高二夏・弁慶戦

 

ついに来た明訓唯一の敗戦。決勝戦でなく二回戦というのがまた自然な感じです。山田たち四天王が入学以来ずっと無敗を続けてきた、そして二年夏ごろには異常なまでの人気を誇っていた明訓だけに、ナレーションも言う通りその敗北はすでに大事件。それも作中の話というだけでなく、連載当時スポーツ新聞に「明訓敗れる!」の文字が躍ったとかなんとか。『あぶさん』もそうですが、往年の水島漫画がどれほど野球ファンに浸透していたかをうかがわせるエピソードです。

さて、この(『ドカベン』ワールド的に)球史に残る一敗を明訓に与えた弁慶高校とはどんな学校か――一言で言えばまあキワモノですね。岩手から甲子園まで歩いてくるわ仙人(選手たちのお師匠?)が試合中に角笛吹くわ神通力で打球のコースを変えるわと、異常行動と異常能力のオンパレード。
さすがにいつまでも勝ち続けるというのもリアリティがない、どこかで明訓の敗北を描く必要があるが果たしてどんな敵ならあの山田を倒せるのか・・・と考えた結果生まれたのが弁慶高校であり武蔵坊だったそうですが、裏を返せばあのくらい人間離れした相手でないと明訓には勝てないということなんでしょう。
(もっとも地区予選決勝の横浜学院だってあくまで正攻法でありながらもう一歩で勝てるとこまで明訓を追いつめていますが。県内のライバルでなかったら明訓に土をつける役割は土門・谷津バッテリーが担っていたかも)

しかしいざ蓋を開けてみれば武蔵坊の神通力はさほど前面に出ず、あるいは吉良戦の段階でやはり神通力めいたものをのぞかせている殿馬と相殺される形で、比較的「まとも」な試合が展開されることとなりました。もし神通力使いまくりだったらこのエピソードは名試合とは呼ばれ得なかったでしょう。この試合が読者の心に強く残っているのは明訓唯一の敗戦だからというだけでなく、まぎれもない名勝負だったからだと思います。

本当なら全打席敬遠したいくらいの強打者・武蔵坊をいかに打ち取るか。その打席ごとに岩鬼の武蔵坊への思い入れや高一夏東海戦で一度使ったきりの「幻のフォーク」や敬遠球をホームランなど印象深いエピソードが描かれる。そして明訓にとって致命傷となりかねない打球を何度も止めてのけた殿馬と、殿馬を警戒する武蔵坊。殿馬の天才ぶりは万人が認めるところですが、山田以上に殿馬をマークした敵というのは武蔵坊くらいなのでは(不知火も殿馬を苦手にしていますが、さすがに山田以上にマークすることはない)。

そしてなんと言っても武蔵坊最後の打席に始まるクライマックスの盛り上げ方。悠々アウトに出来るはずのところをショート石毛の送球が一塁ランナー武蔵坊に当たるという椿事(ボールの軌道を変えられる武蔵坊の力を思えば、これは武蔵坊が自らにボールを当てることでホームを目指す義経をアシストしたということですね)が起きる。
この武蔵坊の顔面にボールが当たる瞬間と、山田のタッチをよけて義経がひらりと舞い上がるシーンはまさにハイライト。特に後者は『義経とんだ〜〜!八艘とびだ〜〜!!』という実況の台詞が迫力・臨場感を倍増させている。「義経の八艘とび」「武蔵坊(弁慶)の立ち往生」と、かつては日本人なら知らぬ者とてなかった源義経がらみの逸話をうまくオーバーラップさせたのが見事な効果を生んでいます。

水島先生いわく「『ドカベン』で唯一の後悔は、明訓に一敗させたってことなんです。少年漫画なんだから、常勝でよかった。でも、リアリティを求めすぎて、どこかで一敗させないと、と思った。そんなとき、弁慶高校の武蔵坊と義経というキャラクターが生まれて。彼らなら、明訓に勝てるという気がしたんです。」(別冊ダ・ヴィンチ編集部編『いよいよ最終回!』)だそうです。
確かにこの弁慶戦あたりをピークに『ドカベン』の人気も下がってゆき、アニメも弁慶戦敗戦をもって終了しています。しかし、だからといって明訓が負けたから読者が離れたということではないと思うのです。おそらく明訓敗北によって土井垣監督が去り太平監督に代わったのをきっかけにそれまでと作品の方向性が変わったことが直接の原因だったのではないかと。以降無印『ドカベン』にこれといった名試合がないのも同じ原因に基づくんじゃないでしょうか。このあたりは項を改めて書く予定です。

 


・個人的にこの試合で注目したのが里中の投球フォーム。里中のフォームと言えば『大甲子園』1巻で図解されるアンダースローらしからぬ左膝が胸まで高々と上がるスタイルが特徴。これは水島先生自身が明言するとおり元阪急のアンダースロー・山田久志選手のフォームがモデルになっている。
しかし初期の里中は明らかにあまり足を上げないアンダースローらしいフォームで投げています。それが山田久志型のフォームに変わったのはいつからか。明らかにそうと見極められたのがこの弁慶戦でした。作中では特に里中のフォームが変わったことに触れていないので、ストーリー的な必要性があったわけではなく、単に水島先生がその方が格好いいと思った結果の変更なんでしょうね。たしかにダイナミックさと優美さを兼ね備えたこのフォームはつくづく格好いい。里中のフォームが華麗と形容されるようになったのもこの頃からじゃないかと思います。
(たぶん最初に「華麗なフォーム」という台詞が出てきたのは高二夏東海戦で復帰した直後だったような。すでにこの時点でフォーム変わってるのかも。リリーフで数球投げただけなのではっきりわかりませんが。白新戦も微妙なところです)

・ランナー二塁で武蔵坊の初打席を迎える。敬遠じゃないと知って山岡は不安を覚える。土井垣内心「たしかに常識的には武蔵坊は歩かせだ・・・・・・しかし初回のここはちがう この弁慶高校は土佐丸と同じく明訓に対し 攻撃的なチームだから攻撃的に立ち向かってこそ勝機がひらける 攻撃は最大の防御だ ここをおさえるか打たれるかはそれはこの試合の明暗を分ける・・・・・・」。隣で渚も「勝負勝負」と思っている。二人とも好戦的。
そういえば土井垣が里中に敬遠を指示する場面は(最初にバッテリー組んだとき以外では)戦略として塁を埋める場合以外ほとんどない気がする。土井垣の里中に対する信頼を感じます。
里中とは好戦的という点でも引き合うものがあるのかも。岩鬼の落球でファールになったあとも「勝負だ!!打たれようがどうなろうがここは結果をおそれず真っ向勝負だ!!」と言ってますしね土井垣さん。一つには多少打たれても山田が取り返してくれるという、山田に対する信頼もあるんでしょうが。

・武蔵坊の打った球はサードフライに。普通なら難なくとれるはずの凡フライですが、母を助けてもらった恩義を思い返した岩鬼はとっさに動きが鈍り球を落としてしまう。
母の一件以来すっかり武蔵坊に心酔してしまい土井垣たちを心配させた岩鬼ですが、その不安がまさに現実になった。『プロ野球編』でも岩鬼は打者に対する同情(自分が打者のときには投手に対する同情)からわざと手を抜くことがあり、つい闘争心を削がれたならともかく意識的に手心を加えるのはプロとして(アマとしても)どーなのよと思うことしばしばなのですが、この対武蔵坊のケースはとっさに金縛りにあったような描写でしたし(本人はわざとのような発言をしてるので確証はありませんが)、母の命の恩人であるだけにまあ無理もないかと納得できます。
あえて岩鬼を、その母まで罵倒することで岩鬼の戦闘意欲を取り戻させた武蔵坊の振る舞いも実に男らしく立派でした。

・坂田は優勝旗の金紗を売った金で支払うからと医者をくどいてお鹿ババアを入院させる段取りをつける。それに対してババアは反発。「アホかおまえは そんだけかせげるちゅうのになにも医者に銭つかうことあらへんど」「なにぬかしとんねん おれかてこんないい銭もうけを医者代につかいとうはないわい けど死ねば葬式代の方が高うつくわい 犬やネコのように捨てるわけにもいかんやろが」「アホっ だれが捨てるか 犬ネコの汁は最高にうまいで」「おにばばあ」。
本当は心配でならないくせに「葬式代の方が高くつく」とあえて憎まれ口を叩く坂田も、そこから「犬ネコの汁は最高にうまい」と話をスライドさせてしまうお鹿ババアも芯から相手を思いやっているのが伝わってくる。ここでは体調を崩してたお鹿ババアですが『プロ野球編』でも元気で生き延びていたのに、坂田のためにもホッとしました。

・4回裏、ファールで12球もねばる武蔵坊。13球目何を投げさせるか悩む山田。「う〜〜んこんな時に渚のようにタテのカーブがあったらな・・・」。これはタテに大きく落ちる球、つまりフォークを投げることの伏線ですね。
しかし渚にそんなカーブがあったとは初めて聞いた。これが春季大会のあと土井垣に言われて身につけた(んだろう)変化球なんですかね。渚は東海戦以降はあの吉良戦しか登板してないのでなんとも。

・↑の直後、土井垣「こんなピンチにたった一つの光明は・・・・・・・・・それは山田だ 里中の信頼しているということだけだ(←ヘンな日本語) 里中いかなるサインでも思い切り投げろ」殿馬「よぉ山田よぉ めんどくせえづらからどまん中ストレートいけづら」との二人の発言を並べておいて、山田がサインを出す。
フォークの伏線を張ったあとに殿馬発言で投球予告お返しのどまん中ストレートと思わせ、里中がフォークを投げるときに特有のオーバースロー(一度だけ一年夏東海戦でオーバースローからフォークを投げている。水島先生よく覚えてたなあ)から読者の目をそらさせる(オーバースローだからフォークだと読ませない)演出が上手い。

・山田は一応打ち取ったとはいえ裏をかいたはずのフォークを打たれたことに愕然。「もう武蔵坊を攻めるタマはない・・・・・・」。武蔵坊は武蔵坊で自分が打つ前にコースを予測して動いた殿馬に愕然。この時点で殿馬>武蔵坊>山田という型が出来ています。

・里中この時点で打率3割2分だそう。明訓には山田や殿馬がいるぶん相対的に目立ちませんが、相当な好打者じゃないか。普通ならチーム1の打率でもおかしくない。さすが『大甲子園』で「ミートのうまさではチーム一」とか言われてただけある。

・里中セーフティで出塁。この時義経が投げる直前に武蔵坊が里中がバント狙いと気づいて注意を喚起している(結局声援にかき消されて聞こえなかったためにバントはまんまと成功するわけですが)。殿馬は武蔵坊がバント狙いを見破ったのに気づき「たいしたやつづらぜ」と誉める。このシーン、バント狙いを見抜く武蔵坊のすごさと、そのすごさを見抜く殿馬のすごさの両方を際立たせています。

・義経の打席。観戦している犬飼小次郎は内心に「小さな巨人か・・・なるほどさすがによくもつぜあのチビ この犬飼小次郎や弟の武蔵 そして犬神の土佐丸に勝ってきた里中だ こんな義経ごときに打たれるわけはねえぜ いいフォームだ ボールの切れも最高 義経なんかに打てねえ!!」と思う。
最初はチビ呼ばわりだから里中を揶揄してるのかと思ったら、もう大絶賛。一年夏の甲子園以来小次郎の里中評価は常に高いですが、このシーンは「里中ファンですか?」とツッコみたくなるくらい。
しかし「土佐丸に勝ってきた里中だ」というけど義経だってその土佐丸に勝ってきた点は一緒。同じように土佐丸を破った相手でも里中は認めて義経は「ごとき」「なんか」なのは何なのか。投手義経は認めても打者義経はさほどでもないというのか、あるいは自身が直接対戦したかどうかの差なのかも。
しかし「義経なんかに打てねえ!!」ってあれだけ強調しながら結局三塁前ボテボテのゴロとはいえ打たれ、しかもぎりぎりファールライン切らずにヒットになっちゃいましたね・・・。

・さすがにここでベンチから武蔵坊敬遠の指示が出る。里中も不満な顔を見せず敬遠の球を投げる。里中が敬遠を命じられた時は大体ロクな結果になってないのですが。
そんな里中に「おい里中 野球にゃ便利なルールがあっていいな」と挑発的に笑ってみせる義経。思えばこれは相当にこたえる発言ではある。「野球にゃ」という表現に表れているように、義経・武蔵坊ら弁慶野球部の面々は野球は最近はじめたばかり、本業は山伏の方なのです。なのにど素人に近い武蔵坊に甲子園連続優勝校のエースが逃げ腰なのか、と、ことさら里中のプライドを傷つける言葉を選んでますね。
それでも少なくとも表面的には動じない里中ですが、結局は敬遠の球をなんと逆転ツーランにされてしまう。もはやどう投げてよいのか。里中・山田バッテリーと一緒に読者の側もハラハラしまいます。

・9回表、ツーツーから5球ファールでねばる里中。「必ず出てみせる」との決意にふさわしいねばりですが、6球目、「ストレートどまん中だ 打て 打つんだ 絶好球だ 打て〜〜」と自らに言い聞かせてるにもかかわらず金縛りにあったかのようにバットを振りもしない。
『ああ〜里中手がでなかった あまりにも予想外のどまん中に かえってびびったか それにしても里中見送りとは』。まさか最後の一球は見送りなんてオチがつくとは。あの強気な里中が呑まれてしまった。ものすごい敗北フラグです。

・山田が「里中気にするなそういうこともあるさ」と声をかけますが、里中は「くそ〜〜」と叫んでバットを地面に叩きつけようとする。そこへ土井垣が声をかける。「くやしがるのはゲームセットの後だ」「は はい」「まだ試合は終わってはいない」「はい」。里中はここでちょっと安堵したような笑顔になる。
山田が励ましても気持ちが収まらなかった里中が土井垣さんの言葉には素直に従った。単に相手が監督だからというのでは説明できない安堵の表情で。里中の土井垣に対する信頼と尊敬が滲んでいるようなシーンです。

・大歓声のプレッシャーの中、平然とホームラン打つ山田。ついに明訓同点に。ピンチにも呑まれることがない、やはりここ一番の度胸はすごいです。里中三振でたちこめた暗雲を山田の一打が吹き飛ばした。そんな爽快感と安心感があります。

・9回裏義経のレフトへ抜けるライナーを三太郎が止めるもグローブが地面についたためセーフ、義経一塁に。しかしシングルにとどめたのは三太郎の功績。
このプレーを見た小次郎は内心「里中の執念が三太郎にのりうつってのあの好プレイ」。この場合あまり里中の執念は関係ない気がするが。ほんと里中びいきなんだよなあ。

・武蔵坊最後の打席。堂々勝負に行かせた土井垣は「一球入魂のタマならそうは打たれるものではない」と内心に思う。実際に打たれてなお「一球入魂のタマならそう打たれるものではない!!」と再び言い聞かせるように叫ぶ土井垣。里中の底力を、山田のリードを信じたい、という必死の思いが伝わってきます。

・武蔵坊の一打を殿馬がジャンピングキャッチ。球の威力におされ落球したためにアウトにこそならなかったが見事長打になるのを防いでのけた。ここで武蔵坊が一塁に出たことが後の運命のプレーへ繋がっていきます。

・安宅のピッチャー返しが里中の股間を抜ける。フィールディングも巧みな里中が止められなかったのが意外。前の打席で見逃し三振した時同様、ここぞの場面で固くなってしまったんじゃないか。
試合に負けるときというのはこの手の失敗がいくつも重なったりするものなので、試合後半での里中らしくない失敗の数々はまさに明訓が敗れる日がきたか、という感じ。

・殿馬の送球を受けつつそのままタッチにいくため前方に出た山田の頭上を飛び越える義経。結局振り向きざまタッチに行った山田より義経の手のほうが早く弁慶が1点取って勝利となる。
明訓敗戦の瞬間ですが、“ホームまで届かない送球をキャッチするのに山田は前に出てそのままランナーにタッチしようとする”流れは明訓初の甲子園大会優勝を決めた前年夏の決勝・いわき東戦を思い出させる。あの時はいちかばちかの突っ込みが功を奏し見事ホームベースを死守した山田ですが、今度は義経の常人離れした跳躍力(弁慶高校のエースの名が義経なのはこのシーンのためだったのか!)を前にホームを奪われてしまった。かたや初の優勝かたや初の敗戦・・・山田のプレーの類似性を通してそのコントラストを際立たせる演出は見事。

・ちなみにこの一連のプレーの発端は殿馬の送球が右にそれたことにある。ランナー武蔵坊にぶつかったボールを急遽キャッチしてのバックホームなので悪送球というには気の毒ですし、実況ふくめ誰も殿馬を責めはしませんでしたが、BT戦の時にたびたび強調された“殿馬の肩はまだ治っていない”(里中に言わせれば重傷)のがこの送球に表れたのでは。この弁慶戦、たびたび神業的守備でチームの危機を救ってきた殿馬が最後の最後で悪送球――上で挙げた里中のらしくないエラーともども明訓は敗れるべきして敗れたと感じさせる場面です。

・義経八艘とびのシーンで「死守だ山田〜〜」と叫ぶ小次郎。里中びいきなばかりでなく、心情的に完全に明訓寄りですね。

・「明訓高校敗れるゥ〜〜〜!!」のシーンで愕然と立ち尽くす土井垣が大写しに(ネット裏には小次郎もいる)。この場面で1ページ大のコマを与えられたのは山田ではなく土井垣だった。いかに主人公が山田でも彼がチームきっての戦力でも、明訓のシンボルは監督土井垣のほうなんだなあ、となんだか納得してしまいました。

・試合後整列、校歌斉唱のとき武蔵坊は不在。山田は青ざめつつ武蔵坊を心配している。岩鬼のほうは敗戦の悔しさが勝るのか特に気にしてる様子はない。自分がかつて顔面にデッドボールをくらってもベンチで数針縫って続投なんてことをやってるだけに、そして“虚弱児”里中も後頭部に送球ぶつけられても続投してるだけに、“武蔵坊さま”が頭に送球が当たったくらいじゃどうにもなるわけないと無意識に信じきっているのかもしれません。
・・・実際石毛の送球が当たったくらいであの武蔵坊が再起不能?と書きながら不思議になってきました。自分から当たりにいった分スピードついてたんでしょうか。


(2011年5月6日up)

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