太平明訓時代

 

『ドカベン』黄金期は弁慶戦=明訓敗戦までと考える人はかなり多いらしい。実際アニメも弁慶戦までで終了しています。しかし「高二夏・弁慶戦」で書いたように、『ドカベン』人気が下降したのは敗戦そのもののせいばかりではないと思われます。この敗戦によって土井垣が監督を退き新任教師の太平が監督に就任したこと、正確には監督交代以降『ドカベン』のテーマが変わったことが直接の契機だったんじゃないでしょうか。これまでは純粋に野球を描いてきたのが、監督交代を機に“高校の部活としての野球”を描くことにシフトしたように感じるのです。

これについては水島先生もコミックス41巻表紙見返しの著者コメントで「今まで明訓の監督は、雇われの徳川にOBの土井垣と、かなり野球色の強い監督であったが、高校野球は学業の一環であるということから、ひとつ教師ではどうか」と考えて太平監督が生まれたと書いているので間違いないでしょう。土井垣監督時代に野球チームとしての明訓の強さは描き尽くしたために、初の敗戦をもってこれまでの野球そのものをじっくり描く路線に終止符を打って、マンネリ化を防ぐ意味でも監督交代とともに作風の一新をはかった、その結果が「高校野球は学業の一環」だったのだと思います。

最初の兆候はまだ太平監督が赴任する前(すでに読者への顔見せは行われている)、引退を前にした山岡の「野球だけの明訓生徒じゃないぞ」との発言に早くもうかがえます。やがて彼ら三年の先輩たちはそろって大学進学を表明し、その受験勉強の様子や合格発表までがたびたび描写されるようになる。特に北など春のセンバツでの負傷から復帰できないまま引退するに至った不運を補う意味もあってか、受験からの逃避願望も手伝って進学せず野球部監督になろうかと迷うエピソードが挿入されたうえ、結局無事東大に合格したことが仰々しく紹介されます。これまでは直接野球に関係しない明訓ナインの高校生活がこうも詳しく描写されたことはなかった。四天王についてもバッティング不振の山田がテストの点まで落ちて教師にたしなめられるシーンや里中の「やっぱり一夜づけじゃテストはのりきれんかな」なんて台詞も出てきて、野球ばかりじゃない、普通の学生としての彼らの一面が描かれています。

そして野球を知らない、全国的知名度と人気を誇る明訓高校を単に“数学が弱い学校”としか認識していない太平は、監督である前に一教師・教育者として野球部員たちに接する。対大熊谷金戦で相手のプレーと審判の贔屓に怒って試合放棄しようとしたとき「(ここで試合放棄することで夏の大会まで捨てることになっても)真実をまっとうするためならばそれも仕方がないだや」と言い切り、関東大会決勝戦を雨が降ったあとのコンディションの悪いグラウンドでやると聞かされて、選手の身の安全を守るため大会委員を相手に最初は試合中止を訴え、それが叶わないと知ると出来うる限りちゃんとグラウンドを整備するよう求める。根っから野球人である徳川・土井垣なら常識としていること―いかに敵校や審判に腹が立っても今後の成績にも響くような行為はしない、多少グラウンドのコンディションが悪くても試合を行う―に、生徒の情操教育や安全が試合の勝敗に優先するという観点から平然と挑戦する。

そんな野球部監督としては“非常識”な太平の行動・考え方は、部内でも正当派の野球巧者である山田や里中を大いに戸惑わせる。その最たるものが上述の大熊谷戦。試合放棄を宣言した太平に山田と里中が反対し、ほとんど決裂寸前までいってしまった。野球をよく知っている、野球人としての常識が身に染み付いているだけに、太平の無知と非常識に彼らは呆れたり苛立ったりせずにいられない。特に里中は、関東大会を前にスランプの山田にあえて練習させない岩鬼の方針を支持した太平に抗議する場面での「監督さんあなたまでがこんなでたらめを許すんですか」「これだから数学の教師はこまる・・・・・・野球は理屈どおりにはいかないんだ」という発言(後者は心の声)に、太平への不信感、彼を軽んじる感情がはっきり表れている。「監督さん」という呼びかけも何となく小バカにしたような響きがあります。里中が徳川や土井垣を「監督さん」などと呼ぶことはついぞなかった。山田の方も大熊谷戦のときにやはり「監督さん」と呼ぶ場面があります。

それでも中学時代から岩鬼や長島たちの非常識な行動に驚くべき寛容さを発揮してきた山田は、自分たちが無意識に囚われている“常識”に縛られずより広い視野を持っている太平のこともしだいしだいに認めるようになっていく。グラウンドコンディションのことで大会運営側に電話で掛け合う太平の姿に「すごい人だ この太平先生は・・・・・・」と驚嘆の目を向けたりもするように。上で引いた著者コメントも「この監督を明訓に入れて本当におどろいたのは、まともな野球、つまりセオリーがこの人にはないということだ」と続いています(自分で考えておきながら他人事のような表現が笑える)。

もう一つ、太平明訓時代が描き出しているのが、欠点・矛盾点を含めた“高校野球という制度”。一年次の秋季大会・関東大会と比較すると、秋季大会決勝がひとたび雨で順延になったところが共通していますが、二年次は二度目もまた順延になった結果関東大会開会式と重なってしまったので決勝戦は中止になっている。
また関東大会の成績によって春のセンバツ出場校が選ばれる件について一年次は上位二校(明訓・赤城山)があっさり選出されていますが、二年次は優勝の明訓・準優勝の下尾は固いものの三校目はどこが選ばれるかを選手たちの不安や焦燥感も含めてじっくりと描いています。

ラスボス格と見なされていた東郷が選ばれず明訓に惨敗した日光の方が選ばれる展開に読者は唖然とさせられたものですが、太平時代が試合そのものより制度としての高校野球を描くことをテーマとしているがゆえに、明訓対東郷の息詰まる試合の攻防より、天候や理不尽とも思える高野連の選抜基準に翻弄される球児たちの姿を描き出すことの方が良くも悪くも優先されたのでは。日常の学校生活も含めた高校球児の熱くほろ苦い青春の物語――それが敗戦を機に新たなカラーを打ち出した後期『ドカベン』の目指したところだったんじゃないでしょうか。

ちなみに太平監督時代ではあっても、三年夏の甲子園大会を舞台とする『大甲子園』では、野球以外の生活感は遠景に退き、徳川・土井垣時代のように試合そのものの駆け引きに照準を合わせている。水島野球マンガの主人公チームが夢の対決!というのがテーマの企画である以上当然ではあるんですが、結果的に昔の(黄金期の)『ドカベン』への回帰が計られることになったように感じます。

 


(2011年6月24日up)

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