高一夏・土佐丸戦

 

初登場シーンから異様な迫力をみなぎらせていた土佐丸高校。とりわけエースでキャプテンの犬飼小次郎に関しては、すでに雲竜を介して「鳴門の牙」の異名を持つ大物であることが暗示されているだけに、闘犬「嵐」を利用しての常軌を逸した特訓とあいまってどれほどの選手なのかと期待と不安を誘われます。

それがフタを開けてみればなぜか投法がキャッチボール。おそらくはまだ牙を隠しているのだろうがその目的は何なのか、それとも里中たちが推測したように「鳴門の牙」とは打撃面での実力を指したあだ名なのかと読者にあれこれ想像させつつ、風体からして迫力満点の弟・武蔵の乱入を経て、ついに4回表からその正体―剛速球を見せつけてくる。

そして6回表から始まる殺人野球。準々決勝までキャッチボール投法・殺人野球なし(さらに武蔵もなし)で勝ってきた土佐丸のこと、本当なら決勝まで本気のピッチングも殺人野球も温存しとくつもりだったろう。しかし試合をするうちに、明訓は全力で行かないと勝てない相手と判断するに至った。小次郎がキャッチボール投法を取ってきた当初、土井垣が「なめられたぜおれたちは」と怒ってましたが、途中からは明訓の実力を認めて一目置くようになったわけですね。

おそらくその契機となったのは「この2点土佐丸には致命傷になるぞ それほど里中の調子はいい 今大会一番だ」と緒方が評した里中の投球内容だった。明訓バッテリーからはそうそう点は取れない。ならばこれ以上追加点をくれてやるわけにはいかない。そういうことだったんでしょう(しかしここまで一人で投げてるのに準決勝でそれほどの好調を維持してる里中は何げにすごい)。

しかし土佐丸が本気を出してなお予想外のしぶとさを明訓は見せた。頭に硬球をぶつけられてもランニングホームランで1点を追加し4番小次郎の最後の打席を三振に取った里中。山田との連係プレーで嵐作戦を二度にわたり阻止した殿馬。「殺人野球の上を行く男」岩鬼。そして小次郎の最高の球を逆転ホームランにした山田。のちに「明訓四天王」と呼ばれることになる一年生4人に土佐丸はしてやられた。凶悪な手も含め全力を尽くした末の完敗なればこそ、最後小次郎(たち)は正面から山田・里中の健闘をたたえ、実にさわやかな態度で甲子園の地を去っていったのでしょう。以後土佐丸は明訓の地区予選優勝に際して祝電を送ってくるなど、長きにわたって良きライバルという位置付けになっていきます。


・土佐丸の地区予選の結果を見た土井垣は草野球なみの点の入り方に「土佐丸は打撃のチームだ」と結論づけるが、隣の山田が「そうかな」と虫も殺さぬ笑顔で否定する。先輩を先輩とも思わないような一年生の面々の中で、一人謙虚で先輩を立ててるように見える山田ですが、時々土井垣に対しても見事な上から目線。
後にケガに耐えて投げている里中にキツいことを言った岩鬼を土井垣が咎めた時に「キャプテン ムチャだけど岩鬼の言うとおりですよ」と穏やかな笑顔で言い切ったのとか。「〜じゃないでしょうか」のような疑問形でなく土井垣の見解をさらっと全否定。実は一年の中で一番タチ悪いかも。

・「犬飼くんよかったらこのタオルもっていかないか これをもってベンチにはいるといつも勝ってきた縁起のいいタオルなんだよ」と小次郎に(二つ年下のくせにタメ口で)タオルを差し出す里中。しかし小次郎はタオルを受け取りはしたものの、靴を拭いて投げ返してよこす。その態度を石毛は失礼だと怒るが里中は「石毛さんいいんです」と逆に取りなす。そして「でも土佐丸は勝つよ このタオルにふれたから」。
強気の里中が縁起を担ぐのも意外でしたが、大事なタオルを特に仲良くもないライバル校の人間に貸そうというのが不思議。しかも縁起物のタオルを汚して投げ返されたのにあの里中が怒りもしないなんて。さてはこれまでの腹黒さからいってタオルに触るだけで効く毒でも塗ってあるのかと勘ぐってしまった(笑)。タオル持ってかなくても触れた時点でもうアウトだからと思ってあんな余裕の態度なんじゃないか、とか。 

・岩鬼の最初の打席。小次郎のキャッチボール投法に対して田淵ばりの構えからバットを一閃、「カキィーン」と快音を鳴らす岩鬼に明訓ベンチの面々がそろって「おお〜〜っ」と斜め前方に伸び上がり、実はただの空振りだった(「カキィーン」と口で言ってただけ)と知って勢いのままに総コケする。そろって斜めに伸び斜めに落ちる動きがユーモラス。

・まだキャッチボール投法でくる小次郎に土井垣が「なめられたぜおれたちは」と怒りに青ざめたとき、「キャプテンおちついてください おこっては犬飼の思うつぼですよ」と里中が笑顔でなだめる。このとき右腕に軽く触れていて結構仲良さげな感じです。第三試合勝利後「キャプテン土井垣くんに頭をたたかれうれしそうです 小さな巨人里中くん」などとアナウンスされるシーンもあったし、初期の険悪さはどこへやら、この頃にはすっかりいい雰囲気になっています。

・土佐丸がついに殺人野球のベールを脱ぐ。ここで殿馬も出血もののケガをしてるんですが、自分でさっさと手当てしてとくに騒ぎ立てもしない。その後も普通に走ったりしてるのでそう傷は深くなかったのかもですが、この泰然自若とした態度はさすが殿馬。一方で岩鬼は相手のラフプレーを返り打ち。最初から岩鬼こそが殺人野球に対抗できることがこの時点でちゃんと描かれてるんですね。
その後岩鬼は武蔵の体当たりで鼻血吹いてますが、里中は「岩鬼だからいいが」。・・・岩鬼粗略に扱われてんなあ(笑)。「岩鬼ならこんなラフプレイに負けはしない、大怪我にはならない」という一種の信頼感があればこその感想だろうけど。

・兄のキャッチボール投法がぬるいと不快顔だった武蔵は、小次郎が剛速球で三振ガンガン取ってもやはり不満顔。要するに彼は殺人野球―危険なまでの真剣勝負がやりたいのであって、ただ打たせるだけでも三振取りまくりでも殺人野球にはならないから怒ってるんですね。
そんな彼を喜ばせたのが6回裏、9番里中への久々のキャッチボール投法。兄の意図がわざと里中に打たせ出塁させたうえでの殺人野球の行使―送球を頭にぶつける―ことにあるのは明白だったから。里中の打った球が武蔵の元に行ったのも、後の展開を思えば小次郎が計算してそこに打たせたんでしょう。武蔵の強肩と動く(走っている)的に数十メートルの彼方から狙ってボールを当てることができるコントロールを信頼すればこそ。ここで示されている絶妙のコントロールが、今思えば小次郎引退後に武蔵が投手に転向する伏線となっています。

・↑の作戦はまんまと当たって里中は後頭部に送球をくらって転倒。まともに当たっていればそのまま昏倒(・・・下手したらマジで死んでないか?)、三塁を前に倒れていた(そしてゆうゆうタッチアウトに出来た)はずが、里中は吹っ飛ばされながらも根性で三塁ベースをつかんだうえ、ボールがファールライン外に転がったと気づくや起き上がってホーム突入を決行した。
土佐丸の計算を狂わせたのは危険に気づいた山田が里中に注意を促したために直撃にはならずかすめる程度にとどまったこと、そしてそれ以上にともかくも頭にボールが当たったのになおもホームを目指して走った里中の執念だった。ここで予定外の1点を与えてしまったのが、後から思えば土佐丸の致命傷となったわけですね。この1点がなければ山田が逆転ツーラン打ってもまだ同点ですんでましたから。

・ちなみにこのホーム突入のとき、山田が「ヘッドスライディングはよせー足からすべろ〜〜」と叫んでますが、里中は聞こえなかったのか頭からすべっている。ここで山田が止めたのは頭からすべったら間に合わないと思ったからでなく(実際セーフだった)、捕手がタッチにかこつけて里中の頭を殴りにくるのを読んだからでしょう。原作では殴ってる描写がはっきりわかりにくいのですが(そのつもりで見れば確かに殴ってる)、アニメでは明らかに殴ってました。

・小次郎の打席を前にみながマウンドに集まる。この時「がんばっていこうぜ小さな巨人」という山田の言葉に里中が「えっ」と驚いた顔をする。その後の二人の照れたような表情からするに、山田が「小さな巨人」などと呼び掛けたのは初めてだったんでしょうね。
この試合――具体的には先に里中がケガを押しての本塁突入をはかった時の「なんという執念だ」発言あたりから、山田の里中への思い入れがぐっと増してる感じがあります。通天閣戦のころはまだ時々「里中くん」とくん付けになってたのが土佐丸戦以降完全に呼び捨てになりますし。

・小次郎にホームランを浴びた里中はマウンドにくずおれ、「山田 お おれ おれ・・・・・」と青ざめた顔で山田を訴えかけるように見つめる。これまでずっと強気で生意気で先輩にも余裕の笑顔を浮かべながら喧嘩を売っていた里中。完全試合のかかった重要な局面でも何ら動揺を見せず、「なんともにくいマウンド度胸です」などと実況されていた里中。その彼が初めて精神的な脆さをのぞかせる。
ケガのダメージが出てきたせいとはわかっていても、これまでにない揺らぎ≠見せる里中の姿には不思議な色香が漂っている。この土佐丸戦から里中ファンが一気に急増したらしいのもむべなるかな。

・しかし次のページ以降、山田が心配しつつ肩を揺すると「だいじょうぶだよ心配ないよ」と薄く笑う。何となく里中の様子が前ページと比べて温度差があるように感じるのは、ここがちょうど連載の切れ目だった――次回への引き≠ニしてラストページを意味深に終わらせただけで具体的な意味付けがあるわけではなかったからでしょう(昔の週刊少年マンガは結構行き当たりばったりというか、衝撃のラストページに一週間ハラハラしたのに次の回を読んだら腰くだけだったなんてことがよくありました。いかにもな伏線がガンガン置き忘れられたり)。

・鬼島の打席。打ったはずみと見せて三塁方向にバットを飛ばしてくるのに対して、打球に見向きもせず飛んできたバットを止めた岩鬼。自分の身を守るほう優先なのが岩鬼らしい。この時点でもう鬼島が「やつには野球はなんなんだい」発言をしています。

・里中はなぜか7番打者に対してなかなか投げずボーク取られるぎりぎりで山田の注意にはっとしてあやうくプレートをはずす。朦朧とした目付きからするに、時々意識がとんでる模様です。

・山田、初打席の武蔵の好みのコースをさぐるがわからぬまま勝負のサインを出す。この時山田の手元を光らせ、何のサインを出したのか次回まで伏せる演出がハラハラ感をあおります。

・カウントツースリーから武蔵、里中のシンカーを当たりそこねのレフトフライ・・・のはずがレフト沢田バック、フェンスに飛びつきジャンプするも届かずラッキーゾーンに入りホームラン。土佐丸ついに追いつき3対3に。ここで地区大会優勝後に匂わされていた沢田のケガの設定を生かせばよかったのに。
この「武蔵を当たりそこねのどんづまりに打ち取るはずがホームランに」というパターンは二年春の土佐丸戦でも繰り返されることになります。

・武蔵にホームランを打たれマウンドにひとたびくずおれた里中(この時左手で頭を押さえてるので、精神的ショックだけでなく傷の痛みもあったのかも)は、岩鬼のキツい叱咤やそれを支持した山田の言葉に促されるように立ち上がり笑顔で山田からボールを受け取る。
かくて続投する里中の姿に『小さな巨人 いまだ死なず!!』という実況の台詞がかぶさる。里中本人に聞こえるはずもないですが、この台詞、彼にとって最高のエールなんじゃないでしょうか。このコマ、実況も投げる里中も最高に格好いいです。

・里中をさらに疲労させるためとおぼしきバント攻撃を里中を制して岩鬼が取りにいく。岩鬼のことだから「見せ場見せ場」という言葉通り本当に目立ち根性からの行動なんでしょうが、結果的に里中の疲労を軽減しています。しかし「里やんまかしときゃこのとおり苦しまんですむのやさけ」とか言いながら、頭をはたくのはやめてやってくれ(苦笑)。頭ケガしてるんだからさあ。

・嵐作戦始動。二番東がバントの構えからヒッティング。打球はバントを警戒して前に走ってきていた土井垣の左足にぶつかる。この場面、2ページ見開きを縦三段に割って、一コマ目で投げる里中、ダッシュする一塁土井垣と雄叫びをあげて前進する三塁岩鬼、バントの構えの東とその後ろの山田、アンパイヤまで描き、二コマ目、東がヒッティングの構えに転じるところではもう少しカメラが寄って(という表現が一番合う気がする)里中は消え、相変わらず雄叫びあげて走る岩鬼と走りながらもはっとスピードを緩め気味の土井垣、東の後ろに相変わらず山田とアンパイヤ、三コマ目はホームベースごく近くまでさらにカメラが寄って岩鬼とアンパイヤも消え、勢いよくボールを打つ東と「あっ」と叫んでブレーキをかける土井垣、素早く体を反転させる山田が描かれる(次のページ一コマ目で土井垣の足にボール直撃)。
二コマ目でボールを放ったあとで投球動作を終えた里中、三コマ目でボールの飛ぶ方向に関係のない岩鬼+アンパイヤと当面のプレーに関係のない人間がクローズアップにつれて削られていく。時間経過をコマ送りのように、必要な情報を無駄を省いて伝える手法がスピード感と臨場感を生み出しています。

・土井垣転倒、東も土井垣に躓いて転倒するが、そのさい土井垣の右手をスパイクで踏んづける(土佐丸ナインのことだからわざとっぽい)。しかしボールを追った殿馬の絶妙のバックホームと山田の鉄壁のブロックでどうにかホームインを阻止する。
『心配されます土井垣キャプテン!!そのまっ青な顔からかなりはげしいケガが想像できます しかし山田くんを押し返し そのまま守備につきます さすがキャプテン』。冷や汗流しながらも泣き言は一切言わずひきつった笑顔で山田の背中をグラブで叩く土井垣さんが男前です。

・ランナー二塁で三番佐々尾の打席。山田、嵐作戦の意味を見抜く。『あっこんどはヒッティングの構えからバントだ しかも足のわるい一塁土井垣くんをおそう』。土井垣とっさにダッシュできず一塁少し先でガクンとひざをつく。『しかしいちはやくとびだしたセカンド殿馬くん』。ランナーが三塁回ってホームへ向かってるのに気づいた山田「むっ 殿馬バックホームだ」と指示を。『あっランナーにふりむきもせず なんとバックホーム』。あわててホーム数メートル前で足を止めたランナーに山田「“嵐作戦”とは機動力だ」タッチアウト。このへんのスピード感あふれる流れが見事。

・小次郎最後の打席を見事三振に取る里中。運命の三球目、1ページを5コマに分け、1コマ目で里中がボールをリリース、2コマ目で小次郎がバットを振りかぶり、5コマ目で打ちに行くまでの間に、3コマ目にミットを構える山田の顔のアップ、4コマ目に腕を振り切ったあとの里中の顔のアップを入れる。ストーリーの流れ的には3コマ目と4コマ目はなくてもよい(2コマ目と5コマ目もどちらか一つにまとめられる)のですが、小次郎のスイングの間に二人の顔を、表情のよくわかるアップで見せることで断然緊迫感が増している。こういう演出は計算というよりセンスですね。

・小次郎を討ち取った直後攻守交代でベンチに下がった里中は、自分の打席なのに皆に声をかけられても壁にぐったりともたれたまま動かない。顔が帽子と大きな衿に隠れて見えないため表情も窺えない。もはや動けない状態なのかと緊迫感を煽りつつ次回へつなげる。(しかしその次のページの一枚絵―連載時の扉絵―で里中の様子を見つめるメンバーの表情があまりに平然としていて(笑)。焦った顔しているのはサチ子くらいで、山田に至っては薄く微笑んでいるような?)

・何とか立ちあがって打席に向かう里中は皆が口々に励ますのも聞こえているのかいないのか、荒く息をはずませるばかりで何も答えない。限界が近付いてるのがはっきりと見て取れます。

・そして打席に立ったものの、やはり青ざめた顔で荒い息をつくばかりの里中は完全見逃し三振。ベンチでぐったりしてた時の様子を思えば、立ってることさえ奇跡のようです。ツーストライクの時点で山田が心配そうに「里中・・・・・・・・・」と呟く様子が、“里中限界”をいっそう読者に印象づける。
こんなシリアスなシーンなのに、「ストラ〜〜」「イク」「アウト」と一コマの中で三段階の大げさなポーズでアウトを宣告する主審がいい味すぎて笑ってしまいます。

・明訓は三者三振であっという間にチェンジ。延長10回表、なんと里中続投。ここで「がんばれ里中」の5万大観衆のコールが。先頭きって「がんばれ里中」コールしてくれるいわき東のみなさん。明日の敵かもしれない相手になんといい人たちか。まあ殺人野球の土佐丸よりは明訓と当たりたいだろうけど。

・「がんばれ里中」コールを背に投げる里中。しかしストライクが入らずあっと言う間にノースリー。しかも全部大ボール。ここでコールがピタリとやんで固唾を呑む観衆。読者も一緒に息を詰めてしまう。
そして四球目、投げた瞬間にもう里中「がーん」という顔になってる。『あ〜〜ついにストレートのフォアボールです 里中くんさすがにガックリ さあ無死一塁の大ピンチです』。しかしこんな状態ならコースのみならずスピードももうガタガタだろうから、土佐丸はフォアボールを待たずにボール球でも打ってしまえば楽々長打にできたのでは。

・ついに自らマウンドを降りる里中。「山田・・・・・・お おれこれ以上投げると・・・・・・チ チームに」。帽子の影の左目に涙が滲んでいる。里中が涙を見せるのは予選決勝の東海戦以来。あの時は勝利の嬉し涙。今度は悔し涙。はっきり顔を出さずに涙だけを見せる抑えた表現がなお痛々しさを誘います。
里中は翌年春の甲子園も三年夏の甲子園もケガの痛みに耐えて投げ抜いており、里中が自ら降板したのはこの試合が唯一。コントロールの良さが信条の里中にとって、ストレートのフォアボールを出した瞬間自分の限界をまざまざと見せ付けられたように思えたのでしょう(少し前、9回表にも先頭打者をフォアボールで出塁させてしまってますが、このときはカウントツースリーまでいっている)。
余談ながら、プロ編にも里中が怪我で途中降板した(自らマウンドを降りたかは不明)エピソードが出てきます。2003年の開幕試合、対ダイエー戦で開幕投手でありながら、先頭打者岩鬼のピッチャーゴロをとったさい飛んできたバットが左足に当たったため打者一人で降板するはめになったのだとか。前年の開幕試合・対西武戦では(あと一人で完全試合達成という局面とはいえ)右足首を痛めながら続投、意地のパーフェクトを成し遂げた里中が打者一人で降板するくらいだからよほどひどい怪我だったのかと思いきや、その晩にサチ子と電話で話してるときにはすっかり元気そうなのに「?」。栄誉ある開幕投手なのに一人投げただけで降板しなくてはならなかった里中の無念、高校以来の友人を怪我と降板で二重に傷つけてしまった岩鬼の苦悩、二人の間で心揺れているサチ子の動揺などをじっくり描けそうな美味しいネタなのに、里中とサチ子が電話でさくっと話すだけでスルーされてしまうという・・・もったいないよなあ。

・リリーフ岩鬼。六番丹座の腹にデッドボール。ようやく立ち上がって一塁へ歩く。腹へのデッドボールじゃミッキーマウスも役立たずですね。
さらに7番佐々尾、8番武蔵にもデッドボール。押し出し一点で逆転。武蔵に「どーもごめん」(笑顔で)。全然ごめんと思ってなさそうな明るい笑顔が逆に怖いです。殺人野球を標榜する土佐丸ナイン、9番大河を「こ 殺されるかもしれん」とビビらせたくらいですから。
小次郎の「おれたちの殺人野球の上をいく男がいた こいつには勝敗はどうでもいいのか眼中にないのか」という述懐に見られるように、土佐丸ナインにとっては殺人野球はあくまで勝つための手段であって、勝負度外視でためらうことなく殺人野球を仕掛けてくる岩鬼は、彼らの常識が通用しないだけに脅威であり恐怖だったわけですね。
エースが降板というピンチにもかかわらず、押し出しで一点献上して逆転されるという里中の好投を無にするようなことをやってるにもかかわらず、明訓不利な空気にならないのは岩鬼が土佐丸を呑んでしまってるゆえなので、結果オーライですね。

・マウンドへ集まったナインに「わいは里中のカタキをとったんやないけ こんな美しい友情がどこにある」という岩鬼。中学以来ノーコン描写が多々ある岩鬼だけに、狙ってデッドボールにしてるのでなく本人はストライク投げてるつもり、でも岩鬼のノーコンぶりを知らない土佐丸ナインはわざとやってると誤解してる――という可能性も考えてたんですが、やはり仇討ちのため意図的にぶつけてたんですね。
ここで岩鬼は「美しい友情」と言ってますが、まだこの段階では彼の里中に対する感情はチームメイトとしての身内意識(任侠的価値観に生きる岩鬼は普段は横柄でも身内に対しては外敵から体を張っても守ろうとする)を出ていないと思います。里中自身の人間性を認めて本当に仲良くなるのは高二終わりごろからじゃないですかね。

・上のシーンの直後にサチ子がマウンドへ伝令に。ここでサチ子から里中の伝言として「おまえの友情に感謝する」「がんばって勝利投手になってくれ」と聞かされた岩鬼はすっかり気をよくして「やる やったるで〜〜」と燃える。
しかしこれは本当に里中のメッセージなのか。ベンチ奥で目を閉じてぐったり座っている里中は、とてもそんな気を回せる状態には見えない。それどころか後の山田のサヨナラホームランを音しか聞いていないところからすると、目を開けていることさえおぼつかなかったらしい。
これ実際には徳川監督の差し金だったんでは。里中の仇を取るためのデッドボール連発を止められるのは当の里中の言葉だけだと思ったから里中の伝言という形にした。さらに「勝利投手」の栄誉をちらつかせて目立ちたがりの岩鬼をその気にさせよう、という。山田の「このあと無得点に押さえてその裏我々が逆転すれば・・・・・・そうか 岩鬼が勝利投手だ」という台詞もそれを承知のうえで岩鬼をあおったように思えます。

・殿馬がボールを落とすことを狙って一塁ランナーの武蔵は猛然と二塁に突っ込むが、殿馬は軽やかに武蔵の体を飛び越えしっかりフォースアウトを成立させる。先にランナーのスライディングでケガをさせられた殿馬の意趣返しともいえる場面で、殿馬の余裕綽綽な表情も小気味よい。

・よけたバットに当たったワンバウンドのボールを山田が取ってベースを踏み三塁、二塁でトリプルプレー。本来ごく稀なプレーであるらしいトリプルプレーが『ドカベン』にはたびたび登場しますが(トリプルプレーのシーンが出てくると「ああドカベンだなあ」と感じる)、ここでは「まったく何が幸いするかわからんのォ たまった三人のランナーがみなぶつけられていて全力で走れなかったがために生まれた三重殺じゃからのォ」という徳川監督の台詞でその珍しいトリプルプレーが成立した所以がちゃんと説明されているのがきめ細かい。また結果論ながらそれが岩鬼のデッドボール連発のおかげだったとすることで、義侠心ゆえとはいえあっさり逆転を許してチームの足を引っ張った岩鬼の立場を救済する効果もあげています。
しかし大河が脅えてボールをよけてる描写からすると真面目にやる気になってなお岩鬼の投げる球はデッドボールになるらしい。「美しい友情」といいつつ、本当はやっぱりただのノーコンだった?

・山岡が服にかすらせたデッドボールで出塁。なのに土井垣スリーバント失敗で「なんとなさけない」とバットを叩き折る(ということは木製バットなんだ)。この夏、強打者の名声にもかかわらず土井垣はほとんどいいところがないです。結構打ってはいるもののファールになったり当たりが良すぎて一塁止まりになったり。
このへんの描写には、土井垣が活躍すると山田がかすむし、しかし山田が憧れて明訓に入学を決めた(らしい)ほどの男がまるで打てないのも不自然だし、という水島先生の苦慮を感じます。作品レベルで言うと、高校入学以来ずっと捕手をやってきたものをいきなり慣れないファーストにコンバートされたんだから思うように動けなくて当たり前(捕手は他の野手とはまるで動き方が違いますもんね)、それがバッティングの調子も狂わせているというのが順当な解釈でしょうか。
あと土井垣さんは甲子園に出るのは初めてなので、さしもの打撃力も全国レベルの投手にはそうそう通じなかった(神奈川県内でも不知火・雲竜は十分全国レベルの投手だし)のもあるかと。しかしこれでよくドラフト一位指名されましたね。

・山田最後の打席へ。小次郎渾身の球を二球目で大ホームラン。2ページ見開きでミートの瞬間が描かれ、『山田くんの誠に劇的なサヨナラホームランがとびだしました ごらんくださいあのテレ屋の山田くんがばんざいです うれしそうです』との実況をバックに山田が両手をあげて走る。山田が打ってサヨナラになるのは打席に入った瞬間から読める展開ではありますが、緊迫感とその後の晴れやかさのコントラストがくっきりした描写とで、最大限の盛り上がりを生んでいます。これが山田の記念すべき高校初ホーマー(ランニングホームランのぞく)ですね。

・ナイン総出(珍しく岩鬼まで迎えてくれる)のホームを踏み、皆に叩かれながら山田はなぜかナインをつきぬけベンチへ。『いったいどうしたことでしょう』『あっ今でてまいりました』という実況が流れたところでページが変わると、里中を背負った山田の姿が。
あの伝令のシーン以降里中は出てきてなかったため(山田がホームランを打ったとき明訓ベンチの様子が一コマ出てくるが、後ろでぐったりしてる里中はほとんど目立っていない)いい意味で意表をつかれました。というより意表をつくために当分里中を目立たせないようにしてたのでしょう。背負われたまま安心しきったような笑顔で「山田」と呼びかける里中と「なんだ里中」とこちらも穏やかな笑顔で問い返す山田の、まるで親子のようなほんわかした雰囲気も手伝って熱戦のラストを飾るにふさわしい感動的なシーンになっています。

・校旗掲揚。里中「いい音だった・・・・・・・・・・・・打球を見なくてもあの音でわかった」。それほどの素晴らしい当たりだったという、これは山田にしてみれば最大の誉め言葉でしょう(ついでに音だけでそれを判断できる里中の野球センスもうかがわせる)。整列の場で山田が、里中が倒れないように左腕を捕まえて顔を覗き込むように微笑んでいるのにも心温まります。
ところでこのコマ目を伏せて微笑む里中の横顔に眉がある。眉あり里中は南海権左とケンカになりかけるシーンだけかと思ってたらこんなところにも。やはり細いです。

・小次郎が袋?の中身を球場にまく。「これは高知の土だ おれたちが予選を勝ち抜いてきた文字通り血と汗の混じった高知の土だ おれの青春だ おれのこの青春はこれから何千 何万という多くの甲子園球児を見とどけていくんだ」。岩鬼には「キザ」と言われてますが、殺人野球を標榜する危険な男が一転、戦い敗れて見せたロマンティシズムが小次郎のキャラクターをより魅力的なものにしています。少し前に出てくる“優勝旗をもってはりまやばしを渡りたい”願望同様、台詞に郷土愛が溢れているのも。

・小次郎は山田に右手を差し出し「山田くん」「犬飼さん」「ナイスバッティング 里中ナイスファイトだぜ 忘れないぞおまえらのようなバッテリーのいたことを」。あの小次郎の口から「山田くん」なんて紳士的な呼びかけが出てきたことに驚きました。夕方に宿舎を引き払うときといい、殺人野球はあくまで勝つための方便で根は礼儀正しい好青年なのかも。まあ本当の好青年は殺人野球しないだろうけど。

・夕方もう出発する土佐丸ナイン。小次郎「山田 あしたの緒方はおれを打ったようなわけにはいかんぞ 里中が投げられるよう祈ってるぜ」山田「はい」。さらに去り際に番頭さんに「おせわになりました」と小次郎の音頭で土佐丸ナインがそろって頭を下げる。小次郎微笑んで「本当にいろいろごめいわくかけました」。
彼らの爽やかな態度に、番頭さんは涙ぐんでバスを見送りながら「野球する者に悪人はいないってほんまやな山田くん」。最後は実にいい人になって去ってゆく土佐丸の面々。とくに小次郎。「投げられるよう祈ってるぜ」ってあんたらがケガさせたんだろ、とツッコみたい気分もありますけど(笑)。

・一人ロビーのソファに座って窓の外を見ている土井垣。山田が「キャプテンなにを見てるんですか」と声をかけると「山田か 気の毒で見てられないぜ」。山田が窓からのぞいてみると池の側に里中が座りこんでいる。痛む額を押さえ、「ちくしょう」と首をぐるぐる振ってみるが頭にズキーンとさらに痛みが走る。
山田よりも土井垣の方が真っ先に里中の様子を気遣ってくれてるのに驚きました。それもこの場の状況からしてあえて声はかけないまま大分長いこと里中を見守っていたらしい。いい人だなあ土井垣さん。

・晩御飯の席。テレビで自分がほぼ取り上げられてないのに気を悪くした岩鬼は、自分が報道でも目だってたとウソ情報を流す。そのうえで「里中 明日はまたわいが投げるにきまっとるさけ一日ゆっくり養生せい」という岩鬼に「うんがんばれよ岩鬼 み みんなもな」と里中は冷静な笑顔で応じる。皆は素直に「おおっ」「まかしておけ」と盛り上がりますが、山田一人は内心で「里中・・・・・・」とつぶやく。
負けず嫌いの里中がどんな理由にもせよ他人にマウンドを譲ることに平静でいられるはずがない(「み みんなもな」と微妙にどもってるあたりに内心の動揺が表れている)、それを押し隠して明るく振るまう彼を山田が痛々しく思っているのがわかります。

・翌朝早く、皆がまだ寝てるうちから池の側でネット?を用意して投球練習する里中。一球投げただけで痛みが走り、よろめいて両手両膝をつく。山田に声をかけられ、とっさに「しかしでっかいコイがいるもんだぜ」と池を覗き込みつつごまかすのが、見え見えなだけに何とも痛々しい。
そんな演技も長く続かず、「おまえの気持ちはわかるここまできてくやしいだろう でもきみは十分やった」という山田の言葉に「なにが十分だ」と苦悩をあらわにする。それでも八つ当たりするような台詞が出てこないだけ(そして「す すまん山田心配かけて」とすぐ謝って山田を気遣えるだけ)高三春の大会前よりはまだ冷静かも。

・部屋に戻ろうと里中が顔を上げかけたとき、池の水面にポツポツと雨粒が。あっというまに結構な降りに変わる。「山田」「里中」大雨の中笑顔で空を見上げる二人を見開きで捉える。さらに次のページで「雨だ!!」「雨だ」「雨だ」「もっとふれどんどんふってくれ 中止になってくれ〜〜」。ここの部分一コマずつ里中の表情を追っていて、ここまで悔しさを懸命に押し殺していた里中だけに、心底嬉しそうな姿にこちらまで嬉しい気分になります。

・雨の中外出から戻った山岡は宿の玄関先に立っているサチ子と出会う。祖父がやってくるものと信じて待っているサチ子の気持ちを思いやった山岡はこっそり山田祖父に電話をかける。最初サチ子に「コーチなにをしてるんですか」と丁寧に声をかけるのも含め、山岡の優しさが表れていて好きなエピソードです。しかし山岡が差してる傘、唐傘みたいに見えるんですが・・・70年代半ばにはまだ普通に使われてたんだろうか?それとサチ子はコーチでなく部長では?里中も「コーチ」って呼びかけててちょっと不思議。

・山田と病院にいった里中は80球が限度と宣告される。旅館に戻ってから山田は窓際で頬杖つきつつ「80球が限度か・・・・・・」「どういったリードが一番いいのか」、里中は布団に横になりながら「頭の振りをなくす投球フォーム」とそれぞれに考えをめぐらせている。
気になるのは里中のモノローグ。里中が右ヒジまで故障してしまったのは頭のケガをかばって投げたためだと秋の段階で言われてましたが、無意識にケガをかばった結果ではなく意識的に普段とフォームを変えて投げたということか。秋季大会の途中で復帰するまでの里中の苦悩を知ってから読むと胸が痛む台詞です。

・どうせならもう一日雨で延期になればと思っている矢先、突然雨がからっとあがる。山田は「天気予報がはずれた」と苦笑。制服(半袖シャツ)にいつのまにか着替えた里中は西日を受けて窓際に立っている。覚悟を決めたような静かな決意の読み取れる表情が美しい。地味ながら好きなシーン。

・庭先で投球練習するバッテリー。頭にズキンと痛みの走る里中。「どうだいたむか」と尋ねる山田に「いやたいしたことはない」とトントン右手で頭叩いてみせる。「キャッチボールだとなんともないのに」とぼやく里中の言葉に、山田はふと小次郎のキャッチボール投法を思い出す。「あの投法をいかすリードはないものか」。
これはあとで忘れた頃に試合の重要なポイントでしっかり使われていて「おお!」と思いました。『ドカベン』でもっとも効果的に使用された伏線の一つなんじゃないでしょうか。

・「里中くんたのむよ岩鬼なんかに助けてもらうなよ」などとえらそうに(部長らしく)言ってみせるサチ子に「はいコーチ」と笑顔で軽く頭下げてる里中。なんか微笑ましい光景です。
それを見つつ山田は「よーーしこのがんばりやのためにできる限りのリードをするぞ」と心に思う。「努力家」でなく「がんばりや」という子供に対するような表現が山田らしくてこれまた微笑ましい。山田の里中に対する目線が対等の友人というより保護者的だなと感じるのはこういうところ。

 


(2010年9月10日up)  

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