明訓の黄金バッテリー(2)

                                                                     

(1)で山田と里中の互いに対する思い入れの違いを書きましたが、正直野球人としての才能に根性に惚れてるというだけでは、この二人のやたらな密着度の高さは説明できない気がします。

勝利の直後に抱き合う光景は現実のスポーツの試合でもよく見られるので違和感はないんですが、野球してるシーン以外でもやたらとスキンシップが多いのは何なのだろう。特に『大甲子園』では何かとツーショットが出てくるし(多くは二人でじっくり語らせるシーンになってるのでちゃんと必然性はあるんですが)。

中でも衝撃的なのは里中が、山田が首から下げてるタオルで自分の顔を拭く場面(笑)。「タオル借りるぞ」とも何とも言わず、首にかかった状態のまま顔の方を近づけて汗をぬぐうという・・・。二人とも当たり前のような顔で普通に会話しながらの動作だったため、他所様でツッコまれてるのを読むまで見過ごしてしまってたのですが、言われてみれば確かにこりゃ変だ。何というか男友達同士の距離感じゃない感じ。いや男性に比べてベタつき度が高い女友達同士だってこれはやらないでしょう(少なくとも私はやったことがない)。いかに仲が良いとはいえこれは・・・。

他にも「なぜそこで肩に手を置く必要があるんだ」というようなシーンが多々あり(とくに山田→里中。高一秋初めの保健室のシーンとか)・・・これが70年代少年マンガ(『大甲子園』は80年代だけど)でなかったら、作者が野球マンガの神様・水島新司でなかったら、「女性受けを狙って描いてんじゃないか?」と疑いたくなるくらい。

まあ『男どアホウ甲子園』でも『光の小次郎』でも『野球狂の詩』でも、水島マンガのバッテリーは非常に強い絆で結ばれている場合が多い。『男どアホウ』の豆タンも『光の小次郎』の武蔵も「恋女房」という言葉そのままの尽くしっぷりだったし、『野球狂』の武藤さんは激しくセクハラしまくってたし・・・。絆というよりもはや執着。

ただ物理的な密着度の高さはやはり山田里中が一番のように思えます。二人が同級生で、上記の三バッテリー間のような上下関係がない(豆タンと甲子園も同級生だが常に豆タンが一歩引いて敬語で話してる)せいもあるんでしょうが。それに豆タンたちのような、“男が男に惚れる”という雰囲気でもない。投手として、捕手としての才能に惚れたという点では一緒のはずなのに(ちなみに武藤さんの場合、相方?の水原勇気は女性なのでまたちょっと感じが違う。武藤さんに限らず水原に入れ込んでる人たちはみんな彼女の才能というより可能性に惚れてる、夢を投影しているように思えます)。

個人的には山田と里中の仲良しっぷりは“男の友情”以外の要素が多分に入りこんでると思ってます。といってもいわゆる同性愛ではなくて・・・兄弟愛、いやむしろ父子愛的なものをこの二人には感じるのです。例外的なケースを除けば里中は山田にリードを一任し、彼の判断に全幅の信頼を寄せている。野球を通じて出来上がった山田が里中をリードするという関係性が野球以外の日常にまで及んでしまったのか、同い年のくせにきっぱり山田−保護者、里中−被保護者になってしまってるんですよね。

たとえば高二夏の吉良戦の朝、合宿所が地震に見舞われたとき山田は里中を背中でかばい、里中も当然のようにかばわれている。きっと山田は「女房役である捕手が投手を守るのは当たり前」と言うでしょうけど、里中不在の時に渚や岩鬼を同じようにかばうかといえば多分そうはならないと思うのです。とくに岩鬼をかばう姿なんて、というより大人しくかばわれる岩鬼が想像もできない。里中にしたってあれだけ男らしさにこだわる性格(これはチビチビ言われ続けたコンプレックスの裏返しだろう)なんだから、同級生に一方的に守られる状況というのは「自分の身くらい自分で守れるぜ」って反発してもおかしくないところ。

でも里中は山田に対してだけは守ってもらうことを当たり前に感じてる部分があるんじゃないか。それは山田が里中にとって相棒、親友であると同時に「父親」でもあるから。無印最終回で唐突に明かされたことですが里中は母一人子一人の家庭に育っている。父親のない里中が、すぐ近くにいてどっしりした安定感で自分を導いてくれる山田に、無意識に「理想の父親」を見ていても不思議はない気がするのです。

父親がいつの段階でいなくなったのか、死別か離婚かは長らく不明でしたが、最近スーパースターズ編に至って死別だったことが描かれました。「里中が3歳の時に亡くなった」となってたり「生まれる前に亡くなった」となってたり描写が一定しないものの、ごく小さいうちから父親がいなかったのは間違いないようです。もっともこれらの設定が出る前から「里中は父親の顔を覚えてないんだろうな」というイメージは持ってました。相手のタオルで顔を拭くという行為が自然に行われうるのは友人よりもっと近しい、親子でもまだ両者の間が未分化な幼児とその親のケースじゃないかと思うので。対父親の関係を経験してない(記憶してない)からこそ、山田に「父」を見るとき里中のスタンスは無邪気に父を慕う幼児のそれになってしまうんでは。それが二人の距離感のやたらな近さに反映してるように感じるのです。意識してそういう態度を取ってるわけではないので表面的には対等の友達なんですけど、多分周囲の人間には「あいつらちょっと仲良すぎだよなあ」という印象を与えまくってるんじゃないかなあ。

一方の山田はといえば、彼も10歳のときに両親を事故で亡くして妹ともども祖父に引き取られている。親の愛、とくに母性に飢えていると言えなくもないですが、彼の場合その寂しさを妹サチ子に親代わりの愛情を注ぐことで補った感があります。自分の体を張って妹の命を守ったときから、山田は10歳にして「保護者」の立場を選びとったんじゃないか。親の愛を求めるのでなく、自分が親として父代わり母代わりに愛情を与える側なのですね。

そんな保護欲の強い彼が無意識に「父」を求めている里中と出会い――求める者と与える者の需要と供給が一致した結果が、あの妙に濃密な友情、黄金バッテリーのツーカーぶりに結実したんじゃないでしょうか。

ところで例の地震の話ですが、もし地震発生時に山田が里中と数メートル離れた場所にいたとしても、絶対他の連中に構わず里中のところに駆けつけて里中をかばうと思います(笑)。まわりもそれを当然だと思っていて、里中の側に他の人間がいても彼らは里中をかばおうとは考えないでしょう。それは山田の担当だから。もし可能性があるなら土井垣さんくらいですかね。「監督としてエースを守らなくては」とか生真面目な彼なら思うかもしれない。山田が里中の近くにいればもう山田に任せきりでしょうけど。

 

(2010年5月15日up)

 

 

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