微笑三太郎

 

山田が一年生の夏、甲子園初出場にして初優勝をなしとげた明訓高校。里中の怪我を皮切りに、準決勝・決勝の盛り上がりは素晴らしく、物語として一つの頂点を迎えたあとだけに、下手すれば秋以降作品の熱が(読者の熱も)トーンダウンしかねない。
加えて三年生の土井垣が引退することでキャラ的にも手薄になるところを補うべく、魅力ある新キャラを投入する必要があった。それが敵校サイドでは横浜学院の土門剛介であり、味方サイドでは微笑三太郎だったのでしょう。彼は単にチームメイトというだけでなく、山田と同じキャッチャーというポジション、それも豪腕土門に切望されるほどの実力者ということで、山田の立場を揺るがしかねない部内のライバルという位置付けとして登場してきます。それは彼が入部した当初の「微笑三太郎・・・・・・・・・ 山田に大変なライバルが現れたものだ」という里中のモノローグにも表れています。

にもかかわらず秋季大会のスタメン発表時に山田がキャッチャーに指名されて以降は山田とポジションを競うこともなく、暫定ポジションだったレフトにすっかり落ち着いてしまう。一つにはかつて土井垣が言ったように、山田がキャッチャーしかできない、鈍足などの理由から他のポジションには不適な潰しの効かない男だからというのもあったんでしょうが。つまり山田とポジションのかぶる&他のポジションもこなせる器用さのある人間が山田にキャッチャーを譲って他を守るのが打撃・守備の両面でもっとも効率がよい、という。実際俊足・強肩の三太郎は守備範囲の広い外野にはうってつけで、抜けてもおかしくない球をダイビングキャッチのファインプレイ、というシチュエーションが何度も描かれています。

しかし山田が正捕手であっさり定着した一番の理由は、三太郎自身認めているように純粋にキャッチャーとしての実力において三太郎が山田に遠く及ばなかったからだと思います。明訓野球部を訪れた初日に岩鬼の剛球をがんがん受け止めているように、後には里中の暴投をジャンプして見事に止めたように、三太郎はキャッチングだけを取るならおそらく山田に負けてはいない。
しかしことリードとなると、相手打者の癖や性格をいちいち読みきってコース・球種・球速まで細かく指示を出す山田のような真似はおそらくできない。おそらく、というのは三太郎のリードがどの程度のものなのか、披露している場がおよそ見当たらないから。ときたま、山田が怪我した時など三太郎がキャッチャーを努めることもありますが、その時はリードは里中に任せたり、はては内野に入っている山田がリードすることさえあって、キャッチャーの重要な仕事の一つであるリードを丸投げというか放棄してしまっている。転校先の学校を間違える、そして間違えた先が気に入ったからとそのままそちらに居座ってしまう大雑把な性格だけに、ちまちました緻密さが必要になるリードは苦手と割り切ってるのかもしれません。

この「転校先の学校を間違える」事件については方々で語られていますが、正直ありえないだろうと(笑)。“ドカベン”という仇名だけが頼りで肝心の学校名は全然覚えてなかったってのが。明訓野球部を訪ねてきた初登場シーンより前に編入試験やら転入手続きやらあったはずなのにその間に勘違いに気づかなかったものですかねえ。横浜学院の野球部部長?のモノローグからするにこの人と直接電話でやりとりしてるらしいのに。

だいたい野球経験者、それもキャッチャーでありながら、この夏の甲子園優勝校、その勝利の立役者である「明訓の捕手・ドカベンこと山田太郎」の名前を知らないなんて!?甲子園の中継を見ていたなら明訓のドカベンは捕手だと当然知っているはずなのに。・・・これはもう、実は海外から帰国・編入したとかなのかも。それなら「前の学校で野球部に所属していた人間は、転入後一年間は公式戦に出られないはず」という疑問も解決する(前の学校が国外ならおそらく規定に引っ掛からないのでは)し。

三太郎の悲劇は、なんといっても岩鬼を明訓のエースだと勘違いしたことでしょう。これについては岩鬼が自ら剛球王をもって任じているわけだし、実際に球を見ればまさか彼が投手でないとはまず思えないから三太郎に非が有るわけではない。
しかし明訓真のエースは里中で、かつて山田とバッテリーを組みたさに当時の正捕手だった土井垣を暗に追い落としさえした男だった。こりゃどう考えても三太郎には分がない。それに里中自身の意志は置いても、上でも書いたように三太郎自身どうやらリードは得意じゃないらしい。バッテリーを組むピッチャーが土門や岩鬼のような剛速球をがんがん投げるタイプなら細かいリードなどいらない、剛球にダメージを受けることなくしっかりキャッチできるかどうかが重要となる。
土門の場合などキャッチングの全くできない谷津吾朗でさえ捕手が務まったように、とにかくボールが止められればいいわけだ。もし本来の予定どおり三太郎が横学へ転入し土門と組んでいたなら三年間不動の正捕手でいられたろうし、あるいは(リードなど意味をなさない)岩鬼とバッテリーを組んでいたなら、山田と遜色ないキャッチャーぶりを発揮できたのかもしれない(そういえば岩鬼と三太郎は実際の試合でバッテリーを組んだことってないはず。高二春土佐丸戦のとき里中・山田の満身創痍ぶりを案じた土井垣監督が岩鬼・三太郎にバッテリーをそっくり替えるべきか内心検討してた場面はありますが)。
里中が無事怪我を克服し復帰してきたのが三太郎にとっては不運でした。最初からエースがバワーのない、変化球の多彩さとコントロールの正確さ――優れたリードを得てこそ真価を発揮できる里中だと知っていたら、土門が迎えにきた時点で三太郎は横学を選んでいたかもしれない。

だからといって三太郎は決して里中を恨んではいなかったと思います。バッテリーとしての相性は良かったとはいえないものの、人間的には常に好意を持っていたんじゃないでしょうか。明訓の同期は山田・岩鬼・殿馬と、大天才か天才と紙一重みたいな連中ばかり。その中にあって里中は彼らともども「明訓四天王」などと称されているものの(もっとも作中で彼らが「四天王」と評されるのを見たおぼえがない。むしろ著者やファンがそう呼んでいたような気がします)、他三人に比べると凡人、不断の努力によってここまで登ってきた男。同じ凡人として三太郎は里中には他の三人にはない親しみを覚えてたんじゃないかと思います。そもそも生真面目一方の山田や多分にエキセントリックな岩鬼・殿馬とは野球に直接関係ない日常会話をしてる場面が想像つかないのですが(全く盛り上がらないか会話があさっての方に行ってしまうかのどっちかでは)、里中とだったらごく当たり前のバカ話なんかもできたんじゃないか。ときどき「智」と里中を下の名前で呼ぶことがあるのも彼に対する親しみの表れじゃないかと思います。

(一方で対等の存在と思うゆえか、さりげなく里中に対しちくりと毒を含んだ発言をすることもあります。高二秋に次期キャプテンが誰になるか話題に上っていた頃、「おれって線はないかな?」と言った里中に対し「ないね!!投げるだけで精いっぱいのくせして」とさらっと笑顔で言い切るのとか、無印終盤、作中での山田人気が異常に加熱した時期には「ちょっと前まではおまえの名ばかり呼ばれてたのにな」なんて言ってるとか。何気に失礼なんですが、里中は特に気にしてる様子がないのでまあいいか。)

またあのにっこり笑顔で結構えげつない作戦をさらっとやってのけるのも三太郎の特徴です。その作戦に被害者は主として土門さんなんですが(笑)。転校に当たっての因縁がある相手なので、対横学戦になると三太郎は俄然脚光を浴びることになる。その脚光の浴び方がマウンドに穴を掘るとかだったりするんですが。まあそんなこすい作戦をとっても嫌味にならないのはやはりあの笑顔の賜物でしょう。


(2011年6月18日up)

 

 

 

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