高三春・土佐丸戦〜最終回

 

一年夏・二年春の甲子園大会で激闘を繰り広げ、全国大会最大のライバルのイメージがある土佐丸。最大のライバルかつ優勝候補の強豪チームであるゆえに、高二夏は弁慶学園のかませ役をやる(あの土佐丸に勝ったということで弁慶の格をあげる)はめになりましたが、満を持して?三たび明訓と戦うことに。

とはいえこの試合は大分評判が悪いようです。試合展開に省略が多く二度の名勝負に比べページ数があまりに少ないこと、前半、演技とはいえ土佐丸らしさのない腑抜けた試合をしていることがその理由かと思います。確かに他の出場校が打倒山田のために野球以外のスポーツを練習メニューに組み込んでいるというくだりで、主力選手である武蔵と犬神がのんきに釣りをしたりしている。釣りだってスポーツの範疇ではあるけれど・・・。そしてまるで迫力にかけた「やさしさ」野球。ようやく本気を出したと思ったら以降の試合描写はごく短くまとめられてしまった。土佐丸との試合とあって期待した面々には大いに肩透かしだったでしょう。

しかし最初はいかにも気の抜けたプレーで明訓の油断を誘うやり方は一年夏のキャッチボール投法に通じる。しかもキャッチボール投法が半ば遊びというのか、相手にハンデをつけてやってると言いたげな余裕を感じさせたのに対し、ここでは明確に「明訓ナインの体をだらけさせるため、だらけモードから急に殺人野球向けに切り替えるのは高校生には無理だから」という理由づけがなされている。過去の土佐丸らしさをちゃんと踏襲し、さらに「やさしさ野球」のメカニズムもきちんと語られる。話をコンパクトにまとめたのも一年夏の試合と描写がかぶるのを避けたものでしょう。ラスト武蔵のスライティングで山田がフェンスに叩きつけられる場面で、決勝戦まで長引くケガを山田に負わせたことで一応土佐丸・武蔵の顔も立ったようなものだし。各方向に配慮された、なかなかに上手く出来たエピソードだと思います。ただ9回裏まで本気を出さないのはさすがに遅すぎだろとは思いますが・・・。

この後の準決勝・決勝についてはもう(笑)。敵はチームそのものではなく準決勝においては暑さ、決勝においては寒さ。4月に雪が降るだけならときたま起こる現象ですが、真夏なみの暑さの翌日が極寒てのは・・・ほとんどギャグのよう(北海大三はよく酷暑の準決勝を勝ち抜けたものだという指摘を見たことがあります。確かに)。最終回直前でもありやっつけ感のある展開ですが、それでも部分的に目を見張るような場面があるのはさすが水島新司というべきか。

そして山田のホームランによるセンバツ優勝の余韻を残したまま晴れ晴れしく物語の幕を閉じるのかと思いきや、いきなり里中が中退するという超展開に。家が極貧とか母親が病気とかこれまで全く気配もなかったのに。水島先生いわく「最終回を盛り上げるエピソードとして、それがいいと思ったんでしょう」(詳しくは「里中智」の項参照)とのことですが、それこそアニメのラストのように次の大会を目指して練習に邁進する(ランニングする)明訓ナインという感じで終わってもよさそうなところです。
なのにあえて「別れ」を最後にもってきた。山田が、殿馬が、岩鬼がそれぞれの形で里中を見送る。里中も含めた四天王四人ともが笑顔で、それでも涙を浮かべている。ストレートな愁嘆場にはしなかったものの、あの里中が野球を捨てる――ものすごいアンハッピーエンドです。彼らが笑っているからこその乾いた哀しみがそこにはある。里中を欠いた明訓は次の夏の大会をどう戦うのか、それ以上に野球を離れ母の看病と借金の返済に追われる日々を余儀なくされた里中はこれからどう生きていくのか。想像力を掻き立てられずにはいられない(結果“里中が中退したままだったら”という設定の話を書いてしまったわけですが)。

思うに、ああいう形のラストにしたゆえに、無印最終回は読者、とりわけ里中ファンの心に傷を残したんじゃないか。完結から数年たって思い返したとき、たとえば『タッチ』ならごくさわやかな読後感がよみがえってくるのに対し、『ドカベン』はこの最終回のゆえに思い出すことに痛みをともなうというか。序盤から栄光と挫折の繰り返しで全体に暗いトーンだった『巨人の星』なら、あの最終回は来るべくして来た、読者にとっても心の準備ができていただけショックは少なかったろうと思いますが(もちろんさわやかな読後感にはほど遠いですが)、『ドカベン』の場合栄光に満ちた甲子園優勝の次の回で本当にいきなり、里中母が療養だとか中退だとか口にするのにまず唖然とし(数ページ前で山田のじっちゃんが“里中に加え渚もいれば夏の大会も磐石”だと発言した直後だというのに)、里中母子の会話が進むにつれてだんだん不安がふくれあがっていき、やがて「里中が野球をやめる」という最悪の事実を受け入れざるを得なくなり・・・という流れなので衝撃がハンパない。

けれどこの最終回だったからこそ、普通に春の甲子園優勝で幕を閉じていたなら存在しなかったろう情感・哀感が物語に加わった。部室で皆に別れの言葉をかけた後グラウンドに出た里中が「こうなってみると楽しい思い出ばかりだな」と口にするその瞬間に、ここまでの高校二年間の野球生活、『ドカベン』という物語が過去形に変わる。幸せは過ぎ去ってから幸せだったと気づくように、去ってゆく者の視点を通して、これまでの日々がかけがえのない輝かしい時間として記憶のアルバムに畳み込まれる。痛みをともなうラストであるゆえに、『ドカベン』は儚くも鮮やかな青春の物語となったんじゃないでしょうか。


・9回裏、これまでとは別人のように穏やかな野球(やさしさ野球)を展開していた土佐丸がついに本性を出す。山田のじっちゃんいわく「今までの土佐丸野球はこの必殺プレーの連続だった そのため明訓も心の準備をして試合にのぞめた しかしそれを忘れたころ突然 殺人野球をやってきたのだ だらけている体を急に切り替えろといっても これは高校生じゃあムリというものだ」。この作戦には結構感心させられました。
県内のライバルもそうですが、複数回戦っているチームは二度目、三度目の対決のときは前の試合の焼き直しにならないように何かしら新機軸を打ち出す必要がある。土佐丸の場合、高二春の二度目の対決のときはエースだった小次郎を監督とし、新キャラ犬神を出すことで一年次を超えるほどの名試合を生み出すことに成功した。対戦のなかった二年夏を飛ばして、三度目の対決となる今回、また新キャラを出すのでは二番せんじの印象を与えかねないところを、プロ入りした小次郎が監督でなくなった(新監督は誰だ?)ほかはメインキャラの異動はなく、プレースタイルの変更という形でマンネリ化を防いだ。他チームの練習光景が紹介されるなか、武蔵と犬神が並んでのんきに釣りをしているシーンからすでに他校の油断を誘うための大芝居がはじまったというのも深謀遠慮という感じで○。しかし二年春アイパッチしたまま対明訓戦=決勝まで勝ち進んできたことといい、土佐丸は本当明訓以外眼中にないんですねえ。牙を隠したままの土佐丸に負ける他チームも不甲斐ない気はしますけど。

・スパイクで蹴られて落球した高代が「岩鬼さんしかえしをしてよ〜〜」と岩鬼に甘える。岩鬼も「よっしゃよっしゃ」とそれに応じる。入部当初は岩鬼の横暴さに不満をこぼしたり脅えたりしていたのに、すっかり岩鬼になついて。頼ったり持ち上げたりすればすぐその気になって男気を発揮してくれる岩鬼の性格が読めてきたってことでしょう。高代見た目からして甘え上手ぽいですし。

・武蔵の思い切ったスライディングでフェンスまで飛ばされる山田。大ケガ必至といっていい場面なのに里中は「山田〜〜 落とすな 絶対落とすなよ〜〜」。「明訓の黄金バッテリー(1)」でも書きましたが、もう少し山田の体の心配も(笑)。山田の打球で子供がケガした時も、その子が危篤(だと聞かされた)というのに動揺する山田に「山田〜〜なにをうろたえてるんだ ゲームセットのフライだぞ」と言い放つ。観客のケガも山田のケガも目前の勝利に比べれば二の次三の次。この冷酷なまでの勝負へのこだわりっぷりもかえって里中の魅力だったりするんですが。

・準決勝のVS石垣島戦。エース具志堅は今から1億円プレーヤーと呼ばれている山田に嫉妬もあらわ。連載時(81年)の1億円は今よりもっと高額だったはずなので妬まれるのも無理からぬところですが、連載開始当初からその貧乏っぷりを繰り返し描かれてきた山田が金のことで恨まれるようになる日がくるとは。一種感慨深いものがあります。

・準決勝に勝利した明訓主力選手のコメントは山田(暑い分には肩の傷にひびかない)以外はとにかく“暑すぎる”“疲れた”のオンパレード。負けた石垣島より疲労度は高いと言われるわけだ。
しかし真夏の甲子園大会だって、明訓ナインはここまでのびちゃいなかった。急な暑さで体が慣れてないのをさっぴいても、40度近くあるってことですか?なのに翌日は雪ってどういうことよ。異常な猛暑で明訓はフラフラ、でも相手は沖縄出身のチームなので暑さに強い分アドバンテージがある、という設定は夏の甲子園でやれば自然だったのに。この春の大会で連載終了が決まってたから強引にエピソード入れちゃったのかなあ。

・かくて極寒の決勝戦。そんな無茶な(笑)。とはいえ寒さで手がかじかんでコントロールが定まらない里中とか雪に足を取られて転倒する里中とか(この試合里中のミスが特に多い)、普通ならありえないシチュエーションでの失敗が連続するのはなかなかの見もの。甲子園大会は真夏か春かなので、雪の中の試合というのは滅多にあるものじゃない(稀に春に大雪が降ることもあるので可能性ゼロではないですが)。そういう意味ではなかなか見所の多い試合でした。
基本的に北国のチームは雪で練習不足になるため春の甲子園は不利といわれているところを、雪ゆえに彼らが有利になるという展開は一種小気味良くもあったし、何より甲子園に雪が降る光景は絵としても幻想的な美しさがあった。前日が猛暑なんて設定でなければ“こういうこともたまにはあるさ”ともっと自然に受け止められたエピソードだと思うんですが。

・あまりの寒さに明訓ベンチには七輪コンロが。81年頃なら(作中時間なら76年だけど)ヒーターはともかく持ち運び可能な石油ストーブくらいあるだろうに。甲子園四期連続出場校なのにどれだけ予算出してもらえないんだ。きっと合宿所のお風呂もいまだに薪で炊いてるんだろうなあ。

・寒さゆえに体が温まらず連続エラーする明訓ナイン。一般的には最悪の、しかし相手チームにはその特殊性ゆえに有利な環境のために明訓がミスを連発する展開は夏のBT戦を思い出させます。

・相手ピッチャーの暴投を予測する里中。握ったボールに雪がかぶさるのに無頓着だったからきっとこうなると踏んでいたそう。里中の野球巧者っぷりを久々に見てなんか気分よかったです。劣勢の試合だからなおさら。
そして当然ながら里中は雪がボールにかぶらないように、細かい状況も気をつけながら投げていたということ。多少の腕の疲れではシップなど使わない、体のケアに無頓着ぽい一面で直接ピッチングに関わる部分にはしっかり気遣いしている。根っから投手なんだなあと感じます。

・寒さのために悪化した右肩に鞭打ってここぞのホームランを放った山田。この場面で空が晴れ渡り、過去キャラたちが顔のみ羅列されて山田の偉大さを称えるという・・・なんか宗教じみた演出。まあ無印最後の試合、最終回一話前ですからね。

・病気の母のために中退を決意し、旅支度で母とともに部屋を出る里中。なんだかもうこのまま家には二度と戻ってこないような雰囲気があります。この時点では里中母は肺の病気っぽいので転地療養するのだろうかと思いました。結局『大甲子園』で里中は明訓に復帰したわけですが、もし家を引き払ったのなら甲子園終わったあと帰る場所はどうしたんだろう。三年夏だからもう野球部は引退なわけだし。とりあえず特例でそのまま合宿所で生活?山田の家にでも居候?

・部室で皆に退学することを告げる里中。話を聞いた瞬間の皆の反応、里中がどんな顔でそれを話したのかは描かれていない。ただ沈痛な空気の中佇む一同と、その心情を代弁するようなナレーションがあるだけ。愁嘆場を細かく描かず、里中とチームの皆との短いやりとりの羅列で済ませた淡々とした筆致がかえって静かな哀しみを誘います。

・最後に、山田に一球受けてほしいと頼んで里中はマウンドに上がる。周囲の部員たちが皆ユニフォーム(練習着)の中、里中一人がタートルネックの私服姿。彼がもう明訓野球部の人間じゃないのだと示しているように思えて切ないです。

・「山田 判定は・・・・・・」「き 決まってるじゃないか ストライクだ 今まで受けた中で最高のストライクだ」。この時里中が投げた球種が何かは描写がないですが、おそらくはど真ん中のストレートだったんじゃないかという気がします。最後の一球、それも試合と違って打者との駆け引きは必要ないわけですから。

・音楽室で「別れの曲」を引き続ける殿馬の目にも涙。殿馬が涙を見せるのはこのシーンくらいのもの。ミーティングに出ずにピアノを弾いていてもそれが彼なりのミーティングだと評されていた殿馬。面と向かって別れを告げるよりもピアノに思いを託す、それが殿馬なりのさよならだったんでしょう。彼の涙は里中との別れが悲しかったのか、それともあれだけ野球を愛した里中が最後の夏を待たずに野球を離れなければならなくなった、その無念を思ってのものだったのか。

・元気よく皆に別れを告げて走り去ろうとする(背を向けたままだったのは涙を見られたくなかったからでしょう)里中を後ろから大声で呼び止める岩鬼。「里中 おまえはやっぱり小さな巨人やったで!!」。
これまでさんざん里中をチビだ虚弱児だと言ってきた岩鬼が初めて彼を「小さな巨人」と呼ぶ。本当はずっと前から里中のことを認めていたんだろうに、人を褒めることをしない岩鬼はようやくここに来て里中を正面から評価し、どんな時も常に頭から離さなかった学帽を餞別に投げてよこす。
水島先生は最終回が掲載された号(『週刊少年チャンピオン』1981年3月27日号)で、“読者に岩鬼の帽子の下はどうなってるのか質問を受けて以来、岩鬼が帽子を取るのを最終回にしようと決めていた”と話しているので、後から思いついた里中中退のエピソードに岩鬼の帽子取りをからめた結果がこの最終話になったのでしょう。大事な大事なトレードマークの帽子を里中にくれる――寂しさと衝撃の内に一抹の爽やかさを残してくれる美しいラストシーンだったと思います。
結局里中は夏の大会前に復帰するわけですが、この帽子は岩鬼に返還したんでしょうか。里中復帰時には岩鬼はすでに新しい帽子を使ってるので、そのまま里中がもらっといたと見るのが順当でしょうか。

 


(2011年9月17日up)

 

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