『キャプテン』『プレイボール』感想

 

『キャプテン』といえば『ドカベン』とほぼ同時期に連載され、ともにリアル系野球マンガと呼ばれたちばあきお氏の代表作。続編というべき『プレイボール』ともども昔読んだことがあったのですが、『ドカベン』にはまったのを機に、このたび十年以上ぶりに主に野球描写に注目しながら読み返してみました。記憶にあった通りの泥臭い絵柄はトボけた味わいで親しみやすい。「魔球系」熱血野球マンガが多く劇画調の絵柄(『巨人の星』とか『アストロ球団』とか)なのとはちょうど対極にあります。

(思うに知略より気迫、力押しの勝負を成り立たせるための魔球で戦う熱血野球ものは、その気迫を描き出し、強引な魔球およびそれに類する人間離れしたスーパープレイ理論を無理矢理読者に呑み込ませるために劇画的絵柄を必要とするのでしょう。水島作品も唯一魔球系熱血野球マンガというべき『男どアホウ甲子園』の時はもろ劇画調の絵柄だったのが、『ドカベン』連載中に次第に画面の黒さ・輪郭線の太さなどの劇画的特徴が薄れてゆき、よりスタイリッシュな見やすい絵に変わっていった。しかし劇画特有の迫力・スピード感はその後も健在で、それが『ドカベン』をはじめとする水島マンガのスッキリした中にも迫力と臨場感のあるスタイルを生んだのでは)

絵柄がこうなので、『キャプテン』にはいわゆる二枚目キャラというのがいない(初代キャプテンの谷口くんはそこそこ格好いい気もしますが。女の子に「かわいいー」って言われるシーンがありますし)。劇画系の『巨人の星』、半劇画系の『ドカベン』、非劇画系の『タッチ』などたいていどのタイプの作品にも美形キャラが存在してるのが定石なんですが。
それゆえか『キャプテン』は驚くほどに女っ気がない。谷口の母親以外の女はほぼ登場せず、共学なのに若い女の子は見事にモブ扱い。もちろん恋愛色はかけらもなし。これは谷口の高校時代を描いた『プレイボール』でも変わらない。
『ドカベン』も野球マンガの定番・女子マネージャーは出て来ず、メインキャラで女性といえば小学校低学年のサチ子とお世辞にも美人とはいえない夏子さんだけと女っ気は少ないですが、『キャプテン』はなお徹底して女性・恋愛色を排除している。自分が描きたいものはどこまでも「野球」であってそれ以外ではないのだというちば先生の想いがそこにはあるように思えます。(たとえば『巨人の星』では中盤で主人公・飛雄馬の悲恋の物語が登場しますが、それは『巨人の星』が目指すところが野球そのものではなく“ある野球人の栄光と挫折に満ちた青春”を描き出すことにあったからでしょう)

またこれも絵柄に由来する特徴として『キャプテン』『プレイボール』の野球シーンには『ドカベン』のような迫力はない。ミートの瞬間を1Pまるまる使ってみせるなんてこともやらない。良くも悪くもハッタリを排し、堅実で地道な描写を重ねていく。だからホームランはほとんど出てこないし剛速球で打者を三球三振にとる展開もごく少なく(そもそも『キャプテン』の主人公=歴代キャプテンのうち谷口は途中まで、丸井は最後まで投手ではない)、打球を追う野手、懸命に走るランナー、クロスプレーなどがごく日常的なレベルで描かれる(『ドカベン』のように「どうなるんだこの場合」というような珍プレーが起こることはおよそない)。
結果熱血野球マンガではストライクやボールを宣言するだけが仕事のような審判にも(クロスプレーの判定などで)脚光があたり、何より(主に『プレイボール』において)捕手によるリードがちゃんと描かれている。捕手が主人公の『ドカベン』ほど緻密な計算に基づいてのリードではないものの、打者の立つ位置、ピッチャーの精神状態などをちゃんと踏まえたものになっています。キャッチャーのリードをちゃんと描いた作品は今もって少ない気がするので、この時代に『ドカベン』と並んで捕手の重要性を描いている点は感動的ですらある(しかしおよそどの捕手も、コースを指示するときミットを構えながら「ここよここ」と女言葉っぽくなってるのはなぜなんだろう。女房役だから?)。

そして彼らは決してスーパープレーヤーではない。指を骨折しても投げ続けた谷口など、その根性は確かに常人離れしているものの、『ドカベン』のように「天才」と評したくなる選手は墨谷二中・墨谷高校にもライバル校にも存在していない(一番天才型に近いのは入部当初から“どのポジションでも一通りこなせる”中学一年生とも思えぬ才覚を見せつけたイガラシでしょうが、それもむしろ「小才がきく」という感じで、あくまで現実レベルでの「中学一年生とも思えない」なんですよね。県大会上位に入るような学校なら一人くらいいるだろうなという)。
谷口を代表格として彼らはあくまで持って生まれた才能より賢明の努力―特別な才能がないからこそ人の何倍も練習することで、ようやく試合に勝てるだけの力を手に入れてきた。勝利という結果よりそこへ向かうための努力と情熱こそが重視されているので、ナインはいつも泥まみれだし、“主人公チームなんだから今は負けていても逆転勝利するだろう”という安心感がない。何回戦で負けてもおかしくないような緊迫感が常にあります。
そしてスーパープレーヤーがいないことに付随して、彼らのプレースタイルにはさほどはっきりした個性があたえられてはいない。バッティングフォームなどもプレーヤーごとに明確な違いがあったりはしない(『ドカベン』だとメインの四人が皆体型がバラバラなので必然的にフォームに明瞭な差がある。『キャプテン』でも一番スタイルが個性的なのは他と体格が違う――巨体かつ守備が下手クソな近藤でしょうか。ちなみに『キャプテン』アニメ版ではピッチャーたちの投球スタイルをはっきり変えて描いています。主題歌の映像に冷然)。わかりやすい個性を付与することなく平凡な一野球少年たちを描こうとするちば先生の姿勢が見えるような気がします。

試合の場面と同じくらい練習シーンも多いのも大きな特色の一つです。また主人公がキャプテンであるゆえにレギュラー選びやポジション決め、練習方法の設定などを考えたり悩んだりする場面も多々ある。チーム内の一切合財をキャプテンが取り仕切っているため、そのぶん監督が異様に影が薄いのですが。
――というか試合中もベンチ内に監督の姿を見たおぼえがない。敵チーム側には存在感ある監督がいるケースも少なくないのだけど。青葉学院とか(部長と呼ばれてますが明らかに監督兼任だろう)。
『ドカベン』は逆に監督が目立ってキャプテンの影が薄めですかね(土井垣も山岡もプレーヤーとしてはちゃんと目立っていましたけど)。もっともアクが強かった岩鬼キャプテン時代にもっとも地味な、わずかな例外をのぞけば采配の一切をキャプテンに丸投げする太平が監督だったのは思えばちょうどいいバランスだった。というより太平監督だったからこそ岩鬼が存外名キャプテンになりえた気がします。
(そういえば部長は?一年夏はサチ子を部長待遇にしてたけれど、本来部長は教職員じゃなきゃいけないのでは?明訓の教師でもある太平監督の時代は部長兼任だったんでしょうが、徳川・土井垣時代はどうしてたんだ?部長がいるんだかどうだかわからないのは『ドカベン』に限った話じゃないですが。
ちなみに『プレイボール』には終盤になって部長が登場します。といっても新人からは部長いたんだなんて言われるほどに影が薄く、もっぱら部員に勉強を教える役どころという・・・)。
・・・なんか話がずれてしまいましたが、『キャプテン』というタイトルにたがわず、歴代主人公の、プレーヤーとしてだけでなくチームリーダーとしての事務的な部分もきちんと描いたところも、この作品の独自性であったと思います。それもレギュラー選びなどで悩むその姿・悩むポイントもごく中学高校生の少年らしくて(土井垣監督もよく悩んでますが、彼の場合監督就任時はまだ高三だったにもかかわらず外見・中身ともすでに青年だったのでまた雰囲気がちがう)、そこもまた同世代の読者にとってリアルに感じられ共感を呼んだ要素だったんじゃないかと思います。

 


(2011年6月10日up)

 

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