高二夏・白新戦

 

かの「ルールブックの盲点の1点」で名高い名勝負。それ以外にもケガをものともしない殿馬一人舞台、「ハエが止まる超スロ〜」と評された不知火の超遅球、審判が心臓発作で倒れ捕球がノーバウンドかワンバウンドか判別がつかないなど、よく一試合にここまで詰め込んだというほどの盛りだくさんっぷり。
『ドカベン』で好きな試合は数あれど、『ドカベン』という漫画を知らない人にどれか一試合だけ紹介するとしたらこの白新戦を選びます。『ドカベン』という作品の大きな特色であるプレー中に起こった予想外の事態がルールに照らしてどう決着するのか≠フドキドキ感が、郷審判の発作と「ルールブックの盲点」の二つのエピソードで十二分に描き出されているので、他の野球マンガとの違いを知ってもらううえで最適かと。

そしてこの試合を魅力的なものにしている大きな要因が前年からさらにパワーアップした不知火の存在でしょう。里中が白新を偵察にいった時に山田を封じるための方法を真剣に思いつめ何事かを発見したらしかった不知火は、里中に大言を吐いただけの実力を見事に見せつけてくれた。
速球投手・不知火のイメージとは対極にある超スローボールという意表をつく新球であの山田を完全に翻弄、終盤(不知火からすれば不本意としかいいようのない方法で)一点をもぎとられるまでは完全試合。一年の秋季大会では九回裏まで登板せずその後山田に満塁ホームランを打たれたりと、ピッチャーとしてよりバッターとしての活躍―九回表に代打で出たときのホームラン―が際立っていたので、久々にエース不知火の凄みを見せられた感じです。
不知火自身も右腕を天に向かって突き上げるポーズを取ったり超遅球を「風にのったたんぽぽの綿毛のような」と形容したりと実にノリノリ。実況までが「グラスファイバーのような下半身のバネ 相手をのみこむ大きなふみだし みよ〜〜弓のようにしなう腕」「おお〜〜っ不知火守 右腕を天に向かってつき上げた 黄金の腕がシャク熱の太陽にキラリと光る」とすっかり不知火びいき。とどめが呆然の面持ちで里中が呟く「山田 これが地区予選の相手か・・・・・・」。不知火のすごさがこれでもかとばかり強調される。彼こそがこの試合の影の主役と言っていいでしょう。

ですがその一方で意外なほどこの試合不知火はやられっぱなしでもあるんですね。投手としては山田をほぼ完璧に抑える活躍ぶりなんですが、監督としては殿馬集中攻撃作戦のために無駄に味方のアウトを量産し(不知火以外の選手でさえポンポン二塁に狙い打ちできるんだから打たされてると気づけよ)、打者としてはホームラン級の打球を放ちつつも岩鬼・三太郎の大ファインプレーに(あんな形で)阻まれ、劇的な形で決勝点をもぎ取られ、対戦投手の里中にノーヒットノーランをやられてしまったという・・・。山田のじっちゃんの「しかしこの投手から一体明訓はどうやって点をとるというのだ」というモノローグがありましたが、「この投手」から作戦勝ちで一点を取った山田はすごい、というのを言いたいために不知火の強さをあれだけ際立たせたのかとも思います。


・ハイジャックによる軟禁状態から無事帰還したばかりの殿馬に、容赦なく地獄のノックを浴びせる土井垣。数日間飛行機に閉じ込められ、あげく利き腕に銃創を負っている(しかも小林ともどもハイジャック犯を取り押さえた結果の名誉の負傷)のにいくらなんでもひどくないか?あの名手殿馬が全くノックを取れないのだからよくよくダメージが大きいんだろうに。
記者たちが言う通り、山田はケガ人、里中は負傷が癒えたばかりという状況で、「秘密兵器」殿馬も使い物にならないとあって土井垣が荒れる気持ちもわかるけれど。息を切らしながらノックする土井垣の表情に彼の精神的追いつめられっぷりが顕わです。監督・指導者としては動揺が表に出すぎるのが彼の弱い部分ですね。この青さにこそ土井垣明訓時代の魅力があるわけですが。

・ついに練習終了を宣言した=殿馬を諦めた土井垣に対して「土井垣め ついてこれねえとは意外とスタミナねえづらぜ」と内心思う殿馬。しかしこれは本音じゃないでしょう。自分の方こそもうボロボロなのも、全くボールを取れない自分に土井垣がサジを投げたのも聡明な殿馬は当然わかっているはずだから。この台詞(心の声)は日頃何でもスムーズにこなしてみせる、こんな無様な姿を他人にさらした事のない殿馬の悔しまぎれだったんだろうと思います。日頃は「キャプテン」とか「監督」とか呼んできた(目上にも全く敬語を使わない殿馬としてはかなり丁寧な態度といっていい)土井垣を、内心とはいえこの時ばかりは呼び捨てなのも「悔しまぎれ」だからこそでしょう。

・部屋で学習机になかば頭をもたせるようにして寝転がっている殿馬に、部屋に入ってきた岩鬼が声をかける。「どうだい殿ちゃん 傷の方は?」「死にそうづらぜ」。殿馬は強がらずむしろ弱がってみせるが、口ではそう言いながら岩鬼が出て行くとすぐに痛む体をひきずって室内練習場へと向かう。
淡々としたその表情にはケガを押して特訓におもむく健気な俺≠ノ酔う気配など微塵もない。「死にそうづらぜ」という強がり・カッコ付けとは対極の台詞も、悲劇のヒーロー気分に浸ることをよしとしない殿馬の美学のようなものを感じます(試合中ずっと「あちい〜〜」とアゴを出しまくってたのにも)。ところで『大甲子園』第二話では岩鬼と殿馬は同室でしたが、ここでは岩鬼が外から部屋に入ってきてまた出て行っているのでこの時期(高二夏)は同室じゃない様子。

・室内練習場で一人よれよれになって座り込んでる殿馬のまわりに無数のボール。画面奥に投球マシン。窓の外に満月。殿馬の練習着の首回りからのぞく包帯。見開き2ページを丸々使った一コマ絵に夜に一人で猛特訓を行っていた#゙の状況が集約されている。ただ一コマで全てを表現し、殿馬の心情は何一つ語られない。殿馬特有の無言の格好良さがひしひしと胸に迫ってくる。殿馬がらみで一番好きな場面の一つです。
同時に殿馬の特訓の内容はなんだったのか納得のいく成果が得られたのかは謎のままで、翌日の試合の中でこの特訓がどのように生かされるのか読者の興味をうまく煽っています。

・夏子を思い「わかってます 愛のキューピッドにのせておとどけしまっせ〜〜」とデレデレ顔の岩鬼。彼の脳内キューピッド=ボールに乗ってる羽の生えたミニ岩鬼がさらっと描き込まれている。全裸なのに帽子とハッパは着用+ちゃんとついてるところがツボですね(笑)。

・不可解な山田の配球に内心首をかしげた里中ですが、「こい里中」と圧力をかけられ「わ わかったよ さからいませんよ」と苦笑。けっこう恐妻家な。暑くて争うのが面倒だったにもせよ、里中が山田のリードに大人しく従ってると何となくホッとします。明訓が大ピンチに陥るのはたいていこのバッテリーがうまく機能してない時ですから。

・打球の行方を追って走っていた審判が倒れてしまい捕球がダイレクトかワンバウンドか判定不能というとんでもないアクシデントが。少し前の『この猛暑がまったく信じがたいプレイを生んだのである』のナレーションの時点でこの展開を予想した人はいたのだろうか。打球を追って走る郷審判がぜえぜえ息を切らしてる姿をさりげなくコマの中に描き込み、白新側の観客席とレフトの三太郎の間でダイレクトかどうか言い争う場面を引っ張っておいてページをめくると審判が倒れているという構成の上手さがこの衝撃の場面をさらに盛り上げています。

・三太郎の捕球がワンバウンドかどうか延々議論するその推移を一話分かけて描く。現実にこういう事態が起こったときってどうするんでしょうね。考えてみれば攻撃の間はランナーに出なければベンチで休める選手と違って審判はずっと炎天下にいるうえ、年齢的にも体力の一番充実した時期は過ぎている。体にかかる負担は選手以上なのでは。実際に起こったとしても不思議のない事例ですよね・・・。

・郷審判の判定のあと、殿馬もダイレクトキャッチの現場を見ていたことを明かす。読者としては、発作の苦しみを押して判定のため起き上がってきた郷審判の職業意識の高さに感銘を受けつつも、判定直後にまた倒れてしまうような状態だけに「本当にちゃんと見たのか?意識を失う直前にそんな余裕あったのか?」と疑惑が残ってしまうところを、この殿馬発言がフォローする。二塁なんて遠い位置にいた殿馬にその役が振られるのは、殿馬が持っている「こいつが言うなら間違いないだろう」という安心感ゆえでしょう。本当にこの試合殿馬の独壇場ですね。

・ベンチで生着替えする里中。テレビに映っちゃうんじゃないか?脱いでるのは上半身だけだから見られても困らないという認識なのかもですが、テレビの向こうの女性ファンがさぞ黄色い声を張り上げたことだろう。

・不知火最後の打席を、不知火のお株を奪うスローボールで三振に取る里中。最初に速い球(自身が剛速球投手の不知火に速いと思わせるのだから里中も大したもんだ)を投げさせ、二球目三球目とスピードを落としていく山田のリードが冴えています。ここであえて里中得意の変化球でなくスローボールで決着をつけたのは超遅球に翻弄されっぱなしだった山田がリードを介して意趣返ししたようなものですね。
里中のスローボールにハエが止まりそうで止まれない描写は、超遅球ほどは遅くない、不知火のスローボールのほうがより優れている(不知火はあの球を投げるために猛練習を積んだわけで一日の長があって当然、というかそうでなきゃ立場がない)ことが一コマで示されていてナイスです。

・不知火の後に打席に入る5番川又は実況に『正直後続の打者を考えると里中のノーヒットノーラン勝利はほぼ確実』などと言われ、バットを握る本人もいかにも青ざめている。ここがちょうど連載の区切り(文庫版では巻の区切りでもある)なのもあって、読みながら「・・・終わったな」と思いました。その後に不知火が繰り返し「ネバーギブアップ」と言ってたり南海権左が現れたとたん山田がまさかの凡エラーをしたりとかありましたが、個人的にはこの場面で試合終了でした。

・ところで試合の終盤、↑で書いたように不知火がやたら「ネバーギブアップ」と言ってますが、この年(対白新戦が連載された78年)公開の角川映画『野生の証明』のキャッチコピーが「ネバーギブアップ」だったとか。要は当時の流行語を取り込んだ時事ネタだったんですね。

 


(2011年3月25日up)

 

 

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