Blood 3

 

「新太郎、誕生日おめでとう。さあ、フーッてして」

にこにこ顔で見守る母の姿に苦笑しつつ、新太郎はケーキに刺してある14本の蝋燭の炎を勢いよく吹き消した。母がパチパチと無邪気に手を叩いてくれる。40代半ばになってもいいところのお嬢さん然とした雰囲気を漂わせている彼女は、こう見えて自分が生まれるまではバリバリのキャリアウーマンだったそうだがとても信じられない。テーブルには料理教室で習い覚えたらしいパーティー仕様のご馳走があれこれと並べてある。それを母がいそいそと取り分けてくれるのへ、「いただきます」と行儀よく手を合わせてから箸を伸ばした。

楽しい食事が終わり食後のお茶をすすっていると、「新太郎、飲み終わったら上へ来なさい」と父が低く声を掛けてきた。

「なあに、何か私に内緒の話なの?」 母が冗談ぽい口調で拗ねてみせる。「男同士の話というやつだよ」と父は優しい口調で言うと、席を立って階段を上っていった。

改まっていったい何の話だろう?新太郎は首をかしげつつ、残りのお茶を一息に流し込んで、父の後を追った。

 

「そこに座りなさい」

重々しい父の声に新太郎はいつになく緊張しながら正面の椅子に腰を下ろした。

父はあまり冗談を言ったりする性質ではないが、だからと言って堅苦しいわけでもない。世間並み以上に親子の会話はあるほうだと思う。中学二年の新太郎は本来なら反抗期まっさかりの年頃のはずだが、現在のところ特に親に逆らいたい気持ちも起こらない。生真面目だが大らかな父親は尊敬の対象にこそなれ特に反発する理由もなかったし、夫と息子が生活の全てのような、のんびりやの母親を泣かせる気にもなれなかった。級友たちとそこそこやんちゃをすることもあるが、特別理由もないのにことさら両親に逆らったところで何のいいこともないじゃないか、というのが合理主義をもって任じる新太郎の考えだった。

――だから別にお父さんに説教される心当たりはないんだけどな。

とりあえずなるべく畏まった風に足を揃え背筋を伸ばす新太郎に、「別に小言を言うわけじゃない。楽にしてていいぞ」と父が苦笑する。

よかった。いつものお父さんだ。新太郎はほっと笑顔になった。しかしこの後の話の内容はおよそ楽に聞けるようなものではなかった。

 

「本当は14になったばかりのおまえに話すにはまだ早いかもしれないが――実は、おまえは父さんと母さんの実の子じゃない」

うわ直球だよ、と新太郎は思った。自分でも意外なほど驚かなかった。というより意外すぎて父の言葉をちゃんと咀嚼できてなかったのかもしれない。ドラマなんかじゃありがちなパターンだよな、でもおれ赤ん坊の頃の家族写真もちゃんとあるよなあ、とかいささか暢気な想像をめぐらせていた。

そんな新太郎のずれた感慨をよそに父は淡々と喋り続けた。母が死産しその結果として子供のできない体になってしまったこと。ちょうど同じ日に同じ病院で男児を産んだ母親があり、夫を失ったばかりのその人は未熟児で生まれた赤ん坊を育てられる状況になかった。そこで医師が間に入っての話し合いの結果、その赤ん坊は荒木家に引き取られることになったが、ショックを慮って母には実の子だと偽ったこと――。

「だから母さんにとってはおまえは本当の子供と同じことだ。もちろん私も、おまえをかけがえのない一人息子とずっと思ってきた。ただ、この先何かでおまえが自分の出生について知ることがあるかもしれない。ならば私の口からきちんとした形で伝えておこうと思った・・・・・・新太郎?」

相槌の一つも打たず黙りこんでいる息子の様子が心配になったのか父が顔を覗きこんでくる。

「・・・だいじょうぶ、ちゃんと聞いてるよ。つまり、戸籍抄本が必要なときは、母さんに頼んじゃダメってことだよね」

新太郎はちょっと笑ってみせた。ちゃんと笑顔を作れたはずだ、と思った。

「・・・まあ、そういうことだ。だから、おまえにはもう一人母親と、それから二つ違いの兄さんがいる。名前は・・・」

「いい!」

思わず強い口調で遮ったのに、父が驚いた顔をした。

「・・・いいよ。聞く必要ないよ。おれの親は父さんと母さんなんだから」

自然に唇から零れ落ちた言葉が、新太郎自身の心に染み通ってゆく。ああそうだ。別にこれまでと何も変わりはしない。父さんは父さん、母さんは母さんだ。

「そうか・・・・・・」

呟いた父は幾分困ったような、同時に嬉しそうな、複雑な表情になった。

 

――今から思えばおやじには何か予感があったのかもしれないな、と新太郎は思い返す。この日から半年と経たずに父は大事故に遭遇し、それきり植物状態に陥ってしまったのだから。身も世もなく嘆き悲しむ母の姿に、新太郎はかつて父が赤ん坊の死を母に告げられなかった気持ちを痛感した。

しかし三日ばかり泣き暮らしたあと、母は別人のようにしゃんとして≠オまった。いつ目覚める当てもない父を長期入院治療の可能な病院を捜して転院させ、長年暮らした家を売り払って病院近くのアパートに居を構えた。父の保険金と見舞金だけでは、働き手を失ってかつ高額の入院費を必要とする家計を賄いきれないからとパートで働き始めた。仕事と父の世話とに日々精力的に動き回る逞しい姿に、新太郎は圧倒されさえした。

――ねえ父さん、母さんは父さんが思うよりずっと芯の強い女だったみたいだよ。

新太郎は物言わぬ父の枕許でそっとささやいた。

 

中学三年に進んだばかりの新太郎の生活も激変を迫られた。多少でも家計の足しにするべく新聞配達のバイトをはじめ、代わりに小学校から続けていた野球を――野球部を辞めた。金が出て行く一方の部活に精を出す余裕は今の新太郎にはなかった。

しかしいくら財政的余裕がないとはいっても後々を思えばやはり高校くらいは出ておいた方がいい。新太郎が進学先に選んだのは「光高校」。まだ創立から数年のため私立としては破格に学費が安かったのと、校長の方針により奨学金制度も充実していたからだ。

バイトの傍ら受験勉強に励み、無事光に入学してから、新太郎は野球を「再開」した。といっても野球部に入ったわけではない。野球経験者ならではの勘と運動神経を生かして、他校野球部の球拾いを1日1000円で請け負ったのだ。高校一年になったばかりの新太郎にとって、野球は身すぎ世すぎの手段となっていた。

――まさかそのおれが甲子園を目指すようになるとはねえ。

すべては球拾いの仕事中、練習場の外で出会った“ダントツ”こと三郎丸三郎という男のせいだった。校長先生に頼まれ、野球部の監督を引き受けてしまった負けず嫌いの魚屋。今さら野球部に入ろうなんて気を起こしたのは、明るく竹を割ったようなダントツの気性を気に入ったせいもあるが、この男ならひょっとして弱小もいいところの光野球部を本当に甲子園に連れていくかもしれないと思ったからだ。

――甲子園に行けたらまず間違いなく特待生待遇になれる。そうしたら授業料が全額免除になる!

ほかの部員にはさすがに言えない新太郎の本音だった。苦学生たるもの、金に細かくて何が悪いのだ。野球以上に商売が得意と自負する新太郎の、これは賭けだと言えた。

・・・でも本当の本音は違ったのかもしれない。仲間と一緒に汗を流し白球を投げ続ける日々はここ数年にない充実感に満ちたものだった。おれは本気の野球をやりたかったんだ。球拾いでもわざと手を抜いた賭け野球でもない、本気の勝負を。

強運と悪知恵に近いようなアイディアに恵まれて、光高校は都下の強豪校を次々に下し、何と本当に甲子園出場を決めてしまった。まさかの勝利の秘訣は・・・自分たちが弱かったことだ。弱いからこそ強者のプライドなんてものはなく、馬鹿げた作戦を本気で実行して相手校のペースを乱すことができたのだ。

 

甲子園出場が決まってから新太郎には――光高校ナインには一つの欲が生まれた。せっかく甲子園に行くのなら・・・明訓と戦ってみたい。

神奈川の明訓高校。二年前の夏以来四期連続で甲子園に出場し三回の優勝を成し遂げた高校野球の王者。いや、もはや高校野球という枠を超えて国民的知名度と人気を誇る化け物集団。

――高校野球界きっての強打者山田を打ち取ってみたい。エース里中と投げあってみたい。

すでに明訓は地区予選準々決勝で東海高校を破り準決勝進出を決めている。今年も甲子園に出てくるのは確実だろう。そんな部員たちの声にダントツだけが首を振った。

「いやわからんぞ。里中を欠いている明訓は。あと二試合渚が持つかどうか」

そう、明訓のエース里中は故障のためなのか初戦からずっと欠場を続けていた。二年生の控え投手・渚が好投しているものの、やはり投手力が落ちるのは否めない。現在のところ山田と主将岩鬼の打棒がチームを支えているが、全国有数の激戦区である神奈川の大会を果たして里中なしで勝ち抜けるのか――。

「『小さな巨人』か。あんな小さい体で常勝明訓のマウンドをずっと守ってきたんだもんな。大したもんだよ」

「いるだろ、うちにも。『小さな巨人』がさ」

「そういや新太郎も里中と身長同じくらいだな。顔も何となく似てるんじゃないか?」

「あ、それおれも思ってた!兄弟っていっても通じるくらいそっくりだよなあ」

「えー?おれあんなに甘ったるい顔してないぜ。それに里中は三年、おれは一年。おれの方が絶対でかくなるって!」

新太郎は口をとがらせると、ぐいと胸をそらして見せた。

「甲子園で二人が対面したときが見ものだよな」

「里中も『おれはあんなアホ面じゃない』とか思うかもしれないのことです」

「誰がアホ面だよ、グリグリ!」

「それもこれも里中が、明訓が甲子園に出てきたらの話だ。里中が怪我してようとなんだろうと・・・出てこいよドカベン太郎、おまえのバットでな。大甲子園であおうぜ!」

ダントツが拳を握り締め、力強く吼えるのに新太郎も心の中で同意の声を上げた。

 


(2010年8月27日up)

 

 

 

 

 

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