土井垣明訓時代

 

山田世代が一年秋の秋季大会直後に徳川監督が退任、前キャプテンの土井垣が新監督となり(ついでにキャプテンも里中から山岡に替わって)体制を刷新した明訓高校。べらんめえの適当・放任主義だった徳川から生真面目でスパルタ式でナイーブな土井垣が監督になったことで部の雰囲気もずいぶん変わりました。

それをのっけから示したのが例の優勝旗盗難事件。これが徳川監督時代だったらきっともっと飄々とさばいていた。少なくとも監督が苦悩する姿が大きく描かれることはなかったのじゃないかと思います(そういうキャラじゃないし)。土井垣は真面目に悩み、部員たちを思いやるがゆえに彼らに八つ当たりじみた猛練習を課し、優勝旗を盗まれた責任をとって関東大会は出場辞退すべきという職員会議の結論を体当たりで引っくり返しにかかる。

その七転八倒ぶりは彼の内面の声を知る読者からは共感を呼び、時に土井垣の情緒不安定に付き合わされる部員たちからさえ信頼を寄せられる要因となっている。それも尊敬とか心酔とかいうより、自分たちのためにいっぱいいっぱいになりながらも頑張ってる監督を盛りたててやろうじゃないかと思ってるように見えます。
優勝旗盗難がまだ部員たちに知らされる前、八つ当たり気味の猛練習を課した土井垣について里中が「いやいつもきびしいが 土井垣さん今日はなんだかおかしかったぞ」と語るシーンがありますが、理不尽な猛練習を、その一番の被害者だった里中が反感を抱くのではなく純粋に訝り、土井垣を心配さえしている。土井垣が先生たちに関東大会出場を納得させる材料として、部員に断りもなく(にもかかわらず“部員たちも気持ちは同じ”だと明言して)野球部解散を賭けたことを知った時も、岩鬼を筆頭に部員一同土井垣の決然たる態度を全面支持した。就任初期に盗難騒ぎを通して監督と選手間の結束が一段と強まったからこそ、この後怒涛のように起こるさまざまの苦難も何とか乗り越えられたのでしょう。

また悩める青年監督土井垣の視点が導入される機会が増えたことで、ストーリーも転がしやすくなったんじゃないでしょうか。その最たるものが高二春の土佐丸戦。ツキ指のため投球内容を激しく制限され、痛みと焦りで精神的にもボロボロになっていく里中を、交代させるべきか何度も悩んでは踏みとどまる土井垣。悩んでる時の土井垣監督には名言名シーンが多いですが(「ぼくには校長室に立ててある優勝旗が見えます」「雨が運命のいたずらならその運命のいたずらにおれはかけようじゃないか 代打山田だ」など)、ひときわ苦悩の深い試合だっただけに土佐丸戦はまさに名言のオンパレードでした。私見では土井垣監督時代が『ドカベン』の黄金期だったように思います。

ちなみに徳川・土井垣・太平三代監督の中で「常勝」明訓の監督だったのは土井垣だけ。徳川監督時代の前半、四天王の入学以前の明訓は地区予選を突破したことがなかったし、山田たちがプロ一年目の夏は白新が甲子園に行ったことが『プロ野球編』で触れられているので、太平監督時代も後半は負け戦だった(ただし太平はもともと二年の約束で赴任したので、山田世代がプロ一年目の夏はまだ太平が監督だった可能性が高いものの、すでに退職して花巻に帰っていた可能性もある。はっきり監督在任中なのが確認されてる山田三年次の秋季大会・関東大会は優勝できたのかどうか言及されてないのでなんとも)。監督就任時に「おれが監督を続けるかぎり無敗でいく」と宣言し、その言葉通り敗戦直後に監督を辞任した土井垣は、監督期間が明訓最強時代とぴったり重なっている。土井垣時代は作品の内部、明訓高校にとってもまた黄金期でした。

 


(2010年11月12日up)

 

 

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