『MAJOR』感想

 

16年間にわたって週刊少年サンデーに連載され、全78巻をもって完結した大人気野球マンガ。『大甲子園』でもおなじみ中西球道が主人公の『球道くん』によく似ている(これは作者の満田拓也先生も認めてらっしゃるそう。『球道くん』が大好きで、気づけば似てしまってたらしい)との噂に、どれどれと読んでみたところすっかりハマって三週間ほどで読破してしまいました。

主人公が野球の天才少年で、彼の幼少期から剛速球投手として大成するまでの半生(『球道くん』では2歳〜高校二年夏、『MAJOR』では5歳〜35歳)を描くスタイル、主人公の実父と養父がともにプロ野球選手(実父の死後、孤児になった彼を引き取った女性が子連れで嫁に行った)、子供時代養父のチーム移籍にともなって九州へ引っ越す、実力に関係ない理由で結構敗戦が多い、など確かに『球道くん』と共通する要素がたくさんある。
もっとも、『球道くん』では“2歳の球道が父の入院によって入院患者の中西大介や看護婦の愛子と知り合う→数日後の父の死によって球道は孤児に(母はだいぶ前に出奔して行方不明)→情の移った愛子は球道を引き取り、同時に自分に気のある大介に球道が一緒でいいなら結婚してあげるとプロポーズ→大介了承”までを何と連載第一話ですべて片付けていたのに対し、『MAJOR』では“5歳の本田吾郎と未来の養母星野桃子はもともと幼稚園児と担当教諭として少なくとも数ヶ月は付き合いがある”“吾郎を介して桃子と吾郎の父・茂治(2年前に妻と死別)は親しくなり、吾郎が卒園して教諭と保護者の関係でなくなるのを待って交際開始”“プロポーズから間もなく茂治が事故死、もともと義理の息子になる予定だった吾郎を桃子は引き取る”までで二巻以上をかけ、“さらに3年後、桃子は亡き茂治の親友でチームメイトだった茂野と結婚する”という、『球道くん』が唐突なまでにスピーディーに(いかに情が移ったとはいえ知り合って数日の他人の子をうら若い独身女性が引き取っちゃう?まだ付き合ってさえなかった男にいきなりプロポーズ?と驚かされた)描いた部分をじっくりと、当事者の心理を丁寧に追いながら自然な形で描き出しています。
(ちなみに父が二人ともプロ野球選手というところなど意識的に『球道くん』を踏襲してるのかと思ってたんですが、桃子と茂野の結婚は当初の予定になかったのだとか)
かつてのように野球が子供たちの人気スポーツでなくなっている(『球道くん』の頃とはちがう)現状も踏まえ、平成時代に即しての物語作りがなされている。『球道くん』、そして水島野球マンガの理想的フォロワーなんじゃないかと思います。

 

その一つの(そして最大の)現れが捕手・佐藤寿也の存在。寿也は吾郎の最初の野球友達であり、吾郎の引っ越しによって離れ離れになるも後に再会し、やがてバッテリーを組むことになる。『球道くん』でいうと大池英治(えーじ)のポジションになるキャラクターですが、えーじの場合球道がストレート主体の剛球投手だけに捕球センスの方が重要でリードはさほど描かれなかったのに対し、寿也は打者との駆け引き、緻密なリードに成る頭脳戦を展開する。リトルリーグ時点(9歳時)にすでにささやき戦術で打者の平常心を失わせ打ち気を誘うなんていうシーンさえある。寿也以外にもリトル・中学時代の小森、高校時代の田代、メジャーリーグ時代のキーンなど吾郎の人生の節目ごとに優れた捕手が登場して吾郎を支える。
『プレイボール』『H2』などでもキャッチャーは単なる球を受け止める壁ではなくコースの指示やインサイドワークも描写されていますが、司令塔としてのキャッチャーの重要性を『ドカベン』に次ぐ丁寧さできっちり描いている点では『MAJOR』が頭一つ抜け出してるように思います。

とはいえ球道同様、吾郎もストレートの剛速球一本で勝負するスタイルの投手。のちに(高速の)フォークも会得したものの、いずれにせよ速球の威力でガンガン三振の山を築いてゆくタイプ。『ドカベン』で山田のリードがあれだけ際立ったのは、バッテリーを組んでいる里中が球威がさほどない代わり多彩な変化球と抜群のコントロールを有していたから。リードの重要性を描くには相方が剛球投手というのは根本的に不向きなのです。だから緻密なリードに定評のある寿也も、真にその実力を発揮するのは吾郎以外の投手と組む場合や打者として投手の球種・コースを読む時だったりします。
寿也はリトル・中学・高校と吾郎の野球人生に繰り返し関わりながら、そして初登場の時点からやがて吾郎とバッテリーを組むことを濃厚に匂わせていながら、もっぱら再会のたびに最大のライバルとして対戦しており、二人が初めて公式戦でバッテリーを組むのは物語も終盤の28歳の時となる(公式戦以外では何度か組んでいる)。
『H2』では主人公とライバル兼親友の対決を最後の最後、高三夏の甲子園まで引っ張りましたが、『MAJOR』は主人公が生涯の親友とバッテリーを組むまでを引っ張る。これは一番美味しい顔合わせを後々まで取っておいたというのが理由でしょうが、実は二人がバッテリーとしてはあまり相性が良くなかったからと言うのもあったんじゃないかなーと想像してみたりしてます。

ついでに書くと、野球マンガの捕手というとだいたい山田や『巨人の星』の伴宙太のようなずんぐりがっしり体型(ゆえにパワーヒッターでもある場合が多い)・顔も非二枚目タイプが基本のところに女顔の美少年(後に行くほどどんどん女顔になっていった)を持ってきたのも新しかった。えーじなども上で挙げた捕手の外見パターンには当たりませんが(チビっこいので)、寿也みたいな可愛い顔をした捕手というのは相当珍しいのでは(まあ近年はドラマや舞台でイケメンワラワラ系の作品が流行りなのでナイン全員美少年なんてマンガも私が知らないだけでありそうな気がします)。
捕手にがっちり頑丈そうなタイプが多いのは、やはり本塁クロスプレーに耐えうるような身体的打たれ強さが必要だからでしょうが、頭脳的なリードを主体に描くなら力や頑丈さに劣る美少年タイプでも十分ありなんじゃないですかね(上掲の小森なども美少年とはいえないものの小柄で華奢な方ですし)。そして華奢なキャッチャーを潰しにかかってくる敵をいかにかわすかに焦点を当てる。そんな野球マンガがあっても面白そうです。マスクをあげた時に「なんで女が出てるんだ」と敵に勘違いされるとか(←このネタは『MAJOR』の同人小説あたりにありそうな気がする)。
まあ寿也に関しては、顔立ちは優男でも体格は結構マッチョで作中きってのホームランバッターなんですが。いうなればスペックは山田、顔は里中。ともかくもこれまでの野球マンガのバッテリーの定番的絵面(ヒーロー系ハンサムの投手とずんぐり系捕手)を山田・里中コンビとはまた別の方向に変革したキャラだと思います。

 

もう一つ、着目したのがヒロイン・清水薫の立ち位置。普通アマチュア野球マンガのヒロイン―主人公と恋愛(未満)関係にある―というと野球部のマネージャーに収まっていることが多い。『タッチ』の浅倉南しかり、『H2』の雨宮ひかり+古賀春華しかり。好きな男を近くで支えたい、あるいはマネージャーとして近く接しているうちに恋愛感情が生まれた、というのは心情として自然だし、何より野球部に所属していないと試合や練習の描写が続く間の出番が制限されてしまうからでしょう。
ただ男たちが汗と泥にまみれてグラウンドを走りまわっている中、ベンチに座ってスコアなどつけている姿は、楽して男の側にもいられるいいとこ取りな印象を読者に与えかねない。本来マネージャーは激務だと思いますが、あくまで主人公は選手なわけでマネージャーの苦労にスポットがあたることはそうそうない(物語的にそう面白くならなさそうだし)。そもそも野球マンガの女子マネージャーの存在は絵面が男ばかりになるのを避けるための彩りという要素も大きいので、労働シーンを描くより小奇麗にしてベンチに“華”として置いておく方が都合がよい。・・・女性読者にはあまり好かれそうもないポジションです。

ところが薫が初めて登場するのは吾郎9歳〜のリトルリーグ編。中学高校の野球部と違いリトルなら女子が選手として参加できる。ゆえに薫は吾郎たちとともに泥だらけになりながらトレーニングに励み懸命に白球を追いかける。それも特別才能があるわけではない、むしろ運痴なのにもかかわらず誰より必死に努力を重ねる姿は女性読者にも多分に支持されたんじゃないでしょうか。
リトルに入った動機が“つい吾郎に向かって「野球なんてダサい」と口走ってしまった→野球をやったこともないのに先入観で否定したのを反省し自分の発言に責任を取るため”という、初登場シーン以来一貫している正義感から出ているのも、キャッチャーの小森がケガしたさいに周りが皆吾郎の剛球に脅えキャッチャーをやりたがらないのを尻目に自ら臨時の捕手に名乗りを上げ、吾郎とマンツーマンの必死の特訓を経てついにキャッチングを可能にしたのもポイント高いです。女子であるゆえにチームの中で特別な位置にあるマネージャーと違い、特別扱いなしで男子と一緒に、男子以上に汗と泥にまみれる薫は野球マンガのみならずスポーツマンガ全般におけるヒロインとしてはかなり異例で、それが彼女の最大の魅力となっているように思います。
(リトル編の途中で野球そのものより吾郎を好きな自分を自覚してしまうのはややアレですが。個人的にあまりグラウンドに恋愛色を持ち込んでほしくない気分があるので。私が水島野球マンガを好きなのはそのせいもあるかも。岩鬼の“夏子命”はあくまで刺身のツマみたいなもんですし)

中学以降はさすがに野球部には所属せずソフトボール部で活躍するようになる薫ですが、高校時代、またも捕手難に悩まされた吾郎のために、手を腫らしながらも練習試合で臨時の捕手を務めた(もはや吾郎の球はリトル時代とは比較にならないほどの剛速球に成長してるというのに)あたりは実にあっぱれでした。

(薫以外の野球マンガのヒロインでマネージャーではなくプレイヤーというと、思いつくのは『クロスゲーム』の月島青葉くらいでしょうか。彼女は女子ながら中学・高校で野球部に所属している変り種ですが、部員の多くが太刀打ちできないほどの野球センスを持ちながら当然公式戦には出場できないという悲しい立場にあります。青葉も男に媚びることなく誰より熱心に練習に勤しんでいる点で好感度高し。
ちなみにヒロインが男装その他の特殊な手段によって選手として活動してるケースなら『野球狂の詩』の水原勇気を筆頭に多々あるのですが、ここではヒロイン=主人公と恋愛(未満)関係にある準主役キャラの場合に絞っているので、ヒロイン=主役である彼女たちは取り上げませんでした。そういえば“野球やりたさに男に化けた”準主役キャラはさすがにいない気がする。水島先生描く『極道くん』の桂木薫や『男どアホウ甲子園』の“美少女”こと千曲ちあきが登場初期男のふりをして野球部に入ったくらいか。このレベルの事情を背負ってしまうともう準主役じゃ収まりませんからね。)

 

さて野球マンガ、というかスポーツマンガ全般はたいてい主人公と宿命のライバルの戦いないし主人公のチームが多くのライバルと戦いながらトーナメントを勝ち抜いていく過程―つまりは一つの特別な勝利か優勝かに焦点を据えるものだと思いますが、主人公の幼児期から三十代半ばまでを描いた『MAJOR』では、ライバルとの戦い以上に吾郎が三人の“父親”との関係を通して成長してゆくのを描くことがテーマだったように感じます。

まず実父である本田茂治。ごく幼い頃から吾郎は「おとさんのような野球選手になること」を目標とし、才能・実績の両面で客観的にはすでに茂治を抜いてからさえずっと茂治の背中を追い続ける。まだ6歳で、それも打者として絶頂期にあった父に死に別れたがゆえに吾郎の中で茂治は最高に格好いい男、永遠のヒーローとして位置づけられた。吾郎が大人になってからも実父を語るときに子供の頃と同じ「おとさん」という呼びかけを用いるのにも、茂治に対する感情が6歳の頃のまま固定されているのが滲んでいます。

ついで養父である茂野英毅。吾郎を実子同様に可愛がり、何かと無茶をする息子に呆れたりハラハラしたりしながらも基本的に吾郎の選んだ道を妨げることはしない。それでいて吾郎が煮詰まっているときには厳しくも大切な助言を与えてくれる。故人である茂治が「憧れとしての父」であるのに対し、英毅は付かず離れず「見守る父」と言えるでしょう。吾郎の野球人生において、中学・高校・W杯と要所要所で言葉やトレーニングを通して彼を支えてくれた影の功労者的存在であり、吾郎も彼を「親父」と呼んで実の親子と変わらない信頼関係を築いています。

そしてもう一人の“父”というべき存在がメジャーリーグの大エースであるジョー・ギブソン。日本でプレーしていた時期に頭部死球によって茂治を死に追いやった人物です。事件以来ずっと吾郎と桃子への贖罪意識を胸に、「本田の息子」の目標であるために、いつかプロになった吾郎と戦う日のために、40歳を過ぎても現役に固執したギブソン。吾郎は茂治の死の直後はギブソンを恨んだものの、リトル時代にギブソンの招待でアメリカまで彼の試合を見にいったのをきっかけに憎しみはすっかり消え、いつかギブソンと堂々投げ合って勝つことが吾郎の目標となっていく。
ギブソンが吾郎に対し一種父親的スタンスで接している(実子であるギブソンJr.が嫉妬するほどに)こと、吾郎が「ギブソンは死んでしまったおとさんの代わりに目標としている存在」といった発言をしていることからいっても、彼は「乗り越える対象としての父」と言ってよいのでは。「理想」の父、「支援者」の父、「ライバル」の父。三人の父と関わりながら野球人として着実に歩んでいった吾郎が、自身が「おとさん」となって父親たちから教えられた野球の楽しさをプレーを通して子供に伝えるところで作品は終幕を迎える。最後の数話が吾郎の家族(妻子と養父母)の話だけで、他キャラのその後は全く語られない(寿也でさえ新聞記事で成績が触れられるのみ)のも、『MAJOR』がまず第一に父子の物語だったからでしょう。


(2012年3月17日up)

 

 

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