『ドカベン』の革新性(1)      

 

『ドカベン』が画期的だった最大のポイントは、キャッチャーが主人公だということだったと思います。
野球マンガといえば投手が主人公というのが定番で、剛速球や魔球(常識を超えたとんでもない変化や投球法を伴う球)を投げるピッチャーと強打者(こちらも常識外の打法を持っていたりする)の対決に焦点が当てられ、キャッチャーは単なる球受けに過ぎないケースが多い。

そこを『ドカベン』ではキャッチャーをメインに据えることで、「投手がどんな球を投げるか」ではなく「投手にどんな球を投げさせるか」、捕手が投手をリードすることを通じていかにゲームメイキングを行うかを緻密に描き出した。
思えば捕手のリードが描かれない状況では投手と打者の勝負を決めるのはスピード(および魔球の質)と、あとは根性ということになってしまう。一打席くらいならよいものの、回を追うごとに同じ描写の繰り返しになるわけでどうにも退屈きわまりない。
その退屈さを避けるために派手な魔球や打法が駆使され、一投一打に文字通り命が賭けられるようなおよそ現実離れのした展開になってゆく。そうやって熱血野球マンガの王道パターンが生まれてきたんじゃないでしょうか。

『ドカベン』ではそれを覆して、打者の心理を読み、球のコースや球種(魔球ではない現実に存在する変化球)を投げ分けることで打者を打ち取るという「頭を使った野球」を描いた。単純に球が速ければ、威力があれば投手が勝つのではなく、打者との駆け引きが肝要、という。

70年代から90年代前半あたり『少年ジャンプ』を中心に、強い敵を倒せばさらに強い敵が現れるタイプの格闘マンガ(敵味方の戦闘力を数値で表す「スカウター」が登場する『ドラゴンボール』がよく代表にあげられる)が流行しましたが、これらがやがて「強さのインフレ」による単調化を起こして行き詰まったのに代わって、種類の異なる能力を持った者たちが自分の能力の特色を活かして敵の裏をかいて倒すという「能力バトル」マンガ(『ジョジョの奇妙な冒険』に代表される)が台頭した。
それまでの「魔球」系野球マンガに対する『ドカベン』の立ち位置も「能力バトル」に近いものだったのではないだろうか。単純に球の威力で勝敗を分けていたなら、里中が不知火や土門に勝つことは絶対なかったでしょうから。

「強さのインフレ型バトル」マンガと「能力バトル」マンガのどちらが戦闘シーンのストーリーを作るのにより苦労するかといったら、明らかに後者でしょう。
力にさらに強い力で対抗するのと違い、力に差のない(というより能力の種類が違うのでどちらが強いのか単純に決め付けようがない)者同士の戦いは両者の駆け引き―頭の使いように勝負がかかってくるから。作者が知恵をしぼり工夫しないと、描けない。
(もっとも「インフレ型」マンガも作品の構造レベルで抱えた単調さをいかに単調に見せないかに知恵をしぼらなければなりませんが)

『ドカベン』の大ヒットにもかかわらず、その後キャッチャーを主人公にしたマンガが増えたようでもないのは、作者には駆け引きのいちいちを考える頭脳の労力と野球に関する広汎な知識が不可欠だからでしょう。水島作品でさえ『ドカベン』以外は(『あぶさん』『おはようKジロー』『ダントツ』などを除いて)多くが投手を主人公としているし、その場合捕手によるリードはそれほど描きこまれていない。
それでも一打席ごとの駆け引きは(投手の立場としても打者の立場としても)ちゃんと丁寧に描写がなされている。「頭を使う野球マンガ」。ここに『ドカベン』が(そして水島野球マンガが)野球好きの大人やプロの選手などにも大いに受け入れられた理由があるんじゃないかと思います。

 

(2009年12月22日up)

 

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