紅白戦(前編)

 

「でもすごいなあ小林くんは。アメリカに留学なんて」

お盆の上のお茶を小林の前に置きながら、山田が感心したような口調で言った。

「将来会社を継ぐために早くから国際感覚を養っておけという父の方針でな。といっても嫌々行かされるわけじゃない。未知の世界に挑戦するんだからな、ワクワクするよ。それでいろいろ世話になったおまえには一応挨拶しておこうと思ってな」

「世話になっただなんて・・・。でもそうすると、野球はやめてしまうのかい?」 山田が太い眉をちょっと顰める。

「・・・ああ。だからおまえと最後に戦えていい思い出になったよ。もちろん山田は高校でも野球を続けるんだろう?」

「いいや、ぼくは高校へは行かないよ。畳屋を継ぐつもりなんだ。」

「なんだって!?そんなバカな。畳屋なんて――」

つい言いかけて奥に山田の祖父がいることを思い出し、あわてて言葉をついだ。

「いや、畳屋は立派な仕事だと思うが、おまえほどの才能がありながらもったいない。素人の寄せ集めの鷹丘野球部があれだけ善戦できたのもおまえがいたからこそじゃないか」

「・・・実はその野球部のことで小林くんに頼みたいことがあるんだ。今ちょっと困ったことになっててね・・・。」

 

眉をハの字にしながら山田が語り出したところはこうだった。鷹丘中学野球部は山田をはじめ部員のほとんどが三年生だ。彼らが卒業すれば後に残るのは下級生の赤一郎・青二郎・黄三郎の三つ子しかいない。それだけでも定員割れだというのに、この三人まで「山田がいたから自分たちは野球部に入った。山田がいなくなるなら辞める」と言い出して譲らないのだ。

「それで考えたんだけど、引退記念ということで卒業生対在校生で紅白試合をしたらどうかって。実際にまた試合の面白さに触れることが彼らを野球に引き戻すには一番だと思うんだ」

「ああ、それはいい考えなんじゃないか?しかしそれだと補充要員がいるな」

「そうなんだ。卒業生チームはまだしも6人いるから、公式戦じゃないし6人でもいいかと思うけど、さすがに在校生チームは3人じゃどうにもならない。それで出来たら小林くんに助っ人に入ってもらいたいんだ」

「おれは構わないが・・・。つい最近試合したばかりの相手とチームメイトになるのは三つ子も抵抗があるんじゃないか?」

最近負けたばかり≠ニ言わないあたりは小林なりの配慮だった。

「いや、それは大丈夫だと思うよ。何より小林くんほどの選手のプレーを味方として間近で見られるのは彼らにとって大きな刺激になると思うんだ」

「おまえがそう言うならおれに異存はない。残りの応援メンバーは決まってるのか?」

「うん、心当たりがあるから。9人は揃わないかもしれないけど、まあこっちも6人だしね。・・・引き受けてくれてありがとう」

「なに、おれにとっても有難い話だ。――野球生活の最後にもう一度おまえと試合ができるんだからな」

もう一度山田と試合ができる。その嬉しさにかまけて小林はあまり深く状況を考えていなかった。最近負けたばかりの相手とチームメイトになるのは嫌なもの=B自分が言った台詞を遠からず小林は思い知らされることになる――。

 

「小林よ、久しぶり・・・でもないか。こんな所でおまえに会うとはな」

帽子の切れ込みから覗く目にシニカルな笑いを浮かべている男に、小林は「この夏以来だな」とそっけなく返した。相手の薄笑いにこちらも冷笑で応えようとするがつい顔が引きつってしまう。

この夏鷹丘中学を初戦で破り地区大会で優勝した東郷学園は関東大会へと進んだが、埼玉の川越中学にあえなく敗北を喫した。その時自慢の快速球で東郷の打線を完全に押さえたのみならず打者としても小林をめった打ちにしてくれたのが、目の前に立つ川越のエース・不知火守だ。

そういえばこいつ鷹丘との試合を観戦に来て、山田を敬遠したおれを散々野次ってくれたよな。小林は改めて不快な思い出が甦ってくるのを覚えた。

「おう、思い出したタイ。おはん夏の大会で不知火にめった打ちにされたちゅう神奈川のエースバイ。呉越同舟とは山田も人が悪かタイ!」

縦も横もむやみにデカい大男が巨体を揺すって大笑いする。こちらとは一面識もないが、どうにもむかっ腹の立つ口をきく奴だ。小林はますます顔を顰めた。自分を徹底的に打ち負かした男と同チームというだけでも気分が悪いというのに。

そう、自分を負かした相手とチームメイトになるのは愉快なものじゃない――きっとあいつもおれのことをそう感じてるんだろう。小林はさっきからじっと黙り込んでいる少年に目を移した。

「里中も・・・久しぶりだな」

元はチームメイトだったにもかかわらず里中とはろくに話をしたことがない。何を言ったものか戸惑いつつ当たり障りのないことを口にすると、里中はじろりと横目に小林を見上げて「そうだな」と冷淡そのものの声で応じてきた。

里中が退部に至った経緯を当時休部中だった小林はよく知らない。しかし補欠のピッチャーとして、入学以来一度もマウンドに上がることのなかった鬱屈が少なからず影響していたのは間違いないだろう。里中がエースである小林に相当の敵愾心を持っていたのは、こちらに向けてくる視線からずっと痛いほどに感じ取ってきたのだから。

この面子で試合をするのか。そっと溜息をついた小林の内心を見透かしたように里中がぼそりと言った。

「メンバーが誰だろうとぼくにはどうでもいいことだ。山田くんが約束を守ってくれさえすれば」

「約束?」 思わず聞き返した小林に「おまえに教える必要はないだろ」と里中はにべもなかったが、

「おう、そうタイ!助っ人を引き受けた以上、約束通りどこの高校に行くつもりかきっちり話してもらうバイ!」

大男(雲竜という名らしい)が大音量で結果的に小林の疑問に答えてくれた。隣で不知火が頷いているところをみると、どうやら三人とも「山田がどこの高校に進学するのか教えてもらう」のが、この試合に参加する条件だったようだ。

――たしか山田は高校へは行かず畳屋を継ぐと言ってたはずだが・・・。

疑問をそのまま口にするほど小林はバカではなかった。うかつなことを言えば大モメにモメて試合どころではなくなるかもしれない。それでは山田の計画が台無しだ。三人の顔を眺め回した小林は改めて彼らのアクの強さに嘆息した。

 

「――向こうのチーム、えらく不穏な空気を醸し出してるな」

「三つ子がすっかり縮こまってるづらぜ。あれじゃますます野球続ける気がなくなるづら」

「あっちの男は川越の不知火だろう?小林と不知火と、一線級のピッチャーが二人もいたんじゃポジション決めも難航するんじゃないか?」

「いえ三人です。里中くんもピッチャーだと言ってましたから」 心配そうな長島の問いかけに山田があっさり応えた。一線級かは知らないけど、と口の中で小さく付けくわえる。

「里中ってあの小さいヤツか?おいおい、ピッチャーばっかりそんなにいてどうするんだよ。ほらさっそくポジションでもめてるみたいだぜ」

 

「三つ子の外野。これは外せない。向こうは山田がいるからな。ホームラン性の当たりを三つ子の三位一体で止めるんだ」

「当然ピッチャーとキャッチャーもいなくちゃ困る。そうすると残り二人で内野を担当するわけだな」

「ランナーが一番多く通過するファーストは削れない。一番ホームに近いサードも削れない。ファーストとサードで二塁とショートもカバーする形しかないだろう」

不知火と小林を中心にまずは7人でいかに9人分のポジションを分担するかを決めた。問題は誰がどこのポジションを守るかだが、

「キャッチャーはわしがやってやるタイ。他にキャッチャーが務まりそうな奴もおらんしのぉ」 雲竜がニコニコと笑いながら手を挙げた。

「となると、あとはピッチャーだが――」 不知火、小林、里中の三者の間に一瞬見えない火花が散る。が、真っ先に里中がふっと息をついて、

「9回まであるんだ。一人3回ずつ投げれば公平だろう」と妥協案を出した。

「違いない。とにかく俺は山田と勝負できればそれでいい」

9回のうちに山田の打席は最低でも3回まわってくる。その点でも公平だ。

「ぼくは軟投派だ。速球派の二人の間に入った方が、向こうも目が慣れない」

「じゃあ、4回から6回を里中。おれと不知火のどちらが先発するか・・・」

「先発はおまえで構わないぜ。真打ちは最後に登場するもんだ。試合の序盤なら山田を敬遠しなくてもすむだろうしなぁ」

ニヤリと笑った不知火に小林はむっと顔をしかめた。

「俺は違う。俺なら9回の土壇場でも絶対に勝負にいく」

「・・・どうだかな。クサいところを突くと見せて敬遠、なんてセコい真似をするんじゃないのか。『えっ はいってるぜ ベースをよぎってるぜ』とか言って」

「やかましい里中!関係ないおまえがしゃしゃり出るな!」

脇からちくりと口をはさんだ里中を不知火が怒鳴りつけると、里中は唇を尖らせてツンと横を向いた。

これらのやり取りのあいだ、赤青黄の三人は何も発言していなかった。何も言えない雰囲気が四方数メートルを覆っていた――。

 

「・・・めちゃくちゃ仲悪そうだな」

「ピッチャーは総じてプライドが高いからな。まして小林は不知火に惨敗したばかりだし。そりゃあ衝突するだろう」

「しかしあれじゃ赤一郎たちがかわいそうだ。山田くん、きみの作戦は裏目に出たようだね」

とがめるような大河内の視線に、山田はそっと嘆息した。小林はともかく不知火・雲竜・里中の三人が素直に仲良くなりそうもないのは、長屋の前で三人鉢合わせたときの状況からでもわかる。不知火と雲竜は面識があったみたいだが、不知火に返そうとしたさらしを雲竜が引きちぎったあたり、相当なライバル意識が二人の間に横たわっているらしい。

さらに初対面でいきなり大立ち回りをやらかした雲竜と里中。今のところまだこの二人の争いは勃発していないようだが、彼らが戦闘モードに入ったら手がつけられなくなる。ケンカしない≠アとを、どこの高校に行くか教える条件に含めておけばよかったな、と山田はちょっと後悔した。ちなみに「どこの高校に行くか」の答えは「どこにも行かない」である。里中たちはさぞ怒るだろうが、さすがにこれで諦めてくれるだろう。

・・・あの4人を一チームに集めるリスクは承知していた。にもかかわらずあえてそれをしたのは、彼らとプレーすることを通して三つ子に感じ取ってほしいことがあったからだ。

――あとは薬が効きすぎないことを願うだけだ。

山田は在校生チームの方へ祈るような視線を向けた。

 

「じゃあ、先発はおれ、4回から里中、7回から不知火。これで異存ないな?」

「いいだろう。あとはファーストとサードだが・・・里中がサードだな。ファーストは足の短いヤツには向かん」

「――リーチがないと言ってもらいたいね」 里中がぶっすりと反論する。

「・・・ファーストは不知火、サードが里中だな。レフトが赤一郎、センター青二郎、ライト黄三郎。それでいいな?」

本来主役のはずなのにこれまで全く無視されてた格好の三兄弟は、いきなり小林に話を振られて、「は、はい!」と慌てて返事をしたのだった。

 

「何とかポジションが決まったようだな」

「他人事じゃねえづらぜ。うちもポジションどこ削るのか決めねえとよぉ」

「そうだな・・・このまま外野なしでいいんじゃないか?打順もいつも通りで。ランナーがいない時は内野が少々深めに守ればいい」

「そうですね。岩鬼くんの球はそうそう距離は飛ばせませんから」

「や、やぁ〜まだ、おんどれもなかなかわかってきたやないか。この男・岩鬼の偉大さが!」

「確かに偉大づらぜ。四死球ばっかりじゃよお、どんな強打者でも距離飛ばすどころの話じゃねーづら。せいぜい押し出しにならねえように気をつけるづらな」

「と、とんま、おんどりゃ味方を愚弄するんかい!」

岩鬼が吼えるのを殿馬がどこ吹く風と聞き流す。いつもの光景なのでこちらのケンカには誰も驚かない。

「両チームともポジションと打順が決まったようですね。じゃあ先攻後攻を決めましょうか」 少し離れたところから事態を静観していた景浦監督がいつもの泰然とした笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

 

「それでは――プレイ!」

主審の景浦の声がグラウンドに響いた。

ジャンケンの結果、試合は卒業生チームの攻撃から始まった。といっても小林の速球を前に三者三振であっという間に攻守交代となったのだが。夏以来のブランクがあるはずなのに小林の速球には全く衰えがない。

――あれで野球を辞めるなんてもったいなさすぎる。

そう思ってから、自分もまさに同じことを小林に言われたのを思い出して山田は苦笑した。

「や、やぁ〜まだ何をニヤニヤしとるんや。さっさと守備につかんかい!」

「あ、ああ。すまない」

「ま、まったくどいつもこいつも不甲斐ないこっちゃ。し、しゃーない、次の回でホームランぶちかます前にまずは三者三振にとったる。ザコどもを相手に投球練習なんぞいらんで!」

例によって大言を吐きながら岩鬼がマウンドにのぼった。対する在校生チームは里中がバッターボックスに入る。

――里中くんが一番か。確かにホームランバッターという感じはしないし、身軽だから足で稼ぐタイプだな。

里中の細腕では岩鬼の剛速球をそうそう引っ張れまい。セーフティバントを警戒すべきだろう。山田はミットをど真ん中に構えた。どうせ岩鬼にサインなどは無意味だ。

「お待たせしましたー!花の剛球王、男・岩鬼、華麗なる第一球〜〜!!」

岩鬼が豪快に振りかぶって、うなるような速球を放った。しかしその軌道はストライクゾーンを大きく外れ、バッターボックスの里中を直撃――寸前に里中が体を捻って危うくボールをよけた。

「あかんあかん手ェがすべったわい」

ロージンを手に平気でカカカと笑っている岩鬼を里中がきっと睨みつける。この少年の血の気の多さを思い出した山田は、あわてて「すまない里中くん。悪気はなかったんだ」と代わりに詫びた。

「きみが気にすることはない。岩鬼のノーコンはこないだの試合でよくわかってるから」

里中は意外にもにっこり笑うと、岩鬼に向き直りバットを構えた。

「さぁていくで第二球!鷹丘中学の星、男・岩鬼くん投げました〜〜!」

岩鬼の剛速球は今度はアウトコースに大きく外れたが、意外にも里中は思い切りよくバットを振った。その勢いでバットがすっぽ抜けて岩鬼の顔面目がけて飛んだ。すんでのところで岩鬼は右手でバットを受け止めた。

「ああすまない。手がすべったようだ」

しれっとした口調で言う里中に岩鬼の顔が怒りで染まった。

「お、お、おんどれ、何すんねん!」

岩鬼が激昂して里中に詰め寄ろうとするのを山田は慌てて止めた。

「やめるんだ岩鬼くん、元はといえばこっちが先にぶつけそうになったんだから!」

・・・そうだった。初対面の雲竜によくわからないことでいきなりケンカをふっかけていた里中が、ビーンボールまがいの球を投げられて笑って引っ込むはずがなかったのだ。山田は頭を抱えたくなった。

「真剣勝負には事故やケガは付きものだ。きみはそんなことでビビるほど気の弱い男じゃないはずだろう?」

里中は上目遣いに挑発的な笑いを浮かべて岩鬼を見つめている。さらに怒り出すかと思った岩鬼だが、意外にもここでにやにやと笑うと、

「そ、そうやな。おんどれの言う通りや。勝負に事故やケガは付きものやなぁ」

その笑いに山田は嫌な予感を覚えた。岩鬼のやつ報復のためにこんどはわざとビーンボールを投げるつもりじゃないだろうな。

山田は腹をくくった。里中の反射神経ならおそらくよけてくれるはずだ。四球で塁に出すことになるだろうがそれはこの際仕方ない。

「ほなら、いっくでえ〜〜」

不気味な笑いを浮かべながら岩鬼が剛速球を投げる。すぐによけられるよう身構える里中をよそに、ボールはベースど真ん中を通過して山田のミットに納まった。

「ストライク!」

なんと。受けた山田は驚いた。ビーンボールどころかしっかりストライクゾーンに叩き込んできた。里中も意表をつかれたような顔をしている。岩鬼は一人憮然と「ちっ、ちょっとばかし外れたわい」と呟いている。

続けた第二球もストライク。里中はただ立ったままボールを見送った。

どうやら岩鬼は怒りに目がくらむとまともな球を投げ出すらしい。つくづく他人と逆の男だなと山田はある意味感心した。

しかしこれで2ストライク1ボールだ。次はきっと打ってくるだろう。山田の推測にたがわず三球目のストライクを里中は当ててきた。予想通りのセーフティバント。一、二塁間に転がったボールを猛司と殿馬が追う。

「岩鬼くん!一塁カバーだ!」

「わ、わぁ〜っとるがな!」

山田の鋭い指示に岩鬼が一塁へダッシュする。そして一塁手前でちょうど走りこんできた里中に勢いよく体当たりした。軽量の里中の体があっさりと吹っ飛ぶ。猛司が投げた球を岩鬼はキャッチし改めて里中にタッチした。

「ア、アウトやで。残念やったなぁ」

「冗談じゃない、明らかな走塁妨害だろ!」

「し、勝負に事故はつきもの言うたのはおまえや。こ、こんなことでビビったんかい」

「なんだと!」

「まあまあ二人とも落ち着いて」

ゆっくりと歩いてきた景浦がいつものゆったりした口調で彼らを取りなした。

「岩鬼くん、里中くんの言う通りですよ。ボールを受け取る前にランナーの走塁を妨げたのだから、これは走塁妨害にあたります。里中くん、一塁へどうぞ」

それだけ言うと景浦はくるりと背を向けてホームへと歩いていった。

「な、なんや。確実に打ち取ったちゅうに。おもしろうないの」

岩鬼はぶつぶつ言いながらもマウンドに戻り、第二打者の不知火に第一球を投じた。コースを大きく外れた球を山田があやうく受け止める。二球目もまた大ボール。

打者に怒りが向かなくなったらとたんにノーコンに戻ってしまった。どうリードしたものかと山田が頭を捻っていたら、

「なんだ、ストライクが入らないって顔をして体のいい敬遠かい。最初の打席から光栄だな」

不知火が皮肉っぽく笑いながらきつい一言を浴びせた。

「な、なんやと。だ、だ〜れがおんどれごとき敬遠なぞするかい!男・岩鬼をなめるなあ〜〜!!」

怒りに燃える岩鬼の速球が山田のミットに突き刺さった。山田は内心ほくそ笑んだ。有難いことに不知火の方から岩鬼を挑発してくれた。上手くいけばこのまま三振を取れる。

5球目、さすがに日頃は四番を打つ不知火は強振してきた。が、打球は思いのほか伸びず無事セカンドフライに打ち取ったのだった。

 

ワンアウト、一塁に里中を置いた状態で小林は打席に入った。

――ここまでの二打席を見ていると、どうやら岩鬼は腹が立つとストライクが入りだすらしい。

実に奇妙な法則だとは思うが、夏に鷹丘と試合した際に岩鬼の破天荒ぶりに呆れ果てた覚えがあるから今さら驚きはしなかった。現在岩鬼は自分に腹を立てる理由は特にないはずだ――したがって1球目はボールになる。

マウンドに行き岩鬼に何やらささやいていた山田が戻り、試合が再開された。岩鬼が大きく振りかぶり、豪快なフォームから球を投げる。

ボールになる、そう判断して小林はバットを振らず見送ったが、意外にもボールは真っ直ぐに山田のミットへ吸い込まれた。

「ストライク!」 主審景浦の声が明快に告げる。

――驚いたな。山田のやつ、どうやって岩鬼にストライクを投げさせたんだ?

さっきマウンドへ行って何か話をしていた。想像するに・・・自分の悪口でも吹き込んでいたのだろうか?岩鬼を怒らせるために。充分ありうる、と小林は思った。山田は実によく頭の回る男だから。

しかしストライクがまともに入るなら入るで構わない。どうせストレート一本しか投げられない男だ。力だけはあるからなまじホームランなど狙わず流し打つことだ。岩鬼の第二球を小林は強振した。

打球はワンバウンドでピッチャーの右脇を抜ける――はずが岩鬼が素早くグローブを差し出し、キャッチはできなかったものの弾いた球を長島が拾って二塁へ送球した。二塁フォースアウト。さらに殿馬が一塁へ投げて小林もアウトのダブルプレーとなった。

 

2回表は岩鬼の打席からはじまった。名目だけは4番だが全くと言っていいほど打てない岩鬼は、小林の球にかすりもせずあっけなく三振した。しかしここからだ。鷹丘の真の4番打者はこの後にいる――。

山田が打席に入ると背後の空気にピシッと緊張感が漲るのを小林は感じた。もう一度山田と勝負できる。そう、そのためにおれは今日ここに来たんだ。

小林は雲竜にサインを出すと丹念にロージンをはたいた。山田の打席は一球残らず全力投球だ。そうでなければ山田は抑えられない。深く息を吸い込んで小林は大きく振りかぶり、渾身の気迫を込めて第一球を投げた。インコース高めのストレート。山田はバットを振らず見送った。ワンストライク。

一球目は様子を見てきたか。次はきっと打ってくる。今度はインコース低めの球だ。高く足を上げ全力のストレートを投げ込む。

リリースの瞬間山田がヒッティングからバントに構えを変えた。バント?まさか!あの山田が?驚きと困惑がわずかに球の威力を削いだ。山田は再びヒッティングの構えに素早く戻るとやや甘くなったボールを二遊間セカンド寄りに流し打った。

――しまった!

セカンドとショートがいない状態では二遊間が最大の穴になっている。だから二、三塁の間に球の飛びにくいインコースを続けたというのに、山田は平然と望みどおりのコースに持っていった。

勢いのついた打球はワンバウンドしてそのまま外野へ抜けるかと思われたが、やはり打球のコースを予期していたのだろう、里中が飛びついて止めると素早く体を起こして一塁に投げた。不知火はベースに右足を触れたまま体を前方に大きく伸ばしてこれをキャッチする。しかしわずかに早く山田の足がベースを踏んでいた。

山田の打球のコースを読んで里中はすぐ二塁方向へ飛び出せるように守っていた。山田も狙いを読まれてるのを承知で、できる限り二塁寄りへワンバウンドの打球を飛ばした。これなら飛びついて球を止めることは出来ても、崩れた体勢からすぐ一塁へ送球するのは難しい。

太っているだけに山田の足は決して速くない。里中も不知火も最高の守備を見せた。それでもなお山田をアウトにはできなかった。小林と山田の、そして里中と山田の勝負はまずは山田に軍配が上がったのだった。

 

小林は続く猛司と大河内を何なく三振に取り攻守交代となった。二回裏、在校生チームも4番からの打席だ。大きな体を揺すりながら雲竜が打席へと入る。

――ついに雲竜くんの打撃を見られるな。

豪打真空切り≠の恐るべきスイングが実戦ではどれほどの力を発揮するんだろう。山田はキャッチャーマスクの中から雲竜の表情を伺った。岩鬼が大きく振りかぶり第一球を投げた。力強く放たれたボールはストライクゾーンを反れ、雲竜のドテっ腹に命中した。雲竜の顔色がみるみる真っ赤に染まっていく。

「おのれ!何をするタイ!このノーコンが!!」

「なんやと!?おんどれの腹が出とるからぶつかっただけやろが!」

「何を!」

激怒した雲竜がバットを振り上げマウンドへ走ろうとするのを山田が後ろから慌てて抑える。

「すまない雲竜くん。岩鬼くんも悪気があったんじゃないんだ」 さっき里中に言ったのと同じセリフを繰り返す。

「そうですよ。腹の立つ気持ちはわかりますけど、試合中の事故ということで勘弁してあげてください。デッドボールです雲竜くん、一塁へどうぞ」

あいかわらずのほほんとした景浦の口調と表情に拍子抜けしたのか雲竜はしぶしぶといった体で一塁へと歩いてゆき、山田はほっと胸を撫で下ろした。さっきからノーコンが原因で毎打席のように打者とケンカになっている。岩鬼を怒らせてストライクを投げさせるのにも限界がある。何とかコンスタントにストライクが入るようにしなければ。

「大丈夫ですよ。もうじき助っ人がくるはずですから」

山田の悩みを見透かしたように、景浦が小声でささやいた。助っ人?誰が?聞く暇もなく景浦は試合再開の声をかけ、山田は急いでマスクを下ろした。

 

ネクストサークルの赤一郎はバッターボックスへ向かうため立ち上がった。踏み出した足が少し震える。

ノーコンのうえ球威がある岩鬼のデッドボールは打者には相当なダメージになる。肉厚の雲竜だからさほど堪えてないようだが、普通の人間ならそうはいかない。東郷学園と試合したとき岩鬼のデッドボール連発に東郷の連中に同情すらおぼえたものだが、まさか自分がその脅威にさらされることになるとは思いもしなかった。

「な、何をもたもたしとるねん!はよバッターボックスに入らんかい!」

岩鬼の怒鳴り声に赤一郎は覚悟を決めた。打席に立ち汗ばむ手でバットを構えた。南無三、とつばを飲み込んだとき、「岩鬼く〜〜ん!」という場違いな声が響いた。若い女の声だ。岩鬼の顔がたちまち薔薇色に染まった。

「な、な、夏子はーーん!!」

岩鬼のデレデレ声に赤一郎も山田も後ろを振り返った。金網の向こうに岩鬼の心のマドンナ・夏子が立っていた。

「今日は引退記念の紅白試合なんですって?遅れてごめんなさい、頑張ってね」

「お、応援に来てくれたんでっか!夏子はん、わいのために・・・」

岩鬼の目はすっかり感動にうるんでいる。

「おいハッパ!あたいもいるぞ!」

夏子のふくよかな体の後ろからサチ子がひょいと頭をのぞかせる。

「な、なんやドブスチビも一緒かいな。おまえはどうでもえーから大人しくしとれ」

「なんだとー!もうハッパなんか絶対応援してやんないからな!」

サチ子の怒声に構わず岩鬼はにしゃにしゃ笑うと豪快に振りかぶり第一球を投げた。見事な大ボールが金網に当たって跳ね返る。

「だめよ〜岩鬼くん。二人で練習したあの球を思い出して。肩の力を抜いてフワ〜っと投げるのよ」

「そ、そうやった、夏子はんと練習したように、こう、フワッとやな」

岩鬼の手から第二球が放たれた。これまでに比べたら格段にゆっくりの、それでもそこそこのスピードの球が正確に山田のミットへと吸い込まれる。

「ストライク!」

明瞭な声で宣言したあとで景浦は山田に軽く片目をつぶってみせた。さては監督の言っていた助っ人とは夏子のことだったのか。山田は納得した。

結局赤一郎、青二郎とも岩鬼のボールにかすることなく、卒業生チームはこの回も無失点に抑えたのだった。

 

3回表、打順は二番の殿馬から。打席に立った殿馬は1球目は見送ったが、2球目を前にバットを持った腕を水平に伸ばし片足で立つ奇妙なポーズを取った。「秘打・白鳥の湖」の構え。小林の顔がわずかに引きつった。先の予選大会ではこのふざけた構えからまさかのホームランを打たれたのだ。

――落ち着け。いくら回転の遠心力で長打を飛ばせるといっても、バットにボールが当たらなければそれまでだ。

回転したところで小柄な殿馬のリーチそのものが伸びるわけじゃない。小林は外角ぎりぎりを狙ってカーブを投げた。これならバットは届かないはずだ。

そのとき、小林の投球モーションにあわせて回転を始めていた殿馬が動きを止めるとぱっとボールに飛びついた。体を浮かせたままボールを下へ向けて強振する。ファースト手前のファールラインそばに叩きつけられた球は不自然な体勢で打っただけに力が入りきらず、投球時に加えられた回転のままに外側へ向かって撥ねてファールゾーンへと転がっていく。不知火が取りに走る間に殿馬は余裕で一塁を陥れていた。

やられた、と小林は歯噛みした。「白鳥の湖」の構えは外角へのカーブを投げさせるための擬態だったのだ。まんまとそれに嵌められてしまった。動揺が球筋に表れたのか、ややコントロールの甘くなった球を次の長島がジャストミートした。ホームランか!?小林は一瞬青ざめたが、思ったより伸びずにセンターの壁にぶつかる。肩の強くない青二郎は数メートル前方に走って二塁カバーに入った里中に送球するが、わずかに殿馬の足が速かった。ワンアウト一、二塁。これで山田まで回るのが確定してしまった。小林は額の汗をぬぐった。

ランナーがいる以上二塁を空けるわけにもいかない。里中が三塁に戻る代わりにセンターの青二郎が一時セカンドに入ったところでネクストバッターズサークルの岩鬼が立ち上がった。口にくわえたハッパがピーンと伸びる。

「さ、三点先取のチャンスや。夏子はん、この男・岩鬼、夏子はんに特大のホームランを捧げますよってに!」

喜色満面、腕をしごきつつバッターボックスに入る岩鬼の声に、一塁上の長島にポワンと見惚れていた夏子ははっと顔を向けると、「岩鬼く〜〜ん!がんばってーー!」と黄色い声を張り上げた。

夏子の励ましに気を良くしたか、岩鬼は小林の速球を威勢良くかっ飛ばした。しかし豪快な打球音に反してサードへの凡フライになる。二死一、二塁。続くバッターは、山田だ。

小林は自問した。自分は山田と再び対決したくて在校生チームの助っ人になった。しかしここで打たれれば下手をすると一度に3点が入ることになるのだ。

「敬遠なんて考えるなよ、小林」 ぴんと通る声が小林の耳朶を打った。三塁から里中がこちらを睨みつけている。

「山田くんはおまえを神奈川でNo.1のピッチャーと言っていた。おまえはぼくを補欠にして東郷のエースになったんだ。エースの名に恥じないよう堂々と勝負してみせろ」

「里中・・・」

「そうタイ。公式試合ならまだしも記念試合に、敬遠したされたの後悔を残すもんじゃないタイ!」

「そうですよ小林さん。もし万一球が飛んできたらぼくらで頑張って止めますから!」

雲竜が、三つ子までが口々に励ましてくれるのに小林は胸が熱くなるのをおぼえた。つい一塁の不知火に目を向けると、不敵な笑顔で親指を立てて寄越す。小林は頷くと、晴れ晴れした気分で雲竜にサインを出した。長打に備えて青二郎がセンターに戻り、里中が再び二塁に入る。

1球目。セットポジションから渾身のストレートをアウトコースへ。山田はそのまま見送る。手が出なかったとは思わなかった。前の打席でも一球目は見送り二球目で二遊間へ打ってきたのだ。小林は雲竜にサインを送ると慎重に第二球を投げた。再びアウトコース、今度はカーブ。案の定山田は強振してきた。三塁方向へボールが飛ぶ。

「走るな里中!ファールになるタイ!」 二塁の里中がダッシュしかけたのへ雲竜が叫ぶ。その言葉通り、打球はぎりぎりファールラインの向こうへ切れた。

上手くいった。打ってもファールになるよう最初から狙って投げた球だ。これでツーストライク。三球目、ここが正念場だ。すでにツーアウトだ。山田は必ず打ってくる。小林は深く息を吸い込んでから三球目を投げた。再びカーブを、今度はインコースへ。

詰まった当たりを期待した球を、しかし山田は力技で再び三塁線へ飛ばした。打球は無人の三塁を通過しレフトへと抜ける。しかし山田が打つと同時に走り出していた赤一郎がボールの落下点へと滑りこんだ。ダイレクト捕球か?殿馬が一瞬足を止めたと同時にいきなり里中が三塁に向けて走り出した。――ボールは赤一郎のグローブで跳ね返って前方へと転がった。

再び走り出した殿馬に里中が併走する。赤一郎ははっと起き上がるとボールを拾った。が、どこへ投げればいい?山田と長島はすでにそれぞれ一、二塁へ到達している。殿馬と里中はまだ三塁へたどり着いていない。

「赤一郎、三塁へ向かって投げろ!」

切磋に不知火の声が飛んだ。迷っている余裕はない。赤一郎は無人の三塁目がけて送球した。里中が殿馬よりわずかに早く三塁ベースを踏んだ。そこへ後ろから送球が迫る。

「里中!ボールが来てる!すぐ後ろだ!」

小林の声に、里中は振り向くかわりにそのまま後ろへと倒れた。倒れながら後手にボールをキャッチするのとほぼ同時に殿馬が三塁へ走り込んだ。倒れながらも里中の足は三塁ベースに触れたままだった。

「アウトー!」 ホームから判定のため走ってきていた景浦が宣告する。

赤一郎が打球をダイレクトキャッチしたと見えたとき、どうせスリーアウトならばと山田と長島は落球の可能性に賭けて走ったが、殿馬はつい律儀に足を止めてしまった。打撃に守備に非凡なセンスを見せる殿馬だが経験の少なさがとっさの動きに出たのだ。そこを里中は見逃さなかった。送球を待って二塁でアウトを取るのは間に合わないと判断して、一度足を止めたぶん進塁が遅れた殿馬を追って三塁で刺したのだ。

「やった・・・」 赤一郎は呆然とつぶやいた。チームの面々が攻守交代のためベンチに引き上げる後について歩き出す。

「なかなかやるじゃないか。足が短いわりにはよく頑張った」

「リーチがないと言え」

例によって不知火と里中が憎まれ口を叩きあっている。いったいこの人たちは何なんだ。みな口喧嘩ばかりで少しも仲が良さそうじゃないのに、試合中には的確なタイミングで声を掛け合い互いのプレーを支えあっていた。人間的にはまったくもってアクの強い連中がいざとなれば見事なチームプレー精神を発揮する。優れたプレーヤーとはそうしたものなのかもしれないな、と赤一郎は一人納得した。

「惜しかったわねえ、山田くんいい当たりだったのに」

「かっこいい・・・・・・」

思いがけぬ返事に、え?と夏子は隣のサチ子の顔をのぞいた。サチ子はきらきらと輝く目で、今さっきファインプレーを見せた小柄な少年をじっと見つめていた。

 


(2011年11月26日up)

 

 

 

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