土井垣 将

 

登場当初はいかにもワンマン・スパルタ全開だった土井垣。その異常なまでの女性人気(里中だって一挙手一投足にいちいち黄色い悲鳴があがったりはしない)と彼女たちを一顧だにしないクールな態度も手伝って、いかにも嫌味で横暴な(ポジションからいって山田に追い落とされるべき運命の)先輩キャラという感じでした。

しかし高一夏白新戦のさい、山田の実力に気づいて「でかいやつはいらん おれが生きれば山田までまわる」と二打席あとの山田に繋ぐことを意識したバッティングに切り替えて「ど・・・・・・土井垣さん・・・ あの土井垣さんがチームプレーを・・・・・・」と里中を驚かせた(ちゃんとさんづけなのが見直した感じ)のを皮切りに、土井垣は次第に変わり始める。

特に一年夏の東海戦を前に、岩鬼に「きさま少しは先輩後輩の口の聞き方にけじめをつけたらどうなんだ」と怒ったら「闘う男に先輩も後輩もあるかァー!!」と反論され「だめだあいつに封建制度は通用せんわい」(この台詞、文庫版では「先輩後輩は通用せんわい」に変えられてる。「封建制度」って規制対象になるんだ?)とさじを投げたあたりから、練習は厳しいなりに後輩の意見にも耳を貸し、むしろ山田になど自分から相談を持ちかけ、岩鬼のことも「ドリームボーイ」「スーパースター」と持ち上げてみせるようになってくる。なんと言っても彼らのおかげで勝ててるわけだし、それだけ精神的にも余裕が出てきたようです。生意気な後輩たちに育ててもらったというか。

「おれぐらい野球センスがあるとどこを守っても一流よ しかし山田はキャッチャー以外できん男だからな」「ところがこのキャッチャーしかできん山田という男のバッティングはいける うちの貧打線に山田は必要だ それにはこの方法しかない」とあっさり山田に長年親しんだキャッチャーの席を譲りファーストに定着した土井垣。山田のキャッチングやリードを認めたわけじゃないような言い方はちょい負け惜しみくさいですが、十分に公正な人といってよい。
『大甲子園』で「あいつが入部してきたとき こりゃかなわんと思いましたよ」と語ってるところからしても、内心ではちゃんとキャッチャー山田を高く評価してたのでしょう(正確には入部直後じゃなくてキャッチャーとしての力量を実戦で示した白新戦からだと思いますが)。
同時に彼は里中が白新戦でキャッチャーが山田に代わってからは白新打線を無失点に抑え、さらに東海戦では山田のリードのもと完全試合までやるに及んで、里中の才能を見抜けなかった、生かせなかったことで捕手としての自分に一種見切りをつけたんじゃないか。

山田に完全に正捕手の座を譲った甲子園大会では、初期の印象があれだっただけに、そのいい人っぷりが際立ってます。特に土佐丸戦〜いわき東戦では頭のケガを抱えた里中を何かと気遣っている。
たとえば土佐丸戦で思いがけずホームランを打たれてガックリ膝をついた里中を「同情をさそうようなそんなポーズはいっちゃんきらいなんじゃい!!」「おんどれは負けてもわいらはまだ負けてへんわい」と岩鬼が怒鳴ったのに対し、
「おい岩鬼 もう一度言ってみろ!!里中は頭に傷を負っているんだぜ 言葉をつつしまんか」と里中をかばって岩鬼を叱りつけるシーン。
里中のケガを思いやりかばった事自体も彼の優しさの表れですが、山田が「キャプテン ムチャだけど岩鬼の言うとおりですよ」と年下のくせに偉そうな態度で岩鬼を支持し、当の里中も“試合に出ている以上ケガを言い訳にはできない”という岩鬼や山田の見解を笑顔で受け入れたのを見て、「そうか・・・・・・傷ついても投げぬく・・・それ自体はたいした根性だ しかしそれがもとで打たれチームが敗戦に追いやられることは たしかにきびしい見方かもしれないが勝負の世界にあっては美しくもなんともありはしないのだ それを里中は百も承知しているからこそ山田も非情なことが言えるんだ」とすんなり考えを改め、「なにもかも心得た 素晴らしい バッテリーだぜ」と内心で山田と里中を賞賛さえする。
自分の言葉に失礼な表現で反駁した山田を、自分を正捕手の座から追った二人を、何のこだわりもなく心から称えることができる――何と人の良い。おそらく登場当初の感じ悪さは他に目立った選手もいないチームを自分ひとりで引っ張ってゆかねばならないという責任感の裏返しであり、四天王のおかげで甲子園出場の夢が叶い心にゆとりができたことで、彼本来の性格―お坊ちゃん育ちらしいお人良しっぷり―が表に出てきたんじゃないかという気がします。

とりわけ里中に対しては、最初の白新戦での険悪さが嘘のように甘いくらいに優しい。翌年春の土佐丸戦で「勝負師といわれた土井垣将は勝負に初めて私情をはさんだ」のも里中のためだった。同年夏の東海戦で渚がデッドボールをくらった時には、とっさに「ピッチャーが」と口にするなど渚本人でなく負傷による投手力の減退しか心配してないかのようだったのに、里中については「野球人・里中は消えても人間・里中を人生の落後者にしてはならないと」大事な試合の最中に野球を離れて里中智個人の将来まで心配してくれている。そんな里中への思い入れの深さには彼がもともとキャッチャーだったことも影響してるように感じられます。

敗北という二字が大きらいな」土井垣さんはきっと高校三年間、自分を甲子園に連れてってくれるようなピッチャーと組めることを切望してたんだと思うのです。そしてついに最後の夏を前にその投手とめぐり合ったのに、相手は他の捕手を恋女房と思い定めていて土井垣とのバッテリーを全力で拒絶した。結果、彼は確かに土井垣を初めて甲子園に連れていってくれたのだけど、その球を受けているのは自分ではない――里中の才能を見抜けず敬遠だらけのリードをしたいきさつがあるとはいえ(だからこそ)これは切ない。それでもやはり捕手目線でエース里中を気遣ってしまう・・・。最後の夏、土井垣は「怪物くん」と呼ばれるほどの評判が嘘のように活躍しない、それどころかしばしばチームの足を引っ張ってさえいますが、実はこのあたりの葛藤が原因だったりして?

一方の里中もキャッチャーとしてこそ土井垣を受け入れなかったものの、途中からはいつしか先輩として監督として土井垣を慕うようになっていった。土井垣が監督に就任した直後、練習中岩鬼のとばっちりで土井垣に竹でしばかれた時もとくに怒る様子もなく、優勝旗盗難で情緒不安定になった土井垣に八つ当たり気味の100本ノックを課せられた時も、いつもと様子の違う土井垣を気遣ってさえいた。
とくに仮想武蔵坊を演じた土井垣にめった打ちを食らったさいの「おれが打たれたのは武蔵坊じゃない 土井垣さんだ」(土井垣に打たれるのなら許せるという心理)や高二秋関東大会決勝前夜に一人右肩の故障に悩みながら「土井垣さんがいっていた・・・あの闘将といわれた土井垣さんが・・・」とすがるような目で土井垣を思い起こすあたりは、里中が相当土井垣に傾倒してることをうかがわせます。

やがて内野手として日本ハムに入団した土井垣は、『プロ野球編』で再び捕手に返り咲き、かつてのライバル校のエース・不知火守とバッテリーを組むことになります。投手としての素質は里中を優にしのいでいただろうに、土井垣たち明訓高校の栄光の陰でついに一度も甲子園の土を踏むことのなかった男。いつ、どのような経緯で土井垣が捕手に再転向したのかは語られませんが、おそらく不知火の入団が契機となったんじゃないでしょうか。かつての敵校エースとして長所も短所もわかってるだろう土井垣にリードをさせよう、という。
かくて土井垣はついにかつて望んでいた通り才能ある投手と組むことを果たした。土井垣はさぞ不知火を大事にしただろうし、不知火も高校時代の生意気な態度が嘘のように土井垣に信頼を寄せている。それは不知火がプロ一年目にして開幕投手を務めたさい、どんな局面でも一度も土井垣のサインに首を振らなかったことに顕著に表れています。かつて里中が土井垣に、自分にサインを出させろと要求したのと鮮やかな対照を示すシーンです。

その里中と土井垣は山田世代プロ一年目のオールスターで(おそらくは)久々に同じパ・リーグの代表として顔をあわせることになりますが、土井垣は二軍でさえ一度も投げないままにオールスターに選ばれた里中の実力への懸念を隠そうともしない。オールスター投票期間に里中と不知火がパ・リーグの投手部門一位を争っていた頃も、試合での不知火の投球内容に「す すげえ これじゃ―里中が不知火の上に来ちゃ失礼だぜ」と考えたりしている。明訓時代はあれだけ里中を気遣い頼りにもしていたのに。プロの投球に間近に接するようになり、しかもバッテリーを組む相手があの不知火。里中が見劣りして見えて当然なんですが、土井垣さんはもうすっかり里中の先輩より不知火の恋女房になりきってるんだなと少し淋しくなりました。

けれどオールスターでめった打ちに遭った里中を東尾監督が替えようとしなかったとき、「続投だと?それじゃさらし者だぜ東尾さん」と言った土井垣の悔しそうな苛立ったような表情には、やはり彼は今も里中を後輩として教え子(というのか?)として大切に思ってるのが感じられて、何だか嬉しくなったのでした。


(2010年10月1日up)

 

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