紅白戦(後編)

 

3回表の劇的な幕切れは在校生チームを上昇気流に乗せた。トップ打者の黄三郎は三ストライク目で根性のヒットを放ち一塁へ出塁、里中が手堅くバントで送ったあと、続けて不知火が三遊間を抜けるライナーを打った。

レフトへ転がった球を殿馬が取りに走る。その間に黄三郎は三塁を回った。サードの長島が二塁方向へ中継に走り、殿馬のパスを受けて強肩に任せバックホーム。ホームに迫る黄三郎の目に山田が大きな岩のように映った。体当たりを覚悟で黄三郎はホームに突っ込んだ。勢いのついたスライディングがわずかに送球のスピードに競り勝った。

「やったっ!」 黄三郎は思わずベース上でガッツポーズをした。野球を始めて数ヶ月、初めて自分の足でホームを踏んだ。しかも待望の先制点のホームを。二塁ベースに留まった不知火を除く皆が笑顔で出迎えてくれる。今まで味わったことのない昂揚感が黄三郎の胸を満たしていた。

勢いに乗って、小林もあわやホームランという大当たりを飛ばしたが、これを殿馬がなんとジャンピングキャッチした。上級生でも殿馬は自分たちより小さい。おそらく学年でも大河内と並んで一番小柄なんじゃないか。なのにホームラン級のボールをキャッチするなんて。「秘打」といい、野球歴は自分たちと変わらないはずの殿馬の非凡な才能を黄三郎はひしひしと感じた。

 

二死二塁で4番の雲竜が打席へと入る。例によって適度に力を抜いて投げたストライク球を、雲竜は猛烈なスイングで叩き付けた。

「さっきのお返しタイ!」

強烈なライナーが岩鬼を襲う。よける間も受け止める暇もなくボールは岩鬼の顔面を直撃した。岩鬼の巨体がそのままグラウンドへ倒れる。

「岩鬼くん!」

「岩鬼!」

山田や猛司、大河内が驚いて駆け寄るなか、殿馬が飛び出して岩鬼の頭にぶつかったボールを拾うと三塁へ送球し、まさに三塁へ駆け込もうとしていた不知火をあやうく刺した。チェンジだが皆ベンチに引き上げるどころではない。倒れたままの岩鬼を囲んで声を掛けたり顔を覗き込んだりしていたが、いきなり岩鬼がむっくり起き上がった。

「岩鬼!気がついたか!」

山田の声に応えず岩鬼は数回目をぱちぱちさせると、はっと雲竜を睨みつけて、

「お、お、おんどれ、よくもやってくれおった」 怒りのあまり声を震わせながら殴りかかろうとするのを皆であわてて押さえつけた。

「よせ岩鬼くん、あまり動かないほうがいい。頭に当たったんだから」

「こ、この程度なんてこたあないわい。血も出とりゃあせんわ!」

確かに岩鬼の言う通り、東郷戦で眉間にデッドボールを受けたときと違って出血してる様子がない。よく見ると学帽の校章がひん曲がっている。

「そうか、学帽の校章に当たったのか。だから怪我せずに済んだんだな」

「校章が盾になってくれたわけだね。今度からわれわれも試合の時学帽を被るべきかもしれないな」

「普通ならよお、それでも大怪我もんづら。さすがにあのハッパは人間とは体の作りが違うづらぜ」

軽口を言い合う卒業生チームに、すでに岩鬼を心配する気配はかけらもなかった。

 

4回表、里中がマウンドに立ち、代わって小林が三塁に入った。里中はゆったりしたモーションから練習球を投げはじめた。

――里中くんはアンダースローなのか。

里中の投球を見るのは初めてだった。うちとの試合では補欠でベンチにも入れなかったと言っていただけに実力は未知数だったが、コントロールは安定しているようだし変化球も多彩だ。ここまでの試合経過を見ると打撃や守備にも優れた技量を発揮している。

これはうちの打線じゃ打ちあぐねるかもしれないな。山田の予想通り、里中は猛司と大河内を三振に、殿馬をピッチャーフライに難なく打ち取ってこの回を終えた。

対照的に先のデッドボールにまだ腹が癒えないらしい岩鬼は、肩の力を抜くピッチングを忘れてしまったらしい。赤一郎、青二郎と連続フォアボールで出塁させてしまった。

「何やってんだハッパー!」 サチ子の罵声が飛ぶ。山田はタイムをかけるとマウンドへ走った。

「だめだよ岩鬼くん、夏子さんとの練習を忘れたのかい?」

「ぬな」

山田の言葉に岩鬼はフェンスに目を向けた。夏子が気遣わしげにこちらを見つめている。

「せっかく夏子さんも見に来てくれたんだ。夏子さんを心配させちゃいけないよ」

「せ、せや、夏子はんにええとこ見せたらんと。肩の力を抜いて、コキッ、やな」

どうやらそれでペースを取り戻したらしい。岩鬼は続く黄三郎を三振に取った。一死一、二塁で里中が打席に入る。ここはバントで送ると思いきや力強く振ってきた。打球が1、2塁間を抜ける。殿馬が追い、二塁カバーに入った岩鬼に送球する。赤一郎は三塁を回りそのままホームへ突入した。十分間に合うタイミングのはずが、とんでもないスピードの送球が一瞬早く山田のミットに納まっていた。信じられない。赤一郎は目をパチパチさせた。

「たいした強肩だな、投手としては致命的にノーコンなんだ、いっそ外野手に転向したらどうだ?」

挑発的に笑う不知火に岩鬼が目を剥いた。

「じゃ、じゃかあしゃい!ピッチャー岩鬼の実力をよう見いや!!」

二、三塁の走者など気にもかけない、怒りに燃えた岩鬼ひさびさの剛速球に対し、不知火は意外にもバントしてきた。1塁方向へボールが転がり、その間に三塁の青二郎がホームインした。これで二点目。しかもツーアウトながらまだ三塁に里中が、一塁に不知火がいる。さらなる追加点のチャンスだ。小林はぎゅっと唇を結んで打席に立った。

小林は一球目から打ちにいった。三塁の頭上を越す大フライ。三塁の里中がスタートを切る。ホームランにはならない、普通なら平凡なレフトフライで終わる球だが、卒業生チームに外野はいないのだ。

長島がボールを取りに走ろうとするが、すでに打撃と同時に走り出していた殿馬がそれを制して転がるボールを拾うと、素早く長島へ送球した。長島バックホーム。ホームに走りこんだ里中と送球をキャッチした山田がぶつかり合う。里中の体当たりに山田は小揺るぎもしなかった。

「アウトー!!スリーアウトチェンジ!」

監督の宣告に里中が小さく肩を落とした。

 

5回表、長島が弱点の二、三塁間を狙って二塁打となり、続く岩鬼が三振に取られたところで、山田の打順が回ってきた。里中は山田の顔をじっと見つめてからサインを出す。とたんに雲竜が立ち上がりどたどたとマウンドへ走ってゆく。

――何だ?いったい里中くんはどんなサインを出したんだ?

どうやら里中の希望が通ったらしい。雲竜が釈然としないような顔で戻ってくるとマスクを下ろした。

山田は雲竜のミットの位置を伺い見た。ややアウトコースに寄っている。即席のバッテリーだ、しかも雲竜は本業の捕手ではない。わざとサインと違う場所にミットを構えて後から移動するようなそんな芸当はできないはずだ。おそらくアウトコースへの・・・シュートだ。里中がセットポジションから第一球を投げた。

――ストレート、だって!?

山田はあやうく途中でスイングを止めた。ミットがバシッと小気味よい音を立てる。

変化球投手だけに里中のストレートは小林に全く及ばない。それをあえて自分に投げてくるとは思いもよらなかった。雲竜が反対するわけだ。里中が二球目を投げた。再びストレート。

三球目、里中のサインに雲竜が首をふるとまたもマウンドへ走ってゆく。二人はしばし何か言い合っていたが何とか話がまとまったようだ。戻ってくる雲竜の安堵顔と対照的に里中は憮然としている。今度は雲竜が里中を説き伏せたらしい。

雲竜はミットを低い位置で構えている。里中の持ち球なら・・・シンカーか。

里中が三球目を投げた。ホームベースを過ぎるところで落ち・・・ない。まさかの三球連続ストレートを山田は完全なタイミングで狙い打った。高く打球が飛んでゆく。これが球場ならスタンド入り間違いなしだ。

その時外野の三つ子が動いた。赤一郎が走り青二郎の背に飛び乗り、さらに飛び移った黄三郎の背中を踏み台に空高くジャンプした。上方に限界まで伸ばした左手が山田の打球をしっかりと掴んだ。

「ああー・・・」 さすがに冷静な山田の口からも落胆の声が漏れた。雲竜と里中はいかにもストレートを投げたがる里中を雲竜が説得してシンカーを投げさせた≠ニ思わせるようにふるまったが、あの勝気な里中が本来不仲の雲竜の、意にそぐわぬ指示に大人しく従うはずがない。彼らのやりとりは山田を惑わすための小芝居、ここはストレートだと山田は判断し、見事その読みが当たったのだが、三つ子の鉄壁の守りを突破することはできなかった。

しかしこの間に二塁の長島がタッチアップ、外野の最奥、それも空中キャッチだけに返球が遅れ、長島は無事ホームへと生還した。続く猛司と大河内が凡退したものの、この回卒業生チームはついに一点を返したのだった。

 

しかしその一点は、その裏先頭の不知火の初球ホームランであっという間に取り返されてしまった。つづく小林も一、二塁間を抜くヒットで二塁へ出た。無死二塁で4番の雲竜が打席に入る。これ以上点差を広げられるのはまずい。さしもの岩鬼も緊張したのだろうか、力のこもったストレートをまたもや雲竜の腹に思い切り当ててしまった。

「すまない雲竜くん、悪気は――」 この言い訳も何回目だろうかと思いながら山田が言葉を継ごうとすると、

「わかってるタイ。狙って当てようとすればストライクになる男バイ」と雲竜はごくあっさり頷いてくれた。無死一、二塁となったが、このデッドボールにびびったか赤・青・黄の三つ子が全く打てず、追加点はなんとか一点に留まった。

 

6回表の打順は殿馬から始まった。一球目二球目と見送りながらリズムを取る。

――こいつは球種が多いうえコースの投げわけもうめえづら。どのコースに投げてくるかさっぱり見当がつかねえづらぜ。

ミートのタイミングとコースが読めない球を打つにはどうすればいいか。里中が三球目を投げたのに合わせて殿馬は片足立ちで体をくるくると回転させた。

 

――「秘打・白鳥の湖」か!

ネクストサークルの長島は目を見張った。しかしバットの動きが少し違っている。バットを水平に構えるのでなく回転しながら斜め上下に動かしている。これならコースの高低に関わらず当たる可能性が高くなる。その計算が見事に当たり、カキーンという音とともにボールはセンター前へ抜けた。

しかし一塁へ走る殿馬の足どりが妙に遅い。どうやら回りすぎで眩暈を起こしたらしかった。ふらふらしながらも何とか一塁へと到達する。

「あ、あアホなやっちゃの。外野に飛ばしながら一塁止まりやと」

口角泡を飛ばす岩鬼を軽く睨んで、長島はゆっくりした動きでバッターボックスへ向かった。とにかく殿馬の息が整うまで時間稼ぎをしなければ。このままでは自分が打っても殿馬が二塁へたどり着けない。

一球目を見送ったあと数球ファールでねばる。そっと一塁をうかがうと、殿馬がやや大きめにリードを取っている。いつでも走れるというサインだ。そう察した長島は次のボールを三遊間へ流し打った。殿馬が勢いよくスタートを切る。しかし三塁の小林が素早く飛び出すとワンバウンドで捕り、そのまま二塁へ走った。タッチの差で殿馬より早く二塁ベースを踏み一塁へ送球する。二塁フォースアウト、一塁でぎりぎり長島もアウトとなり一気にツーアウトへ追い込まれた。そして次のバッターは岩鬼だ。

「ど、どいつもこいつも不甲斐ないやっちゃ。どチビのボールなんぞわいが特大ホームランを叩きこんだるわい!」

こりゃこの回は無得点で終わるな。長島の予測を裏付けるように岩鬼はうなるような豪快な大スイングで二球続けて大空振りした。三球目、岩鬼は何の工夫もなく三たびバットを大振りし――先からの大スイングにあおられて半ば取れかかっていた帽子の校章が外れて落ちた。一瞬視界を過ぎった小さな影に岩鬼はボールの軌道を見失った。

――あかん、ボールはどこや!?

見えないままに振り抜いた岩鬼のバットが白球を捉えた。グワラゴワガキーンという打球音とともに、ボールは高々と舞い上がって外野のフェンスのはるか彼方まで飛び去っていった。三つ子の三位一体も到底届かぬ高さだ。

「やったな岩鬼!これで一点差だ!」

打った岩鬼は一瞬目をぱちくりさせていたが、味方ベンチの歓声にたちまち気をよくして、

「な、夏子はん見てくれはりましたか。約束の特大ホームラン、夏子はんにプレゼントでっせ〜〜!!」 

例のデレデレ声を張り上げたのだった。

 

岩鬼がベースを一周してくるのと入れ違いに山田は打席に立った。マウンド上で里中と何かしら打ち合わせていた雲竜が戻ってきて試合再開となった。

山田は雲竜のミットの位置を忍び見た。中央よりやや上に寄っている。ストライクゾーンぎりぎりの高めの球か。山田は一球目から打ちに行ったが、ボールはベースの端ぎりぎりをかすめて外角へ大きく曲がり山田のバットが宙を切った。この球を雲竜も後逸し、ボールが転々と後ろに転がる。

――ミットの位置でコースが読まれるのを嫌ってミットを動かす手に出たのか。

しかしにわかキャッチャー、にわかバッテリーだけにキレの鋭い里中の変化球を自分から取りに行くのはまず無理だ。事実これまでの打席では雲竜がミットを構えた位置に里中の方がボールを投げ込んできたのだ。

里中が振りかぶり雲竜がミットを構える。今度は、外角。里中の手からスピードの乗った球が放たれる。カーブじゃない。今度こそ外角へのストレートだ。山田は狙い打とうとしたが、バットが触れる寸前でボールはわずかになお外側へ軌道を変えた。アウトコースのスライダー。山田のバットは再び宙を切り、雲竜も再度後逸した。

まんまとツーストライクへ追い込まれた。そのための後逸覚悟の球だったのだ。しかし三球目はそうはいかない。次後逸すれば振り逃げできるからだ。山田はバットをぎゅっと構え直した。三振を取りにくるか引っ掛けさせようとするか、そして球種とコースはなんだ?

雲竜がインコースぎりぎりへミットを構える。インコースで引っ掛けさせるつもりか。山田は三度打ちにいった。が、案に相違してボールはさっきと同じくアウトコースぎりぎりをかすめるスライダーだった。山田はまんまと三振したものの、やはり雲竜もその球を取れなかった。

「なるほどな。振り逃げになっても山田に打たれるよりマシということか。猛司が山田を返せるとは思えんしな」 長島の呟きが全てを言い当てていた。猛司は果敢にバントを試みるがキャッチャーフライに打ち取られた。

 

2対3のまま迎えた6回裏、里中がプッシュバントで出塁し、さらに不知火が無人のセンターへフライを放った。

殿馬が打球を追い、二塁カバーに入った岩鬼にトスする。三塁へ向かう里中を刺すべく岩鬼は送球した。がそれが暴投になりファールラインを越えて転がる。

山田はあわててボールを取りに走った。当然この隙に里中は走ってくると思ったが、さっきのクロスプレーに懲りたのか大人しく三塁に留まっているのにいささか拍子抜けした。

ネクストサークルの小林は三塁の里中がこちらをちらりと見たのに気づいた。あの勝気な里中があえて走ろうとしなかった。山田と本塁でぶつかっても勝ち目はない、そう判断したのかもしれないがきっとそれだけじゃない。里中は自分を信じてくれたのだ。ここで無理に走らなくても小林が余裕を持ってホームに返してくれるはずだと。

ならばその信頼に応えなければならない。小林は決意も新たに打席へと入った。里中が大きめにリードを取る。スクイズを狙ってると思わせるための陽動だ。ならば自分もバントの振りでせいぜいボールカウントを稼ぐとしようか。

しかし山田は岩鬼にウエストボールを投げさせようとはしなかった。というよりノーコンだけに狙ってウエストボールなど投げられないのかもしれない。相変わらずど真ん中一本槍の速球を小林は正面から捉えた。ファール。二球目もファール。

しばらくファールで粘るうち、何球目かでボールが真後ろへ飛んだ。タイミングが合ってきている。しかしそれを喜ぶ間はなかった。山田が後方へ駆け出すと大きくボールに飛びついて空中でキャッチしたのだ。体勢を崩した山田が倒れたと同時に里中がタッチアップして一気に本塁へと走り出した。起き上がった山田がこちらも本塁へ走る。山田はタッチしようと手を伸ばしたが、里中はぎりぎり体を捻じってタッチをかいくぐり、側面から回りこむようにしてホームベースにタッチした。

結局クロスプレーになってしまった。しかし「里中の信頼に応える」ことは何とかできただろう。小林は胸が少し温かくなるのをおぼえた。

山田は岩鬼を上手く誘導して続く雲竜を歩かせ、赤一郎、青二郎を三振に取って、この回の被害を一点に抑えたのだった。

 

7回表。在校生チームは不知火が登板した。代わって里中がサード、小林がファーストに入る。この夏、関東大会で圧倒的実力を示したという不知火。その剛速球を一度山田は体験している。あれを打つのは高校生でも難しいだろう。山田の想像にたがわず不知火は3連続三振でまたたく間にこの回を終えた。

続く7回裏、8回表はともに三者凡退、8回裏も小林と赤一郎が出塁するも点には結びつかない。試合も大詰めになって急に投手戦の様相を帯びてきた。

そして9回表。先頭の大河内はあっけなく三振、ネクストサークルの殿馬は立ち上がるといきなりバッターボックスではなくベンチに向かって歩き出した。

「な、何やっとるんやとんま、歩く方向がわからへんのか」

岩鬼の罵声を無視して殿馬は山田へ顔を向けると、

「てめえのバットを借りてえづら」と簡潔に申し出た。

 

山田の木製バットを手にバッターボックスに入った殿馬を不知火は凝視した。帽子の切れ目から覗く右目に訝るような表情が浮かぶ。

――殿馬はなんのためにわざわざ山田のバットを借りたんだ?殿馬本人のバットとの違いは・・・木製か。

そしてここで木製バットを使うことのメリットは何か。木製は金属に比べて飛距離が出にくい。打球の落下点の予測を狂わせるためだろうか――。

はっと不知火はひらめいた。夏の予選で殿馬が見せた秘打の一つはわざとミートの時にバットを地面に叩きつけて折る技だったはずだ。そう、確か「秘打・花のワルツ」・・・。

不知火はワインドアップに構えた。殿馬がそのつもりなら、こちらはかすらせもしないような最高の剛速球で勝負してやる。不知火は存分にしならせた腕から渾身のストレートを放った。殿馬もボールをぎりぎりまで引きつけてから思い切りバットを振ろうとして・・・後ろに引いたバットと雲竜のミットが接触した。

「インターフェア!打撃妨害です。」

景浦の声に不知火は目を見開いた。殿馬はさっとバットを投げ捨てると例の飄々とした面持ちで一塁へ歩いてゆく。

――なるほど、殿馬の目的は自分のものより長いバットを使うことで打撃妨害を取ることにあったのか。まんまと騙されたぜ。

全く人を食った男だ。生ぬるい笑みを不知火は口元に刻んだ。

 

ピッチャーが不知火に代わってから初めてランナーが出た。ここは何とか殿馬を返すんだ。意気込んで打席に立った長島は肩すかしを食わされることになる。なんと不知火が長島を敬遠したのだ。確かに素人だらけの鷹丘野球部にあって長島は山田と並ぶ最大戦力だ。しかし山田以外は眼中にないかのような不知火がよもや自分を敬遠してくるとは。

しかし続く岩鬼が例によって三振したとき長島はぴんと来た。なるほど、もし自分も三振していたならこの回山田にまわらず終わっていたはずだ。すでに9回表で2点差、不知火が山田と勝負するにはこの回がラストチャンスとなる。だから不知火は自分を敬遠し出塁させることで山田まで打順を回した・・・。

悠々とした動作で左打席に入った山田を不知火はマウンドからじっと見つめた。8回表の初対決はピッチャーライナーに終わったが、もし山田のバットにひびが入らなければホームランになっていたかもしれない。だからなんとしてももう一度山田と対戦してみたかった。今度こそ完璧に山田を押さえたかった。

ツーアウト、ランナー1、2塁。サードの里中が二塁カバーに入っている。走られる可能性は考えないことにした。目の前の山田と悔いのない勝負をしたい。不知火は大きく振りかぶってど真ん中のストレートを投じた。今日の試合最高のボールをしかし山田は真っ向から打った。センターの壁直撃のライナー。ランナーがいっせいにスタートし、不知火が三塁カバーに入る。青二郎から二塁の里中にボールが返り、ほぼ同時に殿馬がホームイン。三本間で刺されるのを恐れてか長島は無理に走らず三塁に留まった。卒業生チームは一点を返し3対4、ランナー1、3塁。ここであと一点返せなければ負けが確定する重大な局面、6番の猛司が打席に入った。

 

二死で三塁にランナー、打者は猛司。この夏の対東郷戦と同じ状況だ。猛司に不知火の球はまず打てない。スクイズのバントすら無理だろう。となればここは長島の本盗しかありえない。

しかし後逸でもしない限り本盗などそうそう成功するものではない。一応申し訳程度に一度三塁に牽制球を投げてみてから、不知火はおもむろに速球を放った。猛司は果敢に振ってきたがまるでタイミングが合っていない。間違ってもこいつに打たれはしない。

いざ二球目を投げようとした時わっと歓声が上がった。長島ではなく一塁の山田が走塁を試みたのだ。不知火は急いで体を反転させると二塁へ送球し――愕然とした。二塁には誰もいなかった。とっさのことでセカンドの不在を忘れていたのだ。ボールは無人の二塁を過ぎて外野に転々と転がる。

小林と青二郎が拾いに走る間に長島はゆうゆうホームインし、山田も二塁を通過して三塁へ到達した。不知火の動揺を誘う山田の作戦にまんまと嵌められた。この土壇場で卒業生チームは不知火を相手に二点を返して4対4の同点に持ち込んだのだ。

自らのフィルダース・チョイス(?)で一点を献上した不知火は動揺から安パイの猛司に二連続ボールを出したものの何とか立ち直り三振に取った。9回裏在校生チームも得点ならず――試合は延長戦にもつれこむことになった。

 

延長戦――不知火、小林、里中のピッチャー三人は顔を見合わせた。公平に一人三回ずつ投げるのが当初の約束事だった。となると10回目は誰が投げるべきか?

「わしが投げる。それなら公平タイ」 いきなり横から割って入った声に三人は唖然とした。雲竜がニコニコと柄に合わない可愛い笑いを浮かべている。

「おまえさんがピッチャーもやるとは知らなかったな」

「外野も守れるが、わしの強肩を一番活かせるのはピッチャータイ。ただわしの剛球を受ける度胸のあるヤツがいるかが問題バイ。三つ子とそこのチビは論外タイ。球威でふっとばされるに決まっとるからのお」

カカカと笑う雲竜に里中があからさまにムッと顔をしかめた。

「仕方ないな。俺が受けてやろう。キャッチャーなぞ初めてだが」 不知火が笑いながら名乗りをあげた。

「突き指しても知らんタイ。まあ高校入学までにゆっくり治せばええタイね」

「見くびってもらっちゃ困るな。俺はそんなヘボじゃないぜ」

不敵な笑いを交わしながらも雲竜が外したプロテクターを不知火は素早く装着してゆく。

「練習球はいらんバイ!三者三振でさっさと終わらせるタイ!」

マウンドに立った雲竜が割れ鐘のような声で大きく宣言した。

 

大言壮語にたがわず、雲竜は大河内、殿馬、長島の三人をあっさり三振に取った。不知火の球を見たとき小林以上の球威に驚かされたが、雲竜はさらにそれを上回る。「豪打・真空切り」を可能にするあの腕力がこの超剛球を生み出しているのだ。投手雲竜に対する打席が自分まで回らなかったことを、山田は本気で惜しいと思った。

結局10回裏、先頭打者の雲竜が初球特大ホームランをかっ飛ばしたところで長かった試合は在校生チームの勝利で幕を閉じたのだった。

 

「ありがとう、ございました!」

両軍はきちんと整列し終了の挨拶を交わした。

「――あの、みなさん。」

てんでに引き上げていこうとする助っ人4人を三つ子は背後から呼び止めた。

「今日はありがとうございました。みなさんと一緒にプレーして・・・野球の醍醐味を少し知ったような気がします。」

「おはんらもまあ頑張ったタイ」

「そうだな、三位一体のホームラン封じは俺たちにはちょっと真似ができんな」

口の悪い連中にまともに誉められて三つ子は顔を赤らめた。

「山田が心配してたぞ。きみたちが野球を辞める気でいると。その気持ちは変わらないままか?」

小林が優しい口調で問うと、三人は顔を見合わせ、それから笑顔で首を横に振った。

「いいえ。やめられませんよ、こんな楽しいこと」

「山田さんたちが卒業しても、ぼくらで野球部をきっと守っていきます!」

三つ子が声を揃えるのを四人は微笑ましげに見つめていたが、その輪から里中が抜け出し、少し離れた所からこちらを見守っていた山田に走り寄った。

「さあ山田くん約束だ。どこの高校へ行くのか教えてくれるだろ?」

里中の言葉に不知火たちもこちらへ顔を振り向ける。山田は目を細めて微笑むと、

「前に話したとおりだよ。ぼくは高校へは行かない。それが答えだ」とさらりと言い切った。

「! きみはまだそんなことを――」 まなじりを吊り上げた里中を山田は目で制して、「・・・さっきまではそう答えるつもりだった」と言葉をついだ。

小林に話したように、三つ子に野球部にとどまってもらうために自分はこの試合を計画した。癖は強くとも一流のプレーヤーたちとともに戦うことで、野球の奥深さを、真の楽しさを体感して欲しかったのだ。

そして三つ子の様子を見るに山田の目論見は十二分に成功したようだった。いや成功しすぎたというべきか――山田の脳裏にいくつかの映像が去来する。ろくにかすることもできない不知火の剛速球、三塁で殿馬を刺した里中のバックタッチ、決勝点となった雲竜の大ホームラン。

どうやらミイラ取りがミイラになってしまった。思わずくすくす笑いながら、訝しげな顔の里中たちを見つめる。

「試合をしながら思ったんだ。これで野球を終わりにしたくない。やっぱり高校へ行ってまたきみたちと戦いたいって。だからまだどこの高校に行くかは決めてないけれど――決めたら今度こそちゃんと知らせる。・・・それでいいかな?」

「上等だ。山田、今度は高校で勝負だぜ」

「ワシもタイ!」

不知火、雲竜が意気揚揚と宣言する横で、里中はなぜか「まあ、そうだな」と複雑そうな顔で呟いた。

「小林くんも、いろいろとありがとう。アメリカへ行っても元気で頑張ってくれよな」

「・・・ありがとう」 笑顔で答える小林の顔にもどこか複雑そうな翳りがよぎるのを山田は見逃さなかった。

きっと遠からず小林は野球を再開するだろう。あれほどの試合を経験したら、野球に未練を起こさずにいられるものじゃない。三つ子の言葉の通り――こんな楽しいことをやめられるものか。

偉大な野球馬鹿たちと、また高校で戦う――山田は晴れやかな気持ちで、遠くない未来に思いを馳せた。

 


アニメオリジナルの紅白戦のエピソードが元ネタです。本当は景浦先生の「代打景浦、背番号90!」なんてネタも入れたかったんですが、入らなかった・・・。

(2011年12月2日up)

 

一回表、1、2,3三振。1回裏。里中あやうくデッドボールを避ける。二球目スイング時にバットを投げて報復。(1ストライク1ボール)里中の発言に怒った岩鬼かえってどまん中に。4球目、里中セーフティバント、猛司取りに走り岩鬼1塁カバーに入るさいわざと里中に衝突。走塁妨害で1塁セーフ。2番不知火ボールを見送る。フォアボールと見せて敬遠かと言われた岩鬼怒りでストライク、3球目もストライク、不知火強打するがセカンドフライ。(1死1塁)。小林初球はボールと踏むが山田のリードでストライクがくる。2球目ピッチャーの右脇を抜けるライナー、岩鬼グローブを出すもはじかれるが、長島が拾い2塁送球、2塁フォースアウト、さらに1塁へ投げてダブルプレー。2回表、岩鬼三振。山田初球見送り。2球目、バントの構えに驚いてわずかに甘くなった球を2、3塁間2塁よりにワンバウンドで飛ばす。しかしコースを予測していた里中が素早く飛び出してキャッチ、一塁送球、セーフ。6番1番三振。2回裏、雲竜デッドボール。激怒するのを景浦ほかがなだめる。雲竜次の打席はピッチャー返しを内心で決意。夏子登場。岩鬼力を抜いたストライクを投げるように。赤一郎、青二郎どうにか三振。

3回表。殿馬1球見送ってから2球目で「白鳥の湖」の構え。小林外角ぎりぎりへのカーブを投げるが、それを狙っていた殿馬とびついて打ちにいく。空中で下へ向けて強振、しかし力のない打球のためワンバウンド後ファースト方向へと曲がってはねファールゾーンへ。不知火が取りにいく間に殿馬一塁へ。長島、センターライナー。青二郎、二塁カバーの里中へ送球。わずかに殿馬の足が速くセーフ。(1死1、2塁)里中サードに戻り青二郎が一時セカンドへ。岩鬼夏子の励ましに気を良くするもサードフライ。ランナー走れず。(2死1、2塁)、里中敬遠はするなと檄。雲竜も三つ子含めて檄。青二郎センターに戻り里中2塁へ。1球目ストレート。山田見送り。2球目3塁線へライナーを打つがファール(ファールになるような外角へのカーブ)。雲竜ファールだから走るなと里中に指示。3球目山田力わざで再びサードライナー。レフトへ抜ける長打。里中殿馬を追って三塁へ走る。不知火赤一郎に無人の三塁へ投げろと指示。わずかに早く三塁へ辿りついた里中、小林の指示ですぐ後ろにせまるボールを後ろに倒れながらキャッチ。足はベースから放さず3塁フォースアウト。チェンジ。

3回裏、黄三郎3球目で根性のヒット。里中送りバント。(1死2塁)、不知火三遊間を抜けるライナー。殿馬取りに走る。黄三郎三塁を回る、長島中継に走り、殿馬からパス、強肩でのバックホーム。黄三郎思い切って山田に突っ込む。ボールに競り勝って1点。不知火は二塁で留まる。(0−1、1死2塁)、小林ホームラン性の当たりを殿馬がダイビングキャッチ。(2死2塁)。雲竜、強烈なピッチャーライナーが岩鬼の顔面に。岩鬼倒れるが転がったボールを飛び出した殿馬がキャッチ、三塁あやうくアウト。岩鬼学帽の校章部分に当たったためこんどは大怪我免れる。(0−1)

4回表、ピッチャー里中に。猛司、大河内、殿馬と三者凡退。4回裏、赤一郎、青二郎とフォアボール出塁。山田岩鬼をなだめて黄三郎は三振にとる。里中はまたもバントかと思ったら1,2塁間へライナー、外野に抜ける。殿馬あとを追い、岩鬼二塁カバーへ。赤一郎ホームを狙うが、岩鬼の超強肩のバックホームにアウト(2死2,3塁)。不知火1塁方向へ予想外のセーフティバント。青二郎ホームイン。(0−2、二死1,3塁)、小林三塁頭上を越すフライ。しかしコースを予測していた殿馬が、長島を止めて自分が走り長島にパス、長島バックホーム。本塁クロスプレー、アウト、チェンジ。

5回表。長島、変化球にヤマを張り三遊間を抜けるヒット。赤一郎捕球、長島2塁へ。岩鬼また三振。バッター山田。里中ストレートのサイン。雲竜驚きマウンドへ行くが説得される。山田雲竜のミットの位置から球のコースを特定、しかしストレートに驚きスイング止める×2。3球目、里中のサインに雲竜が首を二度振りマウンドへ。(ストレートを投げたがる里中を雲竜が説得したふり)ミットも下に構えシンカーと見せるが、山田はストレート狙いでホームラン(二人の仲の悪さからしてサインに反対されたら里中ならキレてるはず)、と思うが三つ子のプレーに阻まれる。長島タッチアップでホームイン。猛司三振、大河内キャッチャーフライ(1−2)。

5回裏。不知火1球目をホームラン。(1−3)、小林不知火に対抗してホームラン狙いと見せて一,二塁間を抜くヒット、二塁打。雲竜の打席。岩鬼全力の球を投げようとしてデッドボール。(無死1,2塁)赤・青・黄及び腰になったせいもあり全く打てず、チェンジ。6回表。殿馬、里中の球のコースが読めないので秘打白鳥の湖の応用で回転しながらバットの角度を少しずつ変えて何とか打つ。センター前に抜けるヒット。しかし眩暈のため早く走れずかろうじて一塁どまり。長島殿馬の息が整うまで時間稼ぎしつつ三球目を三遊間へ。小林ワンバウンドで取り一塁送球、長島アウト。不知火2塁カバーに入った小林に送球。かろうじて殿馬アウト。(二死)、岩鬼スイングの勢いで帽子の校章がずり落ち、視界が邪魔されたために悪球になり特大ホームラン。(2−3)山田、里中の外角へのカーブとスライダーを空振り、雲竜も後逸。ツーストライク。振り逃げ防止に容易く取れるストレートが来ると読むもアウトコースへのスライダー。空振りするが雲竜も後逸。振り逃げ。猛司バントしようとするも失敗、キャッチャーフライ。

6回裏。山田ぶつける覚悟で岩鬼に剛速球投げさせる。ストライク。バント狙いに的をしぼる。しかし里中プッシュバント。取ろうと仰け反った岩鬼の頭上を越え岩鬼転倒。ゆうゆう一塁セーフ。不知火岩鬼の剛速球と真っ向勝負。高くフライになるが外野がいないためにセンターに落ちる。殿馬後を追い岩鬼二塁カバーへ。里中3塁へ、岩鬼三塁に投げるはずが暴投、ファールラインを越えた球を山田取りに行く。その間に里中ホームへ走るかと思われるがクロスプレーを避けて3塁に残り次の小林に賭ける。(無死2,3塁)、山田スクイズを警戒するがフォアボールによる満塁を避けるため岩鬼のパワーに賭けて剛速球を投げさせる。ファール。2球目もファール。しばらくファールで粘り、後ろにファールが飛ぶ。山田あえてそれを後ろに転がりながらキャッチ。里中本塁突入。山田慌ててタッチに行くが里中かいくぐり滑り込みタッチ。(1死2塁、2−4)、雲竜の打席。山田ミットの位置で誘導して岩鬼にボール投げさせ四球で歩かせる。岩鬼再び荒れ球になるが夏子に声かけてもらってゆるやかピッチングにかえて何とか5,6番を打ち取る。

7回表。不知火登板。1,2,3と三振。7回裏。黄三郎凡退。里中サードフライ。不知火ホームランレベルに飛ばすがわずかに届かず極端に深く守っていた殿馬がキャッチ。(2−4)、8回表。岩鬼三振。山田バットにひびが入ったためピッチャー返しに、不知火キャッチ。猛司三振。8回裏小林セーフティバント。雲竜全力投球の球を大きく飛ばすがファール。長島それを追ってダイレクトキャッチ。(一死二塁)赤一郎、気力でヒット。(1死1、3塁)青二郎スクイズ失敗小林刺されスリーアウト。

9回表。大河内三振。殿馬山田のバットを借りて秘打花のワルツと見せて打撃妨害を取り出塁。長島敬遠。岩鬼三振。(二死1,2塁)里中二塁カバー。山田真っ向から打ちセンターの壁直撃のライナー。不知火三塁カバー。殿馬ホームイン(3−4)、長島三塁で止まる。猛司の打席。東郷戦と同じ状況だけに長島の本盗を皆が予測。1塁山田がいきなり走る。驚いて不知火2塁へ送球、しかし二塁は無人のためボールは転々と。小林と青二郎が取りに走る。長島その隙に走りホームイン。(4−4)山田三塁どまり。不知火動揺のあまり猛司にボール2連発するが皆の檄で立ち直り三振に。9回裏。黄三郎ファーストフライ。里中二遊間を抜くヒットのはずが殿馬にはばまれる。不知火サードライナー。

延長10回表。雲竜リリーフ。キャッチャー不知火。大河内、殿馬、長島連続三振。10回裏。雲竜初球ホームラン。試合終了。(4−5)

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