ジャパニーズ・トラディショナル・スタイル

 

「なんやサト、おまえまるっきり七五三やのう〜」

「うるさいな。おまえこそ和服のときまで学帽かぶってるのかよ」

「そこに突っこむのは野暮っちゅうもんづら。帽子とハッパは岩鬼の体の一部づらからな」

「しかし山田は似合ってるなあ。おまえが結婚するときは絶対和装だな」

 

オールスター以来久しぶりに集結したいわゆる「明訓五人衆」は、いつものように軽口を叩き合っていた。ただ普段と違っているのはここがグラウンドでなくテレビ局のスタジオで、彼らがチームのユニフォームの代わりにそろって羽織袴を身につけているという点だった。彼ら五人ばかりではない。この部屋の中のほとんどの人間―プロ一年目の選手たち―が同様の服装をしている。

彼ら「山田世代」の面々が柄にもない格好で柄にもない場所に集まっているのは、年明け放送のバラエティー特番収録のためだった。その名も「チーム対抗羽根突き選手権」。セ・パの全球団が一名ずつ選手を出し、羽根突きで勝敗を競い合うという他愛もない企画である。

ベテラン勢はみな年明け早々笑いものになりたくなかったのか(番組を盛り上げるため出演者が何か恥ずかしい真似をさせられるのは必至だと彼らは経験から察していた)、当然のごとく各チームとも新人にこの役割を振ってきた。テレビ局としても今年の新人は入団早々にオールスターに選出されるような人気者揃いだけに、彼らの出演を大いに喜んだのだった。

 

『さて、それではまず皆さんにはくじを引いていただき、それで一回戦の組み合わせを決定します』

司会のアナウンサーの言葉を合図に、一同は箱を持って立つ女性スタッフの前に並び、順にくじを引いてはそれを別のスタッフへ手渡していく。

『なお、羽根突きといえば羽根を落とした人の顔に墨を塗るのが定石ですが、今回は墨を塗る代わりにメイクを施させていただきます!」

とたんに観覧席から大歓声が―主として女性の黄色い声を中心に―沸き起こる。観客とは対照的に青ざめたのは選手たちである。

「メイクだと!?おい、知ってたか?」

「初耳だよ!球団の広報は当然・・・知ってたよな。」

「知ったうえでおれたちには黙ってたのかよ!ドッキリ企画じゃねーか!」

さすがに会話をマイクに拾われてはまずいとひそめた声が飛び交う。

「まず一回戦では負けた選手には口紅を塗らせていただきます。二回戦ではさらにアイシャドーと頬紅、三回戦ではアイラインにマスカラと、後に残るほどフルメイクの美しい装いを楽しんでいただけます。」

――誰が楽しいもんかっ!

選手たちの、おそらく全員が心の中で絶叫した。そんな彼らの内心をよそに観客席はすっかりお祭り騒ぎであった。

 

『それでは、対戦組み合わせを発表します。第一試合は・・・ロッテの里中選手対西武の山田選手!なんと明訓の黄金バッテリーがいきなりの対決です!』

里中は隣に立つ山田と目を見合わせた。――山田と、戦う。

山田とはこの10月に二回対戦している。苦心と苦闘の末開発した「スカイフォーク」を引っさげてようやく一軍に上がり、ストッパーとしてパ・リーグのセーブ記録をもう一歩で塗り替えようというところで、その記録をストップさせたのは山田だった。スカイフォークを見事にホームランされたとき、そればかりかベースを回りながら「ごめん」と小さく詫びてきたとき――自分でも驚くほどの悔しさが胸の奥を灼くのを感じた。

山田のプレーに惚れ込んで、山田とバッテリーを組むために明訓に入った。卒業してチームが分かれても山田が親友であることに変わりはない。ずっと当たり前のようにそう思ってきた自分は、おそらくあそこで初めて、本気で山田をライバルとして、倒すべき敵として認識したのだと思う。次戦うときこそは負けない。必ず打ちとってみせる。痛いほどに強く胸に誓った。

――まさか次の対戦がこんな形でやってくるとは思いもかけなかったけどな。

里中は羽子板の柄をぎゅっと握り締めた。バラエティーの企画だろうがなんだろうが、必ず勝ってやる。負けてたまるか。まして口紅を塗られた顔をお茶の間に披露するなど絶対ごめんだ。

――悪いな山田。ここはおまえが恥をかいてくれ。

試合開始のホイッスルが高らかに鳴りひびいた。

 

打者がバッターボックスで球を待ち受けていればいい野球とちがって、羽根突きではテニスやバドミントン同様、羽根を追って動き、羽根を打ち返さなければならない。鈍足で体の重い山田より身軽で足の速い自分が断然有利なはずだ。

そんな里中の思惑は試合開始早々に覆されることになった。初球から山田は実に意地の悪いコースコースをついてきた。もともと競技用のスポーツと違って決まったコートの大きさもネットもないだけに、前後左右に好き放題に揺さぶりをかけられ、俊足と体の柔らかさを生かして何とか打ち返すものの、こちらからはコースで揺さぶるどころの話ではない。

この一方的な試合展開に、そういえば山田は勝負となるとえげつないほどに非情に徹せられる男だったなと、山田に苦汁を飲まされた経験を持つ選手一同はそっと溜息を漏らした。

ついに慣れない袴に足を取られて里中がバランスを崩したところへ、山田が鋭いスマッシュを打ち込んだ。羽根がカツンと音を立てて床に跳ね返った。

「・・・くそっ!」

床に手をついて倒れかけた体を支えた里中が山田をきっと睨む。山田はちょっと困ったような顔をしてわずかに目を伏せた。また詫びるつもりか、おれをバカにしているのかと怒鳴りつけたい衝動にかられたが、カメラが回っているのを思い出して黙って顔をそむけ、着崩れた羽織を軽く手で引っ張って直した。

 

『第一試合は山田選手の勝利に終わりました!里中選手には今からあちらの別室でメーキャップにかかっていただきます。』

きゃーっという悲鳴が観覧席から起こった。もう勝手にしてくれと里中は腹をくくった。これも勝負だ、仕方がない。敗北はきっちりと認めよう。大歓声に送られながら、里中はスタッフの後について別室へと入った。別室といってもスタジオに4個ばかり特設された小さなブース程度のものだ。それでもカーテンを閉めると、完全に外からは見えなくなる。

里中が大人しく椅子に腰を下ろすと、案内の女性が「メイクを担当させていただきます。よろしくお願いします」と緊張の面持ちで頭を下げた。仕方なく「こちらこそ、よろしくお願いします」と里中も軽く頭を下げる。ほかに何を言えるものか。

「・・・あの、甲子園の頃から里中くん・・・里中さんのファンなんです。だから今日はメイクを担当できて・・・すごく光栄です」 

女性が頬を赤らめてはにかむ。その様子からするとまんざらお世辞ではなさそうだ。自分のファンだというなら、その好きな男に口紅を塗る仕事など光栄どころか最悪の役回りじゃないかと思うのだが、彼女はなぜかいそいそと楽しげにしている。「やっぱり無難にローズがいいかしら、ああでもピンク系も似合いそう」などと一人言を呟くのが聞こえて里中は背中が総毛だった。頼むからそんなに気合いを入れないでくれ。もう何色だっていいから。

カーテンの向こうからはたびたび歓声が聞こえてくる。次々に勝負が決まっているのだろう。これが他人事なら思い切り笑ってやれるのに。一回戦が終わるまでメイクルームにいてくれと言われたのが救いだった。化粧した顔など人前にさらすのはせめて少しでも短時間に留めておきたかった。

 

『これで一回戦は終了、ついで二回戦に移ります。メイクルームの皆さん、どうぞ出てきてください』

覚悟を決めてシャッとカーテンを引いて外に出るとわあっという歓声が耳にこだまする。隣接する3つの別室からも人が出てくる気配があったが、誰かを確認しようとは思わなかった。誰とも目を合わせたくなかった。

しっかり前を向け。現実から目を背けるなんて男らしくないぞ。それに一回戦で負けたってことはアイシャドーやらマスカラやらは免れたってことじゃないか。そう自分を鼓舞してみても、うつむいた顔を上げる気にはなれなかった。

『それでは二回戦の第一試合は・・・ロッテの里中選手とダイエーの岩鬼選手!』

「何だって!?」

里中は愕然と電光掲示板に表示されたトーナメント表を見上げた。確かに山田でなく自分の名前から上にラインが伸びて、殿馬に敗れた岩鬼のラインとぶつかっている。

「どうしてですか!勝者は山田じゃないんですか!」

思わず抗議の声をあげる里中に司会者は悠然と微笑んで、

『このトーナメントでは敗者が二回戦に上がる形式なんですよ。後に残るほどフルメイクになると最初に申し上げたじゃありませんか。敗者がそこでリタイヤしたらフルメイクになりませんでしょ。勝ち抜き戦ならぬ負け抜き戦ですね。』

ははは、と陽気に笑う司会者にそんなバカなっ!と内心叫んだのは里中だけではなかったはずだ。

――こうなったらとにかく次で勝って、このバカげた勝負から降りてやる!

決然と顔をあげた里中に向かって、岩鬼がのしのしと歩いてくる。その唇は当然ながら真っ赤に口紅が塗りたくられている。

――直視したくない・・・っ!!

「・・・サト。とことん似合わへんな。とんでもないドブスやで。」

「おまえに・・・」

言われたくないと続けようとしてついつい目を背けてしまう。

「これ以上のドブスっぷりを見せられる会場のお客はん方には気の毒やが、ここは心を鬼にしておんどれを負かしたるわ。覚悟してけや!」

「そっちこそ!今度こそ負けないからな」

あいかわらず目をそらし気味に、里中は力強く答えた。

 

とにかく岩鬼には悪球さえ投げなければ・・・いや、打たなければいい。ど真ん中に球を集めれば岩鬼は空振りして早々にこちらの勝ちが決まる。開始のホイッスルと同時に里中は岩鬼の正面めがけてサーブを打った。しかし自由に立ち位置を変えられる羽根突きにストライクゾーンも何もあったものではない。岩鬼は普通なら打ちにくいような位置に移動して、鋭い球を打ち返してきた。とはいえ硬球と違って物が羽根だけにいかに怪力の岩鬼といえどそうそう飛距離が出るはずもない。

両者の間で白熱したラリーが続く。予想外の展開に里中の内に若干の焦りが生まれた。それ以上に予想外だったのは客席の反応である。間断なく送られる声援はすべて岩鬼を応援するものばかりだったのだ。中にははっきり「里中負けろー!」という野次まで混ざっている。対戦校の選手や応援団に野次られた経験はあっても、観客の誰からも―とりわけ女性から―応援されなかった経験などほとんどない。観客がこぞって敵にまわったのは、高一の関東大会で賀間率いる甲府学院と対戦した時くらいのものだ。

冷静に考えればみな里中同様に岩鬼の女装など見たくなかっただけ―里中の女装なら積極的に見たかっただけとわかるところだが、孤立無援のショックが里中の動きを鈍らせた。力なく飛んだ打球を岩鬼が正面に打ち返し、それを受けようとして・・・うっかり岩鬼の顔をもろに視界に入れてしまった。

――しまった!

思わず目をつぶった一瞬に岩鬼の打球は非情にも床を叩いていた。

 

うっとり顔のメイクさんに迎えられて、里中は憮然と椅子に座るとさっさと目をつむった。瞼をブラシでこすられる感触が少しくすぐったい。

カーテンの向こうからかすかに、客席が一丸となったとおぼしき「がんばれ土門」コールが聞こえてくる。これはわかる。ものすっごく、わかる。里中はこっそりと溜息を吐いた。

 

三回戦の相手は現在広島カープの犬神だった。二回戦はシードだった彼は口紅のみだったが、それでも到底見られた顔ではない。したがってまたもや場内は犬神の応援一色となり、加えて土佐丸時代と変わらぬえげつないプレーとキヒヒ笑いに里中は圧倒されっぱなしだった。岩鬼の時と同じく、まともに顔を見ることさえできない時点ですでに勝機に見放されてたと言っていい。結局ここでも里中は実力に無関係のところで敗れたのである――。

 

『さあ、お待たせいたしました!ついに決勝戦です。ロッテの里中選手対日本ハムの不知火選手!』

――不知火だって!?

対戦のとき以外はずっとメイク室に入れられていたため(そして外に出てるときは大抵うつむきっぱなしだったため)、誰が「負け進んで」いるのかまるで知らなかった。高校時代は4番を打っていた、運動能力全般に優れている不知火が決勝まで残っているとは正直意外だった。

里中は不知火に目を向けた。さすがにトレードマークの帽子は脱いでいる。彼も里中同様もはやフルメイク状態だったが、もともと顔立ちの整った男だけにこれまた意外なほどに化粧がさまになっている。――あくまで綺麗なオカマというレベルでの似合い方ではあったが。

電光掲示板のトーナメント表を見ると、不知火の相手は一回戦の中はともかく、二回戦は土門、三回戦は武蔵である。さっきの「がんばれ土門」コールのときの対戦相手は不知火だったのか、と里中は納得した。三回戦も自分と同じように観客がみんな武蔵の味方をしたに違いない。あいつは昔から案外メンタル攻撃に弱い奴だったから、観客の野次やあの二人の化粧顔が相当堪えたんだろうな。我が身に重ねて、里中はいささか不知火に同情した。

一方の不知火も呆れ顔で里中を凝視していた。

――しかしまあ、見事に違和感がないな。

アイシャドーから口紅まで淡めのローズ系で初々しくまとめたメイクが愛くるしい面差しをなお引き立てている。顔だけ見たら完全に美少女で通るだろう。黒の羽織袴も男装の麗人めいてむしろ倒錯的な色香を醸し出している。

――この似合いっぷりじゃ、こいつも相当に野次られたんだろうな。

不知火は里中に幾分の同情心を覚えた。期せずして二人の間に連帯感めいた暖かな感情が通い合いかけたが、

『なお、この試合の敗者には振袖に着替えていただきます。』と司会が晴れやかに宣言した瞬間、その空気にピシッと亀裂が走った。

――冗談じゃないぞっ!

客席が沸きかえる中、二人はきっと互いを振り向いた。

「決まりだな里中。おれの背丈じゃ振袖なぞ着られん。おまえならさぞ似合うだろう。いっそそのまま着物を借りといて初詣にも着ていったらどうだ」

「和服なら着丈は融通がきくぜ。おまえこそ似合うと思うぞ。いいんじゃないか、ゲイバーのママみたいで」

壮絶な笑顔を浮かべて見つめ合う二人の間にバチバチと火花が散る。「ゲイバーのママは振袖は着ないだろ」とか「ゲイバー行ったことあるのかよ」とかツッコミを入れるどころではなく、異様な気迫を漲らせる彼らの姿に観客も思わず声を失い固唾を呑む。

『いや〜お二人ともすごい迫力です。さあ、最弱の王座はどちらがつかむのでしょうか!?』

「最弱」の響きに二人の眉が跳ね上がった。

――負けるか!

 

二人の打ち合いはテニスさながらの壮絶なラリーとなった。「美少女」と「美形のオカマ」が必死の形相で着物を着崩れさせながら縦横に走り回るさまは結構な見ものだった。女装が「似合って当然」の里中と「意外にも似合う」不知火に客席の応援も二分された。これまでの試合と違い、いつものような大声援が投げかけられることが二人の闘争心をなお掻き立てた。

すでにお互い肩で息をしながら、それでも気力で打ち合う状態がしばらく続いたが、里中のスマッシュを体の手前でかろうじて受けた不知火の打球がへろへろと上がりわずか数十センチ先に落ちた。ネットでコートが仕切られているなら完全にアウトになるところだが、この場合打ち返した者勝ちだ。怪我の功名だったが、不知火は自身の勝利を確信した。

その瞬間、里中が猛ダッシュで打球の落下位置へと突っこんできた。まるで本塁突入のごとき大迫力で。

まさかの脚力で里中はぎりぎり羽根に追いついてトスしたが、勢いのついた体はそのまま不知火にまともにぶつかった。折り重なって引っくり返った二人の頭の向こうに羽根がぽとんと落ちた。

「やった!勝ったっ!」

体を起こしざま思わずガッツポーズする里中に、「ふざけるな!打撃妨害だ!」と不知火が怒鳴る。

「何言ってるんだ!クロスプレーでおまえが力負けしたんだろうが!だいたいバッターボックスまで届かないような球を投げといて偉そうに!!」

「なんで投球扱いなんだ!あれはバントだ!」

不毛すぎる二人の言い争いをさしもの司会者もしばしポカンと見守っていたが、

『えー、再試合という手もありますけど、収録時間も押してますので、ここは両者優勝ということでどうでしょうか。』

と妥協案を持ち出してきた。

「・・・振袖は着なくていいんでしょうね?」

二人のじとっとした視線を受けた司会者は、「それは・・・もちろん。一着しかありませんし」とやや押され気味の声で答えた。

「・・・どうだ里中。ここは引き分けということで手を打つか」

「・・・ちょっと悔しいが賛成だ。これ以上醜態をさらしたくないからな」

二人が了解の印に頷いたのに、司会者はホッとした表情になった。

『それでは優勝のお二人の記念撮影にうつりまーす。せっかくですから撮影の前にお二人にはメイクを直してもらった方がいいですね。だいぶ汗で流れちゃってますから』

またもメイクしろというのかと二人の頬が引き攣ったが、

『いやまあ今のままでもちょっと乱れた感じが扇情的、いや色っぽくていい気もするんですけどねー』

と脳天気な声で続けられて、「直させていただきます」と力強く声をそろえた。

 

番組の本放送の日、里中は山田たちとプロ入り初の合同自主トレの最中だった。当然番組を見るつもりなどなかったのだが、四対一の多数決で押し切られいやいやTV鑑賞に付き合わされるはめになった。

番組が進むほどに里中の顔つきはどんどん険悪になっていったが、番組のラスト、記念撮影の写真に「祝!最弱対決優勝!」などとキャプションが付けられているのを見るにいたって、「結局最弱呼ばわりなのかよ!」と怒りの叫びをあげたのだった。


正月特番を流すには自主トレ中(1月10日過ぎ)ってのはちょっと遅いような気もしますが、まあそれはそれってことで(笑)。

(2010年1月2日up)

追記−司会者の台詞が「勝者には振袖に〜」ってなってましたが「敗者には〜」じゃないとおかしいですね。今さらながら訂正しました。

(2010年4月30日up)

 

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