あなたの笑顔が見たいから

 

6月のあるうららかな午後、ロッテ浦和球場は常になく新聞記者が群れをなしていた。

二軍にこれほど大勢の記者が殺到したのはこの日オールスター投票の中間発表が出されたためだ。今年は稀に見るルーキーの当たり年で、ファン投票の上位はほぼルーキーが独占していた。しかし世間の耳目を何より驚かせたのはパ・リーグの投手部門の結果だった。

「それにしても、こんなの前例がないんじゃないか。二軍でさえ一度の登板もしてないってのに」

「いかに高校時代甲子園のスター選手だったからってなあ。ファンもいっそ罪作りだぜ」

記者たちがぼそぼそと言葉を交わすのを、山井は少し離れたところから聞いていた。彼らの話題の中心になっているのはロッテの新人投手・里中智。3年にわたって高校野球界を沸かせた「常勝」明訓高校のエースだった男。しかし3位指名でロッテに入団このかた、一つの試合も出てはいない。にもかかわらず高校時代から圧倒的な人気を誇っていた里中は、投手部門の一位に選ばれてしまったのだ。

「おい、記者会見始まるってよ」

他社のカメラマンの声に記者たちがいっせいに移動を始める。もやもやした気持ちを抱えたまま、山井も彼らの後に従った。

 

袴田二軍コーチ同席の元、球場の食堂で略式の会見が行われた。高校時代から取材慣れしている里中は記者の質問にもソツのない答えを返し、さらに踏み込んだことを聞き出そうとすると袴田が横から引き取るといった具合で、結局何ら実のある話は引き出せないままあっけなく会見は終了した。

「ひっかかるな。絶対何かあるぜ里中に」

室内練習場へと消える袴田と里中の背中を見送りながら某社の記者が呟いた言葉は、その場の全員の感想でもあった。里中が入団以来一度も投げていない理由を袴田は「体作り」と説明したが、いかにも苦しい。またどこか故障しているのか、あるいは――。再びもやもやした感情が胸を突き上げてきた。

記者たちがばらばらと引き上げていった後も、山井は一人残ってしばらくグラウンドを眺めていた。かつてグラウンドを駆けていた遠い高校時代が甦ってくる。スポーツ記者として野球には今もどっぷり関わり続けているのに今日に限ってこんなに感傷的な気分になるのは――里中のせいか。

カチャ、と小さな音が響くのを耳の片端に捕らえて山井は振り向いた。室内練習場の扉が開いて袴田が出てくるところだった。里中が一緒じゃないからトイレにでも行くのだろうか。考えるより先に山井は小走りに駆け出していた。

「袴田さん」

「お。東京日日スポーツの山井さんか、まだいたのかい。メッツ番のあんたが珍しいと思ったんだが、いつもの若いのはどうした」

「どうも夏風邪を引き込んだらしくて。今日は代打ですよ」

袴田は薄く微笑んだ。その笑顔に、山井はさっきから胸の内で渦巻く思いをぶつけてみようと決めた。

「――室内練習場で、いったい何をやってるんですか?」

「練習場なんだから練習に決まってるだろう。さっき記者会見でも言った、体作りのためのトレーニングだよ。あいつは投手としては小柄だし高校では故障も多かったからな。まずは体をじっくり鍛えないと」

「・・・持って生まれた体格はそうそう変わるもんじゃありませんよ」

山井は低い声で言った。意図したよりも陰鬱に響いた声音に自分でも少し驚いた。

「袴田さんだってわかっているでしょう?プロで通用する選手は素材からして違う。小柄でも非力でも高校までは何とかなる。しかしプロはそうはいかない」

「・・・・・・」

里中は決して悪い投手ではない。多彩な変化球とコントロールの良さには定評があるし、度重なる故障を押して投げ抜いてきた根性も見上げたものだ。しかしあくまでそれは高校レベルでの「いい投手」と言うにすぎない。甲子園で20勝してると言っても、要はチームメイトに非常に恵まれていたおかげなのだ。

捕手の山田、内野手の殿馬・岩鬼、外野手の微笑。ドラフト上位にかかる選手が4人もいるチームで勝てない方がおかしい。そんなものは里中の実力のバロメーターにはならない。それは日本ハムのルーキー・不知火を見れば一目瞭然だ。高校時代は同じ神奈川県に明訓高校がいたために一度も甲子園に行けなかった不知火だが、ハズレ一位で日ハムに指名され、一年目にして早くも開幕投手を務めたうえノーヒットノーランまでやってのけたのだ。そして一方の里中はこうして5月を過ぎても二軍にいる。

「球団は人気だけで里中を獲った。確かにCMも話題になったしキャンプにはずいぶん女性ファンが詰めかけた。宣伝効果は十分だったでしょうが、結果あなたが貧乏クジを引くことになった。使えない奴を押し付けられて、内心あなたはいい迷惑のはずだ」

「・・・その通り、と言ったら、それを記事にするわけかい?」

袴田はにやりと不敵な笑みを口元に刻んだ。

「そんなつもりはありませんよ。ただ・・・何だか無性に腹立たしいんです。あなただけじゃない、里中だって可哀想だ。里中はもともと大学進学を希望していた。自分がプロで通用するかどうか里中自身が一番よくわかってたんだ」

それを、貧しく病身の母親を抱えた里中の家庭事情につけ込むように彼をプロに引っ張り入れた。当初の人生設計の通り、大学で4年間体を作りながら将来性を見極めるのが里中には一番良かったはずだ。上手くすれば念願通り、4年後に逆指名で山田のいる西武に行けたかもしれなかったのに。

プロは厳しい世界だ。鳴り物入りで入団した選手が思うように伸びず、あるいは故障を負って、一度も一軍に上がれぬまま数年で放り出される、そんなことは珍しくない。――山井もかつて高校球児だった。ついに三年間レギュラーにはなれなかったもののドラフト5位で指名を受けた山井が入団を断ったのは、高校三年間で完全燃焼し尽くしてしまったため、そしてプロ選手として到底自分が生き残れる気がしなかったからだ。しかし高校時代を賭した野球を全く捨て去る気にもなれず・・・・・・結果敏腕スポーツ記者としての現在の山井がいる。

「――本当のことを言おうか。あんたも他の記者たちも過小評価しすぎている。里中のこともロッテ首脳部のこともな。単なる人気取りのために里中を獲ったんじゃない。ロッテの看板を背負えるエースに育てるためだ」

山井は絶句した。ロッテのエース?未だ二軍での登板さえ果たせない里中が?

「それとおれに同情してくれるには及ばないぜ。フロントに里中を指名するよう進言したのはこのおれだからな」

「な・・・!」 かつては江川や村田兆治ら球史に名を残す大投手の球を受けてきた男が。何を血迷って里中にそんなに肩入れする気になった?

「あんたのそんなに驚いた顔は初めて見るな」

面白そうに袴田はくっくっと喉で笑うと、「珍しいものを見せてもらった礼だ。ちょっと待っててくれ」と一言言って更衣室の扉の向こうへ消えた。そのまま待つこと数分、待たせて悪かったな、という言葉に反して悠々と歩いてきた袴田は、「これ貸してやるよ」と一本のビデオテープを差し出した。テープの背の部分に「94年夏、甲子園大会準決勝 明訓VS青田」とお世辞にも上手とはいえない字で書かれている。

「ロッカーに入れたままになってて良かったよ。適当な時に返しに来てくれりゃあいい」 

テープをぐいと押し付けると、例の不敵な笑みを浮かべて袴田は再び室内練習場へと戻っていった。

 

社に戻ったあと手早く仕事を片付け帰宅した山井は、缶ビールを片手にテレビの前に陣取った。去年夏の明訓対青田戦と言えば、現西武の山田太郎と千葉の剛球王中西球道が延長18回に及ぶ大激闘を繰り広げたことで名高い。また果敢にピッチャー返しに立ち向かった里中が頭と右足を打球で負傷しながら最後まで投げ抜き、翌日の再試合では大病で一時危篤状態に陥った母親を励ますために鬼気迫る力投を見せた美談も有名だ。もっとも取材であちこち飛び回っていた山井は勝敗と大まかな経過を聞き知るだけで、試合を見る余裕はなかったのだが。

どうせなら中西の方を指名すりゃよかったのにな。ビデオをデッキにセットしながら山井は内心に呟いた。ドラフト一位指名は確実と思われていた中西は何を思ったか突然指名拒否を宣言してアメリカに渡ってしまったのだったが、やはり大学進学を表明していた里中を獲るくらいなら何とか中西を口説いた方がよほど即戦力になったはずだ。

なぜ里中だったのか。このビデオを見ればそれがわかるというのだろうか。思いを巡らせつつ再生ボタンを押すと、馴染みのテーマ曲が流れ甲子園球場が画面に映し出された。

 

明訓の攻撃から始まった試合は、中西がストレート一本で主砲山田を含む6人を連続三振に切って取れば、対する里中も打たせてとるピッチングで三者凡退に抑える好調な立ち上がりを見せた。が、早くも二回裏、例のアクシデントが起こった。4番中西のピッチャー返しによる里中の頭部負傷だ。

血止めの応急処置をして再びマウンドに上がった里中は山田のリードやナインの守備に支えられて無失点を守ってきたが、さすがに六回裏に崩れの気配を見せ始めた。球威が落ち、一人の打者に費やす投球数が増えた。頭の傷が響いているのは明白だった。

さらに続く七回裏、中西のセンター前ヒット―になるはずの打球―を体で止めたために、走者を三重殺に取ったものの右足まで負傷するはめになった。それでも九回裏までなお一点も与えず延長戦に持ち込んだ懸命の投球に山井は素直に感心した。

確かに根性は間違いなく一級品だ。しかし根性と実力はあくまで別物。一方の中西が明らかに自身の速球の威力で明訓打線を翻弄しているのと対照的に、もし山田の驚くべき判断力が、殿馬や岩鬼の好守備がなかったらすでに2、3点取られて負けていたところだ。

延長10回表、里中は初球から打ちにいったものの凡フライになった。明訓の3番だけに振りは悪くない。しかし中西の剛球を飛ばせるだけの膂力が里中にはない。

『しかし私は思います。体もさることながら最後はこの里中くんのように根性がいちばん大事だし勝利をもたらせてくれるんだと』

実況アナの言葉は半分はその通りだ。確かに高校野球なら「根性が一番」でいいだろう。しかし根性ではどうにもならない才能というものがあるのだ。努力を重ねても越えることのできないプロとしての壁が。

 

続く山田がネクストサークルから立ち上がったところでどよめきが起こった。これまでこの大会で唯一木製のバットを使ってきた山田が、里中の金属バットを借りて打席に入ったのだ。山田はこれまでの3打席中2回もバットを折られている。チームのために意地を捨てて金属バットを手にした。中西の剛球を打てるのはまず山田しかいないだけに当然の選択には違いなかったが、

――それをさせたのは里中か。

里中が山田に意地を捨てさせた。傷の痛みに耐えて中西の球に立ち向かった里中の根性が、山田をその気にさせたのだ。

果たして山田は中西の152キロをライトスタンドへ叩き込んだ。待望の一点は先に明訓が手にした。しかしそれも続く10回裏、中西のホームラン級の大当たりにより三塁ランナーがホームインしてあっさり取り返されてしまった。山田はチームのために意地を捨てたのに、怪我と疲労で限界が近いにもかかわらず里中は4番中西を相手に敬遠せず勝負に行った。その我が儘の代償にあわやサヨナラホームランを食らうところだったのだ。

しかしナインは誰も里中を責めようとはしない。それどころか中西の打席の直前、マウンド上に内野陣が集まったときの様子は、全員が里中の気持ちを汲んで勝負を勧めていたように見えた。そして本当ならスタンドに入ったはずの球を、ライトの蛸田がジャンプ一番キャッチする大ファインプレーを見せたのだ。

中西に打たれた瞬間、目を閉じて空を仰いでいた里中が、蛸田のファインプレーに安堵の笑顔をこぼす。里中が、山田が笑顔で蛸田のプレーを賞賛するのに、蛸田も両手を大きく上げて笑顔で何か答えている。もちろん声は聞こえない。おそらく「どんどん打たせろ」とでも言っているのだろう。

この果敢なプレーに、限界間近と思われていた里中は完全に生き返った。体の動きに躍動感が戻ってきた。ヒットになって当然の球を山田が、岩鬼がスライディングキャッチするたび満面の笑顔でグラブを叩く。女性ファンに「可愛い」と騒がれるあの無邪気な、花開くような笑顔で。そしてその笑顔に引きつけられるのはおそらく女性ファンだけではなく――。

『すごい!!里中くんの勝負が、そして蛸田くんのファインプレーが明訓ナインに火をつけたのです!』

確かにここに来ての彼らのプレーには目を見張るものがあった。しかも全員が生き生きと、笑顔を浮かべてさえいる。このムードの中心にいるのは――里中だ。

 

11回裏は三者凡退に抑えたものの、援護のないまま12回裏のマウンドに上った里中の疲労は明らかだった。しかし初球攻撃のライナーをファーストが見事にノーバウンドでキャッチし、セカンド、ショート、サードと球を回して里中に返す。投手は孤独ではない、みんなが付いているんだと教えるかのように。

剛速球で押す中西と違い打たせて取る里中にはナイン一人一人の働きが不可欠だ。自然とそこにはナインに対する信頼が形成される。そして里中の信頼に応えようと、か弱いエースを支えようとナインもまた奮起する。

――好守備あっての里中なんじゃない。里中あっての明訓の好守備なんだ・・・!

里中の第二球を2番の大池が叩いた。センター前に抜けると思われた球を、セカンドの殿馬が華麗にジャンピングキャッチする。セカンドを振り向いた里中が笑顔で何か叫ぶ。やはり声は聞こえない。しかし口の動きでわかる。「とのまー!!」だ。

あの笑顔のために。感謝をこめて名前を呼ばれるために。彼らは力を振りしぼる。里中の存在がチームを強くする――。

『ふんばります里中くん。ここまできたんです、がんばれ里中くん』

客席が怒涛のような「がんばれ里中」コールで埋め尽くされる。観客席のすべてが、実況までもが里中に味方している。

――だから袴田さんは、ロッテは里中を選んだのか。

実力ではなく人気で獲った。それは間違いではない。しかし単に球団のイメージアップや観客動員力を狙ったということではないのだ。――実力ではプロに及ぶべくもない高校球児がこれだけファインプレーを連発している。それも山田や殿馬のようなプロ予備軍ではない下級生たちまでもが。

13回表、気力で出塁した里中は傷ついた足で懸命に走り、かつ青田側の大暴投に助けられて自ら勝ち越しのホームを踏んだ。しかし13回裏、ノーアウトから中西に勝負を挑んだ結果、渾身のシンカーを予想外に同点ホームランにされてしまった。

最後の力を振り絞った、それも最高の一球を無惨にも打たれた里中は、ついにマウンドに膝をついた。もはや里中にこれ以上戦う気力はない。刀つき矢折れた里中を誰も責めることはできない。そんな状況だった。

しかし数秒の後里中は立ち上がってきた。マウンドに力づけに寄ってきたナインを手で制すると頭の包帯をむしり取る。そこから里中は再び息を吹き返した。10回裏にやはり同点に追いつかれながらも蛸田のファインプレーに励まされて力を取り戻した里中が、ここでは自ら立ち直り6番7番と三振に取ってのける。続く14回裏も三者凡退。

――里中がロッテ一軍のマウンドに立ったなら、たとえズタボロになっても潰れず責任回数を果たすまで投げ続けるだろう。そんな里中をバックは懸命の守備で支え、打線も援護の1点を必死に取りに行こうとする。一丸となって戦うロッテナインを、ファンもまた夢中で応援する。里中を中心にチームが、ファンが、一つとなるのだ。

里中が投げることでチームは変わる。自分がロッテ番の記者でないことを山井は少しだけ悔しく思った。

 

それから二週間ほど経って山井は再びロッテ浦和球場を訪ねた。里中の登板は相変わらずないままで、記者たちの足もすっかり遠のいている様子だった。おかげで苦もなく袴田を捕まえることができた。

「これ、ありがとうございました」

山井がビデオテープを差し出すと、袴田はにやりと笑いながらそれを受け取った。

「こないだおれが言ったことの意味がわかったかい?」

「ええ。――要は里中はアイドルだってことですね。ファンにとってよりまずチームにとっての。明訓の連中、どんなにキツい状況でも嬉々として里中の後ろを守ってましたからね。里中自身の実力がどうでも、あいつが入ることでチーム全体の実力がアップするなら、安い買い物だ」

明訓の大黒柱は間違いなく山田だった。しかし皆を精神的に鼓舞していたのは里中だ。意識してやっていることではない。「こいつのためなら」と周りに思わせるものを、里中は自然と備えているのだ。

――これもまた得がたい才能ってやつかもな。

「半分だけ正解だな。確かにおれはあいつがチーム全体のモチベーションを上げてくれることを期待しているが、里中個人の力にだって期待しているんだぜ。でなけりゃ室内練習場で特訓なんてせずさっさと一軍にあげている・・・おっと」

あわてて口を押さえる袴田に、山井は「オフレコでしょ。わかってますよ。私はロッテ番じゃないですからね」と笑顔で答えた。

ずっと室内練習場に篭りきりで、登板はおろか外での投球練習さえまともにしていない里中。周囲の目を完全にシャットアウトして秘密特訓を行っているのなら、里中が投手である以上その内容は一つしかありえない――秘球の開発。いまだ誰も投げたことのないような。

証拠固めさえ出来れば、オールスターの最終結果発表を前に結構なスクープになるかもしれない。しかし山井にそのつもりはなかった。袴田に言ったように彼はロッテ番ではない。何よりチームメイトにも伏せての秘密練習の詳細を暴くことで彼らの計画を崩したくなかった。里中がプロのピッチャーとして飛躍するための、そのステップを邪魔したくなかった。

何だかおれまで里中応援団になっちまったみたいだな。喉の奥でくっくっと笑う山井を袴田が訝しげに見つめていた。

 

約束どおり山井が里中の「特訓」について記事にすることはなかった。しかし「ベールに包まれた室内練習場」に注目した人間は彼のほかにもいたのだ。オールスター投票の最終発表まで一週間を切ったある日、「千葉スポーツ」が里中の「秘球」について一面でデカデカと取り上げたのである。

「やられたんだよ。赤っ恥だよ、わが日日の!」

「やらせですよ。ロッテがファン投票一位が誰もいないために源さんに頼んで・・・」

デスクの怒りにロッテ番の記者が懸命に弁解するのを、山井は離れて聞いていた。千葉スポーツの名物男「飛ばし屋源さん」は真偽定かならぬネタを誇大に煽り立ててスクープに仕立てあげるのが得意技だ。千葉はロッテのお膝元、確かにロッテが源さんと組んでやらせを仕込んだ可能性は十分にある。

しかし山井はこれがやらせではないと確信していた。源さんはろくに裏を取らない代わり、独特の嗅覚に従って美味いネタを見出すことに長けていた。単にデタラメを書き飛ばすだけで何年もこの業界で生き残れるものじゃない。源さんの勘は自分と同じものを嗅ぎ当てたのだ。

結局この記事は、袴田・里中師弟の目論見を見事に潰すこととなった。最初の中間発表から数週間、一旦不知火に投票一位の座を奪われた里中は、この記事をきっかけに3000票の差を引っくり返しオールスターにトップ当選してしまったのだ。そしてオールスターでほぼ一年ぶりに山田とバッテリーを組んだ里中は、実力不足を懸念されながらも、最後の一球――幻の「秘球」によって巨人の松井を三振に取り、パ・リーグの勝利を決定づけたのだった。

 

何とまあ、やってくれるもんだ。球場で試合を観戦していた山井は思わず溜息をついた。ガセか本当か存在を疑われていた新球をギリギリ最後の最後で投じ、あの松井がバットにかすらず、あの山田が後逸した――ただ一球かぎり、いきなり投げられただけに誰もその軌道をろくに見定めていない幻の秘球・・・・・・宣伝効果は最上級だ。

スターにはそれにふさわしい舞台が用意されるものだと言う。ならば後半戦を前にこれだけの強烈な印象を刻みつけた里中は――袴田が言った通りいずれはロッテの看板を背負うエースに成長するのかもしれない。

・・・試合終了の声を受けてマウンドを下りた里中に笑顔はなかった。おそらく袴田にまだ使用を禁じられていたのだろう新球を投げ、突然未知の球を投げられた山田はそれを受けそこなった。本当なら振り逃げになっていた展開だ。無邪気に勝利を喜ぶ気になれなくて当然だろう。

――後半戦は一軍に上がってこいよ里中。再びその小さな勇姿を皆に見せつけてやるんだ。そしてその時こそ――心からの笑顔を見せてくれ。

思いがけぬ幕切れに興奮冷めやらぬ客席の喧騒を聞きながら、山井はゆっくり出口へ向かう階段を下っていった。


スポーツ記者といえばこの人、ということで、『野球狂の詩』『ストッパー』などで活躍する山井さんに作品の壁を越えて出演して頂きました♪プラス今回初めて実在の人物(袴田さん)を描いたので、だいぶ緊張したのを覚えています。

(2010年1月29日up)

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