『プロ野球編』について(6)

 

五人衆自体も、目上の選手が少なくなりチーム内でもベテランとして不動の地位を占めるようになったことで、厳しいプロの世界で少しずつ上へ這い上がっていく面白みみたいなものがすっかり消えてしまった。まあシーズンによって上がり下がりが大きい(どまん中が打てるようになったり打てなくなったりする)岩鬼や入団当初から安定しきっている殿馬にはもともと「這い上がっていく」要素は少なかったので、これは新米捕手→正捕手→+四番打者へと出世していった山田と毎年球速やら体力面やらが向上していった里中、一時大スランプに陥ったもののコツをつかむや一気にホームランを量産し年間50本塁打を三年連続で達成した三太郎にのみあてはまることですが。
加えて高校時代と違って優勝を大目標に置くことができない。そりゃ5人ともチームが別々なのだから全員を優勝させるわけにはいかない、そもそも現実のペナントレースに同期して物語を進めているので、個々の試合の勝敗はオリジナルでも優勝チームは現実に添っている(水島先生もさすがに優勝チームを現実と違えるわけにはいかなかったそう)わけで、五人衆が一人も優勝の美酒に酔えない年も何度となく出てくることになった。主人公の山田がたまたま清原つながりでパ・リーグ随一の強豪チームである西武所属の設定になったのはその意味で運が良かった。まだしも優勝シーンや日本シリーズを描いてもらえましたから。里中なんてロッテ所属中に一度も優勝できませんでしたからね・・・(里中がスーパースターズに移籍した翌年にロッテはリーグ優勝、日本一にもなっています。なんと間の悪い)。
優勝を目標に頑張ってるシーンを出してみても実際にチームが優勝できなければ空しい印象になるわけで、結果的に優勝という栄冠を得られない埋め合わせとして、毎年のように“〜のタイトルを取った”というのが彼らの実績を示すバロメーターのようになっていった。これだって彼らがホームラン王や最多勝投手になることで実際にそのタイトルを取った選手をないがしろにする形にはなるんですが、さすがに仕方ないでしょうね。主要キャラが、皆凄い選手という設定なのにチームは優勝できずタイトルも一切取れずでは不自然ですし。
その『プロ野球編』ワールドで首位打者をキープしていたイチローは大したものです(『プロ野球編』の構想を知って水島先生に「殿馬と同じチームで1、2番コンビを組みたい」と頼んだという経緯から優遇されてる面もあるでしょうがそれ以上に、あまりの輝かしい活躍ゆえに彼を押しのけてオリジナルキャラを首位打者にはできなかったんじゃないかと想像してます)。そのために他の仲間たちがおおむねタイトルを獲得してる中で殿馬だけ無冠だったりしてるんですが(基本ホームランバッターでない殿馬が取るなら首位打者がもっとも“らしい”タイトルだから)。まあ殿馬の場合その飄々としたキャラと万人が認める天才っぷりのおかげで無冠でも全然仲間に出遅れてる感じはしませんけどね(もっとも一方で盗塁王を取った旨の記述もあって矛盾が生じている。盗塁王のタイトル自体は無印時代から要所要所で見事な盗塁を見せてきた殿馬には違和感なくハマってますが)。
しかし何のタイトルを取ったという話ばかり出されても、いかんせん「山田と岩鬼が西武とダイエーで戦ってる時に、殿馬、里中、三太郎、みんな出れない」問題があるため、タイトル獲得に至るまでの活躍があまり具体的に描かれないので実感がないというか取って付けたような雰囲気になってしまうのはどうにも否めませんでした。

そして上述のペナントレースとの同期、それに伴う現実世界と同スピードでの作中時間の経過に付随する問題として、全体的なストーリーの流れが、オープン戦→開幕戦→前半戦→オールスター・・・というプロ野球界の一年の行事を毎年繰り返すだけのワンパターンに陥ってしまったこと。無印だって夏の地区予選→夏の甲子園→秋季大会→関東大会→春のセンバツ、というパターンを毎年繰り返してたには違いないですが、こちらは高一夏の地区予選から高三春の甲子園優勝まででおよそ37巻分(少年チャンピオンコミックスで)を掛けているので、『プロ野球編』だけでも1995年から2003年までシーズンやオールスターを9回やっているのと違ってマンネリ感はなかった(終盤の試合はネタ切れ感を感じさせるものもありましたが)。
最初は五人衆がバラバラのチームになってしまったハンデにもかかわらず十二分に面白かった『プロ野球編』がどんどん失速していったのはこのマンネリ感が最大の原因だったように思います。彼らがプロの中で少しずつ地位を向上させてった時期はよかったんですが、上でも書いたようにある程度成長しきってしまうと這い上がる面白みがなくなって必然的に同じ事の繰り返しになっていった。それを少しでも避けるために新キャラを投入したり有望な新人(現実の選手)をフィーチャーしたりして新味を出しているものの、特に前者はすぐ存在が立ち消えになってしまったり忘れた頃に再登場してどんなキャラだったか本当に忘れてしまってたり、中西球道や『スーパースターズ編』での一球+九郎のように他作品と強引に世界をリンクさせたことで読者のブーイングを受けたりと全体に上手くいっていない印象があります(一球と球道、とくに球道は二次創作的には大人気ですが。球道については同じチームで同じ年、投手としてのタイプは正反対、でも性格的には多分に共通点のある里中ともっと上手くからませればずいぶん物語が面白くなったんじゃあ。正直もったいない)。

新キャラ投入以外のマンネリ化を防ぐ方策として(?)しばしば使われたのが既存キャラクターの一時的路線(野球のスタイル)変更。97年前半戦で殿馬がピッチャーにコンバートしたのや岩鬼がときどきど真ん中をカットやらバントやらするようになった(バントの時など夢の6割打者も可能かと言われた)のがその例です。
殿馬のケースを具体的に見ると、オープン戦に殿馬が現れず失踪かと騒がれ、さらには開幕戦を前にしての岩鬼たちとのテレビ出演もドタキャン、いよいよただ事ではないとさんざん気を揉ませたあげくに開幕戦も終盤、1死満塁のピンチにしれっと登場、しかもいきなり投手起用という驚愕の流れでした。殿馬はかつても高一秋・高二春と野球部から姿を消したり(別に失踪ではなく一応断りを入れてるけど)はしていましたが、これだけ周りをムダにやきもきさせたことはなかった。しかも戻ってきた本人いわく監督にはちゃんと許可とったうえでヨーロッパ旅行に行っていたとか。日本にいなかった殿馬は騒ぎを知らなかったとすれば仕方ないかもですが仰木監督は何を考えてるのかと言いたくなります。話題性を重視してあえて口をつぐみ皆が騒ぐにまかせていたとか?ここは自分にとって正念場だからと山田や岩鬼のポジション問題にも無関心のごとく振る舞っていた里中も大事な開幕戦を前に上の空になるほど殿馬を心配してたってのに。
「驚愕の流れ」と言っても「『プロ野球編』について(4)」で書いたようないい意味の意外性ではなくて悪い方、海外旅行や投手転向の伏線らしいものが何もなしでのいきなりな展開なので殿馬や監督のあっさりした態度も含め不快感しか覚えませんでした。もともと考えてた筋を急遽変更したか、何も考えず意外性だけで殿馬失踪ネタを入れたんじゃと勘ぐりたくなります。これが春キャンプで殿馬の動向がまるで見えてこない→監督が秘密特訓を匂わせる→記者陣は当然セカンドとしての特訓だろう、でも天才殿馬がいまさら何の特訓?と首をひねる(このへんで殿馬がピアノ練習を通して妙に指を鍛えることを重視してるような描写をはさむ)→オープン戦に現れず実は故障を隠すために秘密特訓と言ってるんじゃと勘ぐられる→開幕戦で投手として登場、とかならまだ不自然さが薄かったと思うんですが。
さらに殿馬がプロの打者たちをつぎつぎ打ち取る(作中で描かれてるのは坂田と岩鬼だけですが)というのも・・・。殿馬の投手としてのセンスは高一秋の白新戦&東海戦で証明されてはいますが、あくまでアマチュア相手の試合であり白新戦については唯一最大の強敵といっていい不知火が終盤まで出てこなかったという好条件下での活躍、臨時投手をやったのも里中は故障で投げられず岩鬼はノーコンすぎて四球続出という非常事態だったから。本職の投手でない&小柄のためスタミナがなく、長く投げるのは無理という欠陥はさすがに健在で、対近鉄戦では坂田の打席だけ(併殺でゲームセットにし勝利投手に)、対ダイエー戦では一応先発ながら実質一番打者岩鬼のみのワンポイント起用でしたが。
ただこの岩鬼との対決のさいに一打席目は三振、二打席目はホームランと思いきや足がバッターボックスからはみ出す反則打撃に終わり、三打席目もまた反則打撃かと思えばバッターボックス内に足を半分残しての今度はれっきとしたホームラン、と来て、四打席目は三連続ど真ん中のボールであっさり三振にとり、最初から岩鬼相手にはこうすればよかった、というオチが付くのはちょっと面白かったです。あとマウンドの殿馬とバッターボックスの岩鬼の会話(「おんどりゃ親兄弟はいるかい?」「おめえ知ってるづらよいねえづらよ」)を通して初めて殿馬の家庭環境がちらりと見えたのも興味深いところでした。その内容も親兄弟―近しい身内を早くに失ったということですから、孤高の人といった趣の殿馬だけに意外ではなかったものの改めて彼の孤独感がふっと透けてみえたような寂しさがあり、両者の対決に微妙な陰翳を添えてくれたように思います(その上で笑えるオチがくるのがかえってコントラストにもなっている)。
しかしこの後オールスターに普通に二塁手として選出されたのを節目に、特に説明なく殿馬は再びセカンドに戻ることに。投手として結構な成績を上げていたにもかかわらず。まあ水島先生にしても本気で名セカンド殿馬を投手に定着させる気はなくあくまで一時目先を変えただけだったんでしょうし、物語世界的には“オールスター投票で二塁手として選ばれた→観客は投手殿馬よりセカンド殿馬を望んでると監督が判断したためセカンドに戻った”と解釈しとくのが妥当でしょうか。
一方の岩鬼については95年後半戦での(里中と初対戦した時に披露した)ど真ん中カットはいつのまにか立ち消えたものの1999年から2000年にかけてのど真ん中バント打法の方は、始めた理由は日本シリーズでMVPを獲得したのをきっかけにフォアザチームに目覚めたこと、やめた理由は翌年前半の対ロッテ戦で2回3塁を落とすも味方が全く打てないためホームに帰れず、ランナーなしの3打席目でついに「もう他の選手はあてにならん チームプレイなんて終(しま)いや」と自分本位に立ち戻ったこと、とちゃんとそれらしい理由づけがなされている。バント打法に徹している間ファンから“バントなんて岩鬼の柄じゃない”とさんざんブーイングされたり、2000年のオールスターのさいにセの先発工藤(巨人)に「お前 バント打法で5割を打っているそうだな よくそんな似合わん事で我慢できるな」と言われて「そやさかいやめてまんがなこの通り!!」と明快に答えたりしているのも、バントでど真ん中も打てるなんて岩鬼のキャラじゃないという読者の思いは承知していて、もともとバント打法は一時的な確変として元のキャラに戻す予定だったことをうかがわせます。どうせ短期間で元のキャラ設定に戻すのに殿馬を投手にしてみたり岩鬼をど真ん中打てるようにしたりと読者のイメージを壊すような改変をしばしば行うのは、それだけマンネリ化を避けがたい長期連載、しかも一話の量が少ない中で毎度山場を作らなくてはならない週刊連載ゆえの苦闘の表れなんでしょうねえ。
・・・もしや『プロ野球編』後半になってにわかにサチ子を岩鬼を好きだと追い回したり岩鬼がサチ子が美人に見えるようになったら悪球が打てなくなったりの恋愛色が強くなっていったのも、サチ子がお年頃になったのを幸い(?)マンネリ化を防ぐための新路線を打ち出したということだったのでしょうか。そんな新路線嬉しくない・・・。

『スーパースターズ編』に入った後なお加速する恋愛ネタをあまり歓迎できないのはその分『ドカベン』シリーズの特色となっていた試合上の駆け引きが描写されなくなるせいもありますが、それ以前の問題として色恋や(ゴシップ的に)女のことを口にする彼らの姿を見たくないという面が大きいです。それは恋愛関係にとどまらず、五人衆がゴルフに行ったり麻雀やったりしてると何ともいえない違和感がこみあげてきます。
水島先生はかつて『大甲子園』の後書きで「なあ岩鬼、おまえはオレにいつも言ってたっけ。オレたちをどうしてプロへ行かせへんのや、力はあるでオレたちは・・・・・たしかにそうだよ。でも、おまえたちは高校球児の夢のままでいいんだと考えた末の結論なんだ。」と書いていましたが、私にとって彼らはどこかでずっと高校球児のままで、プロに混ざって奮闘する姿はいいとしても彼らの大人然とした、俗っぽい行動にはつい拒否反応が起きてしまうのです。
(「『プロ野球編』について(3)」で書いたように水島先生も山田については長屋住まいに象徴されるように“変化させない”ことにこだわりがあるらしく、皆が麻雀をやってたときも一人詰め将棋―高校時代詰め将棋をやるシーンがあったわけではないが麻雀よりずっと山田らしい気がする―をしていたりしてホッとさせてくれます)
おそらくこうした拒否反応を示したのは私一人ではないでしょう。無印及び『大甲子園』の彼らを愛していればいるほど、彼らに永遠の野球少年たることを求めてしまう。『プロ野球編』が進行するに従って、彼らがプロ野球界にしっかり根を下ろして“挑戦者”ではなくなっていくことで、それまではさほど意識せずに済んだ、彼らが金も地位も名誉も手に入れた立派な大人なのだという事実を突きつけられる格好になった。大人になった山田たちなんて見たくない――『プロ野球編』の失速はマンネリ感のせいばかりでなく、つまるところそうした読者の思いが根底にあったんじゃないでしょうか。

 


(2012年7月6日up)

 

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