『大甲子園』について

 

『大甲子園』は『ドカベン』連載中にすでに構想があった、『ドカベン』『球道くん』『一球さん』など主だった水島高校野球マンガが高三春までで終了しているのは彼らの高三夏を『大甲子園』で書く予定だったから、という説をたびたび目にしますが(実はソースは水島先生自身の発言。詳しくは後述)、おそらく『ドカベン』終了時点では、せいぜいが「作品の壁を越えたオールスター甲子園大会が出来たら面白いだろうな」という漠とした願望があった程度で、具体的な構想が出来上がったのは『ドカベン』の後継連載になる『ダントツ』も終盤(明訓高校や山田の現状が作中で語られはじめる)に入ってからじゃなかったかと想像してます。

根拠のひとつは『ドカベン』のラストが里中の中退で終わっていること。普通に春のセンバツ優勝で終わっておけばいいところをこんな設定にしたがために、まさか里中抜きで山田世代最後の夏を描くわけにもいかず第一回を里中の(かなりムリヤリ感のある)復帰エピソードから始めざるを得なかった。無印終了時に『大甲子園』執筆の具体的予定があったなら、こんな終わり方にはしてなかったでしょう。もっとも里中復帰というイベントが第一回にきたおかげで『大甲子園』がきわめて感動的な滑り出しになったというのはあるんですが。

もうひとつは『ドカベン』最終回が雑誌(『週刊少年チャンピオン』)に掲載されたとき、あとがきのような形の水島先生の1ページコメントが同時に載った(コミックス未収録)のですが、そこで先生が「40代をかける作品としては、もはや9年の月日がドカベンには過ぎてしまっているのです」「ドカベンに頼って、すがりついて40代の男盛りを気分的にしろ守りの40代としたくなかったのです」と発言していること。『ドカベン』終了時には続編を描く予定はなかったのがわかります。
それが『ダントツ』連載中に自発的にか周囲の助言によるものか、夢のコラボレーション企画としての『大甲子園』の構想が生まれて、これなら企画ものであって純粋な『ドカベン』続編じゃないから『ドカベン』人気にしがみつくのでない意欲的な新作だし、ということですっかり乗り気になったんじゃないかなーと想像しています。

ちなみにこの最終回コメント、今ではすっかりなかったことにされているらしく、2002年に発売された『いよいよ最終回!』という本の中(「連載9年間が築いた多くの実績と唯一の後悔」)には「自分で言ったんです、春でやめようって。最後の夏はね、別の企画でどうしてもやりたかった。それが『大甲子園』だったんです。」「本当はね、あの『大甲子園』は、『ドカベン』というタイトルのまま描きたかったんです。でも、さすがにそれは、小学館(引用者注・『球道くん』『一球さん』『男どアホウ甲子園』の版元)も承知しなかっただろうし、僕も頼めなかった。」という水島先生の発言が出てきます。これだけ読んだら、『ドカベン』完結時にすでに『大甲子園』の具体的構想があった、『大甲子園』は最初から続『ドカベン』にするつもりだったと誰もが思ってしまうでしょう。かつて『ドカベン』を無印のみできっぱり終わるつもりでいたことについて、先生は意識的にとぼけているのか素で忘れてしまっているのか――最終回についての「里中の中退?あれ、そうだった?」というコメント(上掲「連載9年間が築いた多くの実績と唯一の後悔」中の発言)から推せば「素で忘れている」方が正解のような気がします(笑)。

同じく『ダントツ』がもともと『大甲子園』執筆を期して、その前振りとして書かれた作品だという説もよく見かけます。確かにラスト数ページは完全に『大甲子園』冒頭に繋げるためのもので、約二年前に完結した『ドカベン』のその後を、ダントツをはじめとする光野球部面々の会話の中で紹介しています(しかし明訓の戦績の一端を別作品で知ることになるとは)。
しかしこれも連載開始当初から狙ってたわけではない。上で引いた理由のほかの根拠としては、『ダントツ』の光高校の所在は国分寺近辺―西東京の設定になっていますが、『一球さん』の巨人学園もまた西東京に位置しているから。水島先生自身が国分寺に住んでいたゆえか水島漫画は西東京が舞台になる率が高いのですが、それがこういう企画にはネックになった。ゆえにいざ『大甲子園』連載となったとき、どちらかの所在地を西東京以外に変更せざるを得なくなり(どちらも西東京のままでは両校は地区予選で戦うことになり、一方しか甲子園大会に出られなくなる)、結果的に巨人学園が東東京設定に変わることになった。『ダントツ』連載開始時にすでに『大甲子園』の具体的構想ができていたなら、光高校―西東京の設定にはしなかったでしょう。巨人の方が変更になったのは、『大甲子園』が『ダントツ』の後継連載で、読者には同じ雑誌でついこないだまで連載されてた『ダントツ』の方が馴染み深かったからだろうと思います。『大甲子園』で開会式の朝に荒木の言葉(「(優勝旗を)持って帰ろうぜ西東京へ」)に対して九郎さんが「東東京だ〜ね」と呟く場面がありますが、これは“巨人は西東京だったはずでは”という『一球さん』読者の(当然抱くだろう)疑問に対して、“『大甲子園』では東東京の設定なんだ”と改めて強調するニュアンスだったのではないかな。

さて実際の作品ですが、『ドカベン』ほか『球道くん』『一球さん』『男どアホウ甲子園』など水島高校野球マンガのキャラクターたちが甲子園を舞台に夢の対決!が本来のコンセプトだったんでしょうに、実質『続ドカベン』になってしまったきらいはあります(上のコメントだとそれが当初からの狙いのごとくですけど)。掲載誌が『ドカベン』と同じ『週刊少年チャンピオン』だけにある程度『ドカベン』メインになるのは仕方ないにせよ、千葉県大会決勝の青田高校対クリーンハイスクール戦(プラスちょこっと東東京決勝)、一回戦の光高校対南波高校をのぞけば、全て明訓VSどこかの戦いばかりで、『球道くん』や『一球さん』の方が『ドカベン』より好きという人にはいろいろ不満の残る展開だったようです。まあ『ドカベン』が一番好き、加えて里中ファンの私にとっては『大甲子園』は美味しいことこのうえなかったんですけど(笑)。

一方、『ドカベン』以外の作品ファンにも好評だったろうと思われるのが、選手以外のキャラクターのからめ方の秀逸さ。高校野球マンガではないため夢の対決には加わりようがない『野球狂の詩』からは、鉄五郎と五利が次期ドラフトでの指名を見込んで神奈川大会の決勝と甲子園大会を観戦&「球道ファン」を標榜する水原勇気が千葉大会決勝を観戦に現れる(ここでの水原は『野球狂の詩・平成版』以降の肝っ玉母ちゃん的キャラでなく無印野球狂のイメージそのままなコケティッシュなお嬢さんで素敵)。
『男どアホウ甲子園』からは『一球さん』にも登場している球二・球三兄弟が現役選手で参戦している以外に東海の竜が南波高校監督として登場(『一球さん』で巨人学園の監督だった豆タンこと岩風五郎が出ないのが惜しい)、そしてなんといっても主人公たる藤村甲子園が意外すぎる(しかし滅茶苦茶格好いい)ポジションで出ています。
また個人的にツボだったのが、明訓高校対青田高校の試合中に、それぞれを熱烈応援するゆえの舌戦?を繰り広げてくれた土井垣と中西大介(球道の父)。そういや二人とも日ハムだったか!作品の壁を越えた、これも一つの夢の対決です。


(2011年10月28日up)

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO