当時から超高校級と呼ばれた彼らは、何と全員がいまやチームの主要選手へと成長している。いわば山田という不世出の強打者の存在が同世代の能力値全体を底上げした格好だ。

その彼らが、プロ野球界を名実ともに支えている連中がいっせいに日本を去る―彼らの多くはさすがにまだ去就を明らかにしてはいないが、その実力を思えばほぼ全員がメジャーを志向しているとみて間違いないだろう―、これはまぎれもなく日本プロ球界存亡の危機だ。再来年なんてまだまだ先のようでもたった二年しかない。彼らを慰留する手段を講じるなら、早々に布石を打っておかねばならない。今から伯父貴が難しい顔をしているのも無理からぬところだった。

「球団は必ずセ・パ6チームずつでなきゃならないと決まったもんでもないだろう。野球人気の翳りを打開しようとするにはそのくらいの抜本的改革ってやつがなくっちゃあ。そもそも今一番致命的なのが山田世代の海外流出だろ。それを阻止するためなら何だってやる覚悟を決めるべきだ。・・・まあ一応別の手も考えてはみたんだけどな」

「別の手?」

「――色じかけ、とでもいうか」

「!??」

これはオールスターの会場で偶然サチ子を見かけた時に唐突に思いついた作戦だ。サチ子はかつて明訓の、五人衆のマスコット的存在だった。ずっとサチ子を可愛がってきた連中が、美しく成長しつつあるサチ子を女として愛するようになったとしても不思議はない。日本に好きな女がいれば、それが連中を日本に繋ぎ止める抑止力になりうるかもしれない。その女をめぐる有力なライバルが他にいるならなおさらだ。現在のところ皮肉にもサチ子は最も彼女に惚れそうもない(審美眼の狂っている)男を追い回しているが、彼女が里中や殿馬、微笑にも思わせぶりな様子を見せるようになれば、彼らも、そして兄である山田も平静ではいられなくなる、かもしれない。そう思ってサチ子を焚き付けるような事を言ってもみたのだが、まあこんなものは単なる思いつきにすぎない。

「やっぱり本命のお姫様は山田太郎なんだよな」

「・・・さっきから何を言っているんだ。わかるように説明せんか!」

いい加減おかんむりの伯父貴をおれはどうどうとなだめて、

「だから、「山田世代」ってのは要は山田の同志と山田のライバルの集合体なんだよ。より正確には明訓OBと打倒明訓に血道を上げた連中の集まりだ。つまりどいつもこいつもそろって山田中心、明訓中心主義ってことだ。

「明訓五人衆は今だに5人揃って自主トレをやってるくらいでえらく結束が固い。もう一度みんな同じチームで野球ができると言われたら嬉々として日本に留まるだろうよ。そして「常勝明訓」の復活と謳い上げてやればライバル連中も大リーグに行くどころの話じゃない。是が非でも新生明訓との対戦を望むはずだ。こいつらの受け皿にもう一チーム用意すれば甲子園大会の再来だ。それぞれの監督として日ハムの土井垣とダイエーの犬飼を招聘すればもう完璧。十年前に甲子園を激震させたあの熱気がプロの舞台でまた味わえるようになるんだ」

連中がプロ入り初のオールスター、一回の登板もないにもかかわらず里中が投手の一位で選出された時におれは痛感した。皆が明訓バッテリーの、明訓四天王の復活を願っていると。以降もオールスターで里中が登板する場面になると異様なほどの盛り上がりが球場を包む。里中個人の人気のせいばかりじゃない。明訓四天王が勢揃いする、その事に観客は興奮を覚えているのだ。新球団の構想が実現すれば、ペナントレースがそのままオールスターになる。それも微笑も加えての完全な明訓復活だ。

「・・・理屈はわかる。そんなチームができるならわしだって見たい。しかしこの不況下に球団のオーナーになろうという会社がどこにある。スター選手を集めるとなれば年棒にかかる金も半端じゃないんだぞ」

「不況たってIT関連企業には気炎を吐いてるところが何社もある。「反明訓」球団の方は犬飼の地元、四国あたりがいいかもな。現在四国がホームの球団はないし。新球団のオーナーに手を上げれば社の評判も株価も上昇間違いなしだ。年棒にかかる分の金は入場料とグッズ販売で元が取れるだろう。利に聡い若手社長あたりがこぞってオーナーに立候補してくると思うぜ」

「おまえは楽天的すぎるよ・・・」

深く溜息を吐く伯父貴を残しておれはさっさと部屋を出た。言うだけのことは言った。あとは伯父貴の度胸と手腕に掛かっている。頑張って「夢の球団」構想をぶち上げてくれ。そして野球界に新風を吹き起こすんだ。

 

それから2年後、2003年の11月にパ・リーグに新球団が二つ誕生した。明訓高校のOBを中心とする「東京スーパースターズ」とかつての明訓のライバルを中心とする「四国アイアンドッグス」。スーパースターズのオーナーは携帯会社のラブ&ピースフォン、監督は元日本ハムの土井垣将。アイアンドッグスのオーナーは四国総合食品観光会社、監督は元ダイエーの犬飼小次郎。結局2001年の時点でおれが伯父貴に話したことがほぼそのまま実現したわけだ。最初はあれだけ不可能を連発してた伯父貴も、2002年に入りいよいよ「山田世代」のメジャー行きが方々で取り沙汰されるようになってついに臍を固めたらしい。自らの首をかけて関係各方面を説得し新球団設立にこぎつけたその努力に、おれは惜しみない拍手を贈りたい。「山田世代」が皆、喜んで新球団行きを決めてくれた時、不覚にも涙がこぼれそうだったとあとで伯父貴は語ったものだ。

二つの新球団、とりわけ明訓の再来とも言うべき「東京スーパースターズ」は世上の歓呼の声を持って迎えられた。連中が国内に留まってくれるならば、おれも当面飯の種には事欠かないだろう。

オフの間に全国に散っていた五人衆は東京近辺に居を移したのだが、面白かったのは千葉で母親と二人暮らしをしていた里中が、なぜか母子揃って東京ではなく横浜の山田の家の近所に引っ越したことだ。横浜−東京なら通うのは大した距離じゃないが、わざわざ山田の近所に移転するあたりにおれの勘を刺激するものがあった。

サチ子は来年には高校を卒業する。もう一人前の大人の女だ。このところ以前のように岩鬼を追いかける姿を見なくなったが、世間の目を気にすることを覚えたのか、それとも――。五人衆の日本残留が決まった今、サチ子が誰を伴侶に選ぼうと日本球界の命運には特に関係ないが、個人的に気になるには違いない。いや、五人衆の人気を考えたら国民的懸案事項というやつだろうか。

近所に越してきた里中とは当然家族ぐるみの付き合いが始まるだろう。二人の関係もこれまでとは変わってくるに違いない。岩鬼も含め彼らの顛末がどうなるのか――おれは相変わらずこいつらにワクワクさせられている。


意味ありげに登場して正体不明のままいつのまにかフェイドアウトした謎の男。マスコミ関係ではないという本人の言と登場時期からしてプロ野球機構の関係者あたりかな?と推定しました(結局微妙にマスコミ関係になってしまいましたが)。なお個人的にはサチ子には岩鬼のがお似合いだと思います(笑)。

(2011年7月22日up)

 

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