New Departure

 

マウンドの上に小柄な少年が立っている。野球部員なら誰もが目に馴染んだいつもの光景。ただこの日彼が着ていたのはユニフォームではなくて普段着のセーターだった。

最後の一球、受けてくれ。それだけ言うと彼はゆっくりと振りかぶり、流れるようなフォームから渾身のストレートを放った。

――山田、判定は。

――ストライクだ。今までで最高のストライクだ。

マウンドから駆け下り元気よく手を振って走り去った彼は、きっと泣いていたのだと思う。しかしその顔ははっきり見えなかった。自分自身の目もまた涙で曇っていたから――

 

正月明け、明訓OB4人は恒例の自主トレのためホテル大観に滞在していた。それもこの年は格別感慨深いものがあった。

「いやまさか、またお前たちと同じチームで戦えるなんてな。考えてもみなかったぜ」

「毎試合がオールスターづらな」

彼ら4人ともがFAの権利を得た昨年の11月、パ・リーグに新球団「東京スーパースターズ」が発足し、4人はともにスーパースターズへと移籍した。メジャー行きをほぼ決めかけていたにもかかわらず彼らが新球団を選んだのは、「山田世代」の国外流出を恐れた崖渕総裁に頭を下げられたという事情もあったが、それ以上に再びこのメンバーで戦えるのがたまらない魅力だったからだ。しかも監督は明訓の先輩であり監督でもあった土井垣。まるで奇跡のようなドリームチームだ。

「しかしチーム名は気に入らんのう。『スーパースターズ』っちゅうが、『スーパースター』はわい一人やろが。『スーパースター岩鬼とその他大勢』や」

「このハッパのお守りも毎回になるづらぜ」

「何やととんまー!」

毎度の口ゲンカに突入した二人を横目で見ながら、

「しかしまさに明訓時代の再来だな。あとはこれで・・・」

地顔が笑顔の三太郎の表情がわずかに曇る。彼が飲みこんだ言葉の続きが山田にはわかっていた。

――あいつがいれば。

懐かしい高校時代、彼らは「明訓五人衆」と呼ばれていた。サードの岩鬼、セカンドの殿馬、レフトの微笑三太郎、キャッチャーの山田――そしてエースの里中。

 

中学卒業後は祖父の畳屋を継ぐと決めていた自分のもとをいきなり訪ねてきて「きみは絶対に高校へ行くよ。それがきみの運命なんだから」と初対面から言い放った里中。いわば自分を高校野球に引きずりこんだ一人でありながら、皆より一年早く彼は高校を去っていった。三年春の大会で優勝した直後、新学期の初日に突然高校を中退して働くと里中が表明したとき、部員の誰もがとっさに言葉を失った。

詳しい事情はわからないがどうやら母親が体を悪くしていたらしい。里中の家は母子家庭だったから母親が倒れれば里中が稼ぎ手にならざるを得ない。だから里中を止めることはできなかった。それでもあれほど野球を愛していた男が最後の夏を戦うことのないまま野球部を去らねばならなかった、それが山田には無性に悔しく、寂しかった。本当なら里中もプロに進んで自分たちと一緒にここにいたはずなのに。里中と離れて10年経つのに、無念の思いは今も薄らぐことはない。

――人生の転機を迎えるたびに里中の夢を見る。ドラフト会議の前の晩、初めてキャンプに参加した日、新球団入りを決めた時。いつでもひたむきに野球にぶつかっていった里中の姿が、時に弱気になり立ち止まりそうになる自分の背中を無言のうちに押してくれた。今も昔も自分は里中に支えられている。周りには自分のリードや打棒が里中を支えていると思われていたようだが、我ながら無茶と思えるリードにも懸命に応えてくれた里中に自分の方こそ支えられてきたのだ。

スーパースターズでおれはどんな男とバッテリーを組むことになるんだろう、と山田は考えた。FAで新球団に入ったのは元明訓の4人のほかは数えるほどしかいない。チームメイトの多くは数日後行われる入団テストで選ばれることになる。当然ピッチャーも。

プロとしての実績はない彼らを一人前のピッチャーに仕上げること。そしてその中からチームを担うエースをも育てること。それは投手コーチだけでなく自分の仕事でもある。山田の脳裏を西武時代に、オールスターも含めて組んできた投手たちの顔がよぎっていった。そして高校時代、「黄金バッテリー」と呼ばれたその片割れの男の顔も。

 

自主トレも数日が過ぎたある日、一日の練習を終えて夕飯を取っているところへ山田の携帯が鳴った。

「ちょっと失礼。土井垣さんからだ」

山田は食事の席を立って部屋の隅へ移動する。現在土井垣は東京でテストの準備に追われているはずだ。

「はい、山田です」

「自主トレの最中に邪魔してすまない。だがおまえにだけは、伝えておいたほうがいいと思ってな」

妙に歯切れの悪い土井垣の口調を山田は訝しんだ。

「・・・明日のテスト、応募者の中に里中の名前があった」

山田はとっさに言葉が出なかった。同時に不思議と納得している自分もいた。

「野球、続けてたんだな」

「――当然ですよ。野球が全てみたいな男でしたから」

実際には「全て」ではなかったからこそ彼は明訓を去った。それから10年、彼の噂を聞くことはなかった。スカウトたちの目に留まった形跡もなかった。しかし里中は絶対、野球を続けている。草野球だろうと、どんな形であろうと。山田はずっとそう信じてきた。

土井垣はほかにもテストについて何か話していたようだが、さっぱり頭に入ってこなかった。適当に相槌を打って心ここにあらずのまま電話を切った。

――里中が、来る。里中に、会える。

山田の気持ちはなぜか浮き立たなかった。自分は里中に会いたくないのだろうか。

・・・人生の転機のたびに里中の夢を見た。思い出の中の仲間たちの顔は、現在の顔に差し替えられているのに、里中だけは17歳の少年のままだ。

――山田!

勝利を告げられると、まっしぐらに自分に飛びついてきた小さな体。夏の太陽のように晴れやかなその笑顔。

10年も経つのに彼の思い出がこうも鮮やかなのは、きっと彼が自分の青春時代に分かちがたく結びついているゆえなのだろう。自分はその記憶を汚されたくないのかもしれない。たとえ里中自身にでも。

 

気がつけば山田は一人グラウンドに立っていた。懐かしい――明訓のグラウンドだ。

空には三日月が架かり星が瞬いている。こんな時間に自分はここで何をしているのか。訝しんで辺りを見回そうとした時、

「山田」

後ろから声をかけられて振り向くと里中が立っていた。ああ自分はこいつを待っていたんだな、と思った。

ゆっくりと里中が近付いてくる。月明かりにうっすら照らし出された幼い顔が穏やかに微笑んでいる。

「一球だけ、付き合ってくれるか?」

「もちろん」

里中の言葉に山田は頷いた。明訓のグラウンドにナイターの設備はないが、夢の中では関係ない。月明かりだけで十分だ。

マウンドに立った里中はいつものように足でマウンドを丁寧にならすと、大きくふりかぶってボールを投じた。あの日と同じ、渾身のストレート。山田のミットがバシンといい音を立てた。

「ナイスピッチ、里中」

投げ返したボールを里中は地面に置き、グローブも外してマウンドを降りてくる。本当に一球で終わるつもりなのか。夜通し投げたって全然構わないのに。そんな山田の思いを見透かしたように、

「今日はこれだけにしとこう。お互い明日があるからな」と、里中が言ったのに山田は思わず答えに詰まった。

「明日、受けてくれるんだろ?」

「・・・ああ」

「安心しろよ。いい男に育ってるからさ」

とん、と山田の胸を叩いて里中は明るく笑うと、くるりと背を向けた。

「里中!」

今の姿のこいつと会えるのは最後かもしれない。思わず引き止めそうになるのへ軽く振り返ると、

「じゃあな山田。また明日」

里中は笑顔のまま大きく手を振った。毎日顔を合わせていた高校時代のような気軽さで。

「ああ・・・また明日」

小さく答えた山田に頷いて、再び背を向けた里中の姿が急速に薄らいでいった。

 

翌朝みんなに「急な用事でちょっと東京に行ってくる」とだけ説明し、朝食もそこそこにホテルを出た。何をしに行くのかと聞かれて上手く説明できる自信がなかったからだ。

東京ドーム―スターズのホームグラウンド―に到着した頃には、昼を少し回っていた。

「やっぱり来たか、山田」

「土井垣さん・・・」

「午前中に一次テストの50メートル走と遠投は終わった。二次テストは13時半からだ」

「土井垣さん、お願いがあります。ピッチングテストの捕手をやらせてほしいんです」

正捕手の自分が受験者の球を受けるなど普通ならありえない。呆れられるのは覚悟のうえで、それでも引くつもりはなかった。

「・・・そう言うだろうと思ってたよ。そのために、来たんだろう?」

ただ里中に会うためではなく、球を受けるために。

「おまえの好きにするといい。天下の山田太郎に受けてもらえるとあったら連中も大喜びだろう。さあ早く仕度をしろ」

踵を返した土井垣の背中に、山田は深く頭を下げた。

 

プロテクターとレガースをつけてグラウンドへ出ると、すでに受験者たちが列をなしていた。鳴り物入りで発足した新球団だけに、一次テストで落とされた人間を引いてなおこれだけの数がいる。これから野手は守備の、投手は投球のテストを行うことになる。

投手たちの列のほうへ山田が歩いていくと、ざわめきが広がる。まさか山田自らが受けてくれるのか?落ちても一生の記念になるぜ。そんな声がさざめいている。

列の中にはつい先日自主トレ中に再会したいわき東高校の緒方や中学以来の旧友わびすけこと木下もいたのだが、目で挨拶をしながらも、山田はただ一人の姿を探していた。やがてその視線が、最後尾に立つパーカーのフードを目深に被った、小柄な男のところで止まった。

型どおりにテストは進んでいき、ついに「彼」の順番が回ってきた。一歩進み出た彼を山田はじっと見つめた。

「30番、里中智、26歳。出身は、明訓高校です」

静かだがはっきりした口調で告げると、男はフードを後ろへはねのけた。これまで隠れていた顔が顕わになる。

――里中って・・・明訓の「小さな巨人」?

――山田とバッテリーを組んでた、あの、里中?

周囲がどよめく中、里中は無言で山田を見ていた。山田も無言でその視線を受け止めていた。

あの頃よりも少し背が伸び、骨格もしっかりしたようだ。面差しも年齢を重ねた分いくぶん精悍さを加えたように思える。

けれど印象的な大きな瞳や端整な目鼻立ちは意外なほど変わっていなかった。

「球種は?」

「高校と、同じだ」

かすかに唇の端に笑いを乗せた里中に、山田は頷いてミットを構えた。

サインを出す。力を見るために、まずはストレートをど真ん中へ。

里中が大きく振りかぶる。左膝が高く胸まで上がり、ゆっくりと上体が折れてゆく。記憶にあるのと全く同じ、流麗でダイナミックなフォーム。

いっぱいに伸ばされた右腕が素早く前に振られ、放たれた白球は真っ直ぐに山田のミットに吸い込まれた。

「ストライク!」

山田はボールを投げ返し、次のサインを送った。

カーブ、シュート、シンカー、スライダー、それぞれを各コースに投げ分けさせる。その全てに里中は正確に応えてくれた。

コントロールも変化球のキレもまるで鈍っていない。むしろ成長して体が出来たぶん、スピードは増しているかもしれない。

――たいした男だ。

嬉しくなった山田はふと遊び心を起こしてフォークのサインを出した。公式戦で二回投げただけの幻のフォーク。

里中はちょっと驚いた顔をしたが、一瞬置いていたずらっぽい笑顔で頷くと、ワインドアップに構えた。

膝が高く上がり、そのまま上体を折る。いつも通りのアンダースロー。

フォークボールはその性質上、下手から投げるのはきわめて難しい。だから里中もフォークだけはオーバースローで投げていた。フォームで球種がわかってしまうためほとんど使うことはなかったが。

サインを間違えたのだろうか?戸惑う山田の前で球はわずかに浮き上がり、そこから一気に落ちた。

かろうじて山田は球を受け止めた。はっとマウンドに目をやると、里中が得意気な笑顔を向けていた。

下手からのフォーク。里中はそんな球を持ってはいなかった。里中に限らず、そんな球を投げられる投手はほぼ存在しない。

里中がこの10年どこで何をしていたかはわからない。しかしこれだけの力を保ち続けていた、さらに新しい変化球までも。その努力と情熱に山田は目頭が熱くなるのを感じた。

「合格だよ。里中」

土井垣の判断を仰ぐまでもない。マスクを外してそう告げると、里中は記憶にあるのと同じ、花開くような笑顔を見せた。

「おつかれさ〜ん、づら」

場違いにのんびりした声に山田ははっと振り向いた。グラウンドの入り口近くにいつのまにか殿馬と岩鬼、三太郎が立っている。

「おまえたち、どうして・・・」

「土井垣監督から電話が来て以来、明らかに山田はおかしかったづら。そしてテスト当日に急用で出かけるとなれば、ここしかないと思ったづらよ」

「それも多分、里中がらみだろうってな。スターズ結成を知ったら智は、里中智ならじっとしてられないはずだからな」

「どうせニュースを見て、山田が恋しくなったんやろ。まったくおまえはいつまでも山田離れせえへんやっちゃで」

三人の視線はいつしか里中の方に向いていた。

「これでやっと明訓五人衆が揃ったな」

全員の思いを代表するように三太郎が言った。

 

再会を記念して5人はドーム近くの居酒屋で祝杯をあげた。事前予約をしていなかったし、周囲に気づかれて騒がれるのも本意じゃなかったのでごく地味な、ささやかな席ではあったが。

「そうか、やっぱりお袋さん・・・」

「2年前にな。――でも最後の数年は自宅に戻れたし、孫の顔も見せられたから」

「えっ!?智、結婚してんのか!?」

三太郎が思わず叫ぶのを「驚くような年でもないだろ」と里中はあっさりいなした。

「職場の後輩でさ。いろいろ境遇が似てるんだよ。それで、まあ。21で結婚して、3つになる息子がいる」

「21か。ずいぶん早かったんだな」

「な、なんやおまえ、あれか、で、『出来ちゃった結婚』ゆうやつか」

言いながら岩鬼は顔を真っ赤にしている。照れるなら口にしなきゃいいのにと思うのだが。

「3歳って言ってるだろ。――貧乏人は外でデートする余裕がないんだよ」

それよりおまえらが誰一人結婚してないほうが意外だよ、とつぶやいて里中はコップを傾けた。

「まあ、何にせよまたこれから同じチームだ。よろしくな」

「づら」

「・・・ああ、そうだな。よろしく」

答える里中の笑顔を、山田はじっと見つめていた。

 

「じゃあおれ、こっちだから」

「里中」

駅の改札を入ったところで一人右に曲がろうとした里中を山田は呼び止めた。

「おまえ、迷ってるのか」

「え・・・」

「わかるさ。おまえの顔を見ていれば。なぜ入団をためらうんだ?」

里中はしばらく俯いていたが、やがて呟くように話し出した。

「プロの世界は厳しい。入団しても芽が出ないまま消えてゆく選手がいくらもいる」

沈鬱な響きでぽつぽつと紡がれる言葉に山田はじっと耳を傾けた。

「昔はお袋の体が良くなったらまた野球ができると思っていた。でもお袋は完全に回復することはなくて、そのまま時が流れてしまった。」

職場に野球チームはない。地元の草野球チームに入ろうとも思わなかった。この10年は一人での自主練習だけだったとはさっき酒の席で聞いていた。

「今さらプロになれるなんて思ってなかった。だけど『スーパースターズ』の結成を知ったとき、明訓の仲間が同じチームに揃うんだと思ったら・・・自分を抑えられなかった。どうしておれがこの中にいないんだって、そう思ったらたまらなくなって・・・」

「・・・ひょっとしておまえ、奥さんに話してないのか。テストを受けること」

「女房には高校の同窓会って言ってある。まんざら間違いでもないだろ?」

里中は自嘲するように笑った。

「奥さん、明訓時代のことは知ってるのか?」

「知らない、と思う。野球、というかスポーツ音痴だからな。野球部で、ピッチャーやってたとは話したけど」

里中には10年ものブランクがある。テストではかつてと変わらぬ投球を披露したが、逆に言えばそれは高校レベルということだ。それに年齢。今から里中がスターズを背負うような投手に成長する可能性は常識的に見て、低い。

それでも一人なら無謀な夢に賭けることもできるだろう。しかし今の彼には家族がいる。つつましくても安定した暮らしを捨てて、妻とまだ小さい子供に苦労をさせる――迷うのも当然だった。だけど。

「野球で食ってくことを完全に諦めたんなら、なぜおまえは練習を続けてきたんだ。草野球チームに入るのでなく、硬球で投げ続けてきたんだ?」

「それは・・・」

野球が好きだから。硬球を握らないではいられないから。自分の知る里中はそういう男だった。そしてプロの舞台で戦いたいと、その思いを捨てられなかったからこそ、彼は今日ここへやってきたはずだった。

今の里中に、現在の生活を捨てて野球を選べというのは酷だとわかっている。わかっていても、里中を諦めたくなかった。里中にも、諦めさせたくなかった。

「初めて会った時おまえは言った。高校へ行って野球をするのがおれの運命だと。今度はおれが同じことを言う。スーパースターズに来い、里中。それがおまえの、運命だ。」

しばらくの間里中は呆然と立ち尽くしていた。それから泣き笑いのような顔になって、

「天下の山田太郎にそこまで言われちゃ、断れないよな」と呟いた。

「里中」

「女房にちゃんと話すよ。もう一度おまえと、みんなと野球がやりたいんだって」

「里中・・・」

「じゃあ、もう行くよ。うちの近所は最終バスが早いんだ」

くるりと踵を返したその背中が、夢の中、去り際の彼の姿に重なって山田は思わず手を伸ばしかけたが、ぎゅっと拳を握り込んで衝動をこらえた。信じるんだ。里中は必ず戻ってきてくれる。またすぐに、会える。

山田は大きく息をついてから、少し離れた場所で待っていてくれた仲間たちに合流して新幹線のホームへと降りて行った。

 

ホテル大観に戻った4人は翌朝からまたいつも通りに自主トレのメニューをこなし、二日後に解散した。岩鬼と殿馬はキャンプインまでに引越しがあるからなかなかに忙しい。

家に戻った山田が日課の素振りをしていると、ズボンのポケットで携帯電話が鳴った。画面を見ると「里中智」の文字が浮かんでいる。山田ははっと緊張しながら、通話ボタンを押した。

「もしもし、里中?」

「山田。今東京に出てきてるんだ。これから会えないか?」

「・・・ああ。今日は特に予定はないよ。どこへ行けばいい?」

簡単に待ち合わせ場所と時間を打ち合わせて電話を切った。練習のせいではない汗が山田の額に滲んだ。東京に来ているという、その用件は一つしか考えられなかったからだ。

 

「悪かったな。急に呼び出したりして」

「いや、どうせ暇だったからな」

短い挨拶を交わしたあと、沈黙が落ちた。どちらも口を開くことをためらっているように。数瞬ののち、口火を切ったのは山田の方だった。

「それで・・・どうなった?」

里中は沈んだ表情で俯いている。まさか、と不安になりかけたところへ、ぱっと顔を上げると、

「さっき土井垣さんに会って契約済ませてきたよ。今日からはまたチームメイトだ」

うって変わった明るい声で宣言した。

思わせぶりな顔をするんじゃない、心臓に悪いだろう、と文句を言いたくなったが、心底嬉しそうに笑っている里中を見ていると、そんな気分も雲散霧消してしまう。

「よかった。じゃあ、奥さんは納得してくれたんだな」

「ああ。当面は単身赴任で、おれがものになるようなら、チビの小学校入学を目処にこっちに来るってことでまとまったよ」

笑顔で言ってからふとしみじみした声になって、

「――女房のやつな、何年も前から知ってたって。おれが甲子園で何度も優勝した投手だってこと。お袋が亡くなる前におれ関連のスクラップを全部譲り渡していったんだそうだ。それまでにもいろいろと噂は耳にしてたらしい」

「・・・・・・」

「だから、もしおれがまた野球をやりたいと言い出したら、絶対に反対しない、応援しようと決めてたって」

「いい、奥さんだな」

「ああ・・・おれは昔から女房には恵まれているらしい」

里中は数歩近寄ると、とん、と山田の胸を拳で叩いた。

「またよろしくな。女房どの」

少し潤んだ目で見上げてくる里中の頭は、昔よりも近い位置にあった。きっと思い出の中の少年の面影も、目の前の男の姿に塗り替えられてゆくのだろう。それでいい、と素直に思えた。これからまた里中とともに歩んでゆける。過ぎ去った時間よりもその事実の方がずっと大きいのだから。

「こちらこそよろしくな、小さな巨人」

 


本当なら93年以降、テストで合格してもドラフトで指名されないと入団はできないことになってるそうなんですが、原作でも1月にテストでスターズやドッグスに合格した選手が11月のドラフトを待たずにその年の試合に普通に出場してますね。新球団二つの発足が11月だった以上その年のドラフトには間に合わない、翌年のドラフト待ちではFA組以外の戦力がなく2004年のペナントレースには参加不可能となってしまうので、この年は特別措置でドラフト外入団OKにした・・・という設定だと思って読んでください(笑)。球団誕生からして超法規的措置だったんだし。
あとここで里中が投げてる「下手からのフォーク」はスカイフォークではなく、『大甲子園』の中で特に説明なく投げてる下手からの(としか思えない)フォークボールのつもりです。

(2009年12月30日up)

2010年1月22日追記−上で「その年のドラフトには間に合わない」うんぬんと書いてますが、プロ編を読み返してたら52巻ラストにドラフト関連の描写が出てました。「11月19日 ドラフト会議が行われた しかし今年のドラフトには新2球団の席はなかった したがってドラフト終了後その外れた選手から獲る事になる とりあえずは一軍30人がメドだ・・・」。ちゃんと“スターズ・ドッグスとも一年目はドラフト外入団”て明記してあった・・・。わざわざ「という設定だと思って」と断るまでもなかったわけですね(汗)。うーむ恥ずかしい、失礼しました。

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