高二春・信濃川戦

 

関東大会に続き再びライバル校の監督として前明訓監督徳川が明訓の前に立ちふさがる。影丸・フォアマンのような大型選手を擁していたクリーン・ハイスクールと違い、今回の信濃川高校は選手は総じて小粒。信濃川の選手の名前を一人でも覚えている読者は少ないんじゃないだろうか。
選手の印象が薄いぶん、この試合は吾朗の「山田さんの相手は直接対決する選手ではなく徳川さんだから 頭脳と頭脳の勝負になるのではないでしょうか」という台詞どおり、徳川vs山田の頭脳戦が見どころ。むしろこの二人の勝負に特化するためにあえて信濃川ナインのキャラを立てなかったんでしょう。普通なら徳川vs土井垣の監督対決になるところでしょうが、まだ高二になったばかりの山田が徳川と互角以上に渡りあうのがミソですね。
里中のケガという突発事態を軸にケガを隠しとおすか見抜くかの行き詰まる読み合い騙し合いの連続。そして劇的な幕切れの素晴らしさ。個人的に『ドカベン』中でも5本の指に入るほどに好きな試合です。


・山田の第一打席。またも敬遠狙いのボール球連発。殿馬「敬遠のタマよォ続けて二回続けてふりゃツーストライクづらぜ」里中「むっなるほどツーストライクをくれてやって勝負をしたい気を起こさすという手か」。明訓の中でも頭脳派(読みに長けている)二人が山田の内心を推し量る。
しかし二人の想像に反して山田は大人しく見送る。それを受けて里中は「山田はそんな(小賢しい策を巡らすような)メメしい男じゃない 歩かせられ一塁に生きることに満足する男だ」と考える。
ここでキャッチャーはいきなり座って勝負にいくが、いつ甘い球がきてもいいように備えていた山田はこれをホームラン。“敬遠と見せて勝負”という徳川の頭脳的作戦を山田が上回った形で、読み合戦の第一段は山田の勝利。もっともこれは山田が読み勝ったというより常に備えを万全にしていた結果というべきかもしれない。甲子園にきて以来、電車の中から駅名を読み取る、旅館の池のそばで五円玉をじっと見つめるなど迂遠ともいえるトレーニングを行う姿が描かれ、吾朗に「山田さんは相手などだれでもかまわないのです 自分を鍛えるだけなのです」と評されている山田だけに、その求道者然とした姿勢がもたらした勝利という感じがします。
同時にこの場面、殿馬&里中の会話と里中のモノローグを通して読者を「山田はわざと振ってくる」→「山田は大人しく四球で歩く」と二度にわたりミスリードしたうえで「勝負球を山田ホームラン」というオチにもっていく、いわば読者と水島先生との頭脳戦にもなっている。一つ一つのプレイにも実に深みがあって読み込み甲斐があります。

・一回裏で里中右親指をツキ指。ストレートはハーフスピードのみ、変化球は一切投げられないという状態に。徳川は山田の策にはまり、里中がハーフスピードのストレートばかり投げるのを「バント戦法は続くと呼んでバントしやすいストレートのスローボールを投げさせてきた そうかいそっちがスローでくるなら よーし今度はオールヒッティングで攻めてやるぜ」と考える。
しかし「それにしてもちとうれしがりすぎるのォ里中は・・・・・・いつもとちとちがう」。ケガを悟られまいとことさら明るく振る舞う里中の様子を元監督ならではの観察眼で怪しんでもいる。山田の作戦には完璧に騙された徳川が里中の態度から真相に迫りつつある。作戦が破れるとすれば腹の据わりきった山田ではなく動揺が表に出やすい里中から。『プロ野球編』でプロ入り初のオールスターの時にも、里中がロージンバッグを使ったためにせっかくの山田の作戦がバレてしまう局面があります。三つ子の魂百までというやつでしょうか。

・ヒッティングに切り替えた信濃川打線に連打を浴びる里中。ノーアウトフルベース。ツキ指がばれたかとあせる里中に山田はあえて余裕の笑顔で「里中 あまり徳川さんをみるな ツキ指は絶対ばれていない それより里中 けわしい表情はするな」「スローボールだとやっぱり打つな やっぱり全力投球でいこう という顔をするんだ(表情とポーズつきで)」「とにかく次の打者の初球全力投球しろ・・・指のことは忘れて思いきり速いタマを投げろ もちろんワインドアップだ」と指示を出す。動揺している里中を笑顔とややユーモラスな顔芸で落ちつかせ気を引き立てつつ、めちゃキツい要求をさらっと出してくる。勝つために、そして今はキツくとも最終的には里中の負担が一番軽くてすむように考えたうえでの作戦ではあるんですが。
この時点で徳川は「里中のやろう 明日の決勝を考えて うちに手ェ抜いてきやがった その手抜きを決定的な致命傷にしてやるぜ」とまんまと騙されてますが、この場合怒りを向けるべきは投げさせてる山田じゃないのか。

・山田の指示通り速球でストライクをとる里中。顔で笑いながら内心「痛い!指がちぎれそうだ」。なのにもう一球同じ球を要求する山田。「だめだこれ以上速球を投げると指が・・・・・・ 山田 スローボールをコーナーへ攻めさせてくれ」と訴えるも顔は一応笑ったままの里中。
しかし山田は「だめだ 今の速球をみたら寄居が打てないくらい徳川さんはわかる・・・・・・スクイズでくる・・・・・・とにかくこの打者をとることだ・・・・・・そうすれば次の打者をスローボールでとれる」と拒否。「わかった いう通りにする」とひきつった笑顔で頷く里中に「いいか 絶対に指をかばうなよ 全力だ」。鬼ですか。
この場面山田の苛酷な要求に悲鳴をあげつつも何とか応えようとする(そしてその間も「けわしい表情をするな」と言われた通り笑顔を絶やさない)里中の健気さ、「次の打者はスローでいいから」と里中をなだめて納得させておいて全力投球を要求する山田のひどさ―その裏にある里中の根性と技量への信頼―が印象的です。結果放ったボールに対する「さすが里中 生きたタマがきたぞ」という山田の言葉は、苦痛を堪えて投げた里中と心を鬼にして投げさせた山田自身、彼らの苦闘を見守る読者の三者全員にとって嬉しいものとなりました。

・山田は狙い通りスクイズしてきたボールが小フライになったのをわざとワンバウンドでとってトリプルプレーに。土井垣「うまい 山田の好判断 ダイレクトでとるとみせてランナーをもどしておきワンバウンドでとった」。里中も頑張った甲斐があったというものです。試合展開のうえでも里中のメンタル面を支える意味でも最高のタイミングのプレーです。

・9回裏明訓1点リードで四球のためワンアウトフルベース。脂汗流しながらも笑いをうかべる里中。この状況でなお笑ってるってもはや不自然。そんなとこまで気が回らない、笑顔作るだけで精一杯という里中のぎりぎり加減がよくわかります。
絶好の勝機というのに徳川は「ランナーがですぎたな 里中に最後の力投をされたら打てん」「ここまでのらりくらりきた里中だ まだ力が残っている」とむしろ悩みを深めている。里中の実情を知る読者からすれば買いかぶりもいいところなんですが、それだけ徳川監督が里中の力を認めてくれてるんだと思うと里中ファンとして何だか嬉しくなってきます。 

・↑のように徳川が思いめぐらせているところへ山田がタイムかけて「やっぱりだめか親指のツキ指」と大声で言いながらマウンドへ向かう。徳川は「へたにバントすると伸びがあるだけにフライになる・・・・・・無理かもしれんが打つしかないな」と考えていたから、ここで山田がツキ指をバラしてなければダメモトで打ちにいって確実に一点は入れていただろう。まさに絶妙のタイミング。徳川がヒッティングに賭けて来ることを察したからであり、「さとるボール」を思いついたからでもあるんでしょう。

・マウンドに寄る内野陣。岩鬼が里中の右手をつかんで「な なんで隠してたんや ひと言わいにいうたら交代してやったやんけ どアホ!!」と怒鳴ってますが、単に隠し事をしてたことに怒ってるのでなく里中の苦痛を気遣ってるように思えます。
一方殿馬は「だますんならよォまず味方からづらか・・・・・・お見事バッテリーづらづら」とあっさり笑っている。自分たちには何も知らされてなかったことに怒らず逆に騙しきった彼らを評価する。殿馬のクールな性格が岩鬼とのコントラストの中でしっかり描かれています。

・しばらくベンチに引っ込んでいた里中が現れ続投。バッター本町が左打席に入る。観戦中の小次郎「土井垣め この続投はたった一つ残された里中の投球法にかけてきたぜ(中略)ストレートしか投げられん里中でも それが低めにコントロールされりゃ内野ゴロでダブれる オール左打線といってもしょせんは急きょ作られたもの・・・バントや当てることはできても外野へとばすまでは短期間で作れるものではない しかし土井垣の計算通りにいくかどうかな」。
小次郎はこれを土井垣の作戦だと思ってるわけですね。確かに普通なら監督の采配ですよね。土佐丸はちゃんと監督主導のチームだからなおのことそう考えたんでしょうが、小次郎が明訓を「土井垣のチーム」と見ているらしいのが好敵手という感じで微笑ましい。

・案の定、徳川は本町に右打席に入るよう指示。小次郎は邪悪な笑顔で「ストレートだけしかないとわかった以上 以前から打ってきた右のほうが飛ばせる 外野飛球で同点だ へたにヒットでもでりゃサヨナラだぜ」。
里中第一球はど真ん中。意表つかれたか本町見送り。スクイズはないと踏む犬飼兄弟。しかし山田内心「今は一球様子をみたが必ずスクイズをやってくる まちがいなくこの右打席は打つと見せかけるだけのものだ 本町の右打席の打率は2割2厘・・・・・・・・・こんな低打率に徳川さんがヒットを期待するものか」。
一回表の山田の打席で里中と殿馬の“読み”がミスリードの役割を果たしたように、ここでは左打席→右打席や本町見送りに対する犬飼兄弟の会話が、徳川が読み勝った&本町はヒッティング狙いだと読者をとミスリードする。そのうえで山田が磐石の自信をもってスクイズ狙いだと断言。そこまでの流れが一気に引っくり返されるカタルシス。
その根拠が本町の打率という確固たるデータに基づいていること、徳川はこんな低打率に期待しない、徳川さんはそんなバカじゃない、という徳川の判断力に対する信頼と尊敬さえ窺えることが、山田の台詞をなお小気味よいものにしています。

・左膝をついたままの山田を見て、小次郎「ランナーがいる場合キャッチャーは地面にヒザをつけて構えてはいかんというのが基本だ 動きやすいように中腰で構えていなきゃならんのだ」武蔵「基本を忘れるようじゃ山田もだいぶんあせってるぜ」。
もちろんこの山田の姿勢は「さとるボール」のサインだったわけですが、ランナーがいるにもかかわらず「さとるボール」のサインとして「膝をつく」ことを選んだのは、信濃川が里中はストレートしか投げられないと思ってる前提があるとはいえ「さとるボール」は絶対に打たれないという里中に対する信頼があったからこそだと思います。
それにしても試合の最中に山田が思いついた、ケガの治療と称してベンチに引っ込んだ間に里中に投げ方をレクチャーし、おそらくは廊下あたりでこっそり2、3球練習してみた程度だろう球を、ぎりぎりの局面で決め球として用いる・・・投げさせる山田もすごいし投げた里中はもっとすごいや。

・三塁ランナー西堀走るも本町空振りでスクイズ失敗、三塁に戻ろうとした西堀はタッチアウト。二塁ランナー寄居は三塁へ。球が落ちたと主張する本町、山田と土井垣にサインを出す気配がないことから落ちる球はないと判断する徳川、球が落ちるのを目撃したという犬飼兄弟。
ストレートしか投げられないはずの里中がどんな球を投げたのか、サインはあったのかどうか、読者にも伏せられたまま放たれた運命の第三球はまぎれもないシンカー。本町再度の空振りでゲームセットに。
今度ははっきり球が落ちるのを見た徳川は「だ だまされた 里中がツキ指したなんてのはうそだったのか 山田のやつにいっぱい食った」と思い込む(決勝戦で実況が里中のツキ指に触れてなかったところを見ると、実況までフカシだと思ってくれたらしい)。しかし読者は里中のツキ指が嘘でないのを知っている。
いったいどんなからくりでシンカーを投げたのかは謎のままに勝利を喜ぶ明訓ナインの姿が描かれる。ケガの痛みを一時忘れ去ったかのような里中の笑顔が眩しいです。

・校歌斉唱をバックに犬飼兄弟の会話。小次郎「武蔵 サインは山田からでていた・・・・・・あの基本を忘れたとおまえがいったあの左ヒザだ」(小次郎も言ってたけど)「えっ」「左ヒザを地面につけた型こそ落ちるタマのサインだ」。ここでまずノーサインの謎が解かれる。
続けて土井垣のモノローグという形で里中がツキ指にもかかわらずシンカーを投げられたのは山田が発見した「親指をまったく必要としない投げ方」のおかげだったこと、わざとらしくツキ指をバラしたうえで絶妙のタイミングでこのシンカーを出すことで徳川及び決勝の相手である犬飼小次郎(土井垣は「犬飼」としか言ってないが両者の間に横たわるライバル意識を思えばまず小次郎の方だろう)にかえってツキ指はないと思い込ませたことが明かされる。
目の前の試合の勝利のみならず次の決勝に向けての仕込みまで行っておく・・・。一死満塁のピンチにもかかわらずこの余裕――徳川vs山田の勝負が完全に山田に軍配が上がった瞬間です。

・土井垣内心「里中悪夢のツキ指!!この大ピンチの中からしかし山田はおそるべき一つの投げ方を発見した・・・・・・親指をまったく必要としない投げ方・・・・・・そして生まれたボールが・・・・・・名づけてさとるボールだ(「さとるボール」は原文でも大きな文字)」。
山田の緻密な計略とツキ指のハンデを負った里中がまさにケガの功名で新球を手に入れる展開にシビれているところに、「さとるボール」の一言ではげしく脱力。なんというネーミング(笑)。「名づけて」という表現からすると命名は山田じゃなくて土井垣さんなんですね?土井垣のセンスもアレだが、それを自然に受け入れ自分でも「さとるボール」と呼んでる里中のセンスもナニですなあ。気に入らないと思えば監督の命名だろうが断固拒絶してるでしょうから。
ともあれ息詰まる頭脳戦の果てにあんなネーミングを真面目な顔でモノローグして笑わせてくれた、実に面白い試合でした。

・旅館前にたむろする女の子たちが、岩鬼に里中が高熱とウソを言われて「神様里中くんを助けて」と泣いてるそばを変装した格好でゆうゆうと出てゆく山田と里中。しかし「うまくいった」って発言はどうか。仮にもファンが泣くほど心配してくれてるんだからちょっとはすまなく思えと(苦笑)。
てっきり岩鬼もグルかと思ってたら、帰還後の会話を見るに岩鬼も自分が追い出した二人組が山田里中の変装とは気づいてなかった様子。ここでも「だますならまず味方から」。お見事バッテリー。

・骨に異常はないものの相変わらずストレートしか投げられそうにない里中。登板できないと監督に伝えるのかと気遣わしげに問い掛ける里中に山田は「どこも悪くないのにいうわけがないよ」とあっさり。「さとるボール」があるのだからと逆に励ます。
しかしいかに「さとるボール」があるといっても変化球がシンカー一種だけで(しかも手の返し方が特殊なので見慣れれば結構フォームでバレそう)、あとはハーフスピードのストレートだけとなると、いかにコントロール健在でもさすがに難しいのでは。
これをリードするのは同じく里中がケガしてた夏の甲子園決勝以上の難行になるのは確実ですが、山田は余裕ありそうな態度を崩さない。前年夏決勝で里中を完投させた自負心とそれ以上に里中の技量と根性への信頼を強く感じます。しかしその信頼ゆえの要求の高さが前年以上の苦痛・不安と戦っている里中を心身ともボロボロに疲弊させていくことになるのですが・・・。

・医者から帰ったあと、サチ子「こらー里中ちゃんどこにいたのさ旅館の中 全部探したのに」「トイレだよ」「二人でトイレ入ってたの」「別々だよ」。
姿が見えなかったことの言い訳が「トイレ」というのは定番なんですが、山田も揃っていなかったことに対してサチ子のツッコミが入るのも里中の返答も会話の流れとしては理解できるんですが、二人がわりに真面目な顔をしてるせいもあって何かヘンな感じ。
秋季大会前、山田兄妹が里中を風呂に誘ったときの岩鬼の反応(「まったく兄妹そろっていやらしい」)を思い出してしまった。サチ子が山田里中の関係を勘ぐってるかのように響いてしまうところが。

・山田が握りを見て球種を見分けられるという話が紹介される。武蔵の握りも当然把握できる。例の5円玉を使った目のトレーニングがここで上手く生かされています。

 


(2011年1月21日up)

 

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