キャスティングについて

 

・仙石恒史/真田広之

 多くの原作ファン同様、「真田さんじゃ格好良すぎないか?」と真っ先に思いました。しかし原作と切り放して見れば、情に厚くおせっかいでマイペースな、映画なりの《いそかぜ》先任伍長像を見事に作り上げていました。また、

(1)《いそかぜ》ミニイージス化ですっかりVLS(新型ミサイル発射装置)の陰に隠れてしまったターター(旧型ミサイル発射装置)のエキスパート→映画の《いそかぜ》はミニ・イージスではなく本物のイージス艦なのでターターは元から存在しないためVLSの員長の設定。

(2)妻から別居を切り出されている(妻と高校生の娘から捨てられかけている)→妻はすでに死亡、小学生の娘は妻の実家に預けてあるが関係は良好。

という二つの変更によって、職業人としても家庭人としても自信を失いつつあった原作に比べて迷いのない(原作でも人間性の根本的な部分は決して揺らがないのだが)、颯爽としたキャラクターになっています。とはいえ風貌にも走り方にも話し方にも四十代の親父くささ(真田さん自身四十代ですが、ご本人は並の四十代の格好よさではないし)をごく自然に出しているのはさすが。もともとはアクション俳優だった方なので(20〜25年前ならまず間違いなく如月行は彼が演じていたろう)その気になればもっと華麗なアクションもできるところを、わざとそこそこ重たげな動きにしている。役作りのために10Kg太ったという話を耳にしましたが、まさに役者魂。

 行との関係は原作に比べると大分薄め。これは尺の関係もあるでしょうが、上でも書いたように映画の仙石は原作に比べて迷いがないという理由が大きいと思います。原作では行は仙石の抱える鬱屈を良くも悪くも刺激する存在であって、行を救うことは自分自身を救うことでもあった。だから「先任伍長」という立場を捨てて一個人として《いそかぜ》に戻る。映画ではこの鬱屈がそもそも存在しないので、仙石が行にそこまでこだわる理由もなくなった。おそらく彼の行に対する感情は最後まで、機械室に篭城した行を説得に向かったときの「彼はまだ私の部下です」という台詞そのままだったんじゃないでしょうか。一クルーである如月行と自分の艦を「先任伍長」として取り戻しにゆく。行をずっと「如月」と呼んでいたことにそれが表れているように思えます(・・・と感じたんですが、パンフレット他で真田さんが語っているところでは映画の仙石も〈先任伍長の立場より個人としての思いを優先させて〉艦に引き返したのだそうです。意外に原作通りの関係なのかな?)

 

・如月行/勝地涼

 原作ファンが一番キャスティングにこだわりがあったのが彼だろうと思います。実際他のメインキャラクターに比べキャスト発表が遅かったためにネット上で〈行を誰が演じるのか〉についてさまざまな憶測・希望が乱れ飛んだと聞きます。個人的に〈行〉に求めるものは、

(1)少ない言葉と一見無表情な顔の裏に潜む情や孤独感を、目と佇まいで表現できること

(2)アクションができること

(3)アイドルでも通る(でもちゃらちゃらしてない)風貌

(4)絵の天才的技量と工作員の天性が醸し出す一種近寄りがたいカリスマ性

(1)から(3)は優先順、(4)は優先度が低いというより文章メディア(小説、コミック)でないと表現不可能だろうと最初から割り切った部分。これは思ったとおり、(4)に関わる部分は原作の表現を緩和するかシーンごと削るかされてました。たとえば行が父親を殺す場面。原作では完全に計画的犯行であり、内心はともあれ実に淡々と事を成し遂げ、警察が来るのを待ちながら描きかけの絵を仕上げるという底冷えのするような描写になっていますが、映画では衝動的犯行、しかも現場から逃げだし都会(東京らしい)をふらふらしてるところをダイスに拘束されるという設定に変えられています。結果、何事からも逃げないことを己に課し、あらゆる苦痛を背負い続ける痛々しさがやや薄まった感があります。

 また絵についても、〈上手〉ではあっても原作みたいな〈天才〉とまではいかなさそう。改変の理由は想像するに、一つは先にも述べたように文章メディア、言葉で事細かに心情を説明する手段でないと表現が難しいため、もう一つは原作の行はほとんどスーパーマンのような存在なので、アニメならともかく生身の役者が演じる場合、そこだけマンガっぽくなって浮きあがってしまうため。だから映画の行はいろんな意味で原作よりも〈人間〉的になっています。

 で、(1)から(3)についてですが、ここで(2)を優先すればアクション俳優、(3)が最優先ならアイドル俳優がキャスティングされて演技力については???となっていたかもしれません。(1)を最優先して(「「何でおれのことわかってくれないんだ」という顔で20秒間監督を見つめる」テストが決め手だったそう)役者を選んだスタッフに感謝。その人が(2)と(3)も十分満たしていたことに感謝。原作の行にはもう少し女顔なイメージを持ってたんですが(『週間モーニング』連載のコミック版の絵がドンピシャ)、勝地涼さんは顔の造りは男っぽいのに輪郭線がまだまるきり少年なので、そのいい意味でのアンバランスさが少年と青年の狭間にいる行のキャラクターに上手くはまっていたと思います。

 アクションもなかなか。軽やかな体さばきにはバネの強さというより「体重軽そうだなあ、その分攻撃の必殺力は弱そうだなあ(体重が乗らないから)」という印象を持ちましたが、一発で敵を倒す場面がないのでノープロブレム。むしろ蹴りで相手を転がしたあと肘打ち二発入れるとかしている場面は〈自分の長所短所を踏まえた上で戦っている(という前提のアクション指導がなされている)〉という説得力を感じました。原作でも素手の一撃で相手を倒してるシーンてない気がしますし(由良のチンピラ相手でも二発で倒している)。

 (1)については何も言うことないです。海自の作業服を着てただ立っているだけで彼は「如月行」でした。もちろん原作とイコールではなくもう少し常人に近い、演じ手の若さ(当時18歳←※・・・と書いてしまったのですが、2006年2月頃の『skyPerfecTVガイド』のイージス特集で、勝地さん自身が〈撮影当時17歳だった〉とコメントしてました。18歳の誕生日(8月20日)前に撮影に入ってたわけですね。なので「当時17〜18歳」と書くべきでした、すみません。※さらに追記その後このような記事を発見。撮影開始は8月28日だったと勝地さん自身が語っています・・・17歳じゃないじゃん!(笑))を反映してかやや幼い、映画ならではの行なのですが。あと(1)〜(4)には入れていない(特に要求ポイントではなかった)清潔感と声の良さは拾い物でした。

 

・宮津弘隆/寺尾聰

 原作と異なり副長という設定。これは海上自衛隊からの要請だったようで、やむをえないとはいえ残念な部分。部下からの人望や命をかけて艦を爆破する最期は、艦長であってこそ生きる気がするので。「先任伍長、操艦!」の台詞とかも。とはいえ〈反乱計画に加わってない艦長を殺害する〉という展開に、原作を読んでて感じた「衣笠司令が《いそかぜ》を座乗艦に選んでたらどうしたんだろう」という疑問の答えが出た気がしました。艦長殺害の下手人が誰かははっきり描かれてませんが、おそらく宮津が自分で手を下したんじゃないでしょうか。きっと彼なら苦しい行動だからこそ自分で引き受けようとしたでしょう。

 それと、仙石は原作より3歳若返ってますが、宮津は逆に3歳上、52歳の設定になっている。これは役者の年齢に合わせた結果なのでしょうが(行は21歳設定のままですが、これは18歳じゃ護衛艦乗れないので無理からぬところ)、そのために艦長の衣笠の方が年下ということになっています。そのせいで、反乱についてくる部下があれだけいるのだから相当の人望があり、有能でもあるらしい彼がなぜあの年で副長どまりなのか、という疑問が強まります。副長に変更した理由は海自の要請でも、副長ポジションの不自然さを際立たせるような年齢設定に、過去に何かしら(思想的に?)上層部に睨まれるようなことがあったのを匂わせてるのか?などと思わず深読みしてしまったんですが、実際どうなんでしょ?

 寺尾さんは宮津には少し線が細すぎるかな?と最初思いましたが(もっとも原作の宮津だってそんないかつい印象ではないが。というより具体的な外見描写がほとんどないのでそもそも容姿を想像できない)、対《うらかぜ》戦での毅然とした姿にはさすがの威厳がありましたし、第一VLS管制室での仙石との会話、行に「悪いのは、父さんだな」という場面での静かな情感は彼の真骨頂でしょう。あれ以前に行への思い入れを示す場面があればなお良かったんですけど(「裏切られたようだな」「裏切り者はあんただ」のあたりで)。息子への愛情も含め、一番割りを食ってしまったキャラかな?という気もします。

 

ヨンファ(溝口哲也)/中井貴一

 彼については原作より映画の方が格段に格好良いと思います。物語のキャラクターとしては、狂気の人な原作も、最後まで冷静でありつづけた映画も、それぞれに魅力的なんですが、どちらに人間として好感がもてるかと言えば、個人的には圧倒的に映画版。というより原作のヨンファはどうあってもお近づきにはなりたくない(笑)。

 映画の彼は寡黙で、ほとんど無表情なキャラなのに(原作では演技でやってるのも含めて結構百面相している)、部下に対する愛情深さがしっかりと伝わってくる。映画の彼ならひょっとして宮津隆史と本当の友情で結ばれてたかも、という気さえします。原作ではべったりだったジョンヒとの関係も実に淡白で、怪我をした彼女に声もかけずいたわる様子も見せないが、わざわざ立ち寄ってしばしその場に足を止めていることで、彼女に対する思いやりや愛情がはっきりわかる。ジョンヒの遺品を受け取る場面、その直後荷物から写真を取り出し燃やす場面など、ヨンファがらみのシーンは大概素晴らしい。

 とくにこの写真を燃やす場面はほとんど唯一ヨンファが動揺を表に出す場面であり、〈ジョンヒの死がいかに大きなショックだったか〉に着目すれば、表面はクールな顔に戻った彼が、いきなりGUSOHをミサイルから外して艦上で解放する気になった理由を察することができるようになっている。この映画は終始「多くを語らず観客に行間を読み取ってもらう」スタンスを貫いていますが、そうした監督の理念を、腹心(たぶん)であるドンチョルともども最も濃厚に反映しているのがヨンファなんじゃないかな、と思うのです。

 

・渥美大輔/佐藤浩市

 一番原作とキャラが変わってなかったのはこの人では。瀬戸を振り回すはずのところがむしろ振り回されてたくらいが変更点で。スーツ姿の似合うダンディな二枚目というあたりがまさに渥美。原作には「歳より若く見える四十四歳」というだけで美男子とは一言も書いてませんが、二つのコミック版でもこの映画版でももれなくハンサム。行間から漂う彼のたたずまいがそう思わせるのでしょう(行だって「アイドルでも通用する」云々と書いてなかったとしても、そのストイックさやナイーブさから自然と美少年顔をイメージしてしまうし)。

 彼の人となりに関する説明は全くなかったものの、冷笑的な部分も熱さもうじうじした微妙に頼りなげなところも、全部安全保障会議内での行動の中で示されていました。それだけに、あの乱闘場面や宮津芳恵の前で土下座・号泣するシーンもぜひやってほしかった。佐藤さんならまさに原作そのままの名場面を演じきってくれたと思えるだけに、ちょっともったいなかったなあ。

 

・ジョンヒ/チェ・ミンソ

 潜水艇?経由で海から乗り込んできたジョンヒは、何者なのか一切説明のない唐突さで、原作未読の観客の多くを???状態に陥れたものらしい(感想のブログなど読むと)。彼女もヨンファ同様、原作の狂気(主として行への執着に表れる)は失われているものの、全くの無言で、無表情に激しい攻撃欲だけを滲ませて襲い掛かってくる姿は、正体がまるきりわからないだけに、戦闘マシーンの不気味さを帯びて強烈なインパクトを残します。

 存在すべてが謎だらけのジョンヒにおいて、中でもとりわけ「意味不明」と言われつづけたキスシーン。パンフレットによれば、あれは相手の空気を奪う行為なのだそうですが、たびたび意味ありげに行と視線が絡む場面があったので、単にそれだけというわけじゃないでしょう。やはり「同類」として惹かれあう部分はあったものかと。とはいえ、映画のジョンヒはヨンファに愛想をつかしたりはしない(つかされるような男でもないが)。ヨンファが怪我を見舞ってくれたとき微かに表情を緩めたり、ヨンファの回想シーンで野球帽を押さえながら彼の後ろから慕うように歩みよったりする場面に、彼女がヨンファに心を許し、若干甘えてさえいる様子がうかがえて微笑ましい。

 ・・・と書いてきた映画版ジョンヒのキャラクターですが、これらはすべて演じ手であるチェ・ミンソさんの個性がかくなさしめた部分が大きい気がします。原作の毒のある色香、なまめかしさの代わりに、どこか初々しい、あどけない可愛らしさが漂っていた感じです。それだけに行の足につかまろうとして手が届かずスクリューに巻き込まれていくシーンが哀れでした。

 

瀬戸和馬/岸部一徳

 一応役どころは内閣情報官と原作に近いものの、キャラクターはかなり別人。渥美のペースに(ある意味自主的に)振り回されがちな原作と異なり、つねに飄々とした態度で渥美にあれこれ物をたかる(笑)。そうした瀬戸のキャラクターを岸部さんは実に自然に演じていました。緊迫した場面が続く中で一種清涼剤的な役割を果たしていた彼ですが、実は映画版の主たるメッセージというべき台詞が、そんな彼の口から出てくるのだからあなどれない。「平和って戦争の狭間に生まれるもん」というあれです。シリアス・ボケの両面でのさりげないキーパーソンでした。

 

風間雄大/谷原章介

 原作では曹士たちから散々嫌われバカにされ、「名前負けの風間」ほか数々の不名誉な仇名をつけられまくってた彼ですが、映画版では顔はなかなかの二枚目。と思いきや谷原さんでしたか。格好良いはずです。でも中身の情けなさは見事に風間。仙石に頬を張られて泣きじゃくるあたりの弱っちさの表現は見事です(褒めてます)。

 原作では仙石の言葉に動かされ、この先想像される苦境にめげず生きる決心をした風間は、映画においてはGUSOHキャッチのファインプレーを見せて雄雄しく命を落とします。ヨンファのメッセージを持った使者が自決するシーンからすると映画のGUSOHは本物のようですが、「ネスト」の強度はどれくらいのものだったのだろう?原作レベル(空中分解した航空機からはるか下の海面に叩きつけられても壊れない)だとしたら・・・無駄死に・・・・・・。それはそれで風間らしいんですが、ここはやっぱり〈彼の勇気が東京を救った〉ということであってほしいです。

 

ドンチョル(山崎謙二)/安藤政信

 最初映画のキャストを見たとき、「山崎二尉?そんな人いたっけ?」と思い、「ドンチョル」という名も「聞き覚えあるなあ」程度でした。原作のドンチョルとは(なぜこの名前を使ったかと思うくらい)完全に別人。実質的に映画のオリジナルキャラと言ってよいです。それだけに彼がらみの場面は「原作のこのシーンはもっとこうだった」という比較の対象がないためか、名シーンのオンパレード。

 ドンチョルって山崎を演じてたときに長ゼリフがあるだけで、正体を明かしてからは確か一言も喋っていない。※正確には「なにかあるか」という台詞がありますね。「各論的感想」参照。 ジョンヒと違って口がきけないわけじゃないのに、おそらくは〈必要がないから〉喋らない(彼に限らず某国工作員の面々はおよそ口をきかない)ところが冷徹な凄みを感じさせます。アクションシーンも迫力がありました。足にナイフを突きたてられて立ち上がれずに何度もくにゃくにゃ倒れる演技は見事。

 そしてヨンファに対する狂的忠誠心を台詞でなく目と行動だけで表現する。とりわけヨンファの足手まといにならぬため、目だけでヨンファに別れを告げ自分の頭を銃で吹っ飛ばすシーンは圧巻。これほどの男にこうも慕われていることで、自然とヨンファの格まで上がっている。安藤政信さん大した役者さんです。ドンチョルの思いを汲み取って、止めることはせず静かに顔をそむけるヨンファも実によい。

 あえて難を言うなら、FTGは各科のベテラン士官のはずなので、二十代前半と見える(年齢設定は不明)ドンチョルがFTGに化けるのはちょい苦しいかも・・・とか思ってたら、安藤さんはなんとすでに三十歳(公開当時)だとか。正直、驚愕。となればドンチョルもああ見えて三十歳くらいの設定なのかもしれませんね。

 

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