Blue Age  

 

目の手術が無事成功し、奇跡的復活を果たした小林を野球部員たちは大歓呼のうちに出迎えた。

祝いの言葉を浴びながら、小林は見慣れた顔が一つ足りないのに気がついた。いつもチームの輪を外れたところから大きな目で挑むように自分を見つめていた――名前は、確か・・・

「里中は?今日は休みなのか?」

里中の名を出したとたん、部内に妙にこわばった空気が流れた気がした。部員たちは気まずそうに目を見交わしあっていたが、ややあって一人が意を決したように口を開いた。

「あいつ、退部したんだよ。おまえが怪我してからしばらくしてさ。」

「退部した!?」

思わず声が高くなる。投手志望の里中は、入部このかたあからさまに自分をライバル視していた。監督に内野手への転向を言い渡されてもなお投手に固執する里中は部内では完全に浮いた存在だった。居心地が良かったはずもないが、それほど投手であることに執着していた奴が、野球部を、辞めた?

「おまえが抜けたあとエースになった辻本も肩をやっちゃってさ、監督が里中に投手をやれって言ったんだよ。でもなぜか里中がそれを拒否して、監督造反で退部ってことに・・・」

小林はますます困惑した。長く望んでいたはずのエースの地位が向こうから転がりこんでこようとしていたのに、いったい何を考えているのか。

同期とはいえ、クラスも違う里中とはほとんど口をきいたことがない。それでも入部初日に、チビだったらなんで投手ができないんだと数人を相手に殴り合いの喧嘩をしていた姿や、自分に対抗するために独力で下手投げに変え、変化球も習得したという噂に、投手の座に賭ける彼の情熱を感じて一種敬意さえ覚えていたというのに、

――その里中が、野球を、辞めた?

 

小林は廊下を小走りに急いでいた。二時限目が教室移動なのをすっかり忘れていたのだ。

勢いよく角を曲がろうとしたところで、ちょうど向こうから来た人影によける間もなくぶつかった。弾き飛ばされた相手は床に尻餅をつき、小林の手からも教科書やノートが滑り落ちる。

「すまん!急いでたもんだから。怪我は――」

ないか、と尋ねかけて思わず声を飲み込んだ。ぶつかった相手は冷然と小林を見上げていたが、

「廊下を走るなんて、優等生のおまえらしくないな」と、皮肉めいた微笑を口元にのぼせた。

「――里中!?」

小林は目の前の少年をまじまじと見直した。ほぼ一年ぶりに見た里中は、一目でそれと気づけないほど様変わりしていた。

野球部を辞めたせいだろう、大分伸びた髪が耳を半ば隠し襟足を覆っている。以前はうっすら小麦色に焼けていた肌もずいぶん白くなった。しかしそれだけではない。いつもギラギラと闘争心に燃えていた瞳の輝きが、消えた。代わりにどこか斜に構えたような冷ややかな雰囲気が彼を包んでいる。顔立ちそのものは特に変わったわけでもないのに、鼻っ柱の強い、小猿のようだった少年は、妙に落ち着いたクールな印象に転じていた。

小林の凝視を気にしたようでもなく里中はすっと立ち上がると、

「早く行けよ、授業が始まるぜ」と、視線で廊下の先を示した。

「・・・ああ、そうだな。すまん。」

小林は反射的にもう一度詫びると、再び廊下を急いだ。

回復おめでとうの一言もなく、挑むような眼差しもなく。ただ冷淡な表情だけを向けてきた里中。あいつの中でもう自分へのライバル意識は過去のことになってしまったのか。野球への情熱もどうでもよくなってしまったのか。

――おまえは本当に、野球を辞めてしまったのか?

一ヶ月前、山田に発したのと同じ問いを、小林は胸のうちで再び呟いた。

 

三時限目、授業が始まるぎりぎりに席に戻ると、隣の席の女子が、

「小林くん、さっきEクラスの男子が訪ねてきたわよ。里中くんって子」

「里中が?」

今さら里中が自分に何の用があるのだろう。ついさっき無関心そのものの目を向けてきたばかりなのに。

「小林くんはまだ教室移動から戻ってないから、用事があるなら伝えとこうかって言ったんだけど、あとでまた来るからいいって。あの子、綺麗な顔してるけど愛想はないわよね。結構女子には人気あるみたいだけど。」

「綺麗?里中が?」

あの小猿みたいな奴が?と言いかけて、廊下でぶつかった時の里中の様子が頭に浮かび、今のあいつならそんな形容も当てはまるかもな、と思い返す。以前だって黙って大人しくしていれば、小さくて華奢な里中は一見女の子のように見えたのだ。

もっとも小林は里中が大人しくしてるところなど見たためしがなかったが。口は黙っていてもあの大きな目がいつも雄弁に彼の闘志を伝えてきた。改めて里中の変わりぶりを思って小林はそっと息をついた。

 

三時限目の後に再び里中はやって来た。ふらりと教室の扉をくぐり、まっすぐ小林の机に向かってくる。

「さっきは無駄足させて悪かったな。用事って何だ?」

なるべく気軽な口調で話しかけると、里中は無言で鉛筆を一本突き出した。

「さっき落としただろ。芯は折れてるけど、とりあえず拾っといた。」

「そうか、気づかなかったよ。有難う。」

型通り礼を言いながらも内心小林は首をひねっていた。これだけのことなら、さっき来たときに机に鉛筆を置いていけば良かった話だ。本当の用事は別にあるんじゃないか。台詞の先を促すようにじっと顔を見つめると、やがて里中が口を開いた。

「もうすぐ県大会だな。一回戦は鷹丘中学とやるんだろ。山田は手強いぜ、気を抜くなよ。」

一回戦の相手校はともかく、なぜ山田が鷹丘に転校したことまで知っているのか。そんな疑問がふと胸をかすめたが、

――こいつは、おれを激励に来てくれたのか。

「がんばれよ」とは一言も言わないけれど、「復帰おめでとう」とも言わないけれど。これがこいつなりの励まし方なのだと。そう思ったら、急に胸に暖かいものが満ちてくるのを小林は感じた。

「ありがとう。おまえも頑張れよ」

小林が右手を差し出すと、里中は面食らったような顔になった。そんな表情をすると、途端に雰囲気が子供っぽくなる。

「・・・何だか台詞が逆だよな。おれが何を頑張るんだよ」

肩をすくめて文句をこぼしながら、それでも里中は右手を差し出し、小林の右手をぎゅっと握り返した。一瞬その目の奥に強い輝きがよぎるのを小林は見逃さなかった。

じゃあな、とわずかに微笑んで去ってゆく後ろ姿を見送っていると、

「里中くんて、思ったほどつんと澄ましてるわけじゃないのね。笑うとちょっといい感じ」

隣りの席の女子が話しかけてくるのへ、小林は適当に頷きながら、ふと右手を見下ろした。

――さっき握りしめた里中の手は、マメやタコだらけの固い感触をしていた。

里中は、野球を続けている。どんな形かはわからないが、今もボールを投げ続けている。そして強気な目の輝きも、決して失ったわけじゃなかった。

中等部と高等部では部活は別々だ。野球部の監督も当然中等部とは違う。里中は高校に上がればまた野球部に入り直すだろう。そしてまだ家族しか知らないことだが、小林は中等部を卒業したらアメリカに留学する予定になっていた。小林のいない高校野球部で今度こそ里中はエースの座を手にするかもしれない。

――その日を楽しみにしてるぞ。

小林は右手をぎゅっと握りしめた。

 


中学三年の初登場当時と31巻の回想シーンでの中一中二当時との里中のキャラの変わりようを自分なりに補足してみようと考えた話です。

(2009年12月22日up)

 

 

 

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