デイビス

 

 『猫の散歩引き受けます』登場。連邦軍情報部所属のエスパー。連邦が支援を行ってきたゲリラ組織「クラックス」に今後も投資を続ける価値があるかどうか調査に訪れ、しばらくクラックスとともに行動する。

 一見ユーモラスな風貌で常に笑顔、話し方も穏やかだが内心の窺えない不気味さがある。連邦がクラックスへの投資を打ち切る可能性について「上の方には そういう意見も あるようですけど」とだけ答えて自分自身は投資を打ち切るべきではないと考えているような雰囲気を出し、実際にクラックスをたびたび手助けしつつクシノ議長暗殺計画の黒幕に迫っていくあたりも実にしたたかである。

 そもそも連邦が反政府ゲリラを支援していること自体道義的にどうなのかと思うが、クラックスが掲げているのが〈スラムや貧困を失くす〉であることから、こうした問題点を放置どころかむしろ都市の繁栄のために利用しているシティ=クシノ議長による実質的独裁政権が悪、問題を正そうとしているクラックスが正義という名目なんだろう(現実世界においても国連や国際社会が独裁国家に対する抵抗勢力を支持するケースは多々ある)。

 ただこのシティの場合ジャニスに言わせると「もしこの都市が 連邦の手に落ちれば 今 私たちが手にしている「自由」や「繁栄」は 残らず持ち去られ 後には 「荒廃」と「貧困」だけが残る」。部下にこう説明する一方でクラックスのリーダー・ストウには「お互いの目的はひとつ 今のこの都市の運営方法を根幹から変えること・・・・・」と現状のシステムを批判してみせているジャニスだけに鵜呑みにはできないが、デイビスが連邦のクラックスへの支援を「投資」と表現していることからいって「支援」が人道的観点からではなく欲得ずくで成されているのはまず確実だろう。優秀なメンバーのもと都市の運営をほぼ完璧にこなし惑星政府にも連邦にも付け入る隙を与えないクシノ議長は連邦にとっては邪魔者であり、クラックスが議長を倒してくれるなら万々歳という考えだったのではないか。(このあたりストウはどう思っているのだろう。連邦の支援のもと評議会の力を削いだところで連邦なり惑星政府なりが新たに都市の実質的支配権を握り「この街を おれたちの手にとりもどす」ことなど出来そうもないが。さすがに連邦が本気で善意から援助してくれていると信じるほどお人好しではないだろうに)

 デイビスがクラックスに協力したのも上述のような連邦の目論見が背景にあったゆえだろうが、クシノ議長暗殺を企んだジャニスは返り討ちに遭い、議長殺害の実行犯になるはずだったストウは情に負けて議長に取り込まれてしまった。この時点でデイビスは任務は終了したと判断したのだろう、ロックに「干渉してはいかんという規則があるんですよ これ以上のことは できません」との言葉を残しつつシティを去っている。おそらくストウが議長と〈和解〉した以上支援は打ち切り、シティを支配下に治める計画も当面は延期と決まったのではないか。何も急ぐことはない。議長の命はせいぜいあと数十年で尽きるのだから。今回議長暗殺は回避されたが、ある意味シティはトップの代替わりに失敗したとも言える。もともと〈あわよくば・・・〉程度の話であり、隙が生じればいつでも介入できるよう注視を続ける、といったところに落ち着いたんじゃないかと想像する。

 ところでデイビスというか連邦はストウがクシノ議長の孫だと知っていたのだろうか。デイビスはストウ本人には「君の生い立ちについてはほとんどわかっていないが 「スラム」の出身ではない」とそれ以上のことは知らない風を装っていたが、実際には知っていたのではないか。ジャニスがストウの父親がピエール・クシノだと暴いた時も驚いている様子がなかったし。クラックスを支援したのも、一つには肉親の情から議長がストウに強く出られないのを期待してのことだったのではと思うのである。実際には逆の結果になってしまったわけだが。

 余談だが、これだけ都市を維持する機構を中心に据えた物語でありながら肝心の「シティ」の名称も惑星の名称も出てこない。ハントシリーズでは舞台となる土地の名前が出てこないのは珍しくないが(超人ロック年表に入れられない作品群だからだろうか)、ストウが環境の改善を訴えてやまないスラムについても具体的描写が全くない。冒頭でハントがリンを救出に行ったのがスラムだったのだろうし後半訪れた「サンティニ・ホール」もスラムにあるのだが、リンを狂言誘拐したチンピラが出てくるくらいでストウが救いたいはずの飢えに苦しむ子供たちや一般住人の姿がモブとしてさえ登場しないため、スラムもスラムの犠牲のもとに成り立っているシティそのものもどこかイメージが曖昧なのだ。

 個人的には、今回読み返しながら香港を想起した。ハントの「このシティは 独立している 連邦からも 惑星政府からも・・・だ 主要な収入は・・・・・・ 商取引と 観光」という説明にもおおよそ当てはまるし。ちなみに『猫の散歩引き受けます』の連載開始(開始早々に雑誌が休刊したが・・・)は長らく英国領だった香港が中国に返還されたのと同じ1997年である。読者が実在の都市のイメージを重ねやすいように、でもあからさまに特定の都市に寄せた描写にすることで政治色が強くならないように、あえてぼかした表現にしている──というのは穿ちすぎだろうか。

 

 

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