上巻

 

「山ひとつ越えた先にある町の店に通うのに、母は自転車を使っていた。一時間に一本だけ走る路線バスがあったが、九時すぎにはそれもなくなってしまうので、帰りのタクシー代を節約するためにはそうするしかないのだった。」(10p)

「山ひとつ」「一時間に一本」「九時過ぎ」といった具体的な描写から、なんともわびしい生活感が漂ってきます。この母子、閉塞的な田舎町で暮らしてるよりいっそ都会に出たほうがマシだったんじゃないかという気がするんですが。夜の商売や未婚の母に対する風あたりも田舎ほどきつくないだろうし、店へ通う交通の便もずっといいはず。あるいはこのあたり一帯は―おそらくは行たちの住むアパートが立ってる土地も―如月の持ち物だというから、あの男に未練があったのだろうか?「堕胎の要請を無視して」行を生んだのも、〈彼の子供だから生みたかった〉とか?

「夢うつつの中、微かに漂ってくるアルコールと香水、湿布の匂いを嗅ぐのが、行は好きだった。さまざまなものが渾然一体となった母の匂い――それは独りぼっちの夜に終わりを告げ、行の住む世界の輪郭を形成して、外部の嫌なものや怖いものから守ってくれる温もりの源だったからだ。」(10p)

湿布はともかく、アルコールも香水もいわゆる〈母性〉とは相反するイメージがありますが、それを行は母の匂いとして愛している。理想的な家庭像からはほど遠くてもそこにはささやかな幸せがあり、行の感受性はそれを見逃していない。何となしにじんと来たシーンです。あと、あの行でも子供の頃は一人の夜が怖かったり寂しかったりしたのだなあとちょっとほのぼの。

「母さんはもう十分に大変なのだから、自分のことでこれ以上苦労や心配はさせない。そのためにはなんにだって耐えてみせる。それが行の決めた「掟」だった。」(11p)

・・・なんていい子なんだろう。後々まで行を支え、同時に縛り、「いくつかの命を摘み取」る結果にもなった「掟」は、本来は〈母さんを守りたい〉という思いから生まれたものなのですね。だからこそ「掟」は逆境に〈立ち向かう〉のでなく〈耐える〉方向に結実した。いじめてきた相手に反撃して怪我をさせたり学校で問題になったりすれば、母に経済的精神的負担をかけることになってしまうから。それは数行前の、体操着を破いた相手をぼこぼこにした事件で明らかです。ただ守るべき母がいなくなったあとも、彼は〈立ち向かう〉より〈耐える〉ルールを変えられなかった。そのために彼は再び大事な人を失うことになってしまう・・・。

「うるさいほど賑やかに生命を実らせた山と違って、海には物静かな、茫漠とした海面の下に秘めた底深い生命のたぎりがある。本当の気持ちを隠したまま、平穏を維持していなければならなかった行にとって、その姿はどこか自分に重なって見えていたのかもしれない。」(12p)

福井氏の文体は叙景的かつ叙情的で、時にはキャラクターの内面に深く分け入ってゆき、時にはすいと突き放す。その両面どちらもたどってゆくと男性的なロマンティシズムにたどり着くような気がします。

「閉塞した過疎の土地で、それは行と母が遠慮なく声をかけられる唯一の他人だった。気づかれない代わりに、無視されることも疎まれることもない。」(13p)

淡々とした筆致の中に浮かびあがってくる行たち母子の孤立と孤独。周囲から否応なく浴びせられるマイナスの感情のただ中で、ただ二人身を寄せ合うようにしている(「閉塞」している)彼らの姿が胸に痛いです。

「海岸に向かう坂道を滑り下りる時、抱きついた母の背中が次第に骨ばってゆくのは以前から感じていたし」(14p)

命を絶つその直前まで、体がぼろぼろのはずなのに行を海に連れてゆく習慣は変えなかった、ということですよね。それだけ行と過ごす時間を大切にしていたんでしょう。行は母が一人死んだことで自分は捨てられたのだと感じていたけれど、逆にいえば死ぬまで行を捨てるようなことはしなかった。そして行を道連れにしなかったのも息子を愛していたから、そして子供ながらに自分に心配かけまいと黙って辛さをこらえている息子の強さを信じていたからではないかと思うのです。行が見捨てられたと感じてしまうのも親に一人残された子供の心情として無理からぬところですが、むしろ十年もの間、幼児虐待に走るでもなく、男をひっぱり込むでもなく、よく一人きりで頑張ったものだと思います。この人に育てられたからこそ、行は父からの虐待やダイスでの過酷な訓練にも芯から歪むことのない純粋さと強さを持ちえたんではないでしょうか。それだけになぜあんな男とできちゃったんだか実に不思議です。

「死ぬ間際に母が漂わせていた臭い。薬物中毒の臭いなんかじゃない。これは人が人であることをやめた時の臭いだ。考えることを放棄し、困難から逃げ、場当たりの快楽にたかる蝿に成り下がった人の臭いだ。」(16p)

幼少期のエピソードでの母や潮・火薬は「匂い」、こちらは「臭い」。好悪を嗅覚で捉える感性、腐敗臭=堕落することへの激しい嫌悪感は、のちのちの重要なシーンにつながってきます。絵描きの彼が視覚でなくまず嗅覚で感知するというのが面白い。彼のもう一面、工作員としての一種動物的な戦闘センスに通じる部分かも。

「本来は美術館に飾られるべきものだが、放っておけば、どこぞの企業の倉庫で不渡り手形になっていたものたちだ。死ぬまでの少しの間、世捨て人の慰みものになるのもよかろう。そう言った祖父は、」(22p)

後に行が如月の屋敷を自分や祖父の集めた絵を展示する美術館にしようと夢見るようになったきっかけは、この時のお祖父さんの言葉にあったのかな、とふと思いました。

「そんな行に、祖父は新しい画材道具一式を買い与えた。この家に引き取られてから、初めてもらったプレゼントだった。」(23p)

ラストで行が仙石に絵筆のセットを贈ったのは、先に仙石にあげた筆が《いそかぜ》沈没時に焼失してしまったからですが、少年時代に祖父から画材道具をプレゼントされたことも心理的に影響していたように思います。この場面の数行前に「まっすぐ目を見て語った祖父に、なにも感じるものがなかったといえば嘘になる。だが共鳴するには、行の心はあまりにも堅く閉ざされていた。」とありますが、上述の美術館を作る夢といい、終章での行の言動には祖父の影響が見え隠れしている。お祖父さんの想いはちゃんと行の心の奥底に届いていたのですね。 

「内奥から発した熱が、凍りついた血を溶かし、全身をほんのり暖めてゆく感覚。スケッチブックに向かっていると、張り詰めていた神経が和らぎ、自分がどこまでも拡がってゆくような気がする。」(24p)

これまで外部からやってくるもろもろの困難から、ひたすら殻に籠ることで自分を守ってきた行の心が、絵を介して外へ向かって少しずつ放たれてゆく。絵を描くようになってから海岸で護衛艦に手を振るシーンまでの間、「走り出した衝動」「懐かしい匂いが、脳の奥から染み出してきた。」「母が死んでから、初めて出した大声だった。」など、〈内から外へ向かう〉描写がこれまでになく頻出している。凝っていたものがゆるやかに流れ出してゆくような解放感。彼の心が開かれつつあったからこそ護衛艦に手を振ったり警笛に涙を流したりすることもできたのでしょう。父を殺害した際に、再び心を閉ざした行は筆を折りますが、仙石に促されて絵筆を握ったとき、ふたたび彼の「感情の蓋」は緩みはじめる。そんな彼の心の動きの大元がこの一連の場面に集約されています。

「昔、母と何度も通った海岸。そこだけ脆くなっている感情の蓋が弛むのを恐れて、故意に行くのを避けていた場所だった。」(24p)

このとき護衛艦が彼に応えてくれたことで、ますます感情の蓋は脆くなってしまったようです。のちに「海」「護衛艦」「絵」の脆い部分が三点セットになって表れた《いそかぜ》で、彼が非情の工作員に徹することができなくなったのも道理だなあとこのエピソードがあるからすんなり納得できる。

「母と花火をした海岸に腰を下ろした行は、朱と紺の色がせめぎあう夕暮れの海面を、画用紙に引き写すことに専念した。なかなかイメージした色が出せず、パレットを相手に苦戦している時、」(24p)

《いそかぜ》甲板上で夜の海の色を見事に再現してみせた行も、かつては海の色を出すのに苦労したこともあった。だからこそイメージ通りの色が出せず四苦八苦してる先任伍長を見たとき、思わず自分から手を出してしまったのかも。

「応えてくれた。通じたよ、母さん。ただ目の前を通りすぎるだけだったものが、こっちを見て、返事をしてくれたんだ。わかる?こんなこともあるんだ、世界には。耐えるだけじゃなくて、生きていればこんな瞬間に出くわすことだってあるんだ――。母が死んだ時にも出なかった涙が溢れてきて、それを拭ううち、行は母を許している自分に気づいた。母の匂いではなく、絵の具の匂いや、離れの黴臭い匂いが形成する新しい世界の輪郭が自分を包んでいることに気づいた。憎む必要も、嫌う必要もない。人を人として捉えることのできる自分が、そこにいることに気づいた。」(25p)

彼の短い、でも本当に幸せだった時期。そして「わかる?」という問いかけ口調の幼さ。お母さんを思うときは10歳の子供に還ってしまうのでしょう。お祖父さんがもう少し長生きしてくれていたら、普通に高校に行き美大に進み、というような人生もあったんだろうに。

「人相の悪い男たちがたびたび家に出入りするようになったのは、それからしばらくしてのことだった。(中略)彼らの乗ってきたベンツやBMWが、父の車を隅に追いやって庭に並び、」(27−28p)

「父の車を隅に追いやって」の一文が、「誰がおまえなんかのために骨を折るか、おまえは騙されてるんだ」との祖父の言葉どおり、主導権は完全に男たちの側にあることを象徴している。

「日々濃くなってゆく不穏な気配に気づきながらも、どうにもできないいら立ちに悶々としていた時、それは起こった。」(28p)

「人生を「生きる」のではなく「耐える」」をモットーにしてきた行の性格が悪い方に出てしまったエピソード。かつて母との生活に立ちこめはじめた腐敗臭を感じながらなすすべなく脅えるばかりだったのは10歳という年齢を考えれば無理もないが、14歳の彼なら祖父に警告を発するくらいできたはずだと思うのだ。彼が見聞きしたことを話せば、元は政治家の祖父なら身を守るために適切な措置が取れたんじゃないだろうか。おそらくは自分からは何もせずに「どうにもできないいら立ちに悶々としていた」あたりに、彼の弱い部分、問題点に積極的に立ち向かい改善をはかろうとはしない徹底的に受身の性格が表れているように思える。父を殺害したあと、絵を描きあげてからも逃げない代わりに自首しようともせず、警察が向こうから来るのを待っていたのにも。

「行にとって、事実はひとつ。父が祖父を殺したということ、それだけだった。(中略)が、母の死のときと決定的に違うのは、奥底から湧き出してきた未知の物質が、その頭と体を完全に支配していたことだ。」(29p)

もし祖父を殺したのが行きずりの強盗か何かだったら、怒り悲しみはしてもここまでの憎悪は抱かなかっただろう。また父が誰か別の人間を殺したのなら、呆れ軽蔑はしてもやはり憎しみにはならなかっただろう。尊属殺人、親殺しだからこそ行の怒りは殺意に発展したのではないだろうか。父からは虐待しか受けてないにもかかわらず、親殺しは人の道に反するという一般的モラルを彼は意外にしっかりと持っていたようです。だからこそ祖父の仇をとることで今度は自分が親殺しになってしまった皮肉に、〈父の亡霊につきまとわれる〉という形で何年も苦しみつづけなければならなくなってしまった・・・。

「そして騒ぎが始まるまで、描きかけの静物画を仕上げることに専念した。」(31p)

「心の中を覗かなきゃ絵は描けないのに、思い出したくないことがありすぎるから描けない」と後に行は仙石に話している。父殺害の前後で描かれたこの絵には一体どんな思いが塗りこめられているのか・・・。

「一方が日本は永久に軍事力を放棄したはずではないかと言えば、一方はこれは軍隊ではない、自衛隊だと言う。そもそも在日米軍とのリンクを前提に買い揃えた装備のどこまでが自衛力で、どこからが戦力なのか誰にも定義できないまま、アメリカの意向に右にならえで開設された自衛隊だったが、」(34p)

福井作品の特徴の一つが、専門用語や政治的折衝の場面など〈堅い〉〈読みにくい〉部分を皮肉を含ませた軽妙な文章でわかりやすく読ませてしまうこと。軍事や組織論のからむ堅い内容のわりに女性人気が高いというのは、美青年キャラの登場が定番だからというだけでなく、このへんにもあるのでは。一行一字たりとも読みとばす気になれないおかげで、読むのに普段の(同じくらいの厚さの本の)倍くらいかかってしまうんですが。

「アメちゃんの言葉で言うなら、シーマンシップっていうものだ。海で生きる男の模範、規律みたいなもんだ。それを身につけたものだけが、海で生きてゆくことができる。」(35p)

一度目に読んだときは何ということはなくとも、『フラットフィッシュ』作戦後の阿久津の言葉を思い出すとガツンとくる台詞。ところで「アメちゃん」というボキャブラリーからして、宮津父は宮津よりバンカラな人柄のようです。宮津の口から「アメちゃん」なんて言葉が出るところは想像もつかん。

「休日には白の詰襟を着た学生たちが同じように散策する姿があったが、彼らは技術指導でたびたび校舎に赴いていた父の顔に気づくと、必ず立ち止まって敬礼をした。答礼する父の肩の上で、宮津も形ばかりの敬礼をして見せた。」(35p)

父と、父の仕事と、その仕事に従事している人たち、その全てに幼いなりに宮津が敬意を抱いていたのがよくわかる場面です。実際幹部候補生時代、くじけそうになるたびに防大生に答礼してたときの父の背中を思い出していたとあるし。このシーンは宮津の死に際に再び形を変えて登場します。

「沿岸を離れると、それまでのねっとり湿った空気も潮の匂いも後方に流れ去り、海と空の二つの青だけが隣接する世界で、余分なものは消失する。感覚を妨げるものはなにもなく、あるのは自分の体と、護衛艦という巨大な質量を持った物体のみ。それは海という、本来人が住むべきではない世界で、生きようとする意志が作り出した強固な殻だった。」(37p)

この箇所に限らず、「序章 二」の全編に彼の海と護衛艦と海上自衛官の職に対する愛情が描きこまれていて、彼が結局最後まで艦長であることを捨てられなかったのがすっと納得いくようになっている。

「夕陽に染まった房総半島の突端、朱色に映える砂浜の上に、手を振る人の姿を見つけたのはその時だった。三十倍率の双眼鏡でも豆粒ほどの大きさにしか見えなかったが、一心に手を振る姿は少年のように見えた。隆史と同じ年頃だろう。足もとにあるのは画用紙か?備え付けのマイクを手に取って、宮津は警笛をひとつ鳴らすよう足もとの艦橋に号していた。」(45p)

「序章 一」との意外な接点。お互い顔も名前もわからないのに、一瞬の出会いはそれぞれの心に刻みつけられた。本人同士気づいていないところで人と人はつながっていたりするのだなあと改めて思います。

「自分は何を不満に思っていたのだろうと可笑しくなった。沈む夕陽が水平線を朱色に染め、手前には、藍色と黒とがせめきあい、刻々と表情を変化させる海がある。余分なものはなにもない、自分と、護衛艦という巨大な質量が存在するだけの世界。鉄の腹の中は同じ目的を持った者たちが集い、巨体を動かしている。それを統べるのは、他の誰でもない、自分なのだ。かつて望んだすべてのものが、自分の手の中にある。これ以上なにを欲する必要があるというのか。」(45−46p)

色彩が目に浮かぶかのような表現。宮津の感じている開放感とまっすぐな自負心がひしひしと伝わってくる。

「この間、防大の入試を無事突破した隆史は、三代続くことになる海上自衛官への道を歩みだしていた。」(46p)

「序章 一」が行言うところの「親殺しの血筋」の物語だったのと対照的に、こちらは父を敬愛し父と同じ道を歩もうとする血筋の話。冒頭で行に感情移入した頭で読むと、彼らの親子関係が何とも羨ましい気分になってきます。次のプロローグで紹介される仙石は、多少の(一般レベルの)確執から十年ほど両親とほぼ絶縁状態となったものの、子供が生まれたのを潮に和解しています。〈最悪の親子関係〉〈理想的親子関係〉〈多少問題はあれどまあ普通の親子関係〉が三人の主人公それぞれのバックボーンになっているわけですね。

「防大の教授や同期生、後輩たちが次々に弔問に訪れた。中には遠方の赴任地からわざわざ駆けつけてくれた者もいて、宮津は、自分の知らないところで間違いなく進行していた息子の人生の側面を、ぼんやりと眺めた。」(52p)

多くの人が息子のために駆けつけてくれたことを素直に有り難いと感謝したり息子の人望の厚さを嬉しく思ったりするよりまず、自分が知らない息子の交友関係にかえって息子との距離を感じてしまうところに、何ともいえないリアリティを覚えた一文。

「どこか険のある目の色に不快感を覚えた宮津は」(53p)

ヨンファと初対面の際の印象。最初から上手くいくはずもない二人だったことがすでに暗示されているようにも思えます。こののちも宮津がヨンファに好感を覚えるシーンというのは見事に存在せず、目付きや言動に苛立たされてばかり。彼は自分の嗅覚に従うべきだったのでは。自分がどうやっても好きになれない、憎しみさえ覚える男と、論文『亡国の楯』が示すように多分に父親似の隆史が、最後まで友情を保てたはずはないのだから。

「自分や父、そして隆史にも通底する愚直さを確かめて、宮津は本能的に男の話を真実と了解したのだった。兵士は、決して兵士を騙さない。」(55p)

のちに行がヨンファに向かって「あんたは兵士なんかじゃない。ただの狂った人殺しだ」と言い放ったことを思うと、果たしてこのときヨンファは真実だけを語っていたのかどうか。「辺野古ディストラクション」や隆史の死の真相は事実だったけれど、ヨンファの隆史に対する友情の部分は実際のところどうだったのだろう・・・。未来の自衛官が実名で政府・自衛隊批判と取られる論文を発表したことについても、彼の清廉さを認める一方「所詮粛清の危険まではないと思っているからできること」と鼻で笑う気分もあったのではないか。命がけの抗争を生き抜いてきたヨンファには結局「腑抜けた国の男」と映ってたんじゃないかという気がするのです。

「一度、船酔いで真っ青の初任幹部に、どうしたら船酔いしないで済むか尋ねられたことがある。船に乗らなきゃいいと答えると、同年配のエリートは世にも情けない顔をして見せたものだった。」(66p)

うかつにも今回読み返して初めて気づきましたが、この初任幹部って宮津のことですね。「序章 二」で宮津が「同年代の士長」に船酔いしない方法を聞く場面があります。行と宮津だけでなく宮津と仙石もこんなところで縁があったわけだ。単に「士長」「初任幹部」としか書いてないところからすると、《いそかぜ》で再会してもお互いあの時の相手とは気づいてないようですが。しかしこの箇所の「世にも情けない顔」という表現や、2ページあとの「試験突破のために勉強会を催す奇特な士官」という揶揄を含んだような言い回しからすると、仙石はあまり宮津にいい印象をもってなかったような。《いそかぜ》艦長・宮津に対しては「偉ぶらず、気さくで、いつでも現場の身になって考えてくれる好人物」と尊敬を抱いていた仙石ですが、若き日の宮津へのちょっとした反感が描かれたことで、彼らの関係に微妙な陰影が生まれた気がします。

「彼はクールベの画集を仙石に贈ってくれた。海をモチーフに絵を描き続けた、十九世紀のフランスの画家だった。」(67p)

行がお祖父さんの住む離れで見たのもクールベの海の絵だった。ちなみに画集を贈ってくれた「彼」というのは仙石のお兄さんのこと。

「照りつける太陽の下、微動だにせず立っている横顔は、アイドル歌手でも通用するなと仙石は思った。」(88p)

仙石の行に対する(初対面の男に対する)第一印象が〈アイドル顔〉だというのは、お兄さんの存在が微妙にからんでる気がします。何事にも優秀でなおかつ「少女マンガのヒーローさながらの容姿」だという兄に仙石は少年時代ずっと劣等感を感じていた。だからアイドル系の優男に注意を引かれた、と。もしかするとお兄さんの設定がただ〈優秀な兄〉ではなく〈優秀かつ美形の兄〉なのは、仙石が行に一種のコンプレックス、圧倒される感覚を覚えることへの伏線だったのかも。行はこの後、仙石が遠く及ばぬ絵の才能を見せつけ、また近頃彼を悩ませている「不可知」の象徴的存在として立ち表れてきますが、仙石の行に対する感情が嫉妬へと育ってゆかないのは、「それぞれ社会で一里塚を築いた家族として」劣等感ぬきに兄と向き合えるようになっていたからでしょう。ちなみに『920を待ちながら』(※1)での、木村三曹に対する須賀一曹の初対面の印象は、〈えらく若いな→(某アイドルにちなんで「木村」と名乗ってきた)→そういやこいつもアイドル顔だな〉と推移している。名前が「木村」でなかったらアイドル顔などと考えもしなかったろう反応に、男の顔立ちなんぞどうでもいい、という須賀さんの感性がうかがえます。

「日中は動き回るサブジェクトにぴたりと張りつき、食事もトイレも相手のペースに合わせて、勤勉な営業マンより早く靴を履き潰す。夜はサブジェクトの自宅近くに停めたバンにこもり、盗聴器が傍受した愚にもつかない会話を聞きながら、むさくるしい同僚相手にひと晩じゅう将棋をさす。そして何日も座りっぱなしの生活をした代償として、いずれ腰を痛めるか、痔を患うのだった。」(92p)

国の治安を影から支える防衛庁内秘密組織のイメージを、組織の名称さえ出てこないうちから打ち砕くダイス職員の日常。このへんの生活感、なまなましさが最初の段階から描きこまれているために、後に対策会議の面々が自分自身および所属する集団を守ろうと相手の足を引っ張りあうあたりの展開に血の通ったリアルさが感じられます。

「 「可能性が出てきた以上、現在の規模では不十分です。以前上申した通り、作戦要員の増員と海自装備の一時借り受けを許可していただきたく思います。」 早くから自体の予兆を嗅ぎ取り、対処作戦『アドミラルティ』を強行したのは渥美だった。一部の要員は既に配置に就いているが、事態が現実化すれば対応しきれる数ではない。」(121p)

この「海自装備」というのは《せとしお》のことかと思うのですが、この時点で《せとしお》クルーも《せとしお》で待機中だった920SOFのメンバーも作戦に参加していなかったとなると、配置完了済の一部の要員ってまさか行一人だけ!?もし沢口海幕人事課長が自殺しなかったら《いそかぜ》反乱の可能性は低いものとされて増員もされず(航空機爆破以降増員に踏み切ってもすでに手遅れぽい)、ことによったら行一人でヨンファたちと戦いつつ陸から増援(920SOF)が来るのを待つはめになったのでしょうか。そんな無茶な。・・・実際二人だけで戦いぬきましたけどね。

「ターター全壊、火災発生と想定通りの報告をする三曹の声を背中に聞きながら、仙石はふざけやがってと内心に吐き捨てた。こんなことなら、フラムの時にターターなんか外しちまえばよかったのに。」(135p)

時代おくれの役立たずになってしまったターターにロートルの自分自身を重ね合わせる仙石。《いそかぜ》の近代化、奥さんの別居宣言の二段攻撃で仙石が自信を失いかけていたことが、前半部で(特に航空機事故以降の数々の事件において)彼が示す逡巡、最終的には行の言葉を信じられなかった―行を信じようとしている自分の判断を信じられなかった―ことで《いそかぜ》をテロリストに占拠させてしまうことにつながってゆきます。

「壁を支えに立ち上がった菊政は、蒼白な顔にいつもの人のいい愛想笑いを浮かべていた。(中略)おばあちゃん子らしいのんびりした性格は一長一短で、」(138p)

菊政のおばあちゃんの名前、原作では出てきませんが、映画ではクメばあさんと呼ばれてました。『インベーダー』(※2)にもクメばあさんなるキャラクターが登場していますが、もしかして?『終戦のローレライ』(※3)や『亡国のイージス2035 ウォーシップガンナー』(※4)に菊政一族が進出してることを考えると、十分ありうる気がするのですが。

「この地球上で、これほど交換日記が似合わない男もいない。堪えきれずに肩を揺すって笑い出した仙石に、若狭は「誰にも言うなよ?」と赤い顔のまま釘を刺した。 「やだよ、言うよ。こんなおもしれえ話・・・・・・」 」(151p)

バカにされるのを承知のうえで仙石の気を引き立てるためにあえて恥ずかしい(個人的には微笑ましいと思うけど)話をする若狭氏のやさしさが光る場面。その気遣いを察したうえでわざと元気に悪ノリする仙石もいい人だ。総員離艦のとき日記は持ち出せなかったんでしょうねえ、残念。

「まだ少年の雰囲気が抜けきらない背中に、息子と同じ年頃かな・・・・・・と感じてしまった宮津は、」(165p)

かつて護衛艦の上部指揮所から砂浜で手を振る中学生の行を見たときも、やはり「隆史と同じ年頃だろう」と感じている。子供と〈離れている〉親の心境として同年代の男には(体型とかあまりに違わなければ)つい息子の影を見てしまうのでしょうが、のちの展開を思えば第一印象がこれなのは宿命とも思えます。

「 「いい名前だな。風情のある・・・・・・」ミサイル班・如月行と記されたプラスチック製の名札をもういちど見て言うと、士官室係は「自分は好きじゃありません」とにべもなく言い放った。 「なんか、電車みたいで」 」(174−175p)

あの行が無駄に感情を出してる場面。最初から適当に頷いておけばよいものを、わざわざつっかかるような返事をする。子供の頃からかわれたのに意外に傷ついていたというわけではなく、父への反感が言葉に滲み出してしまったというところか。とすればその後の「親からもらった大切な名前なんだから、大事にした方がいい」という宮津の言葉は痛いところをついてます。行が感情を出した返答をしたおかげで宮津との間に一応〈交流〉と呼べる空気が生まれたわけですが。

「 「『礼節に欠ける傾向あり、士官室係に重点配置して再教育されたい』って横総監からの評定にありましたんでね。そうしてるんですが・・・・・・」(175p)

これはのちのち、行が士官室に自然に出入りし盗聴器を仕掛けたりできるようにするための根回しだとわかります。そうすると上で引いた部分の無駄につっかかるような態度は、「礼節に欠ける」という評定に説得力を持たせるための演技だった可能性も。

「闇の中でぼんやりとした光を放つ夜光虫の群れが、スクリューに掻き回されて散り散りになり、後方に流れ去ってゆく。月光に浮かび上がる航跡の泡立ちは、黒の海面に太い白線を描いており、それは途中でぼんやり霞みながらも、微かな隆起の筋を夜空と接するところまで一直線に続かせているのだった。その両脇には、艦首からVの字を広げる引き波の筋。満天の星が、ちっぽけな人間の生からすれば不変の輝きを投げかけて、それらを包んでいる。」(178p)

静謐な美しさがせまってくる光景。163pで宮津がブリッジから見た「行き合う船舶もなく、くっきりとした三日月を映して波間に微かな銀の粒を瞬かせている暗い海」の表現ともども詩的ロマンティシズムが行間から溢れてくるよう。

「ぺったり床に腰を下ろし、絵なんぞ描く姿を杉浦が見たら、なんて言うだろう。ちらり考えて、仙石は苦笑した。目を剥いて怒るか、あるいは呆れるか。若狭も、真っ暗な海と空を描いて、なにがおもしろいのかねえとよく首を傾げている。」(179p)

先任伍長が当番の時に甲板で絵を描くのはいつもの習慣なのに、杉浦がそれを知らない(はず)というのは《いそかぜ》に来てあまり時間が経ってないからか。幹部と曹士の間の見えない壁ゆえか。一週間の航海の間に行が艦内をスケッチしてまわってるのが曹士たちの間でもう知れ渡ってることを考えると後者でしょうか。《いそかぜ》に長く曹士とも近しい竹中あたりは知ってそう。きっと宮津に話したのも彼だろう。

「夜の闇と月の光、星の輝き、そして海。余分なものはなにもない世界。それでいながら、触れられないなにかに満ちた世界。写し描けばその欠片くらいはつかめると思ったが、どうやら自分にはそこまでの才能はないらしい。」(179p) 「自分が小手先で描いているようなものとは、根本的に異なる。才能の違いを実感する、その程度の絵心は仙石にもあった。そこにあるものを機械的に描き取るのではなく、触れられないなにかと通信し、己の作品の中に呼び出す才能。」(182p)

「触れられないなにか」に欠片だけでも触れたいという切実な願い。絵に限らず表現者ならプロアマ問わず誰しもこの仙石の気持ちに共感できるのでは。福井氏自身も、手が届きそうで届きがたい美しいものを掬い取ろうとしながら、小説を書いてるんではないでしょうか。

「他に行くところ、ありませんから」(183p)

中学の頃、父親の暴力に屈することなく、「ここを出て行くだけの力を手に入れるまで、絶対に耐え抜いてみせる」と胸に誓っていた行。祖父も彼に「才能を磨いて、世界に飛び出していけ。」と熱く語ったものだった。悲惨な現状に耐え続けるだけでなく、〈広い世界へ向かおうとする意志〉が当時の彼にはあったはずだった。なのに21歳の行は他人にあてがわれた場所でただただ「耐える」生き方しかできていない。行き止まりの暗い淵に立ちつくしているかのような閉塞感がやりきれない。

「じゃ、おれ買ってきます」(185p)

《いそかぜ》に乗り込んで以来、行はずっと軍隊用語の一人称「自分」を使っている。この場面で初めて登場する「おれ」という一人称は、この台詞が海上自衛官でも特殊工作員でもない、おそらくは父を殺害した時に置き捨ててきたはずの「如月行」個人が発した言葉であることを示しているように思います。

「伏せられた目に、開きかけたなにかが萎んでゆく翳りがあった。所在なく立ち尽くす横顔に、艦内で見せる無機的な態度の内側にあるものを見せられたような気がして、仙石はふとやりきれない思いに駆られた。 こいつは本当に絵が好きなんだ。だから、絵を描く人間となら話してみてもいいと思ったのだろうと気づき、そっとのばしてきた手を払いのけるようなセリフを吐いてしまった自分の無神経さにも、気づいたからだった。」(186p)

絵を介して不意に近づき、また遠ざかりかけた行の心の機微を危ういところで捉え、とっさにフォローした仙石に拍手。前半はふらふらと迷いがちで結果後手後手にまわることも多かった仙石が、このときは肝心なところを逃がさなかった。結局この時もらった筆は、二人の絆を象徴するアイテムとして最後まで話にからんでくることになるわけですから。

「じゃ、頼んじまうかな。駄賃に、こんど酒保でアイスでも奢ってやっから」(186p)

ここの部分を読んだとき、当然のごとくカップアイスではなくアイスキャンデーを想像してしまい、なぜだろうと考えてみたら、行は子供時代お母さんと海を見にいった帰りにアイスキャンデーを食べるのが習慣だったという描写があったせいでした。《いそかぜ》事件は七月の出来事なので、アイスを奢るってのはごく当たり前のチョイスではあるんですが、行が仙石に心を開いていったのには〈護衛艦の上で海の絵を描く人〉というのに加えて、〈アイスを買ってくれる人〉というのもあったかな、とちょこっと思ったりして。

「周囲数十キロには誰もいない世界。自分で選び、自分でつかみ取った世界。触れられない、でもそこにいれば感じることはできる美に彩られた世界――。」(186p)

上で引いた179pの文章とくらべると、「不可知の塊」だった行に「指先が届いたような気がした」ことで、「触れられない」ことに対する諦念、自己否定感が消え「でもそこにいれば〜」と、「触れられないなにか」を肯定的に見つめられるようになっているのがわかります。数行先では行の目に仮託して「未知の可能性に満ちた世界」とさらに肯定的な表現になってますし。

「宮津はあくまでも陸への直付けにこだわった。(中略)一刻も早く上陸したいクルーたちが、何回かに分けて岸壁まで運ばれるブイ繋留を喜ぶはずもなく、そうした気分を無視して訓練をごり押しする者は、艦長失格だという自戒があるからだった。」(188p)

この場面に限りませんが、近々北朝鮮の工作員とともに《いそかぜ》をいわば私物化して日本政府に弓を引こうという宮津が、クルーを常と変わらず気遣い、それが〈艦長たるものの責務〉だと思っているのに驚きます。もっともクーデター後もやはり宮津は自分に従ったクルーの生命を絶えず気遣っていた。その死に様に明確に現れたように、根っからの「艦長」なのですね。

「故人?誰が亡くなられたのです」 「沢口人事課長だ。まだニュースを聞いてないのか?」(中略)「自殺だそうだ」と付け加えた衣笠の言葉が衝撃に追い打ちをかけて、宮津は震えをごまかすためにギュッと両の拳を握りしめた。」(190p)

後に溝口=ヨンファの話の中で〈沢口課長の自殺の原因は北朝鮮の工作員=如月行を《いそかぜ》に配置したこと〉というミスディレクションが行われますが、ここで《いそかぜ》幹部たちの人事に不審がられる要素があること、その人事を行ったのが沢口課長であること、課長の自殺に対する宮津の異様な動揺までもほのめかして真相への伏線を張っている。と同時に「異様な動揺」の原因が息子の自殺がオーバーラップしたせいであるかのようなミスリードもなされている。ミステリー作家としての福井氏の技量を感じさせるシーンです。

「沈黙した宮津に、同様の事情で九か月前に息子を失った父親の翳りを見たのか、」(190p)

宮津がヨンファに協力したのは隆史が日本国に暗殺されたというシチュエーションあればこそ。ヨンファにしてみれば、ダイスがいいタイミングで隆史を暗殺してくれたわけです。・・・そういえば防大中退以来ずっと家にひきこもってた隆史がなぜあの死亡事故の日に限って外出したんだろう。なんだか隆史が外出すればダイスが〈事故〉をしかけてくると読んでいたヨンファが上手く彼を呼び出したような気がしてきました。

「海上勤務を外れて陸上配置に就くことが決まっていた宮津を、横紙破りを承知で強引に引き留めてくれたのは、衣笠司令に他ならなかった。(中略)それもこれも宮津の操艦能力に全幅の信頼をおいてのことなのだろうが、もうひとつ、海に出ていた方が気が紛れるだろうと、衣笠が同じ子を持つ父親の温情を示してくれたことにも、宮津は気づいていた。」(191p)

《うらかぜ》撃沈のとき、衣笠は自分の温情が招いた結果にどれほど心を痛めたことか。宮津も衣笠に心底感謝していて、感謝していたからこそ、復讐の鬼であるためにその恩人と大学以来仲良しの後輩を真っ先に血祭りにあげなければならなかった・・・。しかし宮津の陸上配置が実現していたら、ヨンファはどうしたんでしょうね?

「こちらはせいぜい沈め甲斐のある標的をやらせてもらうよ」 「でも、ただではやられませんよ。チャンスがあれば、こっちも沈めにかかりますからね。覚悟しておいてください。部屋長」(p192)

後の展開を思うと、この衣笠と阿久津の発言はあまりにも悲しい。宮津の「胸苦しさ」がいや増したのも無理からぬところ。

「衣食住を保障された護衛艦クルーの金遣いは荒いと聞かされていたが、事実だった。」(194p)

「聞かされていた」という表現に行が直接に護衛艦クルーの行動を見聞していないこと、彼が本物の護衛艦乗りではないことが暗示されている。

「人前で歌うことはもちろん、雑談に加わって気のきいた相槌を打つ才覚も持ち合わせてはいない。二十一年と少しの時間を過ごしてきて、それが要求される場面に出くわしたこともなかった。」(195p)

行の年齢が21歳であることが確定。巻頭の〈主な人物紹介〉に21歳と書いてはあるんですが、彼の正体がわかったあと「あれは《いそかぜ》にもぐりこむ便宜上の年齢だったのかも」という疑いがわいてきたもので。やたらと少年ぽい容姿を強調されているし実は十代かも?などと思ったのですが、単に顔立ちと何とない雰囲気が幼いということのようです。『C−blossom』(※5)によると1月25日生まれだそうなので、このとき21歳と6ヶ月ですね。

「 「ね、先輩も行きましょうよ」 (中略) 「どこに?」と尋ねると、人差し指と中指の間に親指を挟み、ニタニタと笑う。「御坊市の方に、自衛官割引がきく店があるんだって」と言った嬉しそうな声に、行はうんざりした。」(197p)

なんだか菊政というと行を無邪気に慕う犬ころのようなイメージ(行も彼とシロを同列で回想してたし・・・)がいつしか形成されてたので、ここを読み返したとき微妙にショックがありました(笑)。これが田所とかだと別に違和感ないんだけど。

「行はTシャツにだぶだぶの作業ズボンを穿いてぞろぞろ出口に向かうパンチパーマたちを注視した。 背だけはそこそこ高いが、胸板は薄いし、二の腕の太さもたいしたことはない。二人ばかり加勢してやれば十分に勝てる相手だと判じて、」(200p)

「細っこい」「細身」などと評される(田所や仙石と並べての表現とはいえ)にもかかわらずとんでもない攻撃力を秘めた行が、他人の体格をうんぬんしてるのがちょっと可笑しかったり。まあ彼は戦闘のプロなので、〈一見細いけど鍛えた体〉なのかそうじゃないのかは一目瞭然なんでしょうが。

「ほんの一瞬でも、行の目にはそれがバタフライ・ナイフだとわかってしまった。面倒に関わるなと理性が叫ぶ一方、危険を察知した体は無条件で席を離れ、出口に向かって歩き出していた。」(200p)

危険に対して体が勝手に動いてしまうのは工作員の本能でしょうが、この場合店内に残ってる分には行自身に危険はない。にもかかわらず田所の、《いそかぜ》クルーの危険に対して自分の身に危険がせまってるかのごとく対応している。すでに行にとって《いそかぜ》クルーは他人じゃなくなっていることの表れのように思えます。

「その場に膝をつき、額をアスファルトに押しつけた。考えてしたことではなかった。娑婆では小指の先ほどの価値もない先任伍長の肩書きを自覚している体が、自然にしたことだった。周囲の目を気にする余裕もなかった。」(205p)

のちに若狭が「先任伍長は後先のことを考えて、今やらなければならない行動をためらうような男ではない」(下巻190p)と評した仙石の本領が現れたシーン。もともと若狭は「考えるより先に手が出」る仙石をこそ高く買っているようですし。この仙石の熱い性格は、ラスト近く銀座の路上で叫ぶシーンへとつながっていきます。

「手を出したのは自分ですから。田所士長は見ていただけです」(205p) 「昇任試験、近いんでしょう?」(中略)「アメリカに留学できるかもしれないって。ダメになってもいいんですか」(206p)

行ほどの腕があれば、もっと手加減をして常人レベルの強さを装いつつ田所と協力しながら相手を倒すこともできたはず。なのに異常な戦闘力で周囲の目を引く危険を冒してでもほぼ単身でカタをつけたのは、田所に手を出させないためだったのがわかります。昨日大喧嘩をしたばかり、自分を快く思ってないのが丸わかりの田所を、〈任務〉に支障をきたしてでも庇おうとする。行は本来人一倍気持ちの優しい青年ですが、彼が田所を庇うのはそればかりではなく、にべなく断りこそしたものの自分を短艇競技に誘ってくれた田所の面倒見の良さ・気遣いを心のどこかで嬉しく思っていたせいなのかもしれません。

「格好をつけているのでもなんでもない。こいつは自分で決めたなにか、「掟」のようなものに従って行動しているんだ。」(206p)

この前後で仙石や田所が案じているように、警察沙汰になったりすれば、先に田所と喧嘩騒ぎを起こしていることもあり、停職処分もありえたはず。さすがに由良で降ろされることはないにしても、しばらく部屋で謹慎なんてことになれば任務に大いに支障をきたしただろう。人の昇任試験を心配するどころの事態ではないはずなのだが。このへんが「命令より自分の価値観を優先している気配がある」と言われてしまう所以でしょうか。今回のケースでは彼の「掟」は〈アンカー〉の任務よりまず〈兵長の経歴に傷をつけちゃいけない、先任伍長にいつまでも土下座させておくな〉と命じていたようです。先にも書きましたが、もともと彼の「掟」は母を守ろうとする想いから生まれたものなので、今回のように他人を思いやる優しさの言い換えとして作用することがあるのはいわば必然。というより、根は至って情にもろいくせに、育ちのせいで自身のそうした部分を優しさでなく弱さとして認識せざるを得なかった行は、「決して逃げないという掟」で情を抑制する一面、優しさを示すのにもいちいち「掟」にかこつけて自分に言い訳せずにいられなかったのでは。〈自ら設定した掟に従っている〉と言いつつ、本質はただただ優しい男なんじゃないかという気がします。

「よせよ。すぐに帰れるって言ってるんだから」(207p)

行が田所にタメ口で話すのはこの台詞が最初で最後。内心の動揺に思わず口走ってしまった感じでしょうか。そして行を動揺させたのは「おれを連れてってください」以上に「こいつがいてくれないと困るんです」だったような気がします。他人からストレートに〈必要だ〉と言われたのはおそらく初めてだったんじゃないでしょうか。〈新しいシステムを憶えるために必要〉という表現をしてるものの、これは対外的な口実(+これまで仲が悪かった行を正面から庇うことへの照れ)なのは明らかですし。

「 「その代わり、アイス二人ぶん奢ってもらえますか」 もういちど店主に詫び、シャッターから出てきた田所をちらと振り返って、行ははっきりそう言った。不意に身近な匂いを漂わせた顔を見つめて、仙石は「・・・・・・わかった」の返事を搾り出した。」(212p)

「アイス二人ぶん」と口にしたとき、行は無意識に自分と田所、おそらくは仙石も一緒に、奢ってもらったアイスを食べる光景を脳裏に描いていたと思うのです。そこに自分から他人に関わろう、少なくとも関わってもいいや程度には思えるようになった彼の心情が透けてみえるようです。仙石もそれを感じ取って喜んでいるさまが「はっきり」そう言った、という表現からうかがえます。

「知っている顔のひとつもあろうかとひとりひとりの顔に注視したが、協力して要領よく荷物を運び込む横顔は、どれも初めて見るものばかりだった。 黙々とした態度は、やはり海自隊員とはどこか雰囲気が違う。」(214p)

初登場シーン以来、FTGの面々の〈らしくなさ〉は繰り返し言及され、〈彼らは偽者ではないのか〉という疑念を読者に喚起させる。一方、行が本物のクルーでないことも平行してほのめかしておいて、いったん〈FTGは実はダイス、如月行は北朝鮮の工作員〉という形で読者の疑惑に決着を与えたうえで、それを180度ひっくり返してみせる。前半最大の読ませどころと言ってよい、この〈二重のどんでん返し〉の仕込みは見事なもの。

「確かめるまでもない。騒がしければそこに田所がいる。」(218p)

前後の文章からすれば、これは完全三人称ではなく行の視点で描かれた一文。まるで何ヶ月も起居をともにしてるかのような曹士の行動パターンの把握っぷりは、工作員の観察眼の鋭さよりもクルー(というか田所)に対する思い入れを感じさせて、何てこともないセンテンスなんだけどぐっときます。

「あと八時間後にはシドニーに着陸するオセアニア航空二〇二便の乗客たちを見渡した女は、ふと胸が締めつけられる感覚を味わった。 斜め後ろの席に、熊のぬいぐるみを抱いて寝入る金髪の少女を見つけてしまったからだった。彼女も、その隣でペーパーバックを読む母親らしい婦人も、数席へだてたところに悪魔が潜んでいることを知らない。ほんの少しのきっかけで、最悪の殺人兵器の蓋が開くことを知らない。そう思い、それに対してなにもできない自分の無力を、女はあらためて実感した。」(223−224p)

仙石が「生存者の女」を紹介される場面では、「生存者の女」=ダイス局員645であるかのようにミスディレクションがなされているが、ここの場面で645が行きずりの少女とその母親らしき女性に向けている視線を思い出せば、「物を見る冷たさを宿していた」生存者の女と645が同一人物じゃないことがわかるようになってますね。

「照れ笑いした菊政は、「それ言わないでくださいよ」と行の肩を肘でつついてきた。自然に緩みかけた頬を、おれはいったいなにをやってるんだの思いで引き締めた行は、」(232p) 「本来の仕事をどこかおざなりにしてきた自覚のある三日間を省みた行は、今度こそ追い払おうと決めて足を止めた。 振り返り、「あのな」と低い声で切り出す。悪意の欠片もないどんぐり眼を見据えた行は、「・・・・・・でも一応、射管長たちの言うことには従っておけよ」と、まったく違うことを口にしてしまっていた。(中略)おれはバカだ、の思いを噛み締め直して、行は大学ノートを小脇に下層に続くラッタルを急ぎ足で下っていった。」(232−233p)

困った工作員だなあ(笑)。一般人でもやんわりと追い払うところだろうに、工作員のくせに一般人よりお人よしです。子供の頃から他人に親しまず周囲の人間も近づこうとしなかった(一部の女子除く)ために、なまじ人間関係が発生してしまった場合、適当にあしらう事が出来ずにいちいち真正面から相手に対してしまう。結果「偽装経歴を頭に呼び出す間もないまま」本当の家庭環境の一端をバラしてしまったり。菊政が行のそういう不器用さ、嘘のなさに彼の優しさを見ていたろうことは後に仙石に語った言葉から察せられます。

「 「おれ、ガキの頃に親が離婚しちゃって、ずっとばあちゃんに育ててもらってたから。せめてそれくらいしてやんないとって思うんスけど・・・・・・。金って貯まんないもんスねえ。ついつい飲みに行ったりなんかしちゃって」 自分には無縁な話だった。どう応えていいかわからず、鉛筆を動かし続けていると、」(236p)

いつもニコニコ顔でのほほんとしてる菊政からはちょっと意外な家庭環境。おそらくは両親の顔色を窺うようにして育ち、あげく捨て去られた(祖母に育てられたというからには両親はともに親の立場を放棄したのだろう)ことが、のちに行の人間性や幹部の不審な行動に対して示した観察眼の下地になったことをうかがわせます。一方で、「そう」「ふうん」と一見気のなさそうな相槌を打っている行が、真面目に菊政の話を聞いて誠実に返答しようとしてるのもわかる。

「 「よかったら、正月とかうちに来てくださいよ。きっとばあちゃんも喜ぶから」(中略) 感じたことのない痛みが胸を衝き、それから逃れるために、行は「・・・・・・わかった」と口にしていた。」(237−238p)

他人にいちいち真っ正直に相対してしまう行の生真面目さは、時には短艇競技参加を断ったときのようなにべもない拒絶として、時にはこの菊政とのシーンのようにずるずる相手の要求をOKしてしまう形で発揮される。イエスかノーかで、〈曖昧に口をにごす〉という選択肢は思いもつかないらしい。そして「クルーに溶け込みすぎた」結果として、彼の感情は拒絶より受容にどんどん傾いているようです。この時点の行が短艇競技に誘われたらひょっとしてOKしてしまったかも(練習が必要になるから、反乱が起きようと起きまいともう《いそかぜ》には乗ってないだろう半年先に人の家に遊びに行くのとは面倒の度合いが違うはずですが)。〈これもクルーに溶け込む一環〉とか自分に言い訳しつつ。

「行だった。一内の動向に気を取られるクルーからひとり離れて、揚艇機を熱心に眺めている。」(254p)

この時点で行には「生存者の女」がサブジェクト・デルタ=ジョンヒだという確証はあったんでしょうか。デルタの顔は写真で知ってたにしても、夜の海に浮かぶ生存者の顔を艦の上から特定するのはさすがの彼でも無理でしょう。空中分解した飛行機に乗っていて助かるような超人だから?「内火艇を落水させたら、助けに飛び込むように見せかけて、あの女だけを始末するつもりだった」というから、そばで顔を見て違っていれば普通に助けるつもりだったのでしょうか。

「看護長は目を赤く充血させている。苦労の末、助け出した生存者の突然の死に、いちばん呵責を感じているのは彼かもしれない。」(265p)

実際には彼の「呵責」の理由が別のところにあったことは、第二章の終盤で明らかになります。

「田所は、「意外と心配性なんスね。そんなおっかねえ顔して」と肉厚の頬を緩めた。 不安や迷いをその場で溶かしてしまう、若者らしい率直な笑みに、こちらの頬も緩んだ。自分も昔はこんなふうだったとほろ苦い思いを抱いて、「あと二十年もして、おまえも先任伍長って呼ばれるようになればわかるよ」と言ってやった。 「おまえらは、みんなおれの子供みたいなもんなんだ。・・・・・・中には不肖の息子もいるけどな」(275p)

仙石が田所にいかに目をかけてるかがわかる場面。同時に、田所が先任伍長と(仙石に)呼ばれる日はほんの数日先だったことを思うと何とも哀しい場面でもある。

「ここのみんなはよくしてくれるけど、心の底ではやっぱりお荷物だって思われてるの、わかってた。そういうのって、ちょっとした目付とかでわかるじゃないですか。でも如月先輩にはそういうとこが全然なかった。少し困ったみたいな顔して、ちゃんとおれの話を聞いてくれた。わかったようなこと言って、無責任に相槌を打つ他の人たちよりも、ずっと・・・・・・おれにはやさしい人に見えた。」(285p)

菊政の行に対する好意と理解が伝わってくる、好きなセリフの一つ。しかし二十歳の若者に本質を見切られてしまう工作員というのも・・・。他にも仙石は言うに及ばず、渥美(『コール・ザ・ロール』(※6)を読むと、彼の行に寄せる厚い信頼がわかる)から、監視と戦闘でしか接触していないジョンヒにまで見切られまくってます。

「他人になってしまった頼子の横顔が浮かび、続いて、艦首で飾りになっているターターの形が脳裏に像を結んだ。呆気なく崩れていった、自分の人生の輪郭。この航海が終わった後、おれはいったいどこに帰るんだろう?」(277−278p)

序盤から引きずってきた〈いたたまれなさ〉が、行との距離が遠ざかったことで、また表面に浮かんでくる。このあと総員離艦まで彼の心がすっきりと晴れることはない。

「・・・・・・忘れたり、紛らわしたりするために描くんじゃ絵は描けない。そんな絵は人の胸を打つことはしない」(中略) 「怒り、喜び、悲しみ、なんでもいい。自分の胸の中を覗き込んで、そこにある思いのたけをぶつける。そうしなければ、なにもつかみとることはできない。・・・・・・人の心は、とても弱いから」 チェーンをぎゅっと握りしめ、遠くを見つめる横顔が続ける。仙石が立ち上がると、「・・・・・・だからおれは描くのをやめた」といった声が風に流れた。 「胸の中にあるのは、見たくない、思い出したくないものばかりだから・・・・・・」 手すりをつかんだ手が、白くなるほど握りしめられていた。その肩が微かに震え、耐え難い痛みをじっと堪えているかのような後ろ姿に、仙石の胸にも言いようのない痛みが走った。 おれの半分も生きてない身体に、おまえはいったいなにを受け止めているんだ。その疑問が渦を巻いたが、口に出すことはできなかった。」(288−289p)

行の絵に対する真摯な思いと、背負いがたい痛みを背負い続けることの苦しみ。昔は風景の中に潜む本質を写し取ろうと思いながら描いていたが、今は悩みや不満を忘れる、紛らわすために絵を描いていると言った仙石を批判する形で口にされた言葉ですが、夜の甲板で二人が出会ったシーンを見る限り、今も仙石から本質を写し取りたいという想いは消えていない(おそらくは才能の限界に気づいているがためにその想いを口に出しにくい)し、行もその想いに気づいていた。そうでなければ「それ(注・海)を必死に描き取ろうとしていた人の情熱とそれに触発されて再び筆を握りかけた自分」(下巻78p)なんてモノローグは出てこないだろう。仙石の絵そのものはともかく、絵を描く彼の姿には「人の胸を打」ち「触発」する力があったのだ。だからこそ行はためらいながらも甲板で絵を描く仙石の後ろ姿を描いたのだし。

「でも、なんか腹立ちますね。おれたちの艦で勝手なことして・・・・・・」 「気持ちはわかるがな。それで先走りして、クビなんてことになったら元も子もないだろ。故郷のおばあさんだって悲しむぞ。」(303p)

「おれたちの艦」という表現からは、菊政が一年単位で艦を移る幹部たちを真の意味での《いそかぜ》クルーと見なしていないことが濃厚に感じとれます。菊政に限らず曹士全体に通じる気分なのでしょう。そして「先走り」の結果はクビ程度では済まなかった・・・。

「前後左右に揺さぶられる甲板に足を踏んばって立つ魚雷員たちは、誰も今にも昼食を戻しそうな顔をしていた。 例外は列の最後尾についている如月行だ。」(304p)

偽クルーなのに本物の海士よりもはるかに船酔いに強い行。これもダイスの訓練の賜物なのか。これまでの《いそかぜ》での仕事っぷりといい、このまま護衛艦クルーに転職しても十二分にやっていけそうです(実のところ第二章あたりまではそんなラストを期待していた)。対するFTG=ヨンファ一味はいかにも艦に慣れてない感じで初日から船酔いで吐く者も。さすがに御大はびくともしてませんが。行と仙石が二人だけでヨンファ一味二十四人(偽FTG+ジョンヒ)および幹部を相手に出来たのも、実は船酔い耐性の高さゆえだった、なんてね。

「柱にめり込んだ訓練魚雷。その下に、だらりと投げ出された菊政の右手と右足が見えた。弾頭と柱の間に挟まれ、潰された頭は見えなかった。代わりに甲板上に転がったテッパチが見え、ゆっくり広がってゆく血溜まりが、なんの役にも立たなかった鉄製ヘルメットを濡らしてゆく光景が、網膜に焼きついていった。」(308p)

最後の瞬間、菊政はこれも行の細工だと誤解しなかっただろうか。できればただの事故だと思っていてほしい。行のためにも菊政自身のためにも。

「日が落ちれば零度近くになる寒さの中、全身にカモフラージュ用の腐葉土を被って湿った地面に伏せ、首筋から入り込んだミミズが背中を這い回るのをじっと我慢していると、なにもかも投げ出して大声で叫びたい衝動に駆られることもあった。そんな時、支えになったのは胸元に入れているシロの温もりで、わずかな干し肉を分け合い、礼のように顔を舐める小さな舌先の感触が、行をぎりぎり狂気の淵から引き戻してくれた。 自分と異なる体温と肌を合わせていれば、生きていることが実感できる。精一杯鼓動しているシロの心臓が、逃げるな、生きろと教えてくれる。」(321p)

逆境の中でつちかわれた絆というのは、魂にぎゅっと食い入ってるような感じがするんじゃないかと思います。さしもの行も「掟」だけでは支えきれないほどの恐怖や不安を、他の生命が寄り添っているというだけで耐えることができた。具体的に何をしてくれるでもない、ただそこにいて、こちらに好意を寄せてくれているという事実だけで、どれほど人は救われるものなのか、それが痛いほどに伝わってくる。・・・それだけにその結末がたまらない。

「なんの疑いもない黒い瞳を向けて、シロはぱたぱたと尻尾を振った。笑うのは人間だけというのは間違いで、この時、シロは微笑んでいた。少なくとも行にはそう見えた。しばらくその瞳を見つめてから、行はシロの耳の付け根を撫でた。それがシロのいちばん好きななでられ方なのだった。そうして、もう一方の手を喉にかけてから、持ち上げてひと息に捻った。」(322p)

殺さなくてはならないのなら、せめて苦しませないように、怖い思いをさせないように、という気遣いが行動の一つ一つに表れている。『Op.ローズダスト』(※7)を読んで、もし行が彼らと同期だったらどうしてたろうと考えた。・・・その場合たぶん彼はこんな風に言うんじゃないだろうか。 「おれは命令には従うと決めた。・・・だが、まだ命令を受けたわけじゃない」。

「 「そう言うとおまえ、このくらい誰にでも描けるっていつも言うけど」と重ねた田所の声が、低い機関音の中に混ざった。 「おれは、磨けばすごい奴になるんじゃないかって思ってる。画家でも、漫画家でもさ。それを認めないで、普通のふりしてるってのはさ、逃げてんだよ」 「逃げてる・・・・・・?」 思いも寄らない言葉が頭の中に弾けて、行はその場に棒立ちになった。逃げてる?このおれが?逃げないと決めたから、ここでこうしているのに・・・・・?」(326p)

ここでの田所との一連の会話は「逃げない」ことを自らに課しつづけてきた行の心に大きな楔を打ち込む。田所が言葉で揺さぶった部分に、後に仙石が実際の行動で決定打を与えることになります。

「海上自衛官としての実直さが、宮津に人一倍の呵責を感じさせていたことは想像に難くなかったが、思いやる余裕は仙石にはなかった。強引な配転、正当な理由といった言葉が、頭の中で爆発的に膨張していたからだ。 強引な配転――在籍地で揃えるのが当たり前の曹士クルーを、あえてよその地方から引き抜くこと。正当な理由――その者が、艦に新しく搭載したシステムの扱いに長けているということ・・・・・・。」(342p)

溝口=ヨンファの話が進むにしたがって仙石の中でどんどん行に対する疑いが具体化してゆきますが、その間仙石の心理を描写した文章には一度も行の名前が出てこない。はっきり彼の名を思い浮かべたくない、行が敵だなどと絶対信じたくないという仙石の思いが伝わってきます。

「「彼女が追っていたサブジェクト・・・・・・監視対象者は、ある物を手にしていた。ヨンファが在日米軍から強奪したもので、我々があれ≠ニ呼称している特殊兵器です」 」(344p)

「GUSOH」が政府やダイスの内部であれ≠ニ呼ばれてるのがよくわかったな。数行先の「SOF」といい、ダイス関係者(国の中枢の人間を含む)しか知らないだろう呼称がヨンファの口からすいすい出てくるのを見ていると、ダイスもしくは政府内部にもヨンファの部下が浸透してるんじゃないかという気になってくる(アメリカのまわし者もいたことだし)。さすがに「サブジェクト・デルタ」、「アドミラルティ」と言った名前は出てこないけど。

「パソコンの文書をプリントアウトしたものらしい。一枚目の紙には『亡国の楯』というタイトルが印字されていた。 「宮津艦長の御子息・・・・・・宮津隆史さんがお書きになった論文です。亡国のイージスと読みます」 」(372p)

振り仮名が振ってないにもかかわらず、溝口はなぜ論文タイトルの「楯」を「イージス」と読ませることを知っていたのか。それは溝口が隆史と直接論文についてのやり取りを行った経験があることを想像させ、彼が実はヨンファその人であることの伏線となっている、ということに今さら気づきました・・・。

「ヨンファは、隆史さんを使い捨ての協力者や操作攪乱の道具に使うことはしなかった。むしろ同志と認めていた。そして隆史さんも、祖国の真の解放を願うヨンファに理解を示していた。我々が知る限り、隆史さんはホ・ヨンファのたったひとりの友人だった」(376p)

実際ヨンファの胸中に多少なりとも隆史に対する友情が存在していたのか。「息子の仇討ちにしか興味のない男」(下巻75p)なんて言い草を聞くと到底そうは思えないが。

「《重要なのは、国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか》」(377p)

結局宮津隆史の論文のこの部分が、『イージス』の最大のテーマではないか。たとえば専守防衛が是か非かではなく、是とするならするで、非とするならするで、その結果―敵への先制攻撃をためらった結果自分や仲間が致命傷を負うことだったり、先制攻撃で他人を殺傷し当人や遺族の恨みを背負って生きていくことだったり―を自分の責任において受け入れる覚悟を持て、ということ。このテーマは《いそかぜ》VS《うらかぜ》戦や、行が風間を撃つのをためらってヨンファに撃たれるシーンなどで、キャラクターの行動を通して明確に描き出されます。

「誰にも顧みられず、孤独感を募らせていた隆史さんに、ひとりの女性が接近した。(中略)好きな食べ物から性的嗜好に至るまで、すべて調べた上でで条件に合致する局員をあてがった。彼女は与えられた任務をよく果たしたが、ヨンファの方が上手だった。」(379−380p)

ダイスが本当に隆史に色仕掛けを用いたのかヨンファの作り話なのかはわからないが、やってたとしても一向不思議はない。色仕掛けは諜報組織の常套手段だろうし。行はじめダイスの工作員に妙に二枚目が多い気がするのは、リクルートにあたって色仕掛け向きの容姿も考慮した人選をしてるからじゃないか?それも男は中性的なタイプが多いから女装の可能性も視野に入れてるような。実際女装+色仕掛けをやった人もいたことだし(正確にはダイスじゃないが)、変装術の一環として女装の仕方も教えてるのかも。行なんかはそうそうに色仕掛け要員としてはサジをなげられてそうですが。

「甲板掃除を途中で放り出してしまって、兵長はきっと怒っているだろう。戻ったらなんて言おう。またケンカになって、先任伍長に大目玉を食らって・・・・・・せっかく今日で終わるはずだった罰当番が、もう一週間延長なんてことになるかもしれない。 それでもいい。そうできたらいい。でも、もうどうにもならない。準備が整ったら、今晩中に〈アンカーケーブル〉と連絡を取らなければならない。「挨拶は撃ってから」を作戦信条にする突入要員たちが乗り込んでくれば、《いそかぜ》は戦場になる。個人の思いなどはなんの意味も持たない、単純な力学だけが支配する殺戮の場に・・・・・・。」(400p)

クルーを巻き込みたくないという思い。そして行が《いそかぜ》での生活、《いそかぜ》の人々に感じている愛着が伝わってくる。ずっと孤高のうちに生きてきた行が、失いたくないと思う人間関係、それに立脚する穏やかな世界をいつのまにか見出していた。事もあろうに日本の命運がかかっている超重要任務の渦中にある艦の上に。

「あの女はともかく、如月は人間だ。おれと同じ、まともな家庭に縁がなく、がむしゃらにつっぱるのを当たり前にしてきた生身の人間だ。他人なんかあてにしないという顔をしていながら、その実、いつでも自分の居場所を探している。損な役ばかり引き受ける羽目になっても、途中で投げ出すことができない、律儀な、とても不器用な人間・・・・・・のはずだ。 でも――いや、だからこそ、許せない。クルーの信頼を裏切り、おれにとっては家も同然の《いそかぜ》を傷つけ、菊政を殺した。それが事実なら、この手でおとしまえを付けさせてやる。」(414p)

田所が激怒せずにいられないのは、《いそかぜ》への、菊政への、そして何より行に対する情愛ゆえ。田所の怒りも菊政の涙も底にあるものは行への信頼と友情なんですよね。そして真実を確かめようとしたことが、彼ら二人の命を縮める結果になった・・・。田所が殺される寸前に「すべての真実を悟った」(415p)とあるので、最後には行の無実を知って彼を恨む気持ちはなかったろうことがせめてもの慰めでしょうか。ところで「まともな家庭」ではない田所の家族は、彼の死をどんなふうに受け止めたのだろう?

「息が上がり、酸素を求めて無意識に開いた口に、海水が容赦なく入り込んでくる。隔壁扉の脇に立つクルーの、なにかを叫ぶ顔が水飛沫の向こうに見え、もうダメか、おれたちを捨てて隔壁を閉じさせるべきかと仙石が考えた途端、それを読んだかのように、「放してくれ」の声が若狭の口から発した。」(432−433p)

行は艦底を爆破するにあたり、クルーの犠牲をどの程度に見積もってたんでしょう。結果的に死者は出なかったようだが、実際仙石と若狭は危うく死にかけている。先任伍長である仙石が浸水区画にかけつけることは想定できたと思うのだが、まさか死ぬほどのことにはなるまいと思ったのか、危険性は高いが仙石の生命力に賭けたのか、爆破するしかないのだからとこの瞬間には工作員の視線で仙石を見捨てたのか。微妙なあたりです。

「扉を叩く音もなくなり、隣の第二機械室から聞こえる減速機の低い唸りの中に身を浸した行は、両の膝に額を押し当てて、ひたすら時が経つのを待った。死ぬのは怖くない、むしろどこかでそれを望んでさえいたはずなのに、ここでこうしているのがひどく辛い。この虚しさ、やりきれなさ、感じたことのない胸の痛みはいったいなんなのか、考えようとした。」(438p) 「結局、他人任せにするしかないのかと思い至った行は、両手で抱えた膝にもういちど顔を埋めていった。」(439p)

起爆すれば自らも木っ端微塵になる爆薬のスイッチを手に一人膝を抱えている姿が、なんだか見捨てられた子供のようで痛々しい。

「この向こうに、如月行がいる。菊政を、田所を殺し、艦底に大穴をあけた北朝鮮工作員。でもおれを殺そうとはしなかった。居住区で向き合った時、いつもと同じ、人との関わりを捨てきれない少年と、一途で寡黙な兵士との間を行きつ戻りつしていた瞳は、おれを殺すことなく、ただ眠らせて走り去っていった・・・・・・。」(441p)

最終的には仙石は行の言葉を信じきれずにヨンファ一味による《いそかぜ》占拠を招くことになりますが、これだけどこから見てもクロとしか思えない行をなお信じようとしている―クロだとは思っていても行の人間性を信じている―のはすごい。仙石はこれまでに行が示してきた不器用な優しさを偽物と疑ったことはついに一度もなかった。仙石が第一機械室の扉を開けたとき行は「あんたにだけは・・・・・・信じてもらいたかった」と言ったけれど、その意味では仙石は終始行を「信じて」いたのである。

「山ほど言うことがあるはずなのに、いざ無感情を装った目を前にすれば、やはりなにも言葉にならないのだった。」(449p)

〈無感情な目〉ではなく「無感情を装った目」と表現するところに、仙石が行を戦闘マシーンなどでない、「人との関わりを捨てきれない少年」だと確信しているのが端的に顕われている。

「 「実戦になって、命令されれば、あんただってターターを撃つ。直撃すれば何十人もの人が死ぬ。それにはなにか意味があるのか?(中略)戦略的な意味、政治的な意味、そんなものは現場にいる人間には関係のない話だ。それが任務だから、やる。誰だって同じだ」 」(450p)

これは結構ズキンとくる。確かに兵士とはかくあるべきもの。現場の臨機応変な対処は必要不可欠だが、上層部が定めた大枠まで無視して自分たちの思うように戦闘行為をすすめるようでは戦略も政治も成り立たなくなる。ただしそれはともすれば人間性を見失い単なる戦闘マシーンとなってしまう危険と背中あわせである。それを宮津隆史は「奉公という美徳の裏側には、組織の中に埋没する人間性、その結果として生じる無思考、無責任、無節操」と表現し、仙石は「甲斐はどこにあるんだよ」と表現した。

「 「あの女を艦に乗せるわけにはいかなかったんだ。内火艇を落水させたら、助けに飛び込むように見せかけて、あの女だけを始末するつもりだった」(中略)混乱しそうな頭をどうにか律した仙石は「その間に、他のクルーがサメに持ってかれたらどうする気だったんだ」と続けた。 「・・・・・・多少の犠牲はやむをえない。デルタ――あの女は、特A級の工作員だ。生かしておいたら、もっと多くの死者が出る。現に菊政と兵長が殺られた」 」(p453)

「多少の犠牲はやむをえない」と言うものの、多分内火艇を落水させるのに成功してたら、行は体を張ってクルーの命を守り通したんじゃないかと思います。内火艇には田所だって乗ってたんだから。

「 「あいつらはダイスなんかじゃない。溝口がホ・ヨンファなんだ!」 」(455p)

この場面、なぜ行が溝口=ヨンファと特定できたのかずっと不思議でした。FTG=ヨンファ一味は疑い得ないにせよ、FTGのリーダーを演じているからといって溝口がヨンファ当人とは限らない。ヨンファは顔も年齢も判明していないのに、はっきり溝口=ヨンファと言い切った根拠はなんなのだろう。工作員の勘で、他のメンバーにはないカリスマ性を感じたのか?・・・と思ってたんですが、再読して納得。例の自決した使者が持ってきたテープによってヨンファは声紋だけなら特定されているのでした(今度はあのテープの声を身代わりではなくてヨンファ本人と特定した根拠は何かという疑問が出てくるが・・・リン・ミンギ来日時に確認してもらったのかな)。行は『アドミラルティ』作戦に参加するにあたってヨンファ一味に関して存在する限りのデータを頭に入れたのでしょうから、溝口の声を聞いてそれと気づいた、というのが一番ありそうな線です。士官室係をしていた行は他の曹士にくらべてFTGと接触する機会も多かったし。

「・・・・・・応援を呼んで、この艦が戦場になれば、きっとあんたたちも死ぬ。だから・・・・・・」(462p)

ほとんど殺し文句。仙石にとっても読者にとっても。無表情・無感情を装う瞳の奥に一瞬揺らめくヤワな感情。この「一瞬」というところが彼の優しさをより際立たせていて、その瞬間に接した人間を強く引き付けてしまう。仙石しかり田所しかり菊政しかり。一種のカリスマというべきか。

「閉鎖レバーを握り、引き上げた仙石は、その瞬間、行の最後の呟きを耳にした。 「あんたにだけは・・・・・・信じてもらいたかった」 」(465p)

思うんですが、行がその気になれば仙石が扉を開けるのを十分防げたのでは。銃を向けられてるとはいっても仙石がためらわず行を撃てるとは思えないし、飛びかかって押さえ込みにいけば銃と起爆装置を奪うくらいできたはず(実際居住区で仙石に通信機を壊されたときは仙石から銃を奪い殴り倒している)。万一撃たれそれが致命傷になったとしても、行なら絶命する前に起爆スイッチを押すくらい簡単であろう。なのにあえて扉を開けるのを阻止しなかったのは、仙石を爆死させたくなかったからじゃないか。幹部らが大人しく総員離艦の要求をのみ、《せとしお》内のSOFが乗り込んで艦を完全に制圧しないかぎり、行と仙石が助かることはない。そうなる可能性は極めて低いと行は見ていたのだろう。仙石を生かすためには彼を機械室から出さねばならない。だからあえて行は任務を反故にする危険を冒しても仙石が扉を開けるのを力づくで止めようとはしなかった。それ以前に話に熱中するあまり素人の仙石に銃を奪われるという彼らしからぬ失態も、仙石を殺したくない思いが無意識にさせたことなんじゃないでしょうか。

「揚艇機が人為的に故障させられて以来、ダイス工作員の潜入が明らかになったが」(476p)

行が、正体がばれる危険を冒してまでも揚艇機を故障させたのは、ジョンヒの乗艦を阻止するため―クルーの命を案じたためだった。けれどその行為はヨンファたちにダイス工作員の潜入およびその工作員が如月行であることを確信(特例で《いそかぜ》にやってきた行をもともと疑ってはいたろうが)させただけでなく、仙石や菊政が行に疑惑を抱くきっかけにもなり、疑いをはらすため行のあとをつけた菊政がジョンヒを目撃したため殺害される結果に結びついてしまった。

「心の底では行の言い分を信じていながら、しょせんは自分ひとりのものでしかない感覚に従う勇気がなく、先任伍長としての義務感に従って、取り返しのつかないことをしてしまった。自分の頭で考えようとせず、これまでそうしてきたように護衛艦の歯車のひとつになって考えることで、行を見捨ててしまった。そして《いそかぜ》を永遠に失った――。 『あなたは、どこにいても先任伍長さんだってことよ。家にいる時だって、休暇中の先任伍長さん。夫でも父親でもなかった』 『あたしが結婚した、仙石恒史って人はどこにいるの?』 」(479p)

奥さんに別居を切り出されたのも行を見捨てる形になってしまったのも、彼が仙石恒史個人である前に先任伍長であろうとしたがため。機械的に命令に従おうとする行を責めた仙石もまた組織の構成部品のひとつになってしまっていた。違うのは行が意識的に、いわば覚悟を持って感情を捨てた「パブロフの犬」であろうとしたのに対し、仙石の方は知らず知らずのうちに組織の論理にからめとられてしまっていた点。ゆえに後半の仙石の活躍は先任伍長の立場を捨て(田所の遺体に「今からおまえが先任伍長だ」と心で呟いたのはそういう意味だろう)、仙石恒史一個人に立ち戻るところから始まることになります。

「無機質な艦内のスケッチの中に、たったひとつ描かれた人の姿。それは、すべてに対して閉ざされていた描き手の心が、唯一とらえた人の形なのかもしれない。人の中にまみれ、他人と関わりあうことを覚え始めた心が、ためらいながらも描かずにはいられなかった、温もりを持つ人の形・・・・・・。」(483p)

自分の無力を痛感し続けてきたところに、結果的に裏切り見捨てる形になってしまった相手が、痛いほどに自分を必要としてくれていたことを知る。それも「先任伍長」ではなく絵を愛する「仙石恒史」個人を。偽クルーとばれて以来、行は仙石を「あんた」と呼び敬語も一切使わなくなった(心の中での呼びかけは相変わらず「先任伍長」だけども)。彼は上司でなく一個の人間として仙石を見ていたから。行を取り戻すことは仙石にとって組織の中に埋没しようとしていた自分を取り戻すことでもあるのでしょう。ところで「序章 一」を見るかぎり、行が描くのはもっぱら静物画や風景画であって、人物画を描いていた様子はない。もしかしたらこの仙石の後ろ姿は彼が初めて描いた人物画だったんじゃないでしょうか。

「いま逃げ出すわけにはいかない。ここで《いそかぜ》を捨ててしまったら、おれはからっぽになってしまう。誰からも、自分からも信用されない人間になってしまう。取り返すんだ。奪われたもの、失ってしまったもの、捨ててきたものを一切合切。」(484p)

〈逃げ出せば自分は価値のない人間になってしまう〉という思いは行にも共通するものだが、行がかつて母や祖父がそれぞれの形で死に奪い去られたとき、その兆候に気づきながらむざむざとそれを見つめるしかできなかったのに対し、仙石は奪い去られたものを取り返すために戦おうとしている。〈逃げない〉だけでなく〈立ち向かう〉。目に見える敵に対しても自分の人生に対しても。この仙石の決断はのちに行にも決定的な影響を及ぼしてゆきます。行も、自分にない力を持ち合わせている人間だと感じ取ったからこそ仙石に引かれたのかもしれません。

「溜まった水を蹴散らすようにして弾薬庫の扉の前に向かった仙石は、待ってろよ、行、と口の中に呟いてから、閉鎖レバーに手をかけた。」(489p)

艦底の亀裂をくぐって《いそかぜ》に戻りおおせたとき、仙石ははじめて彼を名前で呼ぶ。口の中でつぶやいただけにせよ、クルーを下の名前で呼んだ時点で仙石は行を部下とみなすことを止めた、一個の人間同士として向き合うことに決めたのでしょう。いわば行の「あんた」という呼びかけに対する回答ですね。口では「仮にもおれは上官なんだぞ」と言ってるけれども。

「こと操艦に関しては、宮津は常識的な男じゃない。常に哨戒配備で航行するのが護衛艦隊の主旨だとかぬかして、それ以前に戦端を開いてくるやもしれん」(503p)

実直一途の宮津艦長の意外な一面。彼が先制攻撃の重要性を痛感してたことがうかがえます。そしてこの数分後には・・・・・・。

「撤退するつもりも、先制攻撃をかけるつもりもない。我々は海上自衛官だ。あくまでも法を遵守する。それが我々の任務であり、誇りだ(中略)くだらん恫喝に膝を折る気はない。ここで我々が沈んだとしても、他の艦が残っている。我々という犠牲が、全国三十万の自衛官に反撃のきっかけを与えるのだということを忘れるな。彼らは、仲間に弓を引いた反逆者を決して許しはしないぞ」(517p)

撤退も先制攻撃もどちらも選べない立場を、それでも誇りをもって貫こうとするなら阿久津のようなスタンスしか取りえないでしょう。とはいえ、阿久津はやけくそや自衛隊という「組織の中に埋没する人間性、その結果として生じる無思考」でこう言ってるわけではなく、宮津いうところの「ロマンチスト」な性格に基づくものなのじゃないでしょうか。だからこそ〈自衛官としての道を踏み外した〉あとでさえ彼の言動は以前と変わることはなかった。自分の中に柱を持っている人なのじゃないかと思います。

「《うらかぜ》の頭上百二十メートルで花火のように炸裂したチャフ・ロケット弾は、カートリッジに内蔵したグラスファイバーの小片をまき散らして、縦横百メートルを超えるチャフ雲を展開した。月の光を乱反射させてきらめくそれは、星よりも強い光の粉を闇夜にちりばめて、戦場の海に奇妙に幻想的な姿を滞留させた。」(525−526p)

「行き合う船舶もなく、くっきりとした三日月を映して波間に微かな銀の粒を瞬かせている暗い海」(163p)などを連想させる美しい光景。これが、まもなく何十人もの死者を出す凄惨な戦闘のワンシーンであるということが実に皮肉。

「振り向いた目に、額から血を流し、頬を煤で真っ黒にした《うらかぜ》の先任伍長の顔が映った。」(530p) 「再び頭が白くなりかけた時、「しっかりなさい!」と六つ年上の先任伍長が肩を揺さぶって、阿久津はどうにか正気に踏み留まった。」(530−531p)

《うらかぜ》の先任伍長が出てくるのはこの離艦シーンだけですが、少ない描写からは彼が多分に仙石にも共通する芯の強さ、艦とクルーに対する深い愛着、自分が艦長や幹部をフォローしなくてはという使命感などが感じられます。46歳の阿久津より六歳上ということは52歳、本来ならあと一年で何事もなく穏やかに定年を迎えていた人でしょうに。

 

※1・・・福井作品の一つ。ミステリー作家四名によるアンソロジー『乱歩賞作家 白の謎』収録の中編。のちに福井氏初の短編集『6ステイン』(2004年刊)に再収録。

※2・・・福井作品の一つ。エンターテインメント雑誌『PAPYRUS』創刊号に前後編一気掲載された短編。シリーズ化の公算高し。

※3・・・福井作品の一つ。2002年刊行。2005年文庫化+映画化。『イージス』の菊政の祖父にあたる人物がちょい役で登場。

※4・・・『亡国のイージス』から30年後(注・『イージス』原作は2000年が舞台だが、映画版は公開時点と同じ2005年が舞台となっている)の新生《いそかぜ》の戦いを描く海戦アクション・ゲーム(PS2仕様)。菊政の血縁らしい人物がメインどころで登場しているそうだ。

※5・・・『別フレViva!』ほかの少女マンガ雑誌で連載中(2005年10月初旬時点)の福井氏原案の漫画。《いそかぜ》事件の数ヶ月前に如月行が関わったある任務の顛末を描く。

※6・・・『イージス』映画化にあたって発売された関連グッズの一つ「原作版《いそかぜ》精密フィギュアセット」のおまけ小説。もちろん福井氏著。《いそかぜ》事件の前日談。

※7・・・福井作品の一つ。2003年〜2004年に『週刊文春』誌上で連載。2004年12月に未完のまま連載終了。2005年10月初旬現在、年内に単行本化、の予定。

※8・・・『イージス』映画化にあたって発売された関連グッズの一つ。如月行というキャラクターに焦点を当てたファンブック(というのだろうか?)

※9・・・福井作品『終戦のローレライ』の映画版。主要キャラクターの一人フリッツが登場しないなど原作を大胆にアレンジしている。

 

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