高二夏・甲子園後

 

初の敗北を経験し夏も半ばに甲子園から引き上げてきた明訓ナイン。そして夏休みの登校日、去年は新学期早々に行われた「男・岩鬼の大放送」が夏休みも半ばのこの日に行われる。この場面、岩鬼本人は無論のこと、ナインそれぞれの辛さ・悔しさが岩鬼の放送をきっかけに滲み出してくるのが(それがはっきり表現されてるのは里中と殿馬くらいですが)、読みながら何とも切ないです。

そして岩鬼の「土井垣のどアホ〜〜!!」発言から、土井垣がかねてからの約束通り明訓監督を辞して日本ハム入りする場面へと自然に繋げていく。それに前後して地元花巻を旅立つ太平新監督の姿が描かれる。この時点でまだ太平の素性は伏せられていますが、タイミング的に何かしら山田たちに深く関わってくる人物だろうことは察せられる。密やかな形で新旧交代が行われてゆきます。

この旧時代−土井垣明訓時代のラストを飾るのがプロ初打席に立った土井垣の代打ホームラン。それはプロ選手としての土井垣の華々しい出発の合図であり、同時に実況放送も言うように新時代を迎える明訓野球部の前途への祝砲でもある。この土井垣初打席―日ハム対南海の放送を、引退したばかりの三年も含めた野球部メンバーたちはそれぞれに彼ららしいスタイルのもと視聴しているのですが、もっとも印象深いのは殿馬。一人夜の海へと舞い落ちてゆく楽譜を見下ろす殿馬の表情は彼らしく淡々としているだけに余計胸に迫ってくる。「高二夏・弁慶戦」の項で書いたように水島先生は明訓を負けさせたのは失敗だったと思ってらっしゃるそうですが、岩鬼大放送からここに至るまでの場面に横溢する哀感・叙情性を描き出す機会を得たというだけでも、明訓敗北は正解だったように思えるのです。


・前年夏同様岩鬼が放送室をジャック。「あのシーンをもう一度」と題した甲子園最終戦(つまり弁慶戦)の模様を自賛モード全開(意外にも土井垣や殿馬、里中も一応ほめていますが)で学校中に流す。前回の放送の時と同じく、放送部員たちは縛られて部屋の隅にいる。前回放送の際に校長先生から付近の住人まですっかり放送を楽しんでいたので今年は咎め立てされず放送できそうなものなのに、やはり抵抗したのか放送部員。というより「放送室をジャック→放送部員を縛る」というのがもはや様式化してるような気がします(笑)。

・放送が流れる中、一人グラウンドでマウンド前を足でならす里中。次のページを見ると現在放送中の岩鬼以外の部員は皆(普段はミーティングの時に一人音楽室でピアノを弾いてるような殿馬でさえ)部室に集まっているようなのに。故障で休んでいた春季大会の頃に一人ランニングしてた時などもそうですが、里中は苦しい時ほどいつも一人でいるような気がする。『大甲子園』だと何かと山田と一緒のシーンが多いのですが、本来一人で黙々とトレーニングやリハビリをしてる場面の多い、どこか孤独感を感じさせるキャラですね。

・殿馬は部室のテレビ前に座り、岩鬼の放送を「づら」「♪♪」と気楽そうな顔で聞いている。その表情を見るかぎり敗戦のショックは感じられませんが、殿馬の方に目をやった三太郎は不思議そうに「テレビついてないのに」。何も映っていないテレビをじっと、楽しげに見つめている――殿馬が内心の葛藤をポーカーフェイスの下に押し込めていること、しかし動揺を抑えきれず不自然な行動を取ってしまっているほどにショックが深いことが三太郎の一言によって浮かび上がってくる。この場面があることで、後に殿馬が楽譜を海に捨てるシーンがより際立つことになります。

・ダブルプレーのくだりまできて声を失い、やがて吼えて泣く岩鬼。耳を傾けていた校長や夏子も涙ぐむ。グラウンドの里中は右拳を震わせ、放送部員も縛られたままで泣いている。自分たちを縛り上げた男にもらい泣きする――いい人たちだなあと何だかほろり。

・花巻を旅立つ太平(まだ名前も行き先も不明のまま。神奈川の数学が弱い学校に行くとしか明かされてない。まあ神奈川という時点で物語的に明訓なのは明白ですが)は、駅で一人渋民に帰る武蔵坊の乗った新幹線とニアミス。北から神奈川へやってくる太平と北へと帰っていく武蔵坊――一つの時代が終わり新たな時代が始まろうとする瞬間を鮮やかに切り取っています。

・ホームや新幹線内で武蔵坊や弁慶高校の名前が出ても太平は無反応。「明訓」の名称が出てないとはいえ、自分の赴任先とついこの間甲子園で大勝負を繰り広げた学校について何も知らない。太平がいかに(高校)野球に疎いかがこの数ページでわかります。正確には武蔵坊の名前は息子から聞いて知ってるはずなんですけどね。

・夏の大会敗退をもってここで三年生は引退となる。それぞれの思いとともに野球部に別れを告げる三年生たち。(前)キャプテン山岡は「しかし強かったなおれたちは・・・・・・ いいかもっともっと強いチームにしろよ」と涙ぐんだ笑顔で合宿所を振り返る。この「強かったなおれたちは」という言葉に彼の自負心や野球部への愛着が滲み出しています。

・音楽室のピアノを指先でちょっと二音ほど押さえて蓋を閉める殿馬を戸口でそっと見守る北。頭のいい北だけに、ピアノをわずかに鳴らした、そのくせちゃんと弾こうとはしなかった殿馬の真意―ピアノとの決別―を正確に察していたものと思います。春の大会の時の捻挫が治りきらずにせっかくの甲子園大会に出られないまま引退を迎えた北は、やはりケガのために実力を発揮しきれなかった殿馬の無念を我が事のように理解していたのでは。

・日ハム対南海の試合で入団から間もない土井垣がピンチヒッターに起用される。土井垣と時を同じくして南海に入団していた小次郎は「向こうっ気の強い土井垣の性格からして初球から打ってくる」と推測する。ずっと土井垣をライバル視し続けた小次郎ならではの観察眼。

・明訓ナインはOBも含め、皆それぞれの場所で練習したり勉強したりしながらも日ハムとホークスの試合をテレビやラジオで見聞きしている。この時、東郷学園の小林もテレビ観戦している姿が描かれている。一人明訓メンバー(+関係者)にまじって紹介されるという特別待遇(土門と吾朗が球場で観戦してるらしい姿もラストにちょっと出てくる)から、彼が今後の明訓にとって県内最大のライバルになるだろうことが察せられます。・・・結局肩透かしに終わったわけですが。
ちなみにこの一連の場面、今川が普通に自室で勉強している=ちゃんとした部屋にいるのに驚きました。初めて合宿所を訪れたさいに「畳だ畳だ」と大喜びし、畳目当てで野球部に入ったとしか思えない態度からてっきり宿なしなんだと思ってたので。そもそもどういう家の子なんだ今川。

・土井垣のプロ初打席代打ホームランはめったにない2P見開きで描かれている。重要な試合の重要な局面で山田や岩鬼のホームラン性の当たりを2p見開きで描くことがたまにある程度なのに、直接明訓に関係のないプロ野球の試合がこの扱いの大きさ。実況のいうように、土井垣のキャリアがどうより、前明訓監督が部員たちに送った一発として捉えられるべき一打だからでしょう。

・土井垣のホームランをそれぞれに喜ぶナインたち(なぜか小林も喜んでいる。知り合いの多い明訓に対して多少贔屓めいた感情が働くのか)。岩鬼もハッパに花が咲いているので、普段憎まれ口きいても土井垣が好きなんだなとわかります。

・海沿いの高台?に一人佇む殿馬。海へ向かって舞い落ちる数枚の楽譜。殿馬は音楽と野球の間で悩んでいる時いつもこうやって一人海へやってくる。一年夏の甲子園大会前しかり、二年春に留学の話が持ち上がった時しかり。そして楽譜を投げ捨てた(捨てる場面はないがそうとしか解釈しようがない)今回は、はっきり音楽を捨てて野球を取ると決めた、音楽への未練を断ち切るための儀式を行うべくここを訪れた。
ここまでずっと二足のワラジでやってきた殿馬ですが、高二春土佐丸戦のさいの回想によってピアノのために指の股を切る手術までした殿馬の音楽への情熱をつぶさに知った読者は、明訓の名セカンド殿馬を愛しながらも「すっぱりピアノを捨てて野球を取れ」とは言えなかった、むしろいつか殿馬が野球をやめてピアノへ帰ることを覚悟してきたのですが、明訓初の敗戦をきっかけに殿馬は野球の方を選んでくれた。
おそらく殿馬は敗戦の責任が多く自分にあると思ってるんじゃないか。右肩のケガで体調が万全でなかったゆえに秘打で得点に貢献することがあまりできず、弁慶戦ラストの悪送球で結果的に義経の八艘とびを許してしまった。負けたまま引き下がれない、敗戦の責任を取るためにも全力で野球に取り組もうとそう心を決めたのでしょう。
殿馬のピアノに対する想いを知る読者にとっては彼の選択が有難く、それゆえにピアノと決別した殿馬の心情を思うと胸が締め付けられるような心地がします。たった一コマ(数ページ前に楽譜を抱えた殿馬がたたずむコマもありますが)で台詞もないままに殿馬の心持ちを見事に表現してのけた、『ドカベン』全体を通しても屈指の名シーンだと思います。
これ以降、高校時代を通じて殿馬が音楽に戻ろうとすることは二度とありません。『大甲子園』では某学校のピアノを借りて練習していますが、これとて室戸戦で狂わされたリズム感を取り戻して次の試合に備えるため。もはやピアノは殿馬にとって野球のための練習道具となっているのがわかります。


(2011年5月13日up)

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