犬飼知三郎

 

犬飼三兄弟の末っ子。長兄小次郎と次兄武蔵もたいがい似てない兄弟ですが、知三郎は唯一小柄で優男のいかにも優等生なメガネ君、と兄二人と全くカラーが違っている。似ているのは三兄弟共通のモミアゲくらい。そのキャラクターにふさわしく、殺人野球を標榜するいかにも校風が荒れてそうな土佐丸高校ではなくて進学校の室戸学習塾に在籍。東大目指して勉学一直線、野球には全く興味なかったはずが、ガリ勉で培われた兄たちにも匹敵するど迫力を徳川監督に買われ、どう説得されたものかいきなり野球をはじめ弱小の野球チームをほとんど一人で引っ張ってあの土佐丸を破っていきなり甲子園に出場する快挙を成し遂げる。
その戦績といい、対角線投法だのマウンテンボールだのの“隠し技”を数多く仕込んでることといい、到底少し前までは野球の素人だったとは思えない。かなりチートなキャラではありますが、まあこれも生まれ持った才能ってことなんでしょう。『大甲子園』には室戸のほかにもりんご園農業、紫義塾と3つのオリジナルチームが出てきますが、チーム内で知三郎の実力が突出してたこと+小次郎・武蔵の弟という設定も手伝って、『大甲子園』オリジナルキャラ中でも一番の存在感を醸し出していました。

そんな彼は『プロ野球編』7巻で、故障で長く戦線を離脱していた長兄・小次郎が復活したのにともない、応援のため福岡ドームまで駆けつけるという形で再登場。この時点ではまだ高三だった彼は、その翌年、97年の秋にダイエーにプロテストを受けに訪れる形で再々登場します。
小次郎と同じダイエーだからてっきり兄を慕ってのことかと思ったら、直接の契機はテレビでロッテvsダイエー戦を見てプロのレベルの低さ、とりわけダイエー投手陣のひどさに呆れて「ダイエーこそおれの力を必要としているチーム」だと思ったからとか。このあたりの生意気っぷりはいかにも知三郎という感じでいいんですが(この試合で投げていた里中を見て「おれと変わらん里中さん程の体でも通用するんだ」と考えてるのには若干ムッときますが)、「ダイエーには兄貴もいるし なんといっても尊敬する岩鬼さんがいる」と続くのがなんとも違和感。
ダイエーのテストを受けるにあたって岩鬼を頼ってきたのは小次郎には大学を中退してのプロ入りを反対されたので他に手づるがなかったから、いかにも岩鬼を尊敬してますという顔で単純な岩鬼を利用したんだと思ってたんですが、まさか本気で岩鬼を尊敬していたとは。高校時代対戦した時の様子など見るに岩鬼をなめていたとしか思えなかったのに。何をきっかけにそんなに岩鬼を尊敬する気になったのだろう?
考えられるのは小次郎が復帰した試合において岩鬼がファインプレーで小次郎のピンチを救い、また山田のピッチャーライナーでケガ(肋骨にヒビ)を負いながらも続投してついに力尽きマウンドで倒れかけた小次郎を支えて感涙を浮かべながら励ましていた姿に胸を打たれた、くらいか。もしくは甲子園で戦ったとき、最後は岩鬼の作戦とバット(スクイズと見せかけて悪球を誘っての逆転ツーラン)に敗れたことで岩鬼に対して尊敬の念を抱くようになったのかも。

本来高三夏の大会以降は野球をすっぱり辞めて東大受験に専念する予定だった知三郎ですが、試合後山田から「しかしキミたちなら文武両道もいけるよ」、殿馬から「ムリづらと思うから専念するづらよ」「しょせんその程度の小物の集まりづんづらよ」(山田の訳によると「文武両道もキミたちならいける」という意味だそう)と激励されたのが効いたのか結局大学でも野球を続け、後には大学を中退してプロ入りすることになります。
思えば知三郎にこんな言葉をかけた殿馬にしてからが、指を手術までするほどにピアノに賭けていながらちょっとのつもりで始めた野球にどっぷり漬かって結局野球が主・ピアノが従になってしまった男なので、自分をほぼ完璧に抑えてのけた知三郎を認めればこそ“これだけの力のある男が野球を捨てられるはずはない”と感じてああいう言葉をかけたのかもしれません。知三郎の方も指を手術したことまでは知らないにせよ殿馬が野球とピアノを見事に両立させている(どちらも超一流)のを思って、殿馬にできるなら自分だって、と持ち前の負けん気で思ったとしても(きつい激励を受けただけに)不思議はない。
ただその割に当初の希望通り東大に行かず地元の室戸大学に進んだのかは不可解ですが。室戸が野球の強豪というならともかく「野球のレベルには期待してなかった」そうなので結局野球と両立させるために志望校のランクを落としたと見えてしまって、それは知三郎らしくないような。室戸大学は室戸大学で「勉強のレベルはたいしたもの」だそうですがさすがに東大レベルではないだろうし。結局半年そこらで中退してしまったので「文武両道」じゃなくなっちゃったしなあ。ピアノで培われたリズムを野球に取り入れオフにはピアノの独奏会も開く殿馬みたいに、勉学で培われた頭脳がプロ野球選手としての活躍に生かされてるかというと頭脳労働=リードはもっぱら山田担当なので頭の良さを発揮する場がないという・・・。

最初から自分が入るのはダイエーしかない、というよりダイエーに入るためにプロ入りを決意した知三郎は見事にテストに合格したにもかかわらず、ドラフトで西武・阪神・近鉄にも指名されてしまったためクジ引きで西武に行くことになってしまう。知三郎にも彼に期待してた岩鬼たちダイエー一同的にも無念としか言いようのないこの展開は、中西球道がロッテ入りした99年のドラフト会議の場で「逆指名制度になってからもうひとつドラフトも盛り上がらなくなりました」「入団選手はすべてドラフトで指名されなきゃならないというのは隠し玉というスカウト妙味を消し去ってしまっているわけでしょ」という会話が出ているのと同様、当時のドラフト制度に対する水島先生の不満が滲み出しているように思えます。
それでも知三郎は一年浪人してでもダイエーに入る意志を示して抵抗、「一流選手になるチャンスを2年も3年も延ばす事はない」「ダイエー以外ならお前はライオンズが一番向いとる」という岩鬼の説得にもドラフト会議も終わらないうちから知三郎説得のため福岡までやってきた(よくここにいるのがわかったもんだ。高知の実家に行くのが普通では)山田の説得にも頑として動かなかったのですが、家に帰って愛犬・嵐の突然の死に直面した彼は「主人の命令にいつも逆らわず 行けといえばどんな時でも必死に闘ってき」た嵐を思い、「4球団の中から東尾監督がおれを引いた それがおれの運命なんだって そしてそれを受け入れてこそ真の王者になれるんだと考え直したんです」と山田に語って一転西武入りを決意することに。このへんの知三郎の心理の流れ、岩鬼や山田たち周囲の人間の行動は実に上手く描き出されていて一人一人の言動が胸を打ちます。

この“知三郎西武入り”についてはドラフトのエピソードになってからの後付けではなく、知三郎がダイエー入りを志願する場面以来の構想だったと思われます。そう考えるのは『大甲子園』の時点で知三郎は体格や強気な性格、変化球が多彩なことなど里中とよく似ていると言われていたから。非力なかわり七色の変化球と抜群のコントロールを有する里中が山田と相性がよかったように、山田のリードは里中タイプの投手と組むのが一番生きる。プロ入り後は山田と里中がバッテリーを組めるのはオールスターに限定されてしまったので、知三郎を再登場させるにあたって里中と投手としてのタイプが似ている彼を西武に入れて山田と組ませようと考えたんでしょう。ただあまり山田・里中バッテリーと同じ感じにしても今度はオールスターで山田と里中が組んだときの妙味がなくなるし、やはり山田の最良のパートナーは里中であってほしいと無印以来のファンのおおよそが感じている(だろう)ことに配慮してか、剛速球投手の蔵獅子丸も交えての三位一体で動くことが多く、あまりこの二人はいい意味で黄金バッテリーとか親友という感じにはならなかったのに個人的にはホッとしました。

『プロ野球編』の知三郎はとくに西武入団以降すっかり丸くなってしまって『大甲子園』時代の凄みが消えてしまった(絵柄的にもずいぶん可愛らしくなった)、かつては敵だった山田にすっかり従順になってしまったのがファンには結構不評のようですが、これは確信犯的なキャラクターの変更だろうと思います。西武入りを決めたとき知三郎は「気分一新」のためだと髪を短くしていて、そのさいにモミアゲもすっぱりなくしてしまっている。全く似てない犬飼三兄弟の唯一の外見的共通点といってよいモミアゲを切ったというのは兄弟の情―ダイエーへの未練を断ち切って新しいスタートを切ろうという知三郎の決意が端的に表れている。
そして先に書いたように西武入りを決めた心境として“運命を素直に受け入れる”気持ちになったことを語った知三郎が、山田の采配も獅子丸の我が儘や傲慢さもさらりと受け入れまた受け流しているのは、彼としてはごく自然な変化なのだろうとここは違和感なく納得できました。そして一見素直そうでもしばしば悪気なく?先輩を先輩とも思わない生意気な言葉をしれっと口にする姿に、やっぱり知三郎だなあと安心したりするのです。


(2012年5月26日up)

 

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