Gift from “S”

 

年の瀬が迫る夕暮れの町を、山田兄妹は商店街に向かって歩いていた。

大きな兄が小さな妹を手の平の上に乗せ、二人陽気に歌いながら歩く微笑ましい姿は、この町の人々にはすっかり馴染みの風景となっていた。が、この日ばかりは少し様子が違っていて――

 

「ジングルベール、ジングルベール、すーずーがーなる〜♪」

いつもの「ピンポンパポーン」の代わりに「ジングルベル」を歌うサチ子はすっかりはしゃいでいた。商店街の入り口のアーチに巻かれた金銀のモールや街路樹をピカピカ光らせる電飾が、彼女の心をなお浮き立たせているようだった。

この春に小学校にあがったサチ子は、そこで初めてクリスマスという風習を知った。サチ子は幼稚園に行っていなかった―行かせるお金がなかった―し、長屋の住人でクリスマスを祝う余裕のある者などいなかったからだ。山田も祖父もこの時期は意識的にサチ子をクリスマス気分に彩られた商店街には連れてこなかった。プレゼントをせがまれても買ってやれる当てもないし、それ以前に幼いながらに家の経済状況を充分了解しているサチ子は何か欲しいと思っても黙ってじっと我慢することだろう。それが不憫さにあえて誘惑の多い場所を避けてきたのだ。

しかし今年に限ってはサチ子が自分から今日は兄と一緒に買い物に行くと言ってきた。「だって今日はクリスマスイブでしょ。商店街行ってみたい。見るだけだから」

見るだけだからという健気な言葉に押されて買い物に連れてきたものの、商店街に着くなり兄の手の平から飛び降りたサチ子は左右をキョロキョロと眺めてまわり少しも落ち着いていない。やはり家に置いてくるべきだったかと山田が後悔しかけたとき、サチ子が「あっ!」と叫んだ。

「どうしたんだ、サチ子?」

「あっち!サンタクロースがいるよ!」

歓声をあげてサチ子は一目散に走り出した。確かに数十メートル先に全身真っ赤な衣装の人影が見える。あのへんには確かケーキ屋があったはずだ。おそらくはケーキ屋の売り子がサンタクロースの格好をしているのだろう。

あの調子じゃサチ子はいきなりサンタに飛びついてプレゼントをねだるかもしれない。あわてて山田は後を追い、サンタの手前でぽかんと口を開けて立っているサチ子をつかまえた。

「サチ子、勝手に走ったら迷子になるじゃ・・・」

言いかけて目の前のサンタの顔を見た山田もぽかんと口を開けた。サンタの方も驚いたようにこちらを見ていた。

「山田くんじゃないか。妹さんと買い物かい?」

「え?・・・里中くん?何やってるんだい?」 

「えーやっぱり?里中のおにいちゃん?」

思わず兄妹の声が揃う。サンタの衣装を着ていたのは、ここ一ヶ月ほど一方的に山田家来訪を繰り返している少年だった。手には試食用に小さく切ったケーキを乗せたトレイを持ち、傍らのワゴンには中身はケーキとおぼしき白い箱が積まれている。

「見ての通りさ。ケーキ屋のアルバイトだよ」

「アルバイトって、だってきみ受験生・・・」

「しっ。ここでは高一ってことになってるんだ。バレないようにわざわざ家から遠い場所を選んだんだから。クリスマスシーズンだけの短期でね」

そういえばここ数日里中は顔を見せなかった。さすがに年末押しかけてこないだけの常識はあるのかと思っていたが、単に「副業」に勤しんでいたらしい。

やや呆れ気味の山田の視線を里中は気にするようでもなく、ちょうど通りがかった女性二人にケーキの試食を勧めている。愛くるしい顔立ちの少年ににっこり微笑まれて、二人組は思わずというふうにケーキを刺した爪楊枝を受け取った。

「当店のケーキはスポンジの生地に平飼いの鶏の卵を使っておりまして――」

丸暗記なのだろうがよどみない口調でケーキの特長を説明する里中の口上に、山田はつい聞き惚れてしまった。それは女性客も同じだったのか、ダメ押しの笑顔に背中を押されるように、ワゴンから箱を一つ取ると店内に消えていった。

あざやかな手並みに感心の息をついた山田は隣にサチ子の姿がないのに気がついた。見ればサチ子はケーキ店のショーウィンドウに顔をくっつけるようにして中を覗きこんでいる。オレンジ系の暖かなライトで照らされた店内の、綺麗に飾りつけられたクリスマスツリーやショーケースに並ぶ種々のケーキにすっかり魅せられてしまってるようだ。

このままではケーキを買ってくれと言い出すんじゃないか。山田は少し焦り気味に「ほらサチ子、早く買い物を済ませて帰らないと。遅くなるとじっちゃんが心配するから」と促したが、「もうちょっと。ただ見てるだけだから」とサチ子はウィンドウから離れようとしない。叱るのも可哀想で山田が手を焼いていると、

「山田くん。妹さんはぼくが見てるから、買い物に行っておいでよ」

里中が思いがけぬ助け舟を出してきた。

「だってきみ、仕事中なのに・・・」

「だいじょうぶ。まだピークの時間にはだいぶ早いから。さっきから全然お客さん来ないだろ」

言われてみれば確かに先ほどの女性二人組のほか、店の前を通りかかる人影はない。

「でも・・・」

「心配するなよ。ケーキ売りつけたりしないから」

笑顔でそう言われてしまうと、内心の心配を読まれたような決まり悪さがあって、これ以上の遠慮もしづらくなった。

「・・・じゃあ、お言葉に甘えるよ。数分で戻るから」

どうもこの少年に借りを作るのは後々高くつきそうな気がする。幾分不安を胸に抱えながら、山田は下駄を鳴らして商店街を駆け出した。

 

山田が行ってしまってしばらくすると、さすがに飽きたのかサチ子がウィンドウから離れて側へ寄ってきた。

ちょうど里中も人が来なくて退屈してたので、トレイから試食用のケーキを取ってサチ子に渡してやる。

「わあ、ありがとう!」

目を輝かせて一口サイズのケーキを頬張ると「あまーい。美味しーい」と嬉しそうに笑う。無邪気な笑顔に釣り込まれて里中も微笑むと、口の端についたスポンジの屑を指先で払ってやる。サチ子の頬がほんのりと赤く染まった。

「ねえ、お嬢ちゃん」

「サチ子、だよ」

「サッちゃんか。サッちゃんはサンタさんにどんなプレゼントをお願いしたんだい?」

子供の扱いなどよくわからないが、せいぜい易しい口調で目線を合わせるように話しかけてみると、

「里中のおにいちゃん、サンタさんってどんなプレゼントでも持ってきてくれるのかな?」

サチ子は微妙に外れた問いかけを返してきた。

「・・・うーん、あんまり値段の高いものはダメじゃないかな。ほら、たくさんの子供にプレゼントしなきゃならないし。」

山田家の財政状況を想像してとっさに言い繕う。

「べつにお金はかからないと思うんだけど・・・」

言いよどむサチ子の様子に里中はチャンスだ、と思った。こないだから山田の家に何度も通ったにもかかわらず、結局山田はどこの高校に進むつもりなのか打ち明けてはくれなかった。明訓高校を見学に行っていたから十中八九明訓で確定だろうが、もしも間違っていたら目も当てられない。念のためだ。山田のいない今のうちにサチ子から兄の進学先を聞き出しておくに越したことはない。

「どんなものが欲しいの、サッちゃん?」 子供の欲しがるものの額など知れているだろう。本人もお金はかからないと言っているのだし、自分の懐も裕福とは程遠いが、このさいプレゼントで機嫌を取るくらいのことはしてもいい。

「あのね、おにいちゃんが高校に合格できますようにって」

「・・・え?」

「おにいちゃんは頭いいから大丈夫だと思うけど、念のため。やっぱりおにいちゃんには高校行って野球つづけて欲しいもん」

サンタというものを何か勘違いしてるとしか思えないが、里中はいささか胸を打たれていた。自分の欲望が最優先で当然の年頃なのに、この子は兄の幸せを真っ先に考えているのだ。

「・・・だいじょうぶ。きっとおにいちゃん思いのサッちゃんの気持ちはサンタさんにも通じるよ」

「ほんと?ありがとう。じゃあ今からお願いしとくね」

ほがらかに言うとサチ子は目を閉じて里中に向かってパンパンと両手をあわせた。いくらサンタの格好だからっておれを拝んでどうするんだい、と里中は苦笑しかけたが、次の瞬間、

「おにいちゃんが明訓高校に合格できますように」

サチ子の明瞭な声が耳に響いた。

――やった!

あれだけ知りたかった情報が棚ボタ的に転がりこんできた。里中が内心ガッツポーズをしていると、カラコロと下駄の音が近付いてきた。

 

「お待たせサチ子。里中くん世話になったね。サチ子が迷惑かけなかったかい?」

「まさか。サッちゃんはすごくいい子だったよ。ね?」

里中が傍らのサチ子に頷くと、サチ子も「ね?」と笑顔で頷き返した。

いつのまにかすっかり二人が仲良くなっている―サチ子が手懐けられている―様子に山田はまた不安を深めたがそれは表に出さなかった。

「じゃあ本当にありがとう。アルバイト頑張ってな」

「ばいばい、里中ちゃん!」

とうとう「里中ちゃん」になってしまった。苦笑しつつ、里中は手を振りながら去ってゆく二人の後ろ姿を見送った。

 

山田家が夕飯―彼らには贅沢品のサンマを今夜は奮発した―を取っていると、ほとほとと戸を叩く音がした。

「こんな時間にだれだろう?」 山田が立っていって引き戸を開けると、そこに里中が立っていた。大分冷え込むのか鼻の頭と頬が赤くなっている。

「里中くん?どうしたんだい?」

「遅くにすまない。今アルバイトの帰りなんだけど、サッちゃんに渡したいものがあって」

「あたしに?」

サチ子が山田の横にやってくる。

「これ。残り物で悪いんだけど。ぼくからのクリスマスプレゼント」

そう言って差し出したのは白いケーキの箱だった。

「えー、すごーい、これ本当にもらっていいの!?」

「里中くん、こんな高価なものを・・・」

真剣な山田の声に里中が吹き出した。

「高価じゃないよ。余ったケーキをタダでもらえたんだ。だから遠慮しないで」

山田は傍らのサチ子を振り返った。サチ子は大きな目をきらきらさせてケーキの箱を見つめている。山田は一つ息を吐いて、

「ありがとう。お言葉に甘えるよ」と手を差し出し箱を受け取った。その時里中の小さな手が視界に入り――山田はわずかに眉をひそめた。

「わあい、ありがとう里中ちゃん!サチ子もなんか里中ちゃんにプレゼントする〜♪」

サチ子は歓声をあげて跳ねまわっている。

「サッちゃんからはもうもらったよ。クリスマスプレゼント」

「えー?何のこと?」

サチ子は里中を上目遣いに見上げながら小首をかしげてみせる。

この子は実は全部わかってるのかもしれないな、と里中は思った。サンタに願い事をするような素振りで、自分に兄の進学先をそっと知らせてくれた・・・のかもしれない。もちろん本当のところがどうなのかはわからないが。

「太郎、サチ子。里中くんは夕飯まだなんじゃろう。上がって食事をしてってもらったらどうだね。大したものもないが」

奥から山田の祖父が声をかけてくる。

「そうだな、里中くん、上がっていけよ」

山田も親切に勧めてくれたが、里中は首を振った。

「気持ちは嬉しいんだけど、母を家で待ってるから。そろそろ帰らないと。食事中にどうもお邪魔しました。」

最後は奥にも聞こえるように大きな声で言って踵を返そうとする里中を、山田は「ちょっと待って」と呼び止めた。

――夕方に会ったときはサンタの赤い手袋をしていたから気づかなかったけれど。

「ちょっとだけ待ってて。すぐ戻るから」

山田は急いで部屋へ入ると洋服ダンスの一番下の段を懸命にあさる。やがて目当てのものを引っ張りだすと、

「お待たせ。よかったらこれ、持っていってくれ」

山田が差し出したのは古ぼけた手袋だった。

「以前ぼくが使ってたものなんだけど、もう小さくなっちゃったから」

小学校時代に使ってたとは里中のプライドを考えてあえて言わなかった。

「・・・いいのかい?」

「どうせぼくは使えないし、サチ子には大きすぎるからね。はめてごらんよ」

手袋を受けとるために差し出された里中の両手は、小さなあかぎれだらけだった。この寒いのに彼が手袋をしてないこと、受験生なのに年齢をごまかしてまでアルバイトをしていたこと、「母が」ではなく「母を」家で待つと言ったこと。そのすべてから彼の家庭環境の片鱗がうかがえるような気がした。ともかく投手にこんな手をさせておくべきじゃない。

「サイズはどうだい?」

「・・・うん、ちょうどいいみたいだ。ありがとう」

里中はふわっと綺麗な笑顔を見せた。思えば鼻で笑うような不敵な表情でも愛想笑いでもない、こんな無邪気な笑顔を里中が見せるのは初めてのような気がする。滅法気が強くて人の都合などお構いなしで、でも存外素直で気持ちの優しいところもあるんだな、と山田はこの少年を少し見直す気になった。

 

軋むような音とともにアパートのドアが開き、「ただいまー」という声が聞こえる。

「おかえり、母さん」 里中は流しの水道を止めて玄関の方へ向きなおった。

「ごめんね智、遅くなっちゃって。お腹すいたでしょ」

「いや、おれもさっき帰ったところだから。まだ夕飯作りかけなんだ。それとごめん、今日ケーキもらってこれると思うって言ったけど、山田の妹にあげちゃったんだ。代わりに山田からこれもらってきた」

と、食卓の隅に置いていた手袋を取り上げてみせる。

「まあ良かったわねえ。今度山田くんにちゃんとお礼しないとね。ただでさえ迷惑かけっぱなしなんだから」

「うん、ちゃんと考えてるよ」

来年になれば、山田は明訓に通うようになる。そして、なりは小さくてもコントロール抜群の投手と組んで甲子園行きの切符を手に入れることになるのだ。

――それがおれからの、本当のクリスマスプレゼントだ。

里中は手袋を両手できゅっと握りしめた。

 


                                                    

(2009年12月24日up)

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