D線上のアリア(序)

 

機体ががくんと揺れ、小林は目を覚ました。いつのまにか眠っていたらしい。

読みさしの文庫本に再び目を落としたが、すぐに閉じて手荷物のバッグにしまい代わりに封書を取り出す。縦長のそれは今朝寮を引き払うときにポストに届いていたものだ。妹の稔子からの手紙。

まったく稔子のやつめ。今日の便で帰国すると言ってあったのに。あやうく行き違いになるところだった。苦笑しつつ封筒から新聞の切り抜きを引き出した。朝からすでに何回も見返しているそれに改めて目を落とす。

 

『シード校を争うミニ大会(春季神奈川県大会)の展望 健在!!山田の打棒』

 

自分が中学を卒業後すぐアメリカに留学して以来、稔子は月に一度、時には三、四度も手紙で近況を書き送ってきた。といっても家族のことなどは申し訳程度で、文面の多くは高校野球、それも小林の母校である東郷学園の高等部ではなく同じ神奈川の明訓高校の話で占められていた。明訓野球部には中学時代小林が最大のライバルと思い定めた男「山田太郎」が在籍している。小林が彼の現状を気にかけていると察しての心遣い――と言いたいところだが、

 

『五回裏の途中、二死満塁から山田さんがマスクをかぶりました。キャッチャーが山田さんに代わってからピッチャーも調子が上がってきて打線も爆発、山田さん自身も二死満塁の場面で何とグリップに当てたボールを長打にしてランニングホームラン、一気に4点を返して大差で負けていた明訓を逆転勝利に導きました。とても一年生とは思えないような活躍ぶりです』

『打撃妨害を狙って4番打者が大きくバットを引いてくるのを巧みに交わしながら見事三振に打ち取りました。他の打者も卓抜したリードで抑えきって完全試合を達成、甲子園初出場を決めました。やっぱり山田さんは凄いです』

 

目の手術からこのかた稔子はすっかり山田贔屓だったが、ここまで惚れきっていようとは。どの手紙を見ても山田山田。山田の活躍が目立つ時には手紙の届く間隔が狭くなる。全くもってわかりやすい。完全試合もすっかり山田の功績で肝心のピッチャーにはさっぱり触れていない。もし新聞の切り抜きが同封されてなかったら、小林は明訓のピッチャーが誰なのか当分知らないままだったかもしれない。

 

『小さな巨人・里中智!!』

 

去年夏の明訓高校地区予選優勝を伝える記事には、完全試合を成し遂げた投手の写真が大きく取り上げられていた。里中智。東郷学園中学野球部で同期だった勝気な少年。自分が目の怪我で休んでいる間に里中はなぜか退部してしまっていた。小林がいたために控えの投手にさえなれず、ずっと補欠だったことに鬱屈したのか。チームメイトは詳しい事情を語りたがらなかったし、小林もあえて詮索しようとはしなかった。正直一補欠にすぎない里中に小林はさほど関心を持っていなかった。

その里中が。一年から完全投手の名を引っさげて甲子園に出場し見事優勝、春のセンバツでも優勝して今や日本一の投手としての名声を手にしている。それもかつて小林が最高のライバルと認めた男とバッテリーを組んで。稔子が送ってくる新聞記事で里中の活躍に触れるたび、胸の奥がざわつくのを止められなかった。

もともと留学した時点で野球は止めたはずだった。父は昔から長男の小林に会社を引き継ぐつもりでいた。小林がリトルリーグ世界大会の優勝投手となったことで一時期はそのまま野球の道を歩ませる方向も考えたようだが、試合中の事故で視力をほとんど失い、完全失明のリスクをかけての手術に成功した後、やはりおまえには自分の後を継いでほしいと言ってきた。小林としても、子供の頃からいずれは父の跡取りになるのを当然のように思ってきたので否むつもりはなかった。目のことではずいぶん心配も迷惑もかけたから、その分の親孝行という気持ちもあった。中学を卒業したらアメリカに留学して経営学を学び、後々に備えて知識とハクを身に付ける。それが父の計画であり、野球部に復帰し夏の大会に出場したのは小林にとっては最後の我が儘のようなものだった。

しかし海の向こうから聞こえてくる山田の、里中の快進撃に、捨てたはずの野球への情熱が身を焦がすのを覚えずにいられなかった。ふらふらと高校の野球部の練習を眺めにゆく日が続き、すっかり顔なじみになってしまった野球部員にちょっと交じってみないかと誘われたのが運のツキだった。日々練習に打ち込み、経営学より野球が小林の生活を占めるようになるのに時間はかからなかった。ブランクを乗り越え、中学時代よりよほど力もついたと自信が持てるようになると、今度は「彼ら」と戦いたいという思いが頭をもたげてきた。

ふたたび山田の打棒に挑んでみたい。中学時代が嘘のような飛躍を遂げた里中と投げ合ってみたい。高校野球の王者・明訓高校と戦ってみたい。

どうにもその思いが抑えられなくなり、ついに小林は留学を打ち切って日本に帰りたいと父親に願い出た。小林が真面目に勉学に励んでいると思っていた父は動揺し困惑したが、有難いことに稔子が仲裁役を買って出てくれた。にいさんがあれほどの大手術に耐えられたのも野球への情熱がさせたことです。どうかにいさんから野球を取り上げないで。稔子の健気な懇願が父の心を溶かしてくれた。この件については稔子にどれだけ感謝しても感謝しきれない。思えば昔から稔子には世話になってばかりいる。明訓と試合するさい稔子は間違いなく山田の応援に回るだろうが、そのくらいは勘弁してやろう。

しかしその「常勝」明訓も今やピンチを迎えている。山田こそ健在だが、里中は春の大会での右ヒジの怪我が元でボールも握れない状態だそうだし、セカンドの殿馬は世界一のピアニストに見込まれて(あの殿馬が将来を嘱望されるピアニストでもあると知ったときはあまりの意外さに開いた口が塞がらなかった)音楽留学するとか言われている。冗談ではない。殿馬はまだしも里中がいないのでは、自分がわざわざ帰国する意味が半減してしまう。

しかし何とかいっても最終的に里中は復活を遂げるだろうと小林は信じていた。去年の夏の大会後もやはり右ヒジの故障で再起不能と言われながらも秋季大会の途中から見事に復帰を果たした里中だ。きっと今回も何とかするだろう。中学時代の、いかにも負けん気の強そうな里中の表情を小林は思い出していた。

機体がわずかに揺らいだ。そろそろハワイ上空へ差しかかる頃だろうか。腕時計に目を落とした時、前方から複数の悲鳴が聞こえた。途端に空気に不穏な緊張感が走るのを小林は感じた。

 


(2011年2月11日up)

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