如月行について

 

 「どうせすべては幻。確かなものなんてこの世には存在しない。」 「また世界を嫌えばいい。しょせん、人生は耐えることの連続でしかないのだから・・・・・。」

 私は基本的に、こういった後ろ向きな台詞を吐くようなアダルト・チルドレン系キャラクターは苦手なんですが、彼は例外。というよりその生活環境やら行動・発言にもかかわらず、行には不思議なほど〈病んだ〉印象を受けないです。おそらくダイスのリクルーター言うところの「極限状況でも己を見失わない強固な意志」――極端にすぎるきらいはあるものの自身に堕落を許さないストイックさと、自己憐憫・自虐的ナルシシズムの希薄さがその理由かと思います。

 自らの「掟」に従って生きる、全ての価値判断の基準を自分に置く、というとエゴイストぽく聞こえますが、自分が一番大事というのとは違う。彼は仙石や田所の言葉にたびたび心を揺さぶられていますが、それは真剣に彼らの話に耳を傾け咀嚼しようとしていることの現われでしょう。他人を拒絶しようとしているようでいて、彼の心はちゃんと外に向かって開かれているし、自分を理解してもらおうとするよりもまず他人を理解しようとしている。そのあたりに彼のきわめて健全な精神性を感じます。

 生い立ちを思えばもっと歪んだ性格になってておかしくないんですが、そのへんは幼いころから「掟」で自己を律してきたこと、人生の最初の段階で思い切り愛情を注いでくれた母親の存在が大きかったのだと思います。そういえば、普通なら親の愛情を一方的に求めるような年頃から、行は母を気遣い苦労をかけまいと心を砕いていました。貧しさと周囲の差別のためにずいぶん辛い思いを強いられ、子供らしい楽しみには縁遠かった行ですが、親の愛と苦しい生活の両輪が、彼の強さと優しさを作り上げたことはまちがいないでしょう。

 工作員を引退した行は「人を人と捉えることのできる」世界に生きてゆくことになりますが、気になるのが祖父が父に殺されたと知ったとき、彼の胸の「奥底から湧き出してきた未知の物質」、ジョンヒ言うところの「自らをも破壊しかねない暴力の衝動」です。この凶暴にして冷徹な一面は、多くは父からの虐待に耐え続ける中で醸成されたものでしょうが、十歳以前に体操服を破いた相手の鼻の骨を折った件からすると、それだけが原因じゃない。父との関係に由来する部分は、機械室前での邂逅を通じて宮津が持っていってくれたんじゃないかと思うんですが、生来の資質と幼児期以来の忍耐の連続から培われた部分はその後も彼の中に留まりつづける。そしてその暴力衝動を行使して実際に人の命を奪ってきた記憶も消えることはない。

 工作員時代、捨てようとして捨てきれない優しさが彼のネックになったように、今度は兵士としての資質と過去とが、普通の人間として生きるうえでの妨げになることもあるのかもしれない。けれど工作員としての本能とは相容れないその優しさこそが、当時の行の抜きがたい魅力となっていたように、胸の奥に抱える暗い痛みも、それを否定するのでなく受け入れながら生きてゆくことで、かえって彼の人間性に豊かな陰影をもたらしてくれることでしょう。一見異質な朱色と緑色を加えてこそ、夜の海の絵が艶やかに輝いたように。

 

おまけ−映画版『亡国のイージス』で行を演じた勝地涼さんが、『この胸いっぱいの愛を』という映画に若いヤクザ・布川の役で出演してます。十月中旬現在公開中なのでストーリーの詳細は書きませんが、役者が同じということを抜きにしても、布川には多分に行を彷彿とさせる部分があり、もし仙石に会う前の行が同じ状況に置かれたなら、布川と同じような行動をとったかもしれない、と思いました。とくに布川の最後の台詞は、行の口からも聞いてみたいものです。

 

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